ぐんと冷え込んだ朝。北国からはもう初雪の便りが届く。
立冬も近くなり秋の深まりもつかの間のことだろう。
職場の栴檀の木に実がたくさんついてオリーブ色が青空に映える。
それも日に日に黄金色に変わっていくのだった。
昔、鳥がその実を落としていって根付いたのだと聞く。
私が勤め始めたのは32年前。その頃にも確かにその木があった。
いったいいつ頃の事だったのだろう。尋ねる鳥はもうどこにもいない。
今日は娘婿の36歳の誕生日で家族皆でささやかにお祝いをする。
ビールの後にワインですっかり酔っぱらった娘婿が
「誕生日ってなんか幸せやな」と呟いたのがとても印象的だった。
家族6人のそれぞれの誕生日を祝う事が出来るのも
娘たちが一緒に暮らしてくれているおかげなのだと思う。
じいちゃんと二人きりだったらどんなにか寂しいことだろう。
そもそも私の誕生日さえ忘れてしまう人だったから
昔は悲しかったよなどとそれも笑い話になってしまうのだけれど。
今はなんだか「祭りのあと」のようでひっそりとしている。
かすかに隣室から孫たちの声が聴こえていて耳を澄ませながら
今夜も無事に日記を書き終えることが出来た。
「いい日」でした。ありがとうございました。
雨あがりの穏やかな晴天。夜明け前には西の空にみかん色の月。
空気が澄んでいたのだろうそれはとても光り輝いていた。
文化の日で休日。火曜日なのに朝の気忙しさがなくなんともありがたい。
時間を気にせずゆるりゆるりと洗濯物を干したり食器を洗ったり。
ふと仕事を退職したら毎朝どれほど楽だろうとかんがえてしまった。
未だゴールが見えない。いったいいつまで走り続けるのだろうか。
朝のうちに近くの地場産市場へ。野菜と蜆とビオラの苗を買った。
さっそくビオラを玄関先に植える。寒さに強い冬の花の可愛さ。
花を愛でる時間の余裕さえもなかったのかとおもう。
夏の花はもうすっかり枯れてしまっていたのだった。
10時前、光回線の工事の人達が我が家へやって来る。
NTTにすっかり見捨てられてしまった地区のことで
仕方なく「関西ブロードバンド」と言う会社と契約をしたのだった。
ご近所さんからの薦めもありネット環境が最適になるのだそう。
簡単な工事だと聞いていたけれどけっこう大掛かりなもので
掃除の行き届いていない部屋のあちらこちらと移動する人達。
これにはさすがに焦りすっかり参ってしまった。
おまけに「僕たちは工事だけですから」とさっさと帰ってしまう。
工事が終わってもすぐに光回線が使えるわけではなかったのだ。
午後になり契約した時にお世話になった社員さんから電話あり
明日の夕方には設定に来てくれるとのこと。ほっと安堵する。
電話口からはまだ幼い子供の声が聴こえていた。
彼もお父さんなのだなと微笑ましく思いながらも
休日にも関わらずフォローしてくれたことがありがたくてならなかった。
ネット歴もかれこれ20年だろうか。
もはやネット無しでは生きていけないありさまになってしまったよう。
絶え間なく空を縫うように雨が降り続いている。
幸い冷たい雨ではなくて暖かさは優しさにも似ている。
リズミカルな雨音はふと懐かしい歌にも聴こえるのだった。
朝のコンビニで外国人のお遍路さんと出会った。
「グッドモーニング」と声をかけるとにっこりと笑顔で応えてくれる。
青い目がきらきらしていた。息子と同じ年頃にも見える。
「レインね」と残念そうな顔をしてみせるとそれも笑顔で
「レイン!」と空を見あげて仕方ないねと言っているようだった。
コンビニのベンチは雨ですっかり濡れていて腰をおろす場所もない。
お遍路さんは立ったままの朝食を余儀なくされていたようだ。
コンビニでチョコを買い「スイーツプリーズ」と手渡す。
その時「ヤサシイネ」と日本語が聴こえたような気がした。
「雨に負けないで」と伝えたかったけれど私の英語力ではとても無理。
「グッドラック」と告げると「サンキュベリマッチ」の声。
言葉はうまく伝わらなくてもこんなにも笑顔になれるのだった。
車に乗って振り向くとお遍路さんが手を振ってくれていた。
私も窓から千切れんばかりに手を振った雨の朝のこれも一期一会。
明日はきっと青空になりますように。
お遍路さんがどうか無事に歩き続けられますように。
| 2020年11月01日(日) |
霜月の始まりは日曜日 |
晴れたり曇ったり。夕方からぽつぽつと雫のような雨が降り始める。
霜月のことと寒さを覚悟していたけれど思いがけず暖かな一日だった。
朝のうちにお大師堂へ。それも日曜日の恒例となる。
まだ誰も訪れた気配のないお堂のひっそりとした佇まいが好きだ。
日捲りの暦を今日にしようと千切ったらうっかりしていたのか
千切り過ぎて2日になってしまった。あらまあと可笑しい。
画鋲を探して貼り付けるとそれなりの1日になった。
花枝は先週活け替えたばかりでまだ濃い緑のままで大丈夫。
お供えしていた蜜柑が残り少なくなっており
食べてくれた人がいてくれて良かったなとほっこりと嬉しい。
けれども残った蜜柑を手に取りびっくり。腐りかけていたのだった。
暖かい日が続いていたせいだろうけれどなんとも申し訳ない。
蜜柑を川に流す。ぷっかぷっかとなんだか悲しそうに流れて行った。
拙いけれど声を張り上げるように唱える般若心経。
こればかりはか細くてはいけない気がしてならない。
最後にはかならず大きな声で「ありがとうございました」と言う。
さらりさらりと流れる水辺の小道を歩いて帰れば
薄紫の野菊がたくさん咲いていてこころを和ませてくれる。
私の日曜日はそうして始まっていくのだった。
ほっこりと微笑むおひさま。おかげでぽかぽかと暖かい一日となる。
10月もとうとう最後の日。日々が淡々と過ぎていくばかり。
もっと丁寧に過ごせないものかと思うのだけれど
日々の事に精一杯でこころの余裕さえ忘れてしまいそうになる。
朝のうちに母の施設がある病院へ。
コロナ禍でも面会が叶うようになってはいるのだけれど
そうそう頻繁には行けずほぼ2ヵ月ぶりではなかっただろうか。
それを思うとほんとうに親不孝な娘で心苦しさもつのるばかり。
ワンワンのぬいぐるみを一目見るなり「わあ可愛い」と満面の笑顔。
さっそくに胸に抱くと頭を撫でたり話しかけたりしていた。
その姿を見ているだけで胸が熱くなり母の純真さがせつない。
ワンワンではなく名前をつけてあげるのだと言う。
「チビかい?コロかい?」としきりに問いかけていた。
私との会話は長続きせず最後には仕事の話ばかりになる。
それが嫌なわけではなかったけれど話すのが少し辛くなった。
もう母が必要ではないことを告げているような気がしてならない。
「する仕事がない」ことはとても寂しいことなのだろうとおもう。
私の辛さを感じたのか母も辛かったのか「もう帰りなさい」と
わずか15分ほどの面会で車椅子の母の背中に手を振って別れた。
外に出るともう陽射しがあふれていて穏やかな秋晴れ。
母にも陽射しを浴びさせてあげたかった。空を見せてあげたかった。
満月の夜。母はなにを想っているのだろう。
ワンワンはどんな名前で呼ばれているのだろうか。
夜が明けた頃には雲におおわれていた空が
いつの間にか青空に変わっていた。
風もなくぽかぽかと暖かい穏やかな一日となる。
セイタカアワダチソウの鮮やかな黄色に蜜蜂が戯れていた。
蜜はどんな味がするのだろうと思う。甘いのかな美味しいのかな。
月末の仕事を無事に終えほっとして帰宅。
ポストに手紙が届いており「高知県文化財団」と書いてあった。
もしかしたらと思い当たることがありドキドキしながら封を切る。
それは9月に詩を応募していた「高知県文芸賞」の結果であった。
私の拙い詩が奨励賞を受賞したらしいのだけれど
まるで他人事であるかのように実感がわいて来なかった。
光栄なことなのだろうけれど嬉しいと言う感情がわいて来ない。
それは自分でもよくわからない不可思議な出来事であった。
そもそも奨励賞とはなんだろうと思う。努力賞のようなものなのか。
子供の作品に「よくできました」と桜印のスタンプを押すような。
だからそれは「たいへんよくできました」とは違うのだろう。
言い換えれば普通よりは少しマシ。そんな賞ではないかと思う。
12月にあると言う授賞式に参加して見ればわかるだろう。
それがどれほど場違いな所なのか思い知るのに違いない。
誇らし気な人達に混じるちっぽけな自分が目に見えるようだ。
どうしても素直に喜べない。喜んではいけない気がする。
それが自信になれば私はきっと驕ってしまうことだろう。
私の詩は決して思い上がってはいけないのだ。
自信にあふれた詩ほど見苦しいものはないと今なら言い切れる。
11月を目前にしての夏日。おひさまはとても朗らか。
たっぷりの陽射しを浴びると不思議と元気になるものだ。
特に体調が悪いわけでもないのだけれど気が沈みがちのこの頃。
ちょっとしたことで落ち込む。欝々と考え込んでしまうのだった。
そのくせちょっとしたことが嬉しい。ぱあっと目の前が明るくなる。
お昼休みが終わる前に母に電話。なんとなく声が聴きたくて。
ずっと行方不明になってしまったぬいぐるみの話をしていた。
ケアマネさんが用意してくれたぬいぐるみも可愛いけれど
やはり突然いなくなってしまった子が恋しいようだった。
「あの子は可愛かったから盗まれた」と何度も繰り返すばかり。
「T病院にいるらしいからタクシーで迎えに行く」と言ったり。
それはさすがに出来ないことを母も承知しているのがわかる。
認知症なのかもしれないけれどそうだと認めたくはなかった。
母はただ可愛がっていた子がいなくなり寂しくてたまらないのだと。
夕方、娘と孫たちにその話をすると「ワンワンあげる」と。
それはあやちゃんもめいちゃんも抱っこしていた犬のぬいぐるみ。
ふたりの涎が相当付いているよと苦笑いする娘だった。
洗濯すれば大丈夫と話は決まり週末に母に届けることになった。
ひ孫達が可愛がっていたワンワンだもの母もきっと喜ぶことだろう。
母が施設のお世話になるようになってもうすぐ一年が経つ。
もう帰る家がないことを知っている母は決して
「帰りたい」とは言わなくなった。
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