ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年09月30日(水) 午前4時の約束

目覚めたらぽつぽつと雨。耳に心地よい優しい雨音。

こころがしっとりと潤う。そっと雨の詩を書く夜明け前。


認められたいみとめられないそんな欲とたたかう毎日。

「今朝の詩すてき」と母と同じ年のKさんが言ってくれた。

クリスチャンであるKさんがなんだかマリア様のように思える。

私はそうして救われているのだろう。なんとなんとありがたいこと。



昨日から早起きを頑張っているあやちゃんが昨夜も

「5時に起こしてね」と。子供部屋で一人で寝ているのを

「あやちゃん」と声をかけてそっと起こす約束の午前5時。


早起きをして勉強するのかと思いきやタブレット三昧。

とにかく一時間でも多くユーチューブを見たいのだそう。

それでも足りないようで「明日は4時に起こしてね」と。

娘夫婦も公認のことでただただ微笑ましく思えてならない。


5時半には朝食。あやちゃんと3人で食べるのが楽しい。

最近ちょっと反抗期かなと感じていたのだけれど

朝食の時にはとても素直でにこにこの笑顔を見せてくれるのだ。


夢中になれることがあるのはとても良いことだと思う。

あれも駄目これも駄目と子供から楽しみを取り上げてはいけない。

かと言ってしたい放題もいけないのだろうけれど

自分で考えてちゃんとけじめをつけているように感じている。


午前4時。あやちゃんはユーチューブを見る。

おばあちゃんはSNSで短歌と詩を書く。



2020年09月29日(火) 秋の日のアクシデント

曇り日。時おりぽつぽつと雨が降る。

朝の肌寒さをそのままに日中もさほど気温が上がらず。

すっかり秋の気配が濃くなったことを感じる。


めいちゃんの運動会が近くなり今日は総練習。

体操服を着て元気に登園。私もちびっ子パワーをいただく。

来月の10日が運動会。観客制限は無いとのことで

家族みんなで応援に行けるのをとても楽しみにしている。



朝の峠道で思いがけないアクシデント。

一瞬居眠り運転をしていたようでガードレールに接触してしまった。

車の左半分に大きな傷をつけてしまい目も当てられない。

ガードレールが無かったら谷底に転落していたことだろう。

不注意とはいえぞっとするような出来事だった。


眠気は薬の副作用だとわかっていても服用せずにはいられない。

それにしてもよほど気が緩んでいたとしか思えない。

今朝は体調も良くなっていて緊張感もまったくなかった。


お金がないから修理も出来ないとすっかり諦めていたら

義父が会社の経費で直してくれるとのこと。

幸い中古の同色のドアがすぐに見つかり注文してくれる。

そうしてお叱りを受ける。眠くなったら道端で必ず寝ること。

遅刻しても良いから今後はそうするようにと言ってくれる。

それがとても嬉しかった。義父の精一杯の優しさだと思う。


私の眠気はもはや日常茶飯事のことで慣れてはいるけれど

薬とはおそらく一生縁が切れないだろうと思う。

煙草もしかり。覚醒するためにはどうしても必要なもの。


決して愛煙者ではない。それだけはわかって欲しいと切に願う。



2020年09月28日(月) 届かないから星なのだ

今日も爽やかな秋晴れ。夜明け前には満天の星空だった。

まるで希望のように光る星にこころの手を伸ばす。

「届かないから星なのだ」そんな詩を書く。



体調がいまいち。どうやら昨日の眩暈の名残のよう。

ぐっすりと眠ったのに身体がダル重い朝。


月曜日で仕事が忙しかったけれど無理を言って

少し早めに終らせてもらい病院へ行く。

なんだか藁にもすがるような思いだった。

すっきりと元気になりたくてたまらない。


小脳には異常がないとのことでほっと安堵。

極度の疲労と肩凝りが原因だろうと言うこと。

眩暈がした時の頓服を処方してもらい帰路につく。


肩凝りの解消には体操がいちばん良いのだけれど

今年はまだ一度も体操教室に行けてなかった。

仕事を休めないことはないのだけれど

休めばその分お給料が減るので家計に響く。

とにかく働かなければ食べられない貧乏事情があった。

だから仕方ないとすっかり諦めてしまっている。


思うようにはならないものだけれど嘆くことはするまい。

嘆いても何も変わらないことをすでに思い知っている。


人生ケセラセラ。なるようになるさ。

明日は今日よりちょこっと元気でいようと決めた。



2020年09月27日(日) ふたり元気なうちに

爽やかな秋晴れ。絶好の行楽日和と言って良いのか。

ドライブならと頷き合って少しだけ遠出をすることに。


出掛けに少し眩暈がしてその後気分が悪くなってしまう。

大事を取ったほうが良いのではとじいちゃんが言ってくれたけれど

だいじょうぶ気分転換になるからと予定通りに家を出た。


宿毛市から山越えで県境を越え伊予路へと。

県を跨いでの移動はお正月以来の事だった。

目的地は特にない。ただひたすらのドライブも良いもの。

山道を行けば川のせせらぎ鳥の声も聴こえ心が癒される。

窓を開けて走れば森林浴にもなり風がとても心地よかった。


外食は避け愛媛岩松のコンビニで昼食を買い求め車中で食べる。

国道沿いの木陰でおしゃべりをしながらそれも楽しい。


その頃にはもう気分もすっかり良くなっていた。

家で寝ていたらきっと欝々とするばかりだったろう。


「今度は紅葉だな」と早くも約束してくれて嬉しい。

楽しみにしていよう。今年は何処の紅葉が良いだろう。


ふたり元気なうちにいろんなところに行ってみたい。

行き当たりばったりもいいな。あてのない旅もいいな。











2020年09月26日(土) 愚か者の記

明るい曇り日。トンビが旋回しているのがくっきりと見える。

爽やかな風が吹きほっと過ごしやすい一日だった。


「詩記」むかしこの日記をそう名付けて

同人誌に掲載してもらっていたことがあった。

詩のような日記であり季節の「四季」も感じられるように。


それが今はこんなありさま。もうそんな感性はまったくない。

ずいぶんと落ちぶれてしまったものだと嘆きたくもなる。

それでも書きたい。書かずにいられない愚か者であった。

いつかまた読み返す日のために。それ以外の理由があるだろうか。


仕事の合間に短歌と詩の原稿を送信する。

相変わらずの拙いものだけれど活字になるのはやはり嬉しい。

自己満足で終わってもいい。これがわたしなのだと思う。


ついでに高知県芸術祭の詩部門にも応募する。

入選などするはずもない。ただの紙切れになるのは目に見えている。

それでも認められたい欲。ああほんとうに私はなんと愚かなことか。


ふとこのどん底こそがと思う。そうでなければ這い上がれない。

突き落とされてもがきながらも見上げる空があるのだろう。


手を伸ばせば届く空など「空」であるはずがない。

空は高くはるかに遠いからこそ「空」なのだとおもう。


般若心経の「空」「くう」もきっと同じなのだろう。


あああ。いったい何が言いたいのかわけが分からなくなった。



2020年09月25日(金) いってらっしゃい

夜明け前まで雨。まるで踊っているような歌っているような雨だった。

「ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん」口ずさみながら詩を書く。

私はまだ崖っぷちにいるのだろうか。

暗いトンネルの中を歩いているのだろうか。

ふとそんなことを思ったりしながら

いったい何に拘っているのだろうと自問自答する。


はっきりと確かな事であってはいけない気がした。

おぼろげで不確かな事だからこそ書けるのかもしれない。



雨のち晴れて爽やかな秋の空が広がる。

お昼休みに手紙を書いた。言葉足らずになってしまったけれど

きっときっと伝わるだろうと信じてみようと思う。

ポストに落ちる時「ことん」とちいさな音が聴こえた。


はるかな海を渡って旅をする手紙のささやかな息づかいかもしれない。


「いってらっしゃい」そう声をかけた午後のこと。



2020年09月24日(木) じゃんけんぽん あいこでしょ

ぽつぽつと雨の一日。なんだかほっとするような雨の音。

優しい雨でよかった。こころの何処かが乾いていたのかもしれない。



仕事から帰宅するとポストに詩誌が届いていた。

「ぶーさーしっ」の記念するべき第一号だった。

沖縄の言葉で「じゃんけんぽん」と言う意味なのだそう。


某SNSでその詩誌が作られることを知り

編集をするめいさんに是非にとお願いしていたのが

ついに出来上がり真っ先に届けてくれたのだった。

思いがけなかったのは手紙が同封されていたこと。

それがどれほど嬉しかったことだろう。

感激で胸がいっぱいになり思わず涙ぐんでしまった。


めいさんは私と出会ったことを決して忘れてはいなかった。

随分と歳月が流れたけれどそれはまるで昨日の事のように。

そうしてその縁が今でもささやかに繋がっていることが

なんだか奇跡のように思えてならない。


じゃんけんぽん あいこでしょ

ふとそう口にする。それは向き合わなければ叶わないこと。


届いた詩誌の最後にめいさんの詩があった。

こころがふわりとあたたかくなる。


あしたわたしも手紙を書こう。




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