ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年12月09日(水) 遅咲きの秋桜

曇りのち晴れ。冬の陽射しのなんとありがたいこと。


もうすっかり枯れてしまったと思っていたけれど

遅咲きだったのだろうか秋桜の花が咲いていた。

真っ盛りの頃に比べて背も低く花も小さいけれど

冬の陽射しをまるで楽しんでいるかのようだ。

もしかしたら越冬するのかもしれない逞しさを感じる。



山里はコロナ一色。今日も新たに3名の感染者が出る。

小さな山村にもう10名の感染者となってしまった。

村が独自に非常事態宣言をするべきなのではないだろうか。

身を潜めるようにしてただただ感染が治まるのを待つしかないのか。

なんとも複雑な気持ちを抱えつつ今日も仕事だった。


県がやっと「特別警報」を発令したニュースが流れる。

それも遅すぎると思う。もっともっと危機感を高めて欲しい。

感染者の感染経路が不明と言う発表も納得がいかない。

感染するまでの各自の行動を徹底的に調べるべきではないだろうか。

身に覚えのない人などきっと一人もいないと思うのだけれど。


ここであれこれ何を言ってもしょうがないことは分かっている。

無力なのだ。どうしようもなく無力としか言いようがない。


息子から電話があり「おかあくれぐれも気をつけてくれよ」と。

「大丈夫よ」とどうして言えよう。ただ負けない自信だけはある。


逃げるわけにはいかないのだ。なんとしても立ち向かって行こう。




2020年12月08日(火) 猫のきもち

日中は今日も小春日和。日向ぼっこをしたくなるような陽気。

陽だまりの猫のようにはなれないけれど猫の気持ちが分かる気がする。

ふにゃふにゃとなりにゃおんと鳴く。人間ってどうしてせかせかと

忙しそうにしているのだろうときっと不思議でならないのだと思う。

もっと肩の力を抜いて楽にしていればいいのににゃあと。


そうはいきませんよと人間は言う。だって仕事しなくちゃ。

家事もしなくちゃ。あれもこれもすることがいっぱいなんだから。


馬鹿みたいだにゃと猫は思うのだけれど何も言えない。

傍観するのはけっこう辛いことなんだにゃと猫は知り過ぎてしまった。

「今日も頑張りましょう」と人間は口癖のように言うばかり。

辛いしんどいと嘆きながらどうして人間は頑張ろうとするのかにゃ。


いや嘆ける人間はまだいい。モンダイは嘆くことの出来ない人間。

完璧主義なものだから嘆くことを罪のように感じているのだろう。

だからもちろん怠けることも罪なのだ。自分を許せなくなるのだ。


ねえねえ一緒に日向ぼっこしないかい。

おひさまは優しいよ。ぽかぽかとあったかいよ。


にゃんとにゃんと今日もいい一日でした。



2020年12月07日(月) 冬の思い出

二十四節気の「大雪」例年なら四国でも小雪が舞う季節。

今年は今のところ暖冬らしく今日もぽかぽか日和となった。

来週あたりから寒波が襲って来るとのこと油断は出来ない。

子供の頃には大好きだった冬が今はとても苦手になってしまった。



うなぎの稚魚「しらすうなぎ漁」が今夜から解禁になった。

娘むこは仕事を終えるなり漁に出掛けたようだ。

「しばらくは母子家庭よ」と娘はすっかり諦めている様子。

深夜の帰宅になるので孫たちが不憫でならないけれど

毎年の事なのでもう慣れているのかもしれない。



私も嫁いだ冬にしらすうなぎ漁に行ったことがある。

なんでも妊婦さんは漁運が良いらしくお舅さんからすすめられた。

強制ではなく私も興味津々だったと記憶している。

毛糸の目出し帽を被り防寒着をこれでもかと着込んで

重いバッテリーを担いで川端へ行くのだった。

川面に電気を灯してじっと待つ。寒さは全く感じない。

するとその電気の灯りにしらすうなぎがちょろりと寄って来る。

それを素早く小さな網で掬うのだった。やったあ1匹ゲット。

1日10匹。10日で100匹。1匹いくら?と

にやにやしながら皮算用をするのも楽しみなものだった。

懐かしいものだなと思う。もう40年以上も昔のことである。


ずいぶんと歳月が流れたけれど私の冬の思い出であった。



2020年12月06日(日) 野すみれの花が咲く

曇りのち晴れ。午後からは気温が上がりぽかぽかと暖かい。

そんな小春日和に誘われたのか庭の片隅に野すみれの花が咲く。

それはコンクリートの隙間からなんと逞しいことだろう。

先日草むしりをしていた時に見つけて春になったら咲くだろうと

そっとそのままにしておいたのだった。それがまさか

これから真冬になろうとしている頃に咲くとは思ってもいなかった。


紫色の小さな花がふたつみっつとこころを和ませてくれる。

胸を張っていても良いのだとふと我が身に重ねたことだった。




午後、今日も川仕事へ。あと二日もあれば終わる目処が立つ。

じいちゃんに無理をさせないよう次の週末まで置くことにする。

作業をしていたら小鴨がすいっと水辺にいて可愛らしいこと。

鴨は海苔が育ち始めると啄むのだけれど許してあげたいのだ。

自然の恩恵を受けているのは人間だものといつも思う。



夕方またコロナの情報。県内で18名。そのうち3名が山里らしい。

どうやらクラスターと思われる。明日はまだ増えることだろう。

会食を控えようと言う気持ちが無かったのがとても残念でならない。


義父とも相談し明日からの予防対策を徹底することに。

それ以外に方法はない。会社を休業するわけにはいかなかった。

嘆いていては負けてしまう。とにかく立ち向かっていかなければ。



2020年12月05日(土) 冬うらら祈りはきっと伝わると

「春うらら」という季節の言葉があるけれど

「冬うらら」という言葉もあるのだそうだ。

今日がまさにその冬うららだったのかもしれない。

真っ青な空から冬のやわらかな陽射しが燦々と降り注いでいた。



午後から久しぶりの川仕事。海苔の赤ちゃんの可愛らしいこと。

網を緑に染めてちいさな芽がいっしょうけんめいに生きようとしている。

そんな愛しさが励みになる。そうしてそれは希望にもつながる。

どうかどうか順調に育ってくれますように祈りながらの作業だった。


海苔網は5枚ずつに重ねてありそれを1枚ずつ漁場に張って行く。

今日は3時間ほど頑張って20枚の網を張り終えた。

先日からじいちゃんが一人で少しずつ作業をしてくれていて

私が仕事を休まなくても良いように段取ってくれていた。

一人でもやれば出来るのだと少し得意げな顔も頼もしいものだ。

おかげで来週末には終えられそう。後は収穫を待つばかりである。




帰宅して大変なニュースが舞い込んで来る。

県内のコロナの感染者が今日も最多更新しており19名とのこと。

そのうち2名はなんと職場のある山里の人なのだそうだ。

もう愕然とするしかない。まるで悪い夢を見ているよう。

真偽を確かめようと同僚に電話したらもう村中の噂になっているらしい。

ちいさな山村のことみんなパニック状態になっていることだろう。


そう言う私もすっかりパニック状態になってしまった。

かと言って仕事を放棄するわけにもいかず大きな不安を抱える。


逃げるわけにはいかないのだ。なんとしても立ち向かって行かねば。

家族とも話し合いこれまで以上の感染予防に努めるしかない。


どうかどうか守って下さい。祈る気持ちで救われるのだろうか。



2020年12月04日(金) ひとり芝居の結末

ぐんと冷え込んだ朝。空にはレモンのような月がほっこりと微笑む。

夜明け前のひと時はもう私にはなくてはならず

こころと向き合い言葉を綴るとても愛しい時間になってしまっていた。


たいしたことは書けない。それでも向き合っていると

まるで一粒の種のようにそれが水を欲しがり芽を出したがるのだった。

咲けない花だとわかっていてもどうして見捨てられようか。




そうして64歳になる。自分からはそれを言い出せずにいて

いっそ秘密にしておこうとなんだかとても愉快に思えたのだった。

家族が誰も覚えていないのもまるで喜劇のようで面白いではないか。

ふふピエロみたい。私の演技はずっと夕暮れ時まで続いたのだった。


娘と孫たちが出掛けたきり帰って来ないので

いったい何処に行ったのかと心配していたら

リボンで飾った鉢植えの花を抱えて帰って来る。

おまけにケーキまで買って来てくれたのだった。


どうやら私のひとり芝居だったようでなんと滑稽なことか

娘たちも秘密にしておこうとこっそり買い物に行っていたらしい。


おかげでとても思いがけないサプライズをいただく。

なんと幸せなことだろう。胸が熱くなり涙があふれそうになる。


それだけではなかった。母からも電話がある。

まさか私の誕生日を覚えているなんて夢にも思っていなかった。

最後は12歳の時だったからもう52年もの歳月が流れている。


母は思い出したのだろうか。それとも決して忘れてはいなかったのか。

今さら母を責める気持ちは毛頭なくただただ感謝の気持ちを伝えた。


母はどれほどの痛みに耐え私を産んでくれたことだろう。

その痛みにくらべれば私の辛い過去などほんの些細なことだと思う。


この幸せを糧にきっと生き永らえてみせましょう。








2020年12月03日(木) 令和枯れススキ

おおむね晴れ。少し風が強かったけれど日中は暖かくなる。


すっかり老いてしまったススキはもう枯れススキなのか。

まるで白髪の老人のようになって風に揺れている。

彼女らは風に逆らうことをしない。風に身を任せるように

ゆうらゆうらと冬の歌をうたっているように見えるのだった。


老いることは決して哀しい事でも辛い事でもない。

ただ少しのせつなさを風だけは知っているのかもしれない。


63歳最後の日にふとそんなことを思った。



仕事を終えて帰宅するなり15名の感染者を知らせるニュース。

それは過去最多であり受けとめ難い現実であった。

「驚愕が走る」とはきっとこんなことを言うのだろう。


じいちゃんが「諦めたほうがいいぞ」と言う。

13日に高知市で行われる授賞式のことであった。

一生に一度きりのことかもしれず冥途の土産にと思っていたけれど

このコロナ禍に参加するのはとても危険に思えてならない。

やはり諦めたほうが良いだろう。安全だと言う保障は何処にもない。

もともと自分にはふさわしくない場所だったのだ。

身の程を知る良い機会にもなることだろう。



某SNSでは高知市在住の人が「忘年会が楽しみ」と言い

ライブにも行き居酒屋でビールを飲んでいる写真をアップしていた。

私はそれを見て憤慨する。危機感がまったく感じられないのだ。

けれども何も言えない。言えばきっとトラブルになるだろう。

それが少なからずストレスになっている。


じいちゃんに愚痴ったら「人それぞれなんだよ」と言う。

そんな人もいなければ居酒屋がつぶれるだろうと。

そっか・・と頷く。

何が良くて何が悪いのかなんて決めつけてはいけないのだろう。


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