ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年12月16日(水) さっぷいさっぷい

寒さは日に日に更新されていて今日はとうとう初雪。

平野部はさほどでもなかったけれど山里は一面の銀世界だった。

幸い道路には積もっておらず無事に職場に辿り着く。


峠道を越えたところで母から電話があり

血相を変えた様子で「すぐに帰りなさい」と言うのだ。

その命令口調に一瞬むっとしてしまってとても穏やかにはなれない。

母は母なりに雪道の心配をしてくれたのだろう。

ずいぶんと昔のスリップ事故を覚えていてくれたのだと思う。

「ありがとう大丈夫よ」の一言がどうして言えなかったのだろうか。


雪はどかどかと降り続いていたけれどすぐに溶ける雪で

積もることもなく午後3時頃には陽が射し始めていた。


さっぷいさっぷい。今夜は鍋にしようと家路を急ぐ。

ありがたいことに昨日いただいた白菜があった。

葛きりを買い忘れていてあやちゃんが残念がっていたけれど

文句も言わず食べてくれてほっと嬉しく思う。


母に電話してみようかと思いつつ迷っているところ。

「今朝はありがとう」と言うべきか

「今朝はごめんなさい」と言うべきか。








2020年12月15日(火) お母さん大丈夫よ

最強寒波とのこと今季いちばんの冷え込みとなる。

日中も7℃ほどの気温で冷たい北風の一日だった。


午前中に免許講習のため警察署へ。

あまりに大勢の人で入室するにも戸惑うほど。

係の女性が「大丈夫ですよ」と言ってくれる。

窓を開けて換気をしているとのことだったけれど

それで安心とはどうしても思えずなんとも不安な時間だった。


やっと講習が終わって新しい免許証をもらう。

写真がとても気になっていたけれど5年前とさほど変わらない。

ずいぶんと歳を取ったと思っていたけれど勘違いだったのか

それにはさすがににんまりだった。やるじゃん私と思う。

免許証はブルーだったけれど次回の更新は5年後との事。

69歳の自分の顔を想像するのもなんだか愉快であった。



午後は職場へ。仕事が忙しく帰宅が少し遅くなる。

お客さんから大きな白菜と大根と蕪をいただきとても嬉しかった。

義父と同僚と3人で分けて義父は早速今夜の夕食にするとのこと。

母がいなくなってからすっかり料理に目覚めているらしい。

それも微笑ましくて「お母さん大丈夫よ」と伝えてあげたい。


帰宅したらめいちゃんのお友達が遊びに来てくれていた。

久しぶりの事でほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。

しばらくは遊んでもらえないかもと心配していただけに

はしゃぎ声がなんだか天使の歌声のように聴こえたのだった。



今日の県下の感染者は過去最多の36名と聞きまた愕然とする。

幸いと言っていいのか山里からの感染者はいなかったようだ。

どうかどうかこのまま収まってくれますように。



2020年12月14日(月) 冬将軍がやって来る

冬将軍がお馬さんではなく新幹線でやって来る。

とうとう一気に真冬の寒さになってしまった。


木枯らしを受けて風に舞うススキの千切れ穂が

まるで小雪のように見える窓の外。

老いたススキもそうして旅に出るのだった。




寒さのせいか血圧が少し高め。

それでも特に体調が悪いのでもなくまあこんなもんだろうと

いつものように焼酎を飲みつつこれを記し始めたところ。


めいちゃんが夕食前に寝てしまってやっとさっき目を覚ます。

保育園のお昼寝が無くなってしまったのにまだ慣れておらず

とにかくひと眠りしてから夕食を食べる日が続いている。

一年生になるための訓練なのだろうとあたたかく見守るばかり。


今夜は久しぶりに娘むこが居て「しらすうなぎ漁」はお休みとのこと。

孫たちも嬉しいのだろうとてもにぎやかにはしゃいでいる。

やはり父親の存在は大切。お父さん大好きのふたりだった。



最近ずっと寝る前にユーチューブで懐かしい歌を聴いている。

昨夜は「スワンの涙」だった。確か小学6年生の頃の歌。

ネットって凄いなと思う。探せばなんだって見つかるのだもの。

さあ今夜もそろそろ聴くことにしましょうか。




2020年12月13日(日) 幸せは「仕合せ」と書く

穏やかであればあるほどそれが乱されるのが怖くなるものです。

幸せは「仕合せ」と書く。それにはきっと意味があるのでしょう。



日曜日は朝のうちにお大師堂へ行くのだけれど

どうしたら良いものかとしばし悩んだあげく今日は行かず。

お参り仲間さん達のことを考えると迷惑をかけるのではないかと。


たとえば高知県を日本の国に例えてみる。

高知市が東京だとすると今の山里は大阪に値するのだった。

だとすると私は毎日大阪に行っていることになる。

そんな私がどうして平然とお参りに行けようか。

「自粛」と言う言葉が重くのしかかっても仕方ないことだった。


孫たちのお友達も遊びには来てくれない日曜日。

幸い家族そろって買物に出掛けたようでほっとする。

昨日の事もありじいちゃんと「避けられているのかも」と。

それも当然の事のように思えた。用心に越したことはないのだもの。


近所の地場産市場で息子たちと偶然に会った。

息子も職業柄とても用心していて近寄ろうとはしない。

私もそれを心得ていてあえて距離を置いてつかの間の会話だった。

けい君が不思議そうな顔をしてそれでもにこにこと笑顔を見せてくれる。

元旦は休みが取れたそうだけれど「正月はまあええわ」と。

たとえ家族とは言え会食には違いない。それが得策だろうと思う。

寂しいけれど仕方ないこと。右を見ても左を見てもコロナなのだ。


明日からまた仕事だけれど気の重さは不思議となかった。

なんとなく武者震いのようなこれは「勇気」に違いない。



2020年12月12日(土) なんとしても守りたい

暖冬を思わすような陽気もあと2日ほどだろうか。

来週の火曜日には一気に真冬並みの気温になるとのこと。

暖かな陽射しを惜しむように過ごすばかりであった。



午前中は川仕事へ。朝陽がきらきらと川面に射してまぶしい。

身体を動かしていると薄っすらと汗をかく。

すっぽりと被っていた頬かぶりを脱ぎ捨てて川風に吹かれる。

なんと心地よい風だろう。ほんのりと潮の香りがしていた。


年内の川仕事は今日でお終い。明日の予定だったけれど

じいちゃんが昨日ひとりで作業をしてくれたのだった。

「おまえも日曜日は休みたいだろう」と優しさが心に沁みる。



いつもなら孫たちのお友達が遊びに来てくれる土曜日の午後。

今日は呼ぶ声も聴こえずひっそりと静かだった。

もしかしたら私が山里へ仕事に行っているせいかもしれないと

思い過ごしかもしれないけれどそんな心配もあった。


今日は全国で3千人を超す過去最多の感染者。

高知県も27人とこれも最多を記録する。

そのうち4人が山里の人だと情報が入って愕然とするばかり。

治まるどころかどんどん拡がっているのだった。

小さな山村でクラスターが発生していると言っても過言ではないだろう。


恐怖心と不安はつのるばかりで出来ることならば仕事を休みたい。

けれども師走の繁忙期にどうしてそんなことが出来ようか。

命がけの綱渡りだとしても立ち向かって行くしかないだろう。


家族がみんな心配している。そんな家族をなんとしても守りたい。

最前線で闘っている医療従事者の気持ちが痛いほどにわかる。



2020年12月11日(金) 可愛らしい赤いポスト

晴れのち曇り。ずいぶんと暖かな一日だった。

仕事の手を休めては外に出て陽射しをいっぱいに浴びる。

職場の庭の片隅に母が育てていた山茶花の木があり

それは枯草におおわれて少し憐れでもあるけれど

雀色に寄り添うようにして薄紅色の花を咲かせているのだった。

見つけてあげられてよかった。決して忘れていたのではない。


背中を丸めて草を引いていた母の姿をふと懐かしく思い出す。

そこは母の庭だったのだ。もう二度とその姿を見ることもないだろう。




昨夜の「ご縁の断捨離」をまた高知新聞の文芸部に送ってみようと

仕事の合間にプリントアウトして郵便局へ走る。

そうそう掲載されることもないだろうけれどいちかばちか。

何事もやってみないと始まらない。ささやかな勇気でもある。

一週間経って掲載されなかったら潔く諦めもつくだろう。


田舎ならではの赤いポストがとても可愛らしくなっていた。

すっかり冬バージョンで頭にサンタさんの帽子を被せてあげたい。

そんなポストに投函すると「ことん」と確かな音がする。

「ちゃんと届けますからね」とそれがポストの声に聴こえた。


さあ真面目に仕事しなくちゃね。





2020年12月10日(木) ご縁の断捨離

曇り時々晴れ。陽射しは少なかったけれど日中は暖かくなる。


喪中葉書がぽつぽつ届くようになった。

例年ならばそろそろ年賀状の準備をする頃だけれど

今年はそれをやめようと決めたので随分と気楽に思う。

少しの迷いもなくそう決めたのにはちゃんと訳があった。

ご縁の断捨離と言ってしまえば心苦しくもなるけれど

一度しっかりと身辺整理をしてみようと思ったのだった。


毎年の事だけれど三ヶ日を過ぎてから届く年賀状が多い。

それはきっと相手に返事を強いているのではないかと

少なからず負担をかけていることには間違いないのだと思う。

そこまでして縁を繋ぎ留めておく必要があるのだろうか。

寂しい事なのかもしれないけれど一度確かめてみたいのだった。


年賀状を届けてくれたひとには後日寒中見舞いの葉書を送ろうと思う。

申し訳ないけれど印刷のみのカタチだけのひとはスルーさせてもらう。

それで切れてしまうような縁ならそれまでと思うのだった。

不義理と知りつつあえてそう決める。きっとすっきりするだろう。


コロナ禍のまま新年を迎えることになりそうだった。

寒中見舞いはゆっくりと時間をかけて心のこもった言葉を送りたい。




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