絶え間なく空を縫うように雨が降り続いている。
幸い冷たい雨ではなくて暖かさは優しさにも似ている。
リズミカルな雨音はふと懐かしい歌にも聴こえるのだった。
朝のコンビニで外国人のお遍路さんと出会った。
「グッドモーニング」と声をかけるとにっこりと笑顔で応えてくれる。
青い目がきらきらしていた。息子と同じ年頃にも見える。
「レインね」と残念そうな顔をしてみせるとそれも笑顔で
「レイン!」と空を見あげて仕方ないねと言っているようだった。
コンビニのベンチは雨ですっかり濡れていて腰をおろす場所もない。
お遍路さんは立ったままの朝食を余儀なくされていたようだ。
コンビニでチョコを買い「スイーツプリーズ」と手渡す。
その時「ヤサシイネ」と日本語が聴こえたような気がした。
「雨に負けないで」と伝えたかったけれど私の英語力ではとても無理。
「グッドラック」と告げると「サンキュベリマッチ」の声。
言葉はうまく伝わらなくてもこんなにも笑顔になれるのだった。
車に乗って振り向くとお遍路さんが手を振ってくれていた。
私も窓から千切れんばかりに手を振った雨の朝のこれも一期一会。
明日はきっと青空になりますように。
お遍路さんがどうか無事に歩き続けられますように。
| 2020年11月01日(日) |
霜月の始まりは日曜日 |
晴れたり曇ったり。夕方からぽつぽつと雫のような雨が降り始める。
霜月のことと寒さを覚悟していたけれど思いがけず暖かな一日だった。
朝のうちにお大師堂へ。それも日曜日の恒例となる。
まだ誰も訪れた気配のないお堂のひっそりとした佇まいが好きだ。
日捲りの暦を今日にしようと千切ったらうっかりしていたのか
千切り過ぎて2日になってしまった。あらまあと可笑しい。
画鋲を探して貼り付けるとそれなりの1日になった。
花枝は先週活け替えたばかりでまだ濃い緑のままで大丈夫。
お供えしていた蜜柑が残り少なくなっており
食べてくれた人がいてくれて良かったなとほっこりと嬉しい。
けれども残った蜜柑を手に取りびっくり。腐りかけていたのだった。
暖かい日が続いていたせいだろうけれどなんとも申し訳ない。
蜜柑を川に流す。ぷっかぷっかとなんだか悲しそうに流れて行った。
拙いけれど声を張り上げるように唱える般若心経。
こればかりはか細くてはいけない気がしてならない。
最後にはかならず大きな声で「ありがとうございました」と言う。
さらりさらりと流れる水辺の小道を歩いて帰れば
薄紫の野菊がたくさん咲いていてこころを和ませてくれる。
私の日曜日はそうして始まっていくのだった。
ほっこりと微笑むおひさま。おかげでぽかぽかと暖かい一日となる。
10月もとうとう最後の日。日々が淡々と過ぎていくばかり。
もっと丁寧に過ごせないものかと思うのだけれど
日々の事に精一杯でこころの余裕さえ忘れてしまいそうになる。
朝のうちに母の施設がある病院へ。
コロナ禍でも面会が叶うようになってはいるのだけれど
そうそう頻繁には行けずほぼ2ヵ月ぶりではなかっただろうか。
それを思うとほんとうに親不孝な娘で心苦しさもつのるばかり。
ワンワンのぬいぐるみを一目見るなり「わあ可愛い」と満面の笑顔。
さっそくに胸に抱くと頭を撫でたり話しかけたりしていた。
その姿を見ているだけで胸が熱くなり母の純真さがせつない。
ワンワンではなく名前をつけてあげるのだと言う。
「チビかい?コロかい?」としきりに問いかけていた。
私との会話は長続きせず最後には仕事の話ばかりになる。
それが嫌なわけではなかったけれど話すのが少し辛くなった。
もう母が必要ではないことを告げているような気がしてならない。
「する仕事がない」ことはとても寂しいことなのだろうとおもう。
私の辛さを感じたのか母も辛かったのか「もう帰りなさい」と
わずか15分ほどの面会で車椅子の母の背中に手を振って別れた。
外に出るともう陽射しがあふれていて穏やかな秋晴れ。
母にも陽射しを浴びさせてあげたかった。空を見せてあげたかった。
満月の夜。母はなにを想っているのだろう。
ワンワンはどんな名前で呼ばれているのだろうか。
夜が明けた頃には雲におおわれていた空が
いつの間にか青空に変わっていた。
風もなくぽかぽかと暖かい穏やかな一日となる。
セイタカアワダチソウの鮮やかな黄色に蜜蜂が戯れていた。
蜜はどんな味がするのだろうと思う。甘いのかな美味しいのかな。
月末の仕事を無事に終えほっとして帰宅。
ポストに手紙が届いており「高知県文化財団」と書いてあった。
もしかしたらと思い当たることがありドキドキしながら封を切る。
それは9月に詩を応募していた「高知県文芸賞」の結果であった。
私の拙い詩が奨励賞を受賞したらしいのだけれど
まるで他人事であるかのように実感がわいて来なかった。
光栄なことなのだろうけれど嬉しいと言う感情がわいて来ない。
それは自分でもよくわからない不可思議な出来事であった。
そもそも奨励賞とはなんだろうと思う。努力賞のようなものなのか。
子供の作品に「よくできました」と桜印のスタンプを押すような。
だからそれは「たいへんよくできました」とは違うのだろう。
言い換えれば普通よりは少しマシ。そんな賞ではないかと思う。
12月にあると言う授賞式に参加して見ればわかるだろう。
それがどれほど場違いな所なのか思い知るのに違いない。
誇らし気な人達に混じるちっぽけな自分が目に見えるようだ。
どうしても素直に喜べない。喜んではいけない気がする。
それが自信になれば私はきっと驕ってしまうことだろう。
私の詩は決して思い上がってはいけないのだ。
自信にあふれた詩ほど見苦しいものはないと今なら言い切れる。
11月を目前にしての夏日。おひさまはとても朗らか。
たっぷりの陽射しを浴びると不思議と元気になるものだ。
特に体調が悪いわけでもないのだけれど気が沈みがちのこの頃。
ちょっとしたことで落ち込む。欝々と考え込んでしまうのだった。
そのくせちょっとしたことが嬉しい。ぱあっと目の前が明るくなる。
お昼休みが終わる前に母に電話。なんとなく声が聴きたくて。
ずっと行方不明になってしまったぬいぐるみの話をしていた。
ケアマネさんが用意してくれたぬいぐるみも可愛いけれど
やはり突然いなくなってしまった子が恋しいようだった。
「あの子は可愛かったから盗まれた」と何度も繰り返すばかり。
「T病院にいるらしいからタクシーで迎えに行く」と言ったり。
それはさすがに出来ないことを母も承知しているのがわかる。
認知症なのかもしれないけれどそうだと認めたくはなかった。
母はただ可愛がっていた子がいなくなり寂しくてたまらないのだと。
夕方、娘と孫たちにその話をすると「ワンワンあげる」と。
それはあやちゃんもめいちゃんも抱っこしていた犬のぬいぐるみ。
ふたりの涎が相当付いているよと苦笑いする娘だった。
洗濯すれば大丈夫と話は決まり週末に母に届けることになった。
ひ孫達が可愛がっていたワンワンだもの母もきっと喜ぶことだろう。
母が施設のお世話になるようになってもうすぐ一年が経つ。
もう帰る家がないことを知っている母は決して
「帰りたい」とは言わなくなった。
曇りのち晴れ。気温が25℃まで上がりまさかの夏日となる。
朝の山道につわぶきの花が咲き始めほっこりとこころが和む。
小さな向日葵のような黄色い花が山肌からこぼれているのを
包み込むような木々はそろそろ紅葉のしたくを始めている。
歌を詠みたいと思うだけおもって何もできないもどかしさ。
短歌には季語が必須ではないけれど秋らしい歌が詠みたい。
最近のマンネリ化は自分でも呆れかえってしまうほどひどい。
そう感じるほどにまた自信をなくしてしまうばかりである。
このままでいいのだろうかと不確かな渦にすでに巻き込まれている。
こうなったらもうその不確かさを歌に詠むしかないのだろう。
わたしは歌人でも詩人でもない。それが救いでなくてなんだろう。
無名だからこその自由を逆手にとってみせようとも思う。
生きている限り限界はない。いまいのちをかけなくてどうする。
あしたのことがわからない。だからあしたに向かうのだ。
| 2020年10月27日(火) |
柚子の香りにつつまれて |
晴れ時々曇り。それでもおひさまは元気でいてくれて
日中は半袖でも過ごせるほどの暖かさだった。
10月も残りわずかなんだか足踏みをするように過ごしている。
何処に向かっているのだろうとこころに問えば
まるで見知らぬ冬がそこにあるような気がしてならない。
仕事でお客さんのお宅を訪ねたらコンテナいっぱいの柚子をいただく。
丹精込めて育てた柚子だろうに集荷場で返品になったとのこと。
ほんの少しの傷も許されないのだそうだ。なんとも憐れでならない。
果汁にすれば良いものをと素人考えでそう言えば
「そうそううまくはいかないもんさ」と笑い飛ばされてしまった。
決して嘆くことをしないで明日も収穫を頑張るのだと言う。
それは返品覚悟のこと。思わず涙が出そうな出来事であった。
柚子の香りに包まれながら帰宅。お向かいの奥さんにお裾分け。
週末には搾って果汁にしよう。大切に頂かなければいけない。
夕食時。またあやちゃんとひと悶着あり。
今夜は娘が珍しく叱ってくれてしゅんと泣きそうなあやちゃん。
少し可哀想だったけれどたまにはそんな日もあって良いだろう。
じいちゃん曰く「叱るのは親、おばあは何も言うな」
おばあはあやちゃんもめいちゃんも可愛くてならない。
目くじら立てて怒っているおばあには決してなりたくはないのだ。
あれこれいろいろあったけれど今日も「いい日」でした。
こころからありがとうございました。
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