晴れのち曇り。今夜には雨になりそう。
台風の進路がとても気になるけれど影響は避けられないだろう。
昨夜のパニック状態が嘘のように今朝は落ち着いていた。
いつもと変わらない朝のなんとありがたいこと。
あやちゃんの早起きは今朝から5時に変わる。
自分でも無理をしていたことにやっと気づいたのだろう。
5時なら大丈夫。二度寝をすることもなく朝食も一緒に食べる。
いつまで続くのか分からないけれど手助けをしてあげたい。
昨夜の事もあり「死」について深く考える。
いつからこれほどまでに死が身近になってしまったのだろう。
「生きたい」欲と闘いながらも死の恐怖におびえている自分がいる。
「死ぬ時には死ぬ」とあっけらかんとしていられたら
どんなに救われることだろうか。生の執着から逃れて。
いっそ余命を知らされたほうが楽なのではないかとも思う。
ある日突然であることがどうしても受けとめられない。
自分が死んでしまう夢をよく見る。
それはいつも喉に何かが詰まって息が出来なくなる夢だった。
「死んだ」と思う。もう叫ぶことも出来ない夢。
それが夢だとわかるととてもほっとするのだけれど
ふとそんなふうに死ぬのだろうかと漠然と考えるのだった。
死に方は誰にも選べない。自死は大罪だと思う。けれども
生き方は選ぶことが出来る。たとえ今日限りだとしても
それが与えられた寿命と言うものなのだろう。
私は生きたくてたまらない。なんとしても人生を全うしたい。
もうじゅうぶんに生きたと心からそう思える日まで。
快晴の空に白い月がぽっかりと浮かぶ朝。
このまま秋晴れが続いてくれたら良いのだけれど
台風14号が近づいており週末には大荒れになりそう。
めいちゃんの運動会も延期になってしまいそうだ。
夕方からなんとなく不調を感じていたのだけれど
さきほど血圧を測ったらいつもよりずいぶんと高い。
今夜は大事を取って早めに床につこうと思う。
なんのこれしきとは思えない。不安で押しつぶされそうだ。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」呪文のように唱えている。
おやすみなさい。またあした。
| 2020年10月05日(月) |
明日はあしたの風が吹く |
夜明け前に少しだけ雨が降ったけれど日中は晴れ。
気温が30℃近くなりとても10月とは思えない暑さ。
それでも吹く風は秋の風でどこからか金木犀も香る。
ふと母が植えていた金木犀かもしれないとさがしたけれど
雑草が生い茂っておりその姿は見つけられなかった。
すっかり荒れてしまった庭。母が見たらきっと嘆くことだろう。
月曜日。今日からまた早起きをすると言うあやちゃんを起こす。
カンチョー3回で起きず手足をこそばしてやっと目を覚ます。
そのまま朝ご飯までタブレット三昧をしているはずだったけれど
「ご飯よ」と呼びに行ったらタブレットを抱いたまま眠っていた。
もう限界なのではとじいちゃんと苦笑いをしたことだった。
後から「もうやめようよ」と言ったら「いやだ!」と怒る。
結局明日の朝も早起きの手助けをすることになった。
仕事がとても忙しかった。新車の納車もある。
車検もある。オイル交換もある。バンパーをぶつけたお客さんも。
同僚が少しパニック気味になっておりフォローを心がける。
義父の手助けがないと同僚一人ではとても手が回らない。
「また暇な日もあるけんね」それが精一杯のフォローだった。
明日はあしたの風が吹くだろう。なんとかなるしなるようになる。
もう秋だもの。きっと爽やかな風にちがいない。
早朝には青空が見えていたけれどすぐに曇り空。
みかん色の月も白い月に変わりやがて山影に沈んでいく。
自室の北窓をあけるとたわわに実をつけた柿の木がある。
もう色づき始めていてついつい窓から手を伸ばしたくなる。
裏のお宅が空き家になってからずいぶんと歳月が流れた。
主なき家の庭の柿の木はなんだか寂し気でせつない、
午前中に一時間ほど川仕事へ。久しぶりの川船の心地よいこと。
漁協で種付けをしてもらった海苔網を漁場へ張る作業だった。
まだ胞子の種は目には見えないので半信半疑にもなるけれど
きっと緑の芽が出ることを信じて「どうかどうか」と祈る。
川の水温はまだ高く冬の寒さを待ち望まずにはいられない。
午後、あやちゃんとめいちゃんが取っ組み合いの喧嘩。
めいちゃんが足でキックしたのがあやちゃんの頬を強打する。
痛がって泣きじゃくるあやちゃん。聞けば先に手を出したのは
あやちゃんだそうでめいちゃんを叱るわけにもいかなかった。
娘は仕事、娘むこも午後から釣りに行っており留守中のこと。
ふたり仲良く遊んでいたのでまさかの大喧嘩だった。
「ごめんなさい」と反省するふたりが微笑ましくもあった。
本気で喧嘩できる相手がそばにいることはありがたいことね。
これも成長のひとこまとあたたかく見守ってあげたい。
日中は25℃を超え夏日となる。風は爽やかな秋の風。
はんぶん夏ではんぶん秋。今がいちばん過ごしやすい季節なのだろう。
彼岸花が盛りを過ぎもう枯れ始めてしまった。
茶色くなってうなだれている姿はとても憐れに思う。
彼岸花も散れない花なのだ。どんなにか散りたいだろうに。
そんな花に我が身をかさねる。私も潔く散れないのだろうかと。
土曜日で孫たちの超早起きもひとやすみ。
それでも気になってしまって子供部屋をそっとのぞくと
ふたりとも布団をけとばして寝ていて風邪をひいてしまいそう。
そっと布団をかける。さすがにカンチョーは出来ない。
娘夫婦が仕事だったので私は仕事を休ませてもらっていた。
じいちゃんが「助かるな」と言ってくれる。
お昼ご飯を食べさせるのがいちばん大変なのだそう。
一日孫たちと過ごすつもりでいたけれど
思いがけずにまあちゃんと両親が誘いに来てくれて
公園に遊びに連れて行ってくれた。なんとありがたいこと。
それがお昼になっても帰らず心配になって電話したら
なんとファミレスで昼食をごちそうになっているとのこと。
ありがたいを通り越してなんとも恐縮せざるを得なかった。
あやちゃんに千円持たせていたけれどそれでは足りなかっただろう。
案の定「いいよ、いいよ」と言ってくれたそうでゴチになっていた。
午後4時前にやっと帰って来る。ふたりともよほど楽しかったのか
ハイテンションであやちゃんが一部始終を話してくれた。
今夜はそのことを作文に書くのだそうで意気込んでいて
「おばあちゃん?まあちゃんはあやたちのなに?」と訊きに来る。
あやのお母さんとまあちゃんのお母さんはいとこだから
「ふたいとこよ」と教えると「ふたいとこ?どんな字?」と。
ひらがなで「ふたいとこ」って書いたらいいよとおしえる。
「そっか、まあちゃんはふたいとこなのか」きょとんとしている。
その仕草が可愛らしくて思わず微笑まずにいられなかった。
さてどんな楽しい作文が出来るでしょう。
書けたらおばあちゃんに真っ先に読ませてね。
夜明け前にお月見。中秋の名月だけあってそれはきれい。
今夜は十六夜の月で満月なのだそう。なんだか不思議。
明日も月明りを楽しみにしていよう。暗闇は心細いけれど
ぽぽっと明るいとなんだか誰かが待っていてくれるような気がする。
道は見えないだけで確かに道はある。それをおしえてくれる月明り。
午前4時。そっと子供部屋をのぞくとなんとあやちゃんと一緒に
めいちゃんも寝ていてびっくりと思いがけなかった。
まずはあやちゃんに「カンチョー」3回目でやっと目を覚ます。
さすがに4日目ともなると眠くてたまらないのだろう。
それでもガバッと起き上がると「おばあちゃんおはよう」と笑顔。
めいちゃんはまだ無理だろう寝かせておこうと思ったら
「ぜったいにおこして」と昨夜言い残して眠ったのだそう。
「おこさないとキレるよ」とあやちゃんが言うのではらはら。
おそるおそる起こしてみたらそれでもムクッと起き上がる。
ふたりをそのままにして隣室へ行き私はわたしの時間を過ごす。
某SNSのタイムラインにHさんを発見して嬉しかった。
もう仕事に出ている時間だなと思いながらその姿を目に浮かべる。
とは言っても顔も知らない会ったこともないひとなのだけれど
波長がとても合うと言うかとても心地よい繋がりを感じている。
それをそのまま短歌にしてみた。きっと待っていてくれる気がして。
そうしたら「いつも待っていますよ」と後からコメントをいただく。
ああちゃんと伝わったんだなとすごくすごくほっとした朝のこと。
午前5時半。子供部屋はこのようなありさまでした。
夜明け前にそれはそれは綺麗な月が見えた。
今夜が中秋の名月なので宵待月と呼ぶのだろうか。
月明りに照らされているととても救われたような気持ちになる。
そうしてふっと自分は何にこだわっていたのだろうと思う。
相応しいとかふさわしくないとかもうそんなことはいい。
こころにあかりを灯す。それがいのちでなくてなんだろう。
約束の午前4時。子供部屋をそっとのぞいたら
あやちゃんが布団からお尻を出してぐっすりと眠っていた。
「カンチョー」と声を出してお尻の穴に指を突っ込んで起こす。
素晴らしい寝起きの良さ。カンチョーにもめげずにっこり微笑む。
そうして素早くタブレットの電源を入れたのは言うまでもない。
愉快で可愛らしいものだなと思う。三日坊主だよと笑うじいちゃん。
さあどうでしょう?明日も4時に起きるのだとやる気満々であった。
夕方のことびっくりと嬉しいことがあった。
保育園から帰って来ためいちゃんが自転車の補助輪を外して
ほんの3分で自転車に乗れるようになったのだった。
「おばあちゃんはやくきて」と呼ぶので外に出てみたら
もう路地をすいすいと走っているところだった。
これにはほんとうにびっくりした。思わず「めいちゃん天才」と。
「すごいね、すごいね」と言えばすっかり得意顔になっていた。
こどもはそうして自信をつけていく。ほめられて成長していく。
ふとおとなもそうなのかなと思ったけれど
私は例外のよう。おとなになると欲深くなるからにちがいない。
純真なこどものこころにかえれるものならかえりたいな。
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