ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年09月23日(水) おどろきの栞

曇り日。朝の肌寒さはなく日中は蒸し暑さを感じる。

もう夏の名残を感じることもないだろうと思っていたけれど

忘れ物があったのだろうか。そっと置手紙を残して行く。


私はそれを読まない。読めばきっと哀しくなってしまう。

それよりもすくっと前を向いて秋の風に吹かれていたいのだった。




連休明けのせいか仕事がとても忙しかった。

ばたばたと走り回って昼食もまともに食べられない。

お腹が空くとついつい苛立ってしまうのは悪い癖だった。

義父に来客があり話し込んでいるのを横目で見ながら

事務所のパソコンの陰に隠れて急いでお弁当を掻き込む。

たまにはこんな日もあるさと少し愉快でもあった。


定時では終われなかったけれど帰り道に公民館の図書室へ。

図書館ではなく図書室と言うのがなんとなく気に入っている。

なんだか高校時代の図書室を思い出してしまうのだ。

読了した本を返却してまた新しい本を借りることにする。

どれにしようかなと迷うのもまた楽しいものだった。


一冊の本を手にしてそれはそれは驚く。

なんと本の間に一万円札が三枚も入っていたのだった。

係の職員の人にすぐに伝えたのは言うまでもない。

お札を栞代わりに使う人がいるらしい。でもなぜ三万円も。

栞にしてはあまりにも大金でひたすら驚いた出来事だった。


迷ったあげくその本は借りずに他の本を借りた。

「幸田文」の本。今まで一度も読んだことのない作家さんだった。


きっと新鮮な文章に出会えることだろう。そんな気がしてならない。

書くことばかりこだわっていた私のささやかな進歩だった。



2020年09月22日(火) 思い出と言う名の日

晴れのち曇り。朝の肌寒さもつかの間で秋らしく過ごしやすい一日。

秋分の日。母方の祖母の命日でもあった。

もう15年ずいぶんと歳月が流れたけれど

祖母の思い出は今でも鮮やかにこころに残っている。


愛子と言う名のお茶目でそれはそれは優しいおばあちゃんだった。

七輪で小豆をことことと煮ては「おはぎ」を作ってくれた。

私はそのおはぎが大好きで何個平らげたことだろう。

もう二度と食べられないその美味しいおはぎが懐かしくてならない。




娘夫婦が仕事だったので孫たちと過ごしていた。

「ひま、たいくつ」を連呼するめいちゃんに手を焼いていたら

ふたいとこのまあちゃんが遊びに来てくれて大助かり。

ふたりとも外遊びをしたがるので近くの公園へ連れて行く。

まるで子犬のように走り回る姿のなんと微笑ましいこと。

追いかけながらふうふうと少し疲れたけれど楽しいひと時だった。


ふとこれも思い出になるのだろうかと思う。

まだ6歳のめいちゃんにはほんの些細なことだろう。

幼い頃の記憶はよほどのことでない限り忘れてしまうものだった。


そう思うと私はまだまだ未熟なおばあちゃん。

孫たちのこころに残るような事を成し遂げてはいないのだろう。


公園からは海が見えた。私にはそれがささやかな思い出になる。



2020年09月21日(月) 試していただきましょう

夜明け前には満天の星空。そうしてぐんと肌寒い朝となる。

後で知ったのだけれど北海道並みの冷え込みだったよう。

それでも日中は陽射しに恵まれ秋らしい一日となった。



午後から川仕事へ。ふたりで一生懸命頑張って漁場の準備。

最後の竹杭を打ち終わった時には「やったね」と心地よい達成感。

ふたりともムツゴロウのように泥まみれになっていた。

「川仕事」と一言で言っても理解しがたいと思うのだけれど

青さ海苔の養殖業は下準備がとても大変なのだった。

漁場の準備が終われば今度は種付け。そうして漁場に網を張る。

その網も最初は5枚重ねで海苔が育ち始めたら一枚づつにする。

冬になったらそれを行い春先の収穫をひたすら待つのだった。


もう40年近くそれは毎年の事で慣れてはいるけれど

いつまでも若くはない。もはや体力勝負となってしまった。

腰痛持ちのじいちゃん。職場との二足の草鞋を履いたわたし。

もう限界だと今まで何度思ったことだろう。

それでもやってやれないことはなかったと今はそう思える。


ひとは試されるために生まれて来たと言っても他言ではないだろう。

ならば試していただきましょう。出来るのか出来ないのか。


ひと山ひと山越えて行くそんな人生も張り合いがあってよしかな。



2020年09月20日(日) 金メダルをあげたい

夜明け前まで雨が降っていた。ずいぶんと肌寒い。

「やみますように、やみますように」と祈っていたら

夜明けとともにやんでくれてほっと空を仰ぐ。


今日はあやちゃんの運動会。どれほど楽しみにしていたことか。

コロナ禍で午前中のみの開催だったけれど

心配していた観客制限もなく家族皆で応援に行くことが出来る。


100m走や親子競技、「よさこいソーラン踊り」など

最後にリレーがあってそれはそれは一生懸命の走りを見せてくれる。

走るのがあまり得意ではなくて追い抜かれそうになった時

顔を真っ赤にして歯を食いしばるようにして走る姿に感動した。

皆で声を張り上げて応援する。気がつけば目頭が熱くなっていた。

バトンを渡すまで諦めずに走り抜いてほんとうにえらかったと思う。


おっとりとした性格で決して負けず嫌いではないあやちゃん。

努力家で根気強い性格がきっとそうさせたのだと思う。


一生懸命頑張ったあやちゃんにおばあちゃんは金メダルをあげたいです。



2020年09月19日(土) ちいさな「猫の手」

曇り時々晴れ。爽やかな風が吹き秋らしさを感じる。

彼岸の入り。亡き人達を偲びつつ空を仰ぐ。

明後日は祖母の命日でもあった。



明日は小学校の運動会であやちゃん平常授業の土曜日。

めいちゃんも保育園へ行きお昼前にお迎えに行く。


今週は月曜日からずっと一人で川仕事を頑張っていたじいちゃん。

あと3日もあれば漁場の準備が整いそうだと言うので

めいちゃんを連れて少しでもと手伝いに行っていた。

干潮時だったので川の水はすっかり引いておりほっとする。

めいちゃんも長靴を履いてちいさな「猫の手」になる。

さすがにもう6歳。少し教えただけですぐに要領を得る。

「やればできる」それを身をもって教えてくれたのだった。

すごいなあと感心する。おかげで今日のノルマを達成出来た。


川から帰宅するなりふたいとこの「まあちゃん」と仲良く遊ぶ。

土手の道を自転車で走り回り河川敷にも行っていた。

川沿いの一角には白い彼岸花が満開になっておりそれは綺麗。

そのひと花をめいちゃんが手折ってしまったので

毒のある花なのだと教える。遠い昔、祖母が私に教えてくれたように。

実際には根に毒があるのだと言う。だから昔は墓地に植えられていた。

土葬だった時代に愛しい亡骸をモグラや鼠から守る為だったと聞く。

幼いふたりにそんな話をする。きっと忘れないでいてくれるだろう。


あどけないふたりの笑顔。川風が心地よく吹き抜けていく午後のこと。





2020年09月18日(金) やっと救われた日に

曇り日。思いがけずに気温が高くなり真夏日となる。

おそらく夏の最後の日なのではないだろうかとおもう。

明日はもう彼岸の入り。きっと後戻りは出来ないだろう。


蒸し暑さの中にたくさんの赤とんぼを見た。

昨日は雀。今日はとんぼ。職場の庭はなんとも楽しい。

見ているだけで癒されるありがたい光景なのだ。



某SNSでとても嬉しいことがあった。

いや嬉しさを通り越してやっと救われたのだとおもう。

諦めずに短歌や詩を書き続けていてほんとうによかった。


ずっと無視されていると思っていたし惨めでならなかった。

それでも書き続けることでか細い糸にしがみついていたのだと思う。

それはいつ切れてしまってもおかしくないほどの縁だったのだろう。

私のような無名の者が「身の程を知れ」と言い聞かしてきた日々。

どれほど心細くどれほど不安であったかと誰が知ろうか。


今日ほど救われ今日ほど励みに思ったことはない。

めいさんほんとうにありがとうございました。



2020年09月17日(木) わたしも雀一羽の雀

小粒の雨が降ったりやんだり。傘は要らないほどの雨。

思いがけずに気温が高くなり蒸し暑くなった。


稲刈りの終わった田んぼがまた緑色になる。

それは田植えの終わった頃の光景に似ていて

なんだかはっとするような鮮やかさだった。

刈られても芽が出る。稲はとてもたくましい。


私はと言えば刈られたまま。きっと雀色なのだろう。

芽を出したいけれどそれが出来なくて少しむなしい。

このまま枯れてたまるものかと思ってはいるのだけれど。

雀色には雀色の生き方があるのだった。たとえば「いま」



そうそう雀と言えば今日仕事中に義父が外で叫ぶので

何事かと慌てて外にとび出してみたら

それはそれは沢山の雀が群れをなして庭の水溜りで水浴びをしていた。

「見てみろや、可愛らしいもんだな」なんと穏やかな義父の笑顔。

雀達は羽根をばたばたさせながらそれは気持ちよさそう。

義父とふたりでしばし見入る。なんとも穏やかなひと時だった。

そうして義父の優しさを感じる。こんなにも優しいひとだったのだ。



私も一羽の雀。群れるのは苦手なので仲間はいない。

水浴びもひとり。空を飛ぶ時もひとりが好きだった。

お気に入りの木にとまって「ちゅんちゅん」と歌う。

その歌声に聴き入るひともいない。まるで空気みたい。


雀も老いたら死ぬのだろうか。何処で死ぬのだろうか。

きっと最後の最期まで歌い続ける人生なのだとおもう。




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