ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年07月07日(火) 会いたいひとは誰だろう

高知県西部は小雨が降ったりやんだり。

九州に比べればなんと恵まれていることだろう。

心苦しさはつのるけれども天に感謝するべきなのだろうか。



二十四節気の「小暑」暦の上では本格的な夏となる。

一年前の今日はちょうど日曜日で母の生まれ故郷に行っていた。

あの荒れ果てた家に咲き誇っていた紫陽花の花を思い出す。

もう盛りを過ぎたけれど今年もきっと咲いていることだろう。

母を連れて行ってあげたかった。その想いは今も変わらない。

けれどもあの日それがもう叶わないと思ったことも忘れてはいない。

母が帰る日は母が土に還る時だ。そう母と約束をしている。



七夕でもありラジオからはドリカムの「7月7日晴れ」が流れる。

若き日のようにセンチメンタルに浸ることもなかったけれど

ふとせつなさが込み上げて来て涙が出そうになる。

会いたいひとは誰だろう。小粒の雨に問うてみる。



保育園から帰っためいちゃんが「おりひめさま」を描くのだと言って

タブレットを手に「けんさくして」と娘にせがんでいた。

そんな微笑ましさに笑顔がこぼれおちる夕暮れ時のこと。


雨雲の上には天の川が流れていることだろう。

一年に一度だものきっとふたりは会えるでしょう。



2020年07月06日(月) ふつうにしていればいいよ

午前中には強く降っていた雨も午後には小雨となる。

ほっとして良いものか。九州は各地で大変なことになっている時に。

折りしもあの西日本豪雨から二年が経たという今日と言う日だった。


ひとは自然の猛威には逆らえず為すすべもない現実。

これでもかこれでもかとなんと容赦ないことだろう。

大きな災害があるたびに心が締め付けられるように痛むばかり。



ふとRのことを思い出した。音信不通になってもう10年が近い。

東日本大震災の時にRが言ってくれた言葉が今も忘れらない。

すっかり平常心を保てなくなって取り乱すばかりだった私に

「ふつうにしていればいいよ」と言ってくれたのだった。


朝起きてご飯を食べて仕事に行って買物をして夜になれば寝て

嬉しい事があれば笑顔になって微笑んでも良いのだと言う。


その言葉にどれほど救われたことだろう。

どんなに心が痛んでいても「ふつう」に暮らすことが出来るのだ。

そうしてそんな「ふつう」がどれほどありがたいことかを思い知る。

心苦しさはあっても自分には与えられている日常があるのだった。


Rと最後に話した日は彼の誕生日だった。

風邪で寝込んでいると言ってとても不機嫌だったことを憶えている。

Rは親友だった。それ以外には考えられない存在だった。

その日を最後に縁が切れる。切れたとしか思えない歳月が流れたのだ。


私は何があっても「ふつう」にしていますよ。

今は家族も6人になって幸せに暮らしていますよ。

孫も3人。すっかりおばあちゃんになりました。



2020年07月05日(日) あっけらかんとしていたい

朝のうちぽつぽつと雨。それから思いがけずに青空が見え始める。

風はあったものの湿度が高くとても蒸し暑い一日だった。


新聞には熊本の被害の様子が大きく取り上げられており心が痛む。

平穏無事に朝を迎えられたことに心苦しさがつのるばかり。

明日はまた大雨の予報。どうかもうこれ以上の被害がありませんように。



お大師堂へお参りに行くつもりだったけれど結局行けず。

すっかり怠け癖がついてしまってなんとも情けない。

けれどもゆるしてあげようと思う。出来ないことがあってもよいと。


娘が仕事だったけれど娘むこを自由にさせてあげたくて

孫たちを引き受けたものの例のごとくで野放し状態となる。

近所のお友達が遊びに来てくれて二階はそれはそれはにぎやか。

もう孫守の必要もないくらいにふたりは成長していた。


お友達のお母さんが気遣ってか何度も訪ねて来る。

チャイムが鳴るたびに玄関へ出て「だいじょうぶよ」を繰り返す。

私は少しでもお昼寝がしたかった。でも今日はそれが出来ない。

身体が石のように重い。背中は針金が刺さっているように痛い。


なんのこれしきと思う。これくらいのことでくたばってどうする。


娘が帰って来てくれてほっと一息したけれど娘も疲れている様子。

少し横になりたいけれど寝転ぶ場所もないとぼやいていた。

挙句には「部屋が足らないもう限界」とまで言い出す始末。


苛立つ時は誰にでもあること。文句を言いたい時だってある。

悪い事ばかりにこだわらないでもっともっとあっけらかんとしていたい。


娘が作ってくれたハンバーグは少し焦げていたけれど美味しかった。






2020年07月04日(土) 我が家は草原ではなかろうか

雨のち晴れ。それを幸いと言って良いのだろうか

熊本や鹿児島では豪雨となり大変な被害をもたらしたようだ。

自然災害があるたびに他人事ではなく明日は我が身だと思う。


まだコロナの終息も見えない今。人に何の罪があるのだろう。

容赦なく追い打ちが襲って来る。それを嘆かずにいられようか。



残り仕事が片づき午後は早めに終わらせてもらった。

午前中の大雨が嘘のように青空が見え始める。

なんだか渦の中から救い出されたような気持ちになる。


帰宅したらあやちゃんのお友達が遊びに来ていてそれはにぎやか。

はしゃぎ声を聴きながら横になるなり夕方まで寝入る。

鼾をかいて寝ていたそう。やはり疲れていたのだろうか。

今週の仕事が終わった。疲れよりも達成感の方が大きく思う。


職場が山だとしたら我が家は草原ではなかろうか。

だとしたら私は老いた兎なのかもしれない。

兎の寿命はいかほどか知らないけれどまだまだ生きている。

草原に寝そべり夢を見る。そこは海なのかもしれなかった。


兎の目が紅いのは決して辛くて泣いたのではない。

草原から見上げた山に沈む夕陽があまりにも紅かったからだ。



2020年07月03日(金) 目の前に山があれば登る

梅雨前線が活発になり時おり激しい雨となる。

気温も下がり半袖では肌寒いほどだった。

雨に打たれる向日葵の花。負けはしないと精一杯に微笑んでいる。

「がんばれ」と声をかけながらもふと切なさが込み上げてきた。



午前中に女性のお客さんからヘルプ要請。

「大変なことになったすぐに来て」と泣きそうな声。

運転中によそ見をしていて歩道の縁石に乗り上げてしまったようだ。

同僚と一緒にすぐに現場に駆けつけたけれど生憎の大雨。

私は傘を差し掛ける事しか出来ず同僚はすぐにびしょ濡れになる。

ジャッキを使って車体を持ち上げやっとの思いで車を動かせた。

幸い車は走行可能でほっと安心。お客さんも大喜びだった。


それをサービス仕事にする。そうするのが我が社の方針でもあった。

常連のお客さんには特に。お客さんもそれが当然だと思っている。

決して恩を着せるわけではないけれど目先の事にこだわらない。

そんな商売もあるのだとあらためて肝に銘じた出来事だった。


悪天候でもあり思うように仕事がはかどらず明日も仕事になった。

それが嬉しい。家でごろごろするよりずっと良いと思う。

目の前に山があれば登るのと似ている。仕事が好きな証だった。


振り返れば今週は至って元気。疲れも感じずまだまだいける。

身体が弱ると心も弱ってしまうのでついつい弱音を吐くけれど

まだ弱音を吐いていませんよね?大丈夫ですよね?







2020年07月02日(木) 何があっても笑って生きよう

蒸し暑さもなく爽やかな晴天。なんだか秋のような空。


気がつけばヤマモモの実も殆ど落ちてしまって

ねむの木の花もどこかへ飛んで行ってしまったようだ。

そうして田んぼでは稲の穂がもう見え始めている。

来月には稲刈りだと言うほんとうに早いものだ。



仕事で思いがけずに嬉しい事があった。

長いこと音沙汰のなかったお客さんがひょっこり訪ねて来てくれて

ずっと支払いが滞っていたのを全額清算してくれたのだった。

きっと事情があるのだろうと察しつつ信じていてほんとうに良かった。


聞けばやはり経営難の上にコロナの影響をまともに受けて

3ヵ月ほど休業をせざる得なかったとのこと。なんと気の毒なことか。

まだ本調子ではないだろうに無理をさせてしまったのではと気遣う。


人情だけでは商売は成り立たないことを知っているけれど

「また困った時には何でも言ってくださいね」と告げると

ほっとしたような顔をしてにこっと微笑んでくれた。

経営難はどこも同じ。それでも少しでも助けてあげたいものだと思う。


義父が「今日はなんだか儲かった気分だな」と言って笑っていた。

ほんとうにそう。お客さんを信じることがいちばん大切なこと。

その気持ちはきっと伝わる。今日ほどそれを実感したことはない。


時にはどんなに信じていても裏切られることもある。

夜逃げをしたり行方不明になってしまう例も少なからずあるけれど

人として恨むことだけはしたくなかった。深い事情があってのことと

何処かで元気で生きてくれてさえいればと願う気持ちになる。


商売は人生みたいでおもしろい。何があっても笑って生きよう。



2020年07月01日(水) そのうち卵を産むかもしれない

昨日の荒天が嘘のような晴天。元気いっぱいのおひさまが微笑む。

「半夏生」でもあり季節の移ろいを感じながら文月の扉がひらく。


とある本に「自信がないのは自分を信じていないからだ」とあった。

ほんとうにそうなのかとふと心に引っかかるような気分になる。

なぜなら私は自分を信じているからだ。それが嘘だと言うのだろうか。

自分が信じた道を歩きながらも誰だって不安になるのではないか。

心細くなるのではないか。自信満々になどどうしてなれようか。



今週もありがたいことにする仕事がたくさんある。

そんな活気が嬉しくてならず今日も目の前の事をこつこつ。

まるで鶏が餌をついばんでいるような日々だった。

そのうち卵を産むかもしれないそれも愉快に思う。


帰宅したら電器屋さんが来ていて子供部屋にエアコンを付けていた。

あやちゃんが宿題をするのにこれから暑くなるだろうなあと

気遣っていた矢先のこと。娘たちも同じように案じていたのだろう。


じいちゃんと顔を見合わせながら「ずっと居てくれるのかな」と。

もし娘たちがそのつもりだったらそれほど嬉しいことはなかった。


同居を始めて6年目の夏。決して失いたくはない家族の姿があった。


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