ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年03月30日(火) ポニーテールに桜色のリボン

晴れてはいたけれど霞がかった空。どうやら黄砂のようだった。

まだ黄砂が知られていなかった昔には「春がすみ」と言ったのか。

まさか中国大陸から砂が飛んで来るなんて思いもしなかっただろう。

「春がすみ」と呼ぶほうが私はなんとなく好きだなとおもう。


風があまりなかったせいか桜吹雪もひとやすみ。

少し散ってしまったけれどまだまだきれいな桜を愛でることが出来た。

散り急がずにいてくれる。それがなんとも健気に思えてならない。




めいちゃん今日こそ最後の保育園。

ポニーテールを桜色のリボンで飾って元気に登園する。

今度こそ最後だと思うと過ぎ去った日々がとても愛しかった。

めいちゃんの記憶は薄れても私は一生忘れることはないだろう。


一年生になる前に長い髪を切ってしまうのだそう。

私が反対してもどうしようもなく娘とめいちゃんが決めたこと。

なんでも小児がん等でかつらを必要としている子供たちに

髪の毛を寄付する制度があるのだそうだ。それは知らなかった。

誰かの役に立つのならと私も頷かずにはいられないこと。


髪は切ってもまたすぐに伸びるからねと娘が言う。

そうして短い髪のめいちゃんを目に浮かべながら微笑んだ夜のこと。






2021年03月29日(月) きっと逞しくなる

ぐんぐんと気温が高くなりすっかり初夏のような陽気となる。

南風が桜を散らしはらはらとまさに桜吹雪であった。

アスファルトに落ちた花びらがまるで生きているかのように

飛び跳ねている。歌いながら踊っているようにも見える。

儚いけれど不思議とせつなさを感じさせない潔さがあった。


そんなふうに生きてみたい。いや生き抜いてみたいと思う。



今朝は思いがけずにめいちゃんと保育園へ。

卒園しても30日まで預かってくれるのだそう。

「おかまい保育」と言って全園児ではないのだけれど

家庭で保育の出来ない園児を対象の特別な計らいであった。


あやちゃんは春休みでずっとお留守番をしているのだけれど

大人の居ない家に二人きりにしておくのも心配でならない。

せめて二日間だけでもと娘が申し込んでいたのだそうだ。

それも明日までなのでもうこそ最後になってしまう。


あやちゃんはさすがにお姉ちゃんでとてもしっかりとしていて

家族みんなが出掛けた後は家中の鍵をかけているよう。

お昼にじいちゃんが川仕事から帰って来たら家に入れない。

今日も電話をかけてやっと玄関の鍵を開けてもらったそう。


それも家族みんなが揃えば笑い話になっていく。

お姉ちゃんが居てくれたらめいちゃんも大丈夫かなと思うのだ。


そんな日々を積み重ねながら子供は成長していくのだろう。

きっと逞しくなる。そう信じて見守っていきたいと思う。



2021年03月28日(日) 明日はあしたの風が吹く

雨のち曇り。春の嵐の予報に反したいした雨ではなかった。

けれども花散らしの雨になってしまったのかもしれない。

散る時は潔く散る。儚いけれどなんと健気な花だろうか。



今日こそは川仕事へと意気込んでいたけれど

雨音を聴きながら「今日は休もう」とじいちゃんが言ってくれる。

おかげで身体には優しい日曜日になったけれど

私の出番がないのがなんとなく物足らなくてならない。


明日からまた一人でこつこつ収穫してくれるとのこと。

無理はしていないと言ってくれてもやはり気遣わずにはいられない。

このまま職場を優先していて良いものかと少し葛藤している。

せめて一日おき位に手伝ってあげたいのだけれど

思うようにはいかないものだ。あちらを立てればこちらが立たず。


暮し向きも決して楽ではなく情けないけれど今はぎりぎりだった。

今何が一番欲しいですか?と訊かれたら迷わず「お金」と答える。

来月の年金支給日までなんとしても食い繋いでいかなければ。

その為にも職場を休めない。今は日給だけが頼りなのだった。


来月になれば海苔の初出荷もあり多少なりとも余裕が出来る。

もう少しの辛抱なのだ。いつまでもどん底ではいられない。


書くまいと思っていたことをとうとう書いてしまったけれど

こころはどんな時も豊かであり続けたいと思っている。

嘆くことでは何も変わらない。いつだって希望を忘れずにいよう。


明日はあしたの風が吹く。きっと心地よい春の風だろう。







2021年03月27日(土) とびっきりの笑顔で

そよそよと春風の心地よい晴天。

優しい風に吹かれていると心がとてもやわらかくなる。

何かに立ち向かおうとする強い意志とか

負けるもんかと思う闘争心のようなものとか

今の自分には必要のない事に思えてくるのだった。


肩の力を抜こう。ゆらゆらりと揺れていればいい。



めいちゃんの卒園式。とても心に残る感動のひと時であった。

泣くまいと思っていても目頭が熱くなり涙が頬を伝う。

あんなに小さかっためいちゃんがなんと逞しく成長したことだろう。

「おかあさんいつもしんぱいしてくれてありがとう。

 がんばってねっていってくれてありがとう。

 これからもがんばるけん、がんばってねっていってね」


泣き虫で甘えん坊のめいちゃん本当に頑張った5年間だった。

出来なかったことが出来るようになって嬉しかったことだろう。

でも決して自慢をする子ではなかった。それがとてもいじらしい。

まわりの人を思いやりきっと優しい子に育ってくれるとおもう。


めいちゃん卒園おめでとう。今日の笑顔はおばあちゃんの宝物です。


 




2021年03月26日(金) いつかきっと「その日」のために

最高気温がほぼ25℃となりまるで初夏のような陽気だった。

そよそよと吹く風に身を任せるように桜が散り始める。

明後日には雨の予報。花散らしの雨になるのかもしれない。



めいちゃんと保育園へ。とうとう最後の朝になってしまった。

それなのにいつもと変わらない。長い髪を揺らしながら

仔馬のように駆けて行く。そんな後ろ姿を心のアルバムに残したい。


ふと大きくなっても憶えているのかなと思った。

幼い頃の記憶はとても曖昧なもので途切れ途切れになりがち。

私自身も保育園時代の事は殆ど憶えていないのだった。


せめてここにこうして日記として書き残すことで

孫たちが大きくなって読み返してくれる機会があればと願っている。

けれどもネット上にいつまでも在り続けられるのだろうか。

それを思うとなんとも儚い行為に思えて居たたまれなくなる。

それでも「書く」もう19年目の春を迎えたのだ。


明日はめいちゃんの卒園式。

コロナ禍のことで半分は諦めかけていたけれど

幸いなことに卒園児の祖父母も出席を許されたのだった。

一時は卒園式が中止になる可能性もあっただけに

こんなに嬉しいことはなかった。なんだか夢のような気持ちでいる。


明日もおばあちゃんは書きます。

いつか大きくなっためいちゃんが読んでくれる日のために。



2021年03月25日(木) ゆびきりげんまん

雨のち晴れ。午後には暖かな陽射しが降り注ぐ。

雨はまさに「桜雨」いかにも春らしい優しい雨だった。

しっとりと濡れた花びらにはかすかにせつなさが匂う。

胸を熱くするにはいささか歳を取り過ぎてしまったけれど

時おりふっとまだ「おんな」なのだろうかと思う時がある。



今朝はどうしたわけかひどく苛々してしょうがなかった。

めいちゃんの朝の支度が遅く車に乗って20分も待つ。

遅刻しても誰も咎めはしないのに何を急いでいたのだろう。

ついつい「もう限界」と声をあげてしまっていた。


「おばあちゃんちこくするの?」めいちゃんの心配そうな声で

やっと我に返っていた。「だいじょうぶよ」と笑顔で応える。

冷静になってみればめいちゃんと保育園に行けるのも今日と明日。

待ち時間がどうしたというのだろう。大切なひと時ではないのか。


小雨の降る中ふたりで傘を差した。門をくぐっためいちゃんが

一瞬振り向いて手を振ってくれる。私の胸はとても熱くなっていた。


めいちゃん。明日もおばあちゃんと一緒に行こうね。

ゆびきりげんまんしようね。

だいすきなめいちゃんへ。おばあちゃんより。



2021年03月24日(水) 主なき家にも花は咲く

朝の気温が札幌よりも低くておどろく。

それだけ北の大地では暖かい朝だったことだろう。

少しずつ雪解けも始まっているようでほっとするばかり。

全国的に春らしくなってこそ本物の春なのではないだろうか。



仕事でお客さんのお宅を訪ねたらなんだか様子が変。

家の前の畑が随分と荒れていて「おや?」と思ったのが最初。

声をかけても応答がなく玄関には鍵が掛かっていた。

茶の間のカーテンが少し開いていたので中を覗いてみたら

カレンダーが一月のままだった。咄嗟に何かあったのだと察する。

最後に車庫を覗いたら車が無かった。とても出掛けているとは思えない。


胸騒ぎが静まらずすぐ近所で畑仕事をしていた人に訊いてみたら

今年に入ってすぐに脳梗塞で倒れ救急搬送されたとのこと。

幸い命に別状はなく今は病院でリハビリに励んでいるらしい。

車はおそらく娘さんが処分したのだろうと教えてくれた。

そしてそのまま施設に入居し家に帰ることはもうないだろうと言う。


高齢で腰が曲がっていたけれど運転はとても上手な人だった。

小柄なので座布団を運転席に二枚重ねていたことを思い出す。

2年前の車検の時も「また次も頼むね」と言ってくれたのだった。


もう会うことも叶わないのか。なんとも寂しい帰り道だった。


畑は荒れていたけれど玄関先には紫のスミレがたくさん咲いていた。

主なき家にも花は咲く。それはまるで命そのもののように逞しく。


「蝶子」という名前の人だった。そうそれは蝶々の蝶子。

きっと春に生まれた人なのに違いないと思ったことだった。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加