ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年08月11日(火) 蝉しぐれを浴びながら

曇りのち晴れて今日も厳しい残暑となる。

蝉しぐれを浴びながら空を仰ぐ。

一瞬くらくらと眩暈がするような陽射し。

それがなんだかとても心地よく感じる。



夜明け前のSNSでぼのさんの愛犬サクラちゃんが

昨日亡くなってしまったことを知る。

ぼのさんとはネットを通じて知り合いもう随分とながい。

まだ子犬の頃から知っているサクラちゃんのことを

我が家のあんずと重ねながらいつも見守って来たように思う。

16歳で逝ったあんず。サクラちゃんも16歳になっていた。

ぼのさんの胸に抱かれながらやすらかな最期だったそうだ。

どんなにか幸せだったことだろうと悲しみよりも安堵がつのる。

愛情をいっぱいに受けたまま虹の橋を渡ったことだろう。


私はあんずを抱いてあげられなかったそれがとても悔やまれる。

冷たい土間で毛布にくるまったまま彼女は逝ってしまったのだ。

どうして一晩中そばにいてあげられなかったのだろうか。

最後の夜だと分かっていたのにどうしてどうして・・・。


あんずが逝ってもう7年の歳月が流れたと言うのに

今日ほどあんずを想ったことはなかった。

天国に野原はありますか。サクラちゃんと遊んであげて下さいね。

いっぱいいっぱい走りまわって下さいね。



2020年08月10日(月) 怠け者ばんざい

台風の影響が少し。時おり激しい雨がざあっと降る。

気温はさほど高くなかったけれどなんとも蒸し暑い一日だった。

朝からエアコンのお世話になる。無しではとても過ごせない。



娘夫婦が仕事だとばかり思い込んでいたら娘がお休みとのこと。

孫三昧のつもりでいたのでなんだか気が抜けたように過ごす。

朝のうちに買物に行っていたらすごい人出ではらはらと戸惑う。

帰省客なのか観光客なのか駐車場には県外ナンバーの車が目立つ。


帰省せずにはいられない理由があるのだろう。

観光も自粛するより行動を選ぶ理由があるのだろうか。

人それぞれだと思う。むやみに批判も出来ないもどかしさがある。


午後はテレビを見ながら寝たり起きたりひたすら怠惰に過ごす。

時間を惜しむ気持ちは一切ない。怠け者ばんざいの気持ち。

怠けることに罪悪感を感じる人もいるだろうけれど

それも人それぞれ。どちらが愚かだとか決めつけることもしない。

わたしはわたし。それ以外になにがあろうか。


今夜は特に書きたいこともない。まあどんな日もあってよしか。

外はすっかり夜になりぽつぽつと雫のような雨が降っている。



2020年08月09日(日) 川船に揺られながら

青空と入道雲。今日も厳しい残暑となる。

それでも夜明け前には鈴虫の声が聴こえ

少しずつだけれど秋らしくなっているようだ。

りんりんを凛々と書く。すくっと前を向かねばならない。



朝のうちにお大師堂へ。日捲りの暦を今日にして

花枝を新しくした。そうして唱える般若心経。

川風を頼りにしていたけれど思いのほか暑くて

汗がぽたぽたと流れる。それも心地よくてならない。

手水鉢の水が濁っていたので入れ替えたかったけれど

満潮なのか川の水があまりにも満ちていて怖くなる

また次の機会にしようと「ごめんなさい」と立ち去った。



午後は義妹と3人でお墓掃除とお参りに。

お寺の裏山へ上る坂道がとてもきつくてやっとの思い。

日に日に足腰の衰えを感じずにいられなかった。

目を見張るほどの夏草。汗びっしょりなり草を引く。

やがて夫も私もこの墓に眠るのかと思いながら

息子や娘に苦労をかけたくないと思わずにいられなかった。

どんなにお墓が荒れ果てても良いではないかと。


「お盆には帰って来て下さいね」と手を合わせながら

ふっと川船が目に浮かぶ。櫓を漕いでいるのは姑さんだった。

お舅さんは舳先に座りゆったりと煙草をふかしているような。


ふたりは天の国から川を下って帰って来てくれるのだろう。






2020年08月08日(土) ちいさな秋の風だった

厳しい残暑になったけれど吹き抜ける風に

ふと秋の気配を感じるようになった。

ヒグラシの声も聴く。それはなんだか物悲しくて

忘れていたせつなさをふと思い出させるように鳴く。



思いがけず母に外出許可が下りてやっと美容院へ。

施設には定期的に理容師さんが来てくれているけれど

母は頑なに拒み続けもう限界になっていたようだ。

コロナ禍にも関わらずよく許可が下りた事だと思う。

聞けば「今しかない」と判断してくれたようだ。

この先また市内に感染者が出る怖れもあってのこと。


行きつけの美容院へ行った母のなんと嬉しそうな顔。

肩に付くほど長くなっていた髪をさっぱりと短くしてもらう。

鏡を見ながら「このおばあさんは誰?」とおどけてみたり

私が写真を撮ろうとしたら「葬式用にするのか」と気を損ねる。

だから写真は諦めてしまったけれどそれは可愛い母の姿だった。

心でシャッターを押す。なんだか忘れたくない気持ちでいっぱいになる。


つかの間の事ですぐに施設へ送り届けなければいけなかった。

玄関にケアマネさんが来てくれていてちょこんと車椅子へ座る母。

千切れんばかりに手を振ると母も笑顔で手を振ってくれる。

また会える日もあるだろうになんだか今生の別れのように感じた。

そんな覚悟も必要なのかもしれないとふと思わずにはいられない。


風が吹き抜けていく。夏のようでありながらちいさな秋の風だった。



2020年08月07日(金) ささやかに秋が立ち

秋は名のみの厳しい残暑となる。

それでも立秋と思えば夕風が涼しく感じるのは不思議なもの。

土手を越えて吹いてくる川風に吹かれながらこれを記し始めた。



自分らしさとはいったい何だろうと途方に暮れる夜明け前。

歌を詠んでも詩を書いてもまったく自信がなかった。

50年近く培ってきたものは何の実にもならなかったのだろうか。

だとしたら私は未だに種のままで芽も出せずにいるのだろう。

それを誇らしく思えるようになったらきっと救われるのだと思う。

負けるもんか。見てごらんなさい。土に埋もれたまま叫んでいる。



今日は6年前の日記を読み返していた。

季節は初冬。あやちゃんがめいちゃんを抱っこして

ミルクを飲ませている写真があってほのぼのと微笑まずにいられない。

まだよだれ掛けをしているあやちゃん。それでもお姉ちゃんらしく

そういえばミルクを飲ませるのが上手だったなと懐かしく思い出す。

まだ甘えたい盛りの2歳。いっぱいいっぱい我慢をしたことだろう。


そんなあやちゃん。今日は娘が休みだったのでプールへ行ったそう。

「めいにはひみつよ」と言いながら楽しかった様子を話してくれた。

お母さんとふたりきりどんなにか嬉しかったことだろう。


めいちゃんは保育園で毎日のプール。

小麦色を通り越して手や足はまるでかりんとうみたいになっている。

そう口にすれば怒るかなとあえて言わないけれど

食べてしまいたいくらい可愛くてたまらないのだった。

先日プール参観があったけれど私は行けなかったのが残念。

今年はコロナの影響で各家庭一名と決められているのだそう。

保育園最後の夏もそうしてやがて終わろうとしている。


いまはお風呂タイム。今夜もあやちゃんが最後に入るのだそう。

お風呂掃除を続けてくれていてほんとうにありがとうね。


おばあちゃんは宿題の日記を書き終わりました。




2020年08月06日(木) 私の生きがいのようなもの

少しずつ日暮れが早くなっているようだ。

夕蝉の声が微かに聴こえ暑かった一日の幕を閉じようとしている。

8日目の蝉かもしれない。そう思うとせつなさが込み上げてくる。

命の限りに生きただろうか。もう思い残すことはないのだろうか。




最近ずっと過去の日記を読み返していて

今日は8年前の8月の日記を読んだ。

そこには生後3ヵ月のあやちゃんがいてなんと懐かしいこと。

泣き止まないのを抱っこしてあやし続けたり

ミルクを飲ませたり添い寝をしたり

初孫にべったりだった私が少し滑稽にも思える。


書き残すことに何の意味があるのだろうと思いつつも

こうして歳月が流れるととても貴重な記録に思えてくる。

書いていて良かったのだ。誰のためでもない私自身のために。

そうしていつかは家族のためにもなるのだろうと思う。



夕飯はオムライス。もう大人用のスプーンで食べているあやちゃんを

すっかり大きくなったのだなと感慨深くながめていた。

時には生意気なことを言って私を困らせる時もあるけれど

それも成長のあかし。愛しさになんの変わりがあろうはずがない。


これからもささやかな日常の事を書き続けていこう。

生きている限りなんだかそれが私の生きがいなのかもしれない。



2020年08月05日(水) きみに出会えてほんとうに良かった

夏らしい暑さをたのしむ。不思議なことに少しも苦にならない。

それほど私は夏が好きだったらしい。たぶんあの夏の日から。

思い出が記憶になる。そうして冥途の土産にもなり得る。




自動車保険の更新手続きのため業務提携先のY君とお客様のお宅へ。

頼りがいのある好青年でいつもほんとうに助けてもらっている。

お客様は外国人。今日が初対面のY君は少し緊張している様子。

片言の日本語と片言の英語でなんとも楽しいやり取りだった。

私の苗字とY君の苗字が同じなので「シンセキ?」と尋ねられたり

私がちょっとふざけて「マイサン」と言うと「ソックリネ」と笑い合う。

笑顔で仕事が出来ることが今日ほど嬉しく思ったことはなかった。


そうしてY君がさすがプロだなと感心したのは

場を和ます明るさとお客様の信頼を決して裏切らない誠実さだった。

それは誰にも真似が出来ないだろう。Y君だから出来る事だと思った。

すごいなY君。そんなきみに出会えてほんとうに良かった。



笑顔のままで仕事を終えて帰宅する。

きっとこのまま微笑みながら眠ることだろう。

今日はとてもとてもいい日でした。


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