朝の寒さもつかの間。日中は陽射しに恵まれとても暖かくなる。
人間の身体とは不思議なもので陽射しを浴びると気の流れが良くなり
溌剌とはいかないまでもなんとなく元気が出て来るものだった。
うんいい感じ。勢いはないけれどすくっと歩み出せるような
何処に向かうのかわからなくてもそんな一歩が心強いものなのだ。
職場の年賀状をすべて書き終え投函しほっと肩の荷を下ろす。
来週の車検予約はもう入っておらず年内の仕事を終えられそう。
勝手にそう思い込んでいたけれど義父が「30日までやるぞ」と。
社長がそう言うなら従うしかない。同僚と顔を見合わせ苦笑い。
大掃除もして気持ちよく新年を迎えようと思ったことだった。
資金繰りは今のところ順調で頭を悩ますこともない。
母が聞いたら目を丸くしてきっと驚くことだろう。
そんな母との面会もやはり年内はもう無理だと思う。
とても薄情だけれど「会いたい」という気持ちもないのだった。
夕飯は牛丼とポテトサラダ。どちらもあやちゃんの好物。
決して機嫌を取っている訳ではないのだけれど
喜んで食べてくれるのがとても嬉しいのだった。
明日はもうクリスマスイブで「パーティーよ」と娘が言う。
そんなプレッシャーもまた「かかってこいや」と思う母であった。
| 2020年12月22日(火) |
一年なんてあっという間 |
氷点下の朝だったけれど日中はぽかぽか日和。
夜が明けるのを待ちかねて洗濯物を干していたら
お隣の庭にアロエの花が咲いているのが見える。
いつかの冬にもはっと驚いたことがあったけれど
真冬に花を咲かせるのだ。オレンジ色の鮮やかな花。
寒さにも負けずなんと逞しい花なのだろう。
仕事で年賀状の宛名書き。すべて印刷では味気ない気がして
毎年宛名だけは手書きで書くようにしている。
今日は120枚がやっと。そのまま郵便局に走り投函する。
残りは明日。すべて出し終えたら肩の荷が下りることだろう。
自分は年賀状を出さないと決めたのだけれど
さすがに職場の年賀状を疎かにすることは出来ない。
帰宅したら娘の車があり洗濯物も取り入れてあった。
台所もきれいに片付いていて娘がお休みだったことを知る。
仕事から帰るなり家事に追われなくて済みとてもありがたいこと。
夕飯は野菜たっぷりの煮込みラーメン。あやちゃんが嫌だと言う。
以前は好きでよく食べてくれたのに「もう嫌いになった」のだそう。
おばあちゃんは毎日頭を悩ませながらメニューを考えているけれど
そんな苦労を話したところで笑い飛ばされてしまいそうだった。
そうかと言って毎日あやちゃんの好きなものばかりとはいかない。
「嫌なら食べなければいい」といつも娘は言ってくれるけれど。
お風呂の柚子も捨てることになった。「もういい」と皆が言う。
私だけでもと思っていたらじいちゃんがすでに入浴剤を入れていた。
今夜は「森の香り」でさすがに柚子は合わないだろうと諦める。
また来年の冬至のお楽しみ。一年なんてあっという間のこと。
今年もあと9日。明後日にはもうクリスマスイブだった。
めいちゃんのサンタさんへのお手紙はもう届いただろうか。
サンタさんが来てくれると信じている純真な子供心が愛しい。
| 2020年12月21日(月) |
柚子いっぱいのお風呂 |
二十四節気の「冬至」あっという間に日が暮れる。
日中は陽射しに恵まれおひさまのありがたさをつくづく感じた。
明日から少しずつ日が伸びていくと思うとやがて春と
浮き立つような気持になる。終わらない冬はないのだもの。
山里の職場に着くと机の上に柚子がそっと置かれていた。
柚子農家のお客さんが約束通りに届けてくれたのだった。
もう収穫も終わりらしい。最後の柚子をありがたく頂く。
今夜は柚子風呂。昨夜はカラスの行水だったけれど
ゆっくりとお湯に浸かりぽかぽかと温まる。
柚子が湯船の中であっちへ行ったりこっちへ来たり
お尻にぴたっとくっついたりもして愉快で楽しい。
孫たちもきっと喜んでくれるだろうと笑みがこぼれる。
今朝のラジオで柚子風呂は3日目もいけますと言っていたので
すぐに捨ててしまわずに明日も柚子風呂にしようかなと思う。
めいちゃんがまた夕食前に眠くなりダウン。
保育園のお昼寝がないとさすがに疲れが出るようだった。
慣れるまでにはもう少しかかりそう。大丈夫きっと慣れてくる。
さっき目を覚まして今は娘と一緒にお風呂に入っている。
はしゃぎ声が聴こえてくるのを微笑みながらこれを記す。
めいちゃんの青いお尻にも柚子がぴったんこしたかな。
朝から青空。陽射しはたっぷりとあったけれど冷たい風。
そんな冬らしさを楽しむようにのんびりと過ごす。
お大師堂が気になりながら今日も行けず。
先日Sさんからの電話で「気にせんでもええよ」と。
けれども昨日も山里から感染者が出ていたのだった。
やはりもうしばらく様子を見たほうが良さそう。
午後、孫たちの近所のお友達が遊びに来てくれる。
よけいな心配をしていたのも思い過ごしだったのだろうか。
夕方まで遊んでくれて久しぶりに賑やかな日曜日だった。
夕飯は「寄せ鍋」あやちゃんの好きな葛きりも忘れず。
お汁をご飯にかけてそれは美味しそうに食べてくれて嬉しかった。
めいちゃんは〆のおうどんをちゅるちゅると食べてくれる。
お風呂の時間になり脱衣所でめいちゃんと一緒になる。
「おばあちゃんとはいるのはいや!」と言って聞かない。
仕方なく私が大急ぎで先に入ることにしたのだけれど
すっぽんぽんのめいちゃんが脱衣所で待ちかねていた。
「おばあちゃんはカラスの行水よ」と言うと
「どうしてカラス?おばあちゃんはブタなのに」と言う始末。
けらけら笑いながらなんと愉快なことでしょう。
まだ青いお尻をぷりぷりさせながらお風呂に飛び込んだめいちゃん。
大きな声で鼻歌を歌い始めてその声がなんとも可愛かった。
我が家はこんなにも平和。何があっても平和でありたい。
嘆くことは何ひとつないのだと思う。
明日も陽射しがいっぱいに降り注ぎますように。
| 2020年12月19日(土) |
私は決して頑張りはしない |
曇りのち少しだけ晴れ。陽が射し始めるまでの寒かったこと。
家事をする気にもならず炬燵にもぐり込んでばかり。
ご近所の鶏頭の花がいつの間にか焦げ茶色になっていた。
あの燃えるように紅かった花がとなんともせつない。
「枯れる」ことに敏感になってしまったのだろうか。
私の情熱はいったい何処に行ってしまったのだろう。
ふと恋をしてみたいと思った。それも叶うはずはないのだけれど。
誰かを想えば胸が苦しくなるようなそんな頃もあったはず。
午後やっと陽射しが。炬燵から抜け出し少しだけ掃除をする。
それも長続きはしない。じいちゃんが雨が降ると言って笑った。
あれもこれもは無理なのだ。私は決して頑張りはしない。
夕食の支度まで少し時間があったので今年の日記を読み返す。
やはり誰のためでもない自分のための日記なのだと思う。
なんでもないような日常の事がとても愛しい。
今日の日よさようならまたあう日まで。そんな歌もあったっけ。
連日の氷点下。今朝は昨日よりも更に冷え込む。
暖房のなんとありがたいことだろう。
昔は火鉢だったことを思うと便利な世の中になったこと。
幼い頃の火傷の跡が今も右足に残っている。
炬燵が電気ではなく練炭だったのだ。
父が真っ赤に焼けた練炭を炬燵に入れる時に
「危ないから足を入れるなよ」と言ったのに
幼い私は言う事を聞かなかったらしいのだ。
その時の痛みは記憶にないと言うのに
父の言葉だけはなぜか薄っすらと憶えている。
そう言えば「あんか」も豆炭だった。
母がお風呂を焚く時に薪と一緒に火を点けてくれたのだ。
「あんかを持って来なさいよ」と母に言われて
弟とふたり我先にとお風呂の焚口まで持って行くと
まるで火の塊のような豆炭を母が火箸で挟んでは
「ほうれ、ほうれ」と順番にあんかに入れてくれたのだった。
それを宝物のように抱いてお布団を温めてから眠るのだ。
懐かしいものである。一気に思い出す冬の光景があった。
父がいて母がいて弟がいて「チョビ」と言う名の犬もいた。
家族がばらばらになることなど夢にも思っていなかった頃。
とうとう氷点下の朝。しんしんと音が聴こえるような寒さだった。
それでも日に日に慣れてきているのだろう苦にはならない。
寒さあってこそだと思うのだ。まだ遠い春を想うことが出来る。
仕事を少し早めに終らせてもらっていつもの病院へ。
待合室がすっかりクリスマスモードになっていて心が和む。
あと一週間でもうイブなのかほんとうに早いものだ。
いつも通りのお薬。薬剤師さんがとても優しく語りかけてくれる。
その足で母の入居料の支払いにお世話になっている病院へ。
会計が混雑していて待ち時間が長くなりそうだったので
自販機でコーヒーを買って飲みながら待つことにする。
缶コーヒーではなくネスカフェの自販機で紙コップで出て来るやつ。
熱々のをふうふうしながらそれがとても美味しかったのだ。
けれどもマスクを少しずらして飲んでいたのがいけなかったのか
うっかり手を滑らせてしまって口元から胸元へとこぼしてしまった。
思わず悲鳴をあげたくなるほど熱かった。少し火傷をしたみたい。
とんだ失態をやらかしたものである。今思えばなんと滑稽な有様。
コーヒーまみれの醜態のまま支払いを済ませ
ケアマネさんと少しだけ母の話をして急いで帰宅する。
最近の母はとても穏やかで落ち着いているとのことで
年内の面会はもう無理かもしれないと伝えるしかなかった。
時間の余裕もなければこころの余裕もない気がする。
とにかく無事に仕事納めをすることで頭がいっぱいなのだった。
いっぱいいっぱいではいけないのだけれど
どうか許してほしい。私なりに精一杯の日々が続いている。
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