春らしい晴天。何処からか鶯の歌声も聴こえて来る。
「ほうほうそうかそうか」とつい応えたくなる。
山里はとてものどか。陽だまりで畑仕事をしている人や
もう水の張られた田んぼは田植えが近いことをおしえてくれる。
10歳の時に父の転勤で引っ越して来た村だった。
それから3年余り暮らした村はやはり私にとって「故郷」なのだろう。
中学生になってわずか2ヵ月でまた父が転勤になり遠い町へ引っ越す。
同じ県内でも言葉が全く違っていてとても戸惑ったことだった。
幼い頃から慣れ親しんだ「幡多弁」はもう通用せず
「土佐弁」はなんだか皆が怒っているように聴こえたのだった。
不思議に思ったのは父も母もずっと土佐弁だったこと。
それなのに私と弟は幡多弁で育ったらしいのだ。
両親の影響を受けずに言葉を覚えたのかと信じ難いことでもある。
二ヵ国語という例えは可笑しいけれど今は臨機応変に使い分けている。
普段はもちろん幡多弁だけれど話す相手が土佐弁だとそれに合わす。
無理にそうしているのではなく自然と出て来るのだった。
母と電話で話す時も土佐弁になり自分でも愉快でならない。
例えば「無理しなよ」と母が言えば「心配せんでもえいき」と言う。
これが幡多弁だと「心配せんでもええけん」となるのである。
どちらも故郷の言葉なのだと今は思っている。
この村あの町と転々としたけれどいつまでも懐かしい故郷がある。
実家はないけれどもう帰る必要もないだろう。
今は四万十川のほとりの我が家が終の棲家になった。
曇り日。陽射しを心待ちにしながらとうとう日が暮れる。
空の気分は如何なものか。きっと嘆いてなどいないのだろう。
毎朝楽しみにしていた国道沿いの白木蓮の花が散り始めた。
それは桜よりも儚い。道路に落ちた純白はすでに茶色くなって
なんともせつなく哀しい姿に見えるけれど目を背けてはならない。
花の季節が終わったのだ。また季節が巡って来ればきっと咲く。
先日私と一緒に寝たあやちゃんが「最後だから」と言ったけれど
一昨日の夜から寝起きを共にしたいと言い出したのだった。
6畳の部屋にお布団を三つ並べて早寝早起きを頑張っている。
それでもさすがに4時起きは無理なようで5時に目を覚ます。
5時半には朝食。早過ぎて給食が待ち遠しくてならないよう。
今朝は登校時間ぎりぎりまで炬燵でうたた寝をしていて
「もう無理なんじゃないの」と言ったら「だいじょうぶ」と。
意志は強く少々の事では諦める様子が見られないのだった。
子供部屋で独りで寝ていた頃もあったけれど
やはり寂しいのだろうと思う。まだまだ甘えたい年頃なのだろう。
今夜もお布団を三つ敷く。それがほのぼのと嬉しくてならない。
「もう最後だから」と近いうちにまた言われるかもしれないけれど
あやちゃんが大きくなってからそれもよき思い出話になることだろう。
「おじいちゃん、おばあちゃんおやすみなさい」
今夜もその声を楽しみにしています。
夜が明けてから少しだけ雨が降っていたけれど
午後には青空になりすっかり春の陽気となる。
雨あがりの景色に陽射しがあたりきらきらと輝く。
枯野にもずいぶんと緑が目立つようになった。
朝の峠道を越え山里の民家が見え始めた頃に
先日再会したばかりのお遍路さんにまた会うことが出来た。
顔を見なくても歩き方やその後ろ姿を見ただけですぐに分かる。
例の100巡目を結願したお遍路さんMさんであった。
先日会った時に逆打ちと聞いていたのだけれど方角が違う。
いったいどうしたのかきっと何か訳があるのだろうと察する。
とにかく話をと思い5キロ程先まで車で見送ることにした。
聞けば懇意にしていたお仲間のお遍路さんが道中で倒れたとのこと。
救急搬送された病院に駆けつけたけれどコロナ禍で面会は叶わず
幸い命に別状はないけれど極度の栄養失調らしいと云うこと。
明日は我が身かもしれないと少し怖くなったとつぶやく。
わずかな所持金。托鉢と地元の人々のお接待だけが頼りのお遍路。
所持金が底をつけば飲まず食わずの過酷な旅になるのだった。
だからと言って故郷には帰れない。その旅費さえも無いのである。
「職業遍路」に偏見を持つ人も多い。言い換えれば差別でもある。
昔あるお遍路さんが「まるで乞食だ」と呟いていた事を思い出す。
私はなんとしてもMさんを故郷へ帰らせてあげたくてならない。
娘さんもいる。まだ一度も会ったことのないお孫さんもいる。
亡くなられた奥様の供養ももう充分なのではないだろうか。
Mさんもきっと帰りたくてならないのだろう。
その気持ちが痛いほどに伝わって来て思わず涙ぐんでしまった。
まだ朝ご飯も食べていないと言うMさんにほんの少しのお布施を。
それは「あげる」のではない。「もらっていただくもの」
人は欲深く出来ていて「お布施」はその欲を手放す事だとかつて学んだ。
「おかあさんありがとう」小雨の降る道で後ろ姿を見送る。
Mさんは精一杯の笑顔で手を振りながら遠ざかって行った。
| 2021年03月07日(日) |
やったらやっただけのことがきっとある |
曇り日。昨日ほど気温が上がらず少し肌寒く感じる。
また雨が近いのだろうか。今にも泣きだしそうな空だった。
お隣の桜草がそれは見事に咲いてゆらりゆらり。
風もないのに不思議に思ってようく見たら雀が遊んでいたよう。
土の中から虫が出て来ていたのかもしれない。
花と戯れる雀の姿に春を感じずにいられなかった。
今日はやっと川仕事。夜明けを待って早朝から船を漕ぎ出す。
先日からじいちゃんが一人で少しずつ収穫を頑張ってくれていて
私が二足の草鞋を履かなくても良いようにと気遣ってくれていた。
それがどれほどありがたことか。今日は精一杯に頑張ろうと思う。
海苔の生育はまだまだこれからのようで収穫量はわずかだったけれど
品質はとても良くどこに出しても誇れるような川の幸だった。
親戚でもあるお仲間さんが是非にと声をかけてくれて
県下の大手スーパーに初めて卸してみることにする。
乾燥海苔ではなく生のままの新鮮な海苔を食べてもらいたい。
旬の食材として店頭に並ぶのがとても嬉しくてならなかった。
一キロずつ袋詰めにするのが少し大変でやはり女手が必要。
じいちゃん一人ではとても無理という事になってしまって
せめて週末だけでもと今後の取引を約束したのだった。
私はものすごく目の前が明るくなってしまって早速の皮算用。
乾燥海苔よりもずっと高値なのだ。こんなうまい話があるものかと。
すぐに調子に乗るところが私らしくてなんとも愉快なことである。
いかんせん職場の仕事を放棄するわけにはいかないだろう。
川仕事を終えてから職場に走るような体力もすでに限界だと思う。
そうなれば臨機応変に無理のないスケジュールを組みたい。
「やるっきゃない」出来る日に出来ることを頑張ればいい。
程よい疲れがなんとも心地よい一日だった。
やったらやっただけのことがきっとある。すくっと前を向こう。
晴れたり曇ったり。ぽかぽかと春らしい暖かさだった。
もう菜種梅雨だとか。しばらくはすっきりしないお天気が続きそう。
どんな日もあってよしと思う。空の気分を受けとめながら過ごしたい。
朝のうちにやっとお大師堂へ。二週間ぶりのお参りだった。
日捲りの暦が木曜日のままでお仲間さん達の事が気がかり。
Sさんとも昨年暮れから会っておらず元気にしているだろうか。
手水鉢の水はたっぷりと。花枝も綺麗なままでほっとする。
お大師さんにご無沙汰を詫びつつ拙い般若心経を唱え
お線香の補充だけして帰って来た。来週もきっとと思うばかり。
めいちゃんが保育園に行っていたのでお昼にお迎えに行く。
約束していた仲良しのお友達も来ていたそうでとても楽しかったよう。
午後からはまあちゃんが遊びに来てくれてそれは賑やかだった。
ちょっと目を離したすきに外に出て土手から声が聴こえていたり。
暖かさに誘われるように私も土手の道まで散歩に出掛ける。
土筆の坊やがもうスギナになり始めていたりヨモギやたんぽぽや
思いがけないほどの春の緑に驚かずにはいられなかった。
白い蝶々と黄色い蝶々が飛んでいて追いかけるふたりの微笑ましい姿。
しばらく走り回って今度は草そりをすることになったのだった。
ふたりかわりばんこに草の上を滑る「きゃあきゃあ」と大きな声。
無邪気な姿を見ているだけでなんとほっこりと癒されること。
こどもは春そのものだとおもう。見ているおとなもきっと春に違いない。
| 2021年03月05日(金) |
365日のかみひこうき |
昨夜からの雨が降りやまず風も強くなりまるで春の嵐のようだった。
二十四節気の「啓蟄」土の中の虫たちも春を感じているだろうか。
どんなふうにして雨を受けとめているのだろうかとふと思う朝のこと。
あやちゃん超早起き。昨夜は珍しく私と一緒に寝たのだった。
「最後だからね」と言う。寂しいけれど本当のことなのだろう。
めいちゃんと喧嘩をして娘にひどく叱られたようだった。
ひっくひっくと泣きじゃくっていて思わずぎゅっと抱きしめていた。
「お姉ちゃんなんだからがまんしなさい」と言われたらしい。
いつものことだと分かっていてもどうしようもなく辛い時もある。
我儘だって言いたいし甘えたい時もいっぱいあるのだろう。
お布団に入ると「おばあちゃんあったかいね」と言ってくれる。
愛しさが込み上げて来てなんだか涙が出そうになった。
今年はもう9歳になるのか。ずいぶんと歳月が流れたものだ。
寝相が悪く夜中に足蹴り。掛け布団もはぎ取られてしまい大変な有様。
けれどもそれが愉快でならず良き思い出になった気がする。
今夜は娘がPTAの会合があり留守にしているのだけれど
ふたりそれぞれにお風呂に入っておりこうさんにしている。
めいちゃんが鼻歌を歌っていて耳を澄ませば
「365日の紙飛行機」だった。おばあちゃんもその歌とても好き。
お母さん早く帰って来てくれますように。
お父さんも早く帰って来てくれますように。
| 2021年03月04日(木) |
とにかく待ってみよう |
夜明け前には月が見えていたのだけれど
8時頃からぽつぽつと雨が降り始める。
暖かくなる予報に反して思いがけず冷たい雨となった。
そんな冬の名残のさなか桜の開花予想日が発表されて
高知は日本一早く3月13日頃だと云うこと。
なんだか信じられないような気持。ほんとうに咲くのか。
まだ蕾さえ見えない裸木を今日も眺めたばかりだった。
とにかく待ってみようと思う。日に日に春らしくなるのだろう。
職場に体操教室でお世話になっていた先生が訪ねて来てくれて
私の異常なほどの肥満をとても心配してくれたのだった。
なんとか月に一回でも体操をとすすめてくれたのだけれど
現実はそんなに甘くはなかった。仕事よりも健康が大事と
どんなにそう思っても今は仕事を優先するべきではないだろうか。
身体を動かしたくてたまらない。溌剌と心地よく汗を流したい。
それは決して夢ではないのかもしれない。ただ今は我慢の時。
ふと暇とお金さえあればと現実的なことを考えざるを得なかった。
健康を第一に選び仕事を休めばたちまち家計に響く。
その上に体操教室の費用が重なれば一層の痛手になり兼ねない。
貧乏暇なしと云う事だろう。そんな余裕など今は皆無に等しい。
せっかく訪ねて来てくれた先生には本当の事が言えなかった。
ただ「余裕が出来たらきっと行きます」と伝えて笑顔で別れる。
それで良かったのだろうと思う。いつかきっと余裕が出来るだろう。
ながいこと生きていれば悔しい思いをすることもある。
情けない事だってどうしようもできない事だってある。
けれどもこころまで貧しくしてはいけないとつよく思う。
こころはいつも豊かで希望に満ち溢れていなければいけない。
未来はきっとそのためにあるのではないだろうか。
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