ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年12月30日(水) またきっとあたらしくなる

夕方から雪が降り始めた。今夜のうちに積もるかもしれない。

なんだか胸騒ぎがして落ち着かない夜になった。

不安はどこからやってくるのだろう。自分の胸に手を当てている。

おしえてほしい。わたしはどんなカタチをしているのですか。



年の瀬の波を漂っている。押し寄せてくるのは何ですか。

どうかゆるやかにわたしを押し流してください。

辿り着く場所がきっとあるでしょう。心やすらかでありたい。

そんな願いを込めて浮かんでいる。ここがわたしの居場所。


またきっとあたらしくなる。すくっと前を向けるだろう。

嬉しくて泣く日があっても悲しくて泣く日はないのだとおもう。


そんなふうに生かされている。命あってこその日々なのだ。


雪が降っています。こんこんと降っています。



※今年最後の日記になりました。

 この一年の日々におつきあい下さりほんとうにありがとうございました。

 自分のためにと言いつつもやはり読んで下さる皆さまのおかげです。

 来年には19年目になりますが命ある限り書き続けたいと思っています。

 ささやかな日々の事ですがどうかそっと見守って下されば幸いです。

 コロナ禍の大変な世の中ですが、どうかどうか平穏無事に

 新年を迎えられますようにお祈りしています。

 

 







2020年12月29日(火) ほっと肩の荷をおろす

晴れ時々くもり。おひさまが見えたり隠れたり

曇っても寒さは感じず今日もずいぶんと暖かな一日だった。


とうとう今年もあと二日。年の瀬が波のように押し寄せて来る。

コロナ一色の大変な一年だったけれど

家族皆が身を寄せ合うようにして暮らした日々が愛しい。

「守りたい」一心だったように思う。

平穏無事であることがどれほどありがたいことだろうか。



順調に仕事が片づき無事に仕事納めが出来る。

義父や同僚のおかげである。ただただ感謝するばかり。

私もやれるだけのことはやったのだと思う。

難破船のような会社も何処かの島に辿り着いたような

安堵は安らぎに似てほっと肩の荷をおろした。


真っ先に母に報告すると「まあ良かった」と喜んでくれる。

昨日も心配して電話をくれたのだった。

もう退いたとは言え母も会社の一員なのだなと思う。

未だに仕事の事を決して忘れてなどいない。


帰宅してじいちゃんの顔を見るなり涙が出そうになる。

「よう頑張ったな」と言ってくれてとても嬉しかった。


昨日の事、あやちゃんが不思議そうな顔をして言ったのだそう。

「おばあちゃんは毎日お仕事に行っているのにどうして

 おじいちゃんはお仕事に行かないの?」と。

痛いところを突かれたじいちゃんは「参った参った」と苦笑い。

答えに困り昨年の頭の手術の話をしたのだそうだ。

そうしたらあやちゃんが「そっか・・やっぱりね」と頷いたそう。


じいちゃんがお留守番をしてくれるおかげで私は仕事に行ける。

どんなに疲れて帰って来ても顔を見ただけでほっとするのだった。

「ただいまあ」と声をかけると「おう!」と言ってくれる。


じいちゃんこの一年ほんとうにありがとう。

年末年始は仲良く一緒に過ごしましょうね。





2020年12月28日(月) 年の瀬の慌ただしさに

夜明け前まで降っていた雨がやみ青空に朝陽が射し始める。

日中の気温が18℃にもなりまるで春のような陽気だった。


空を仰ぐ余裕もつかの間のこと。今朝のSNSで

「まったりとお過ごし下さいね」と言ってくれたひとがいて

仕事をしながらまったりとすることについて考えていた。

そうしたらなんだか可笑しくなってしまって

それは無理でしょうと結論に達したのだけれど

年の瀬の慌ただしさに負けてはいけないと言う事だったのだろう。



例の車検証を紛失したお客さん。再交付を依頼したら

法人名義のため会社印が必要だと言うこと。

御用納めの日であり今日中に高知市まで届けるのは無理だった。

仕方なく年明けまで待ってもらうことにする。

早めに車検の依頼をしてくれていたらと残念でならない。


もう一台は23万キロも走ったワゴン車の車検。

オイル漏れがありもう年内の部品発注が間に合わない。

これも車検切れ。応急処置をしてなんとか車検を通すことにする。


まだあるもう一台はエンジンのタイミングベルト交換。

帰省中のお客さんで部品は早めに注文してあったので大丈夫。

これは明日中に納車出来そう。とうとう今年最後のお客さん。


義父と同僚が一生懸命に頑張ってくれている。

私も整備士の資格があればと無理なことを思わずにいられない。

順調にいけば明日で仕事納めが出来るかもしれないと義父が言う。


私はいっぱいいっぱいの気持ち。

なんだかひどく疲れを感じながらのもうひと踏ん張りだった。







2020年12月27日(日) 明日に向かう勇気を

つかの間の青空。今夜から明日にかけ雨になりそう。

雨が降り出す前のしっとりとした空気も良いもの。

忍び足で誰かが近づいてくるような気配がする。

逢瀬なのか。いったい私は誰に逢いたがっているのだろう。

こころの鍵を開けられない。開けてしまえばきっと壊れてしまう。




朝の陽射しがあるうちにお大師堂へ。

ちょうどSさんと一緒になって「鏡餅を供えたぞ」と。

聞けば今日は「大安」だそうでさすがSさんだなと思う。

私も花枝に千両とかすみ草を添え一気に新年を迎える準備が整う。

今年最後のお参りになりそう。一年の感謝を込めて手を合わせた。


さあトイレ掃除。ちょうど干潮で川の水を汲むのに苦労したけれど

便器をきれいに洗い流すと清々しい気持ちが込み上げてくる。

もうこれで思い残すことはない。役目を終えてほっとするばかり。


今年はコロナ禍のせいもあり宿泊するお遍路さんも少なかったよう。

まして真冬のこと遍路道を歩くお遍路さんを見かけない日が多い。

春になればと希望のように思う。どうか平安な日が訪れますように。

祈ることで救われるような気がする。だから祈らずにはいられない。



高知県下の感染者がやっと一桁になる。

このまま減り続けてくれたらと藁をも掴む気持ちになった。

山里からの感染者はしばらく出ておらず安心と言って良いのか

明日のことなど誰にもわからないからこそ明日に向かう勇気が必要。







2020年12月26日(土) 明日になってみないとわからない

冬晴れの一日。降り注ぐ陽射しをありがたくいただく。

年末から年始にかけてまた最強寒波が襲って来るとのこと。

平野部でも雪になるかもしれないと聞きなんだか怖くなる。

子供の頃には雪が降ると大喜びしたのだけれど

いつの間にこんなにも臆病になってしまったのだろうか。



朝のうちにやっと久しぶりにお大師堂へ。

新年の準備などSさんに任せっきりでとても気になっていた。

花枝は誰かが活け替えてくれていてだいじょうぶ。

大晦日までに千両か南天の紅い実を添えようと思う。

お線香の補充をし和菓子をお供えする。

鏡餅はSさんが買って来てお供えしてくれるそうだ。

後はトイレ掃除。これだけは毎年私の役目だった。

今朝は時間の余裕がなく明日にしようと思いつつも

出来るかどうかは明日になってみないとわからない。



急ぎの仕事があり10時頃には職場に向かっていた。

工場はとても忙しく私だけ休むわけにもいかない。

お客さんが車検証を紛失していて車検が受けられないのだった。

月曜日に再発行を依頼すればなんとかなりそう。

毎年の事だけれど年末ぎりぎりに必ずあるトラブル。

今年最後のお客さんをなんとしても助けてあげたいと思う。


4時間ほど仕事をして帰宅するなり炬燵に潜り込んでいた。

うたた寝をしていたようで「そろそろ起きないか」とじいちゃんの声。

疲れているつもりはなかったけれど身体はとても正直だった。


今年もあと5日なのか。いよいよ押し詰まって来たのだと思う。

あれもしようこれもしようと張り切らずにいよう。

何もしなくても新年はやってくる。

いつもと変わらない日常でありたいものだ。





2020年12月25日(金) 自分がどれほど恵まれているか

陽射しはたっぷりとあったけれど吹く風の冷たさ。

枯れススキが風に揺れるのを見ながらふと

老いることもまた美しいのではと感じる。


「これだけは」と言う信念のようなもの

一生かかってもそれを守り抜いてみせたいと思うのだった。



クリスマスの朝。めいちゃんは4時前から起きていたそう。

サンタさんにお手紙が届いていて良かった。

どんなにか朝を楽しみにしていたことだろう。

孫たちの嬉しそうな顔を見ながらつくづく平和だなと思う。


その反面、コロナ禍と闘っている医療従事者の方達を気遣う。

イブの夜も心休まることもなく働いていたことだろう。

クリスマスどころではないのだ。浮かれてなどいられない。

母親であったり父親でもあるだろう。家族と過ごす時間さえも

コロナの為に犠牲にしなければいけないそれが現実だと思う。

感謝はもちろんだけれどもっともっと労わってあげなくては。


だからなのだ。私がどうしても馴染めない「素敵な一日」

SNSではそれが当然のように飛び交い辟易とするばかり。

おそらくスマホでは「す」と入力すれば「素敵な一日」と出るのか。

だから毎日「素敵な一日を過ごしましょう」と言い続ける。

もういい加減にしてと思ってもまた明くる日も同じことを言うのだ。


それを心ない言葉と言っても他言ではないと思う。

思い遣りがまったく感じられない。ある意味「かなしい」言葉だ。



幸いと言っていいのか今日も平穏無事に暮れていった。

自分がどれほど恵まれているかをつくづくと感じている夜に。



2020年12月24日(木) 恵みの雨

冷たい雨の一日。けれども必要な雨なのだと思う。

草や木や花や畑の作物がどんなにか待ちわびていたことだろう。

そうして渇いたこころにもそれはしっとりと潤いの水を与えてくれる。


仕事を終えて買物を済ませくたくたになって帰宅したら

冬至の日に注文していためいさんの初めての詩画集が届いていた。

「いまきみがきみであることを」詩・白井明大。画・カシワイ

クリスマスイブに届くなんてなんだかサンタさんの贈り物のよう。

嬉しさがそのままぬくもりになる。ほっこりとあたたかくなる。

宝箱のふたを開けてゆっくりとひとつひとつ確かめるように

読みたいと思う。私にとってめいさんの詩ほど心に響く詩はない。

憧れとも違う。なんといえば言いのだろう。うまくいえないけれど。

好きなのだ。どうしようもなく好きとしか言いようがない。



我が家のめいちゃんに「おばあちゃんにもサンタさんが来たよ」と。

そうしたらきょとんと不思議そうな顔をして見せる。

あやちゃんが「年れいせいげんがあるがぜ」と笑い飛ばすのだった。


でもこれは確かなこと。いまその贈り物を胸に抱いている。




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