朝の肌寒さはつかの間のこと日中はぽかぽか日和になる。
つつじ。藤の花。あやめ。遅咲きの桜はぼたん桜だろうか。
花たちはバトンタッチをするように次々と咲いてくれる。
春爛漫のなんとありがたいことだろう。心にもほっこりと花が咲く。

今日から新学期。そうしてめいちゃんの入学式だった。
まるで自分のことのようにそわそわと落ち着かない朝。
「おばあちゃんは早く仕事に行けば」と娘に言われて
なんだか後ろ髪を引かれるようにして家を出る。
さすがにもう一緒に学校へ行くわけにはいかない
それが少し寂しくもありせつなくもあった。
そうして少しずつ離れていく。それが子供の成長なのだろう。
仕事を終えて帰宅するなりあれこれと話しかけていた。
担任の先生の名前を教えてもらったりランドセルの中を見せてもらったり
そこには明日持って行く「家庭調査票」も入っていて
娘が記入したのだろう家族構成の欄に祖父母の名前が無かったのだ。
娘に問い詰める訳にもいかずぐっと我慢するしかない。
仕方ない事なのだけれどいささかショックでもあった。
「家族ではない」と言われればそれまで。受けとめるしかない。
以前にあやちゃんが「私の家族」という作文を書いていて
その時にも私たち祖父母の事は一切記されていなかった。
「どうして?」と訊いたら「はずかしいけん」と答えたのだった。
祖父母との同居が子供心に負い目を感じさせていたことを知る。
家族ってなんだろう。どうすれば本物の家族になれるのだろう。
悲観しようと思えばいくらでも悲観できるけれど
私はそれだけはしたくないと思うのだった。
私たち夫婦にとって娘一家はかけがえのない大切な家族だった。
その愛しさはどんな言葉でも言い表せないとても尊いこと。
| 2021年04月06日(火) |
きっと叶えてあげたい |
今朝はずいぶんと肌寒く感じる。
それが平年並みの気温だと知りおどろいたことだった。
もうすっかり春だと暖かさに慣れていたのだろう。
日中もあまり気温が上がらず時おり霧のような雨が降る。
昨夜は遅くまで義父が病院にいてくれてとても助かった。
そうして母の不整脈の原因が持病の心臓発作ではなかったことを知る。
県立病院へ行くのを躊躇っていたら本当に手遅れになるところだった。
「胆管炎」だそうで胆管に結石が詰まって心臓に負担をかけていたらしい。
その石さえ取り除けば命に関わるような病気ではないのだと言う。
父もおどろいていたけれど私もキツネにつままれたような気分だった。
すぐに治療を始めて一週間ほどで退院できるのだそう。
おかげで昨日の切羽詰まった緊迫感もすぐに薄れていった。
母の死を覚悟までしていたことがまるで嘘のように思える。
その上に15分だけの面会を許され母に会うことも叶った。
母は自分が何処に居るのかすっかり分からなくなっていて
「まあ遠いところを来てくれたの」ととても喜んでくれた。
「仕事の帰りよ」と言うとやっと理解したようだった。
コロナ禍の事でまさか面会が叶うとは思ってもいなかった。
コロナ患者も受け入れている病院なのに面会禁止ではないのだそう。
母が少しでも安心するように「すぐに帰れるよ」と伝える。
母はとてもほっとしたように微笑みを返してくれた。
病院の外に出ると真っ白いツツジがとてもきれいに咲いていて
母に見せてあげたいなと思った。きっときっとそれを叶えてあげたい。
| 2021年04月05日(月) |
勝って来るぞと勇ましく |
雨あがりの晴天。北西の風がとても爽やかに感じる。
今朝は母から電話があり「もう大丈夫よ」の声にほっと安堵した。
それをすっかり信じ込んでいただけに
お昼前の病院からの電話はまるで寝耳に水のようであった。
午前中にいくつかの検査をして詳しい病状の説明があるとのこと
今は病院内の療養施設に居るけれど病棟へ移らなければいけないと言う。
大切な話なので義父に相談したらどうしても行けそうにないと。
「私に任せてもいいの?」と訊けば「おう!」と応えるばかり。
とにかく主治医との約束の時間に遅れないよう駆けつけていた。
検査の結果を聞いて耳を疑う。心不全の数値も腎臓機能までも
大幅に数値が高く重篤状態だと言うのだった。
このまま病棟へ入院しても手の施しようがないと言われ愕然とする。
医師は県立病院への転院を勧めてくれたけれどとても迷ってしまう。
大きな病院へ入院しても快復するとは限らないのだそうだ。
いちかばちかのまるで賭けのようなこと。どうすれば良いのか。
そんな大切なことをどうして私の一存で決められるだろう。
医師からも義父に相談するように言われその返事を早急にと言われる。
義父は迷うこともなく県立病院への転院を希望した。
一縷の望みをかけてみようと。このまま何もせずに最期を待つのかと。
きっと後から悔やまれるに違いないと言うのだった。
そんな義父の言葉を聞き私もやっと心を決めることが出来た。
母は涙を流していた。その涙を指先でなぞりながら
「おとうさんの言う通りにしようね」と言うと微かに頷いていた。
慣れ親しんだ施設を後にする母の辛さが痛いほどに伝わって来る。
職員さん達が歌をうたって見送ってくれた。
「勝って来るぞと勇ましく誓って国を出たからにゃ」
そうそうきっと元気になって帰って来なくてはいけない。
救急車の若い隊員さんに「わたしは死ぬのかね?」と母が問う。
隊員さんはにこっと微笑んで「ちょっと検査に行こうね」と言ってくれた。
ちょうど西日が当たり始めた路地を「右に曲がります」と言って
救急車が遠ざかって行くのが涙でかすんで見えなくなった。
| 2021年04月04日(日) |
いのちがきらきらと輝く日 |
春の雨はこんなにも優しかったのか。
二十四節気の「清明」万物の命が清らかに輝く頃だと言う。
人にはもちろんのこと道端の雑草にも尊い命が宿っている。
夜明け前けたたましく電話が鳴り
母の容態が急変した知らせが舞い込む。
とにかくすぐに来て欲しいと。大急ぎで駆けつけていた。
母は胸の痛みを訴えながらのたうちまわっていた。
手を握ってもそれを振り払うほどの痛みだったようだ。
主治医の先生が尽くせる限りの処置をしてくれたけれど
血圧がどんどん下がり足も手も冷たくなるばかり。
隣町の救急病院へ搬送する準備をしていたけれど
もう間に合わないかもしれないと言うので大きな覚悟をする。
途中で息を引き取るよりも信頼している主治医に看取って欲しい。
母もきっとそう願っているに違いないと思ったのだった。
母はそれから一時間ほど生死の境を彷徨っていたけれど
胸の痛みが次第に薄れ声をかければ目を開け反応するようになった。
ほんとうにそれは奇跡のような生還としか言いようがない。
それからしばらくするともう何事もなかったかのように
駆けつけていた私たちに労いの言葉をかけるようになる。
それがなんと愉快なことに「もうみんな解散!」と言うのだった。
「みんなお腹が空いたでしょ。朝ごはん食べてね」とも言う。
まさか笑顔で病室を去ることになろうとは思ってもいなかった。
一歩間違えれば母の命日になっていたことだろう。
今更ながら母の生命力の強さに感動さえ覚える一日となった。
母は強し。母は負けない。今日はいのちがきらきらと輝く日。
| 2021年04月03日(土) |
今日を歩きましたか? |
早朝ぽつぽつと雨が降っていたけれどすぐにやむ。
ちょうど「四万十川ウォーク」が開催される日で
土手の道をけっこう沢山の人が歩いていた。
皆さんとても楽しそうに歩いていてなんとも微笑ましい。
お大師堂の前の小道もコースになっていて
「おはようございます」と朝の挨拶を交わしたことだった。
お参りを済ませてから竹箒で掃き掃除をする。
まるで秋ではないかと思うほど枯れ葉が沢山落ちていた。
ふと枯葉を踏みしめながら歩くのも良いのかもしれないと
思ったのだけれどやはりきれいな道を歩かせてあげたかったのだ。
「歩く」以前のように散歩をすることも殆どなくなってしまって
日に日に弱るばかりの足腰と向かい合うばかりの日々が続いている。
歩きたい気持ちはあるのに歩こうとしない怠け者としか言いようがない。
それでも日々「一歩一歩」と思いながら生きているのだった。
今日が終わればまた明日。それが一歩でなくてなんだろう。
川仕事の手を動かしながらも歩んでいるのだと思いたい。
日々を積み重ねることで前へ前へと進んでいるのにちがいない。
たとえ同じ場所に佇んでいてもしっかりと前を向ける自分でありたい。
山があれば登る。谷に落ちたら這い上がる。
それほどに私は強くはないけれど嘆くことだけはしたくなかった。
弱さを認めてこそひとは少しだけ強くなれる気がするのだ。
今日歩きましたか?そう訊かれたら「はい歩きましたよ」と応える。
決して胸を張るのではない。ただ少しだけ前へ進むことが出来た。
| 2021年04月02日(金) |
何があっても「おっけい」 |
曇り日。南風が強く吹き名残の桜もとうとう散ってしまう。
なんとなく寂しいけれど葉桜もまた風情があるもの。
その色はなんだか桜餅の塩漬けの葉に似ていて
もうずいぶん食べていないなあと懐かしくもあった。
高校時代に学校のすぐ近くに和菓子屋さんがあって
確か一個30円だったと思うのだけれど
帰り道に友達と寄っては買って食べていた記憶がある。
桜餅の甘さよりも塩漬けの葉が好きだった。
だからと言って葉だけ食べても美味しくないのが桜餅なのだ。
あの和菓子屋さんは今もあるのだろうか。
いま無性に桜餅が食べたい。あの和菓子屋さんの桜餅でないと駄目。
今夜はまあちゃんが我が家にお泊りをするのだそうで
孫たちと三人でお風呂に入り夕食も一緒に食べる。
嬉しくてはしゃいでいる孫たちには申し訳ないけれど
私は少し虫の居所が悪く不機嫌な顔をしていた気がする。
全く予定外の事があると精神的に参ってしまう悪い性分。
少しの変化に戸惑ってしまいそれがすぐに顔に出てしまうのだ。
それに真っ先に気づくのはいつも娘であった。
その時はっと気づかれた事を察する。いけないいけないと思い直す。
まさか孫たちには気づかれていないだろうとすごく心配になる。
それなら最初からにこにこしていれば良いものをほんと馬鹿なんだから。
変化のない日常ばかりとは限らない。
何があっても「おっけい」と微笑んでいられる自分でありたい。
| 2021年04月01日(木) |
まあこんなもんでしょう |
今日は黄砂が見られず。雲が多かったけれど久しぶりの青空だった。
陽射しも燦々と降り注ぎ名残の桜がきらきらときれい。
四月になるのを待ちかねていたかのようにツツジの花も咲き始めていた。
なんとなく気分一新。あたらしい扉を開いたような気持ち。
きっと何処かに向かおうとしているのだろう。
何処なのかはわからない。とにかく一歩踏み出してみようと思う。
職場を休ませてもらって久しぶりの川仕事だった。
今朝は意気込んでいたのか少し武者震いをするほど。
とにかく身体を動かしたくてたまらなかったのだ。
潮待ちをして10時前にやっと船を漕ぎ出す。
漁場に着いて驚いたのは海苔の異変であった。
ずいぶんと弱っていて茶色くなり始めていたけれど
「こんなもんさ」とじいちゃんが言ってくれて
とにかく少しでもとせっせと手を動かすばかり。
どんなに品質が落ちても見捨てるわけにはいかない。
毎年の事だけれど最後の最後までと思う気持ちは変わらなかった。
大潮から中潮、そうして小潮になれば海苔が元気になる。
地球の引力との関係は定かではないけれど不思議なものだなと思う。
海水と川の水が混ざり合う汽水域ならではのことだった。
収穫を終え作業場で天日干しを終えさあ家に帰ろうと
車に乗ったところ右足がつったようになり激痛が走る。
どうやら久しぶりの立ち仕事で足の筋を痛めてしまったよう。
肥満と運動不足でどうしようもなく情けないことであった。
二階の自室に上がるのもやっとのことで
それでもこうして今日の事を書き終えることが出来てほっとしている。
今年で65歳になる、まあこんなもんでしょうと思えば愉快なり。
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