| 2020年06月18日(木) |
ひとからどう思われようと |
大雨の予報が出ていたけれど幸いそれほどでもなかった。
ただ気温がぐんと下がり半袖では肌寒いほど。
夜明け前いつものようにパソコン画面に向かいながら
「さげすまされる」ことについてふかくかんがえていた。
それがどれほど愚かな事かとっくに知っているつもりだけれど
ぐるぐると堂々巡りのようにそれがおそってくるのだった。
まだ私が若かった頃、とある文学賞の表彰式に出席したことがある。
佳作入選だったけれど生まれて初めての事でとても嬉しかった。
どきどきしながら自分の順番を待ちつつ隣の席の女性に話しかけた。
そうしながら緊張を少しでも和らげようと思っていたのだと思う。
その女性は何も応えてはくれなかった。「ふん」という顔をして
一瞬私をにらみつけてから真っ直ぐに前を向き胸を張り続けていた。
同じ仲間ではなかったのだ。見あげるほどの高い場所に居たひと。
私は哀しくてたまらなくなった。場違いな場所に居る自分を感じながら
堂々と胸を張れない。こんなに嬉しいのにどうして哀しいのだろうと。
そんな昔話をどうして今頃と思うかもしれないけれど
あの時と同じ哀しみをいまあじわっている。それは毎日まいにち。
「ひとからどう思われようとじぶんを貫くこと」そんな言葉を信じる。
信じるしかないと思ってただただ書くことを諦めずにいる日々。
胸に勲章を付けた歌人でもなければ詩人でもない。
だからこそ書けることがあるのかもしれないと一縷の望みを捨てずにいる。
負けるもんかと思う。そうつぶやきながら自分の背中を押している。
私は蔑まされるために生まれて来たのではないのだと思う。
どんなに見下されても私はわたしであることを貫き通してみせよう。
| 2020年06月17日(水) |
儚いネット空間でのこと |
曇り日。時おり薄く陽射しがあったけれどずいぶんと涼しく感じる。
早朝のこと台所の窓から燃えているように紅い朝焼けが見えた。
綺麗な朝焼けが見えた日はお天気が崩れると聞いたことがある。
その通りなのか明日はまとまった雨になりそうだ。
SNSでは会話を控えめにしているのだけれど
今朝はとある詩人さんから声をかけて頂き思いがけず嬉しかった。
少しだけ会話をしているうちに大阪豊中の方だと知りおどろく。
豊中と言えば「たくちゃん」「けいちゃん」の住んでいる町。
ネット空間での出会いとは言えふたりのことは一生忘れられない。
どれほど心を通い合わせたことだろう。縁の深さを感じたことか。
まだ20代だったふたりのことを我が子のように想っていた。
たくちゃんは今年46歳になった。けいちゃんは41歳になる。
今はもう音信不通になっているけれど誕生日が来るたびに
歳を数えることでささやかに繋がっていられるような気がしていた。
きっとこの先も私は生きている限りふたりの歳を数え続けることだろう。
たくちゃんは逞しいお父さんになっているかな。
けいちゃんは目指していた教師になっているかな。
もしかしたらけいちゃんもお父さんになっているかもしれない。
いろんなことを想像しながら懐かしさで胸がいっぱいになってくる。
儚いネット空間でのこと。深く関われば関わるほど辛い事もある。
顔が見えないから「言葉」だけが頼りだったようにも思う。
その言葉で誰かを傷つけてしまったことも少なからずあった。
ちゃんと目を見て向かい合って謝ることの出来ない世界なのだ。
去る人は追わない。どんなに追いたくてもそれは不可能なこと。
たくちゃんとけいちゃんは羽ばたいて行ったのだと思っている。
ふたりがいちばん苦しかった時にそばにいてあげられて良かった。
ふたりの人生のほんの一部分に「わたし」がいるのなら救われる。
私がふたりを忘れられないようにふたりが私を憶えていてくれたなら。
そんな儚い願いを今夜はそっと記してみました。
| 2020年06月16日(火) |
どこか抜けているのが好き |
今朝はずいぶんと涼しく感じたけれど午後から晴れて真夏日となる。
からりっとした暑さ。きらきらと輝く太陽はすっかり夏の顔をしていた。
うなだれているのは紫陽花。なんだか可哀想に見える。
向日葵にはなれないけれどそうなれたらと思っているかもしれない。
いえいえそれは違うと紫陽花に叱られてしまいそうだ。
日照りを受けとめる紫陽花はつよい。負けるもんかとなお咲き誇る。
仕事は今日も活気があって嬉しい悲鳴をあげていた。
このところ何もかもが順調でとてもいい感じなのだった。
そのうちに落とし穴もあるだろうけれどその時はその時の事と
また這い上がって行けばよいこと。とにかく日々を大切にと思う。
買い物をして帰宅。じいちゃんが洗濯物を取り入れてくれていたけれど
例のごとくで洗濯カゴに押し込んでありしわくちゃになっていた。
そのことを言わずにおこうと思いつつ言ってしまって後のまつり。
むっとしているじいちゃんに精一杯に感謝の気持ちを伝える。
良かれと思ってしてくれたことを決して咎めてはいけないのだ。
「ただいまあ」汗をいっぱいかいてふうふうとあやちゃんが帰宅。
二階は暑いので茶の間に居るように言うと素直に従ってくれる。
ゲームは「どうぶつの森」なのかな?とにかく夢中になって遊んでいた。
絶対に頑張らないと決めて肩の力を抜き夕食の支度。
あやちゃんが心配してくれて枝豆があれば何も要らないと言ってくれる。
冷凍の枝豆をチンする。鯵をお刺身にしてピーマンとベーコン炒め。
木耳の酢の物。あとは3割引きでゲットしたステーキ肉を焼く。
焼きあがった頃に娘が帰って来てくれたけれど
ステーキを焼くのにニンニクも忘れ塩胡椒も忘れていた。
「惜しいねえ、もうちょっとで完璧だったのに」と娘。
でもそれがなんだか褒められているようで嬉しかった。
だって私は完璧があまり好きではないしどこか抜けているのが好き。
たとえば「やっちまった」と笑い飛ばせるようなことが。
完璧でなくてはならない理由などない。
それは自分で決めているのか誰かから求められているのか
期待に応えようと頑張り過ぎてはいませんか?
肩の力を抜きましょうよ。それが自分を守る一番の近道です。
| 2020年06月15日(月) |
このコロッケはどこの? |
曇り日。晴れて暑くなる予報だったので思いがけなかった。
気温も27℃ほど風がありずいぶんと涼しく感じる。
同じ四万十市でも江川崎は31℃を超えていたそうだ。
故郷の暑い夏。ふと子供の頃を懐かしく思い浮かべていた。
職場の庭ではやまももの実がほんのりと紅くなる。
今週中には食べられるようになるかもしれない。
あの甘酸っぱさがたまらない。楽しみに待っていよう。
ふと隣のねむの木を見あげたらもう花が咲き始めていた。
天使が羽根をやすめているような薄桃色の可愛らしい花。
どちらもむかし母が植えた木。まるで母の季節のように思う。
母の年金支給日だったので仕事を終えてから入居料の支払いに。
相変わらずまだ面会は出来ないけれど施設の看護師さんに会えた。
母は元気過ぎるほど元気になっていると聞き愉快に笑い合う。
なんでも車椅子に座らずに押しながら歩いているのだそうだ。
食事も大好きなカレーが甘過ぎると文句を言ったそうで
「もっとおとなのカレーを作ってね」となんと母らしいこと。
口はちょっと悪いけれどお茶目ぶりを発揮しているようだ。
母の様子をたくさん聞けて良かった。ほっと安堵するばかり。
けれどもあまりに元気過ぎるとまた施設を追い出されてしまうかも。
もうこれ以上の環境の変化を与えたくはなく複雑な気持ちもあった。
帰宅してひとやすみ。再放送の「ひよっこ」を見てからぼちぼちと
夕食の支度に取りかかる。娘が帰るまで最低限の事をと思っていた。
それがなかなか帰って来ない。早くビールが飲みたいとじいちゃん。
鰹をお刺身にして野菜炒めを作る。孫たちにはお惣菜のコロッケ。
まあこんなもんで良いじゃないとやれば出来てしまった夕食だった。
あやちゃんが「お母さんたちが帰ってから食べる」と言うので
じいちゃんとふたりで先に食べる。ふたりっきりは寂しいけれど
娘たちもたまには家族4人水入らずが良いかもと思っていた。
それがその通り家族4人でそれはにぎやかに食卓を囲んでいた。
あやちゃんが「このコロッケはどこの?」と訊くので
へらへら笑いながら「めっちゃおいしいでしょ」と言うと
ちょっと苦笑いをしながら「まあ丸にしてあげる」と言ってくれる。
バッテンじゃなくて良かったと喜んでいたら「二重丸にしてあげる」と。
ほんとは気に入らなかったことをとっくに気づいていた。
それなのに私を喜ばせようと気遣ってくれたことも。
今度おばあちゃん手作りのコロッケをきっと食べさせてあげるね。
それはあやちゃんが生まれて初めて食べる最高のコロッケなんだから。
| 2020年06月14日(日) |
頑張らなくてもいいね |
今朝は思いがけずに青空。それもつかの間の事で午後にはにわか雨が。
湿度が高くとても蒸し暑い。今日もエアコンのお世話になるばかり。
昨夜は不思議な夢を見て優しい手のひらの感触が確かにあった。
仕事の疲れもあったのだろう肩凝りがひどく背中に痛みもあったのを
その手のひらがずっとさすり続けてくれたのだった。
おかげで目覚めた時にはずいぶんと身体が楽になっていた。
なんとありがたいことだろう。誰の手だったのか私にはわかる。
もう何年も会ってはいないのに私を忘れずにいてくれたのだろう。
日曜日は怠惰に。そう自分で決めたとおりに過ごす。
肩の力を抜いてひたすらのんびりとごろごろするばかり。
それはほんとうにだらしないことなのだろうけれど
自分の限界を知ることも大切なことではないだろうか。
やれば出来ることを敢えてしない。それを言い換えれば
しなくても良いことはしなくても良いことなのだった。
したければすれば良いししたくなければしなければ良い。
たとえば掃除。埃で死ぬ人はいないとある医師が言っていた。
夕飯のメインは海老の天ぷら。あやちゃんが喜んでくれて嬉しかった。
娘が明日から3日ほど帰りが遅くなるのだそうで
「母は一人では何も作れないよ」と弱音を吐いて見せる。
「私が帰ってから作ればいいよ」と笑い飛ばしてくれる娘だった。
そっかじゃあ頑張らなくてもいいね。すいぶんと気が楽になる。
| 2020年06月13日(土) |
出来ない時もあるんだよ |
曇り時々雨。霧のような雨で濡れることも気にならず。
むしろ蒸し暑さが和らぎ心地よく感じる。
昨夜の雨で水溜りが出来ていて雀が水浴びをしていた。
なんとも可愛らしい。見ているだけでこころがなごむ。
雨あがりの朝は紫陽花がいちだんと鮮やかになり
山里に向かう道に彩を添えてくれてなんだかとても嬉しかった。
梅雨の季節ならではのこと。ありがたいことだなと思う。
仕事はとても忙しく2時間の残業の末やっと片づく。
疲れは確かにあったけれど心地よい達成感のほうが勝っていた。
やはり仕事が好きでならない。とても遣り甲斐を感じている自分がいた。
すっかり帰りが遅くなりいつものスーパーに寄る時間がない。
よっしと思いつくように国道沿いの「ちきん館」と言うお店へ。
ローストチキンで有名なお店なのだけれどお惣菜も売っている。
豚カツとハンバーグを買う。ローストチキンは高くて買えない。
家族が喜ぶ顔は全く期待出来ないのがなんだか愉快でならなかった。
「なんじゃこりゃ」と言いつつ我慢して食べてくれるだろうと。
あやちゃんが笑いながら手でばってんをして面白かった。
いくら大好きな豚カツでもこれは駄目だと言う合図。
それなのに文句を言わない。それがどれほどありがたいことか。
決して責めることをしない。そうして優しさや思い遣りを学んでいる。
「出来ない時もあるんだよ」言わなくてもちゃんと分かってくれるのだ。
家族がみな笑顔でいてくれるのが私にはいちばんのごちそう。
作り置きの胡瓜の浅漬けをぽりぽりかじりながら私は幸せだった。
| 2020年06月12日(金) |
ただ書きたいだけなのに |
曇りのち晴れ。青空が見え始めると一気に真夏日となる。
蒸し暑さに耐えきれずとうとうエアコンのお世話になった。
夜明け前いつものようにパソコン画面に向かいながら
なんという空白だろうとまたひどく追い詰められてしまう。
いったい自分に課しているものはなんだろうと思った。
書かなければいけないのではない。ただ書きたいだけなのに。
ことばが宙に舞うのをやっとの思いでつかまえていた。
それなのに読んでくれるひとがいる。それが励みでなくてなんだろう。
金曜日。もうひとふんばりかなと思っていたけれど
仕事が片づかず明日も出勤することに決めて帰って来た。
同僚にばかり負担をかけるわけにはいかない。
する仕事のあるのはありがたい事と自分に言い聞かす。
とにかく優先順位を決めて行動しなければと思うのだ。
自分がするべきことは何か。いま大切なことは何かと。
帰宅して夕飯の支度までうたた寝。我ながらほんによく寝ること。
今夜は新鮮な鰹を買って来ていたので「ひっつけ寿司」を作る。
じいちゃんの大好物でうはうはと喜んでビールをぐいぐい。
夕食後また孫たちが散歩に出掛けて土手で「だるまさんがころんだ」
その姿をその声を聴きながらほっこりと微笑まずにいられない。
ああ今すんごい笑顔だなと思った。顔がほころんでいるのがわかる。
今日もいい日でした。ありがとうございました。
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