| 2020年06月09日(火) |
だるまさんがころんだ |
曇り日。山里では午後少しだけ雨が降る。
いよいよ本格的な梅雨になるのか明日からしばらくは雨の予報。
雨の季節ならではの楽しみもきっとあることだろう。
嘆かずにいよう。空も泣きたくて泣くのではないのだもの。
夕食後の散歩に出掛けた孫たちが土手で遊んでいるのが見える。
「だるまさんがころんだ」なんだかとても懐かしい。
楽しそうなはしゃぎ声を聴き微笑みながらこれを記している。
今日は仕事が面白いくらいに忙しかった。
張り合いがあって活き活きとしている自分が好きだなと思う。
昨年だったか義父にあと10年は頑張って欲しいと言われた時には
とても無理だと嘆き弱音を吐いたこともあったけれど
それも良いのかもしれないと思えるようになってきている。
義父が元気なうちはそばにいて助けてあげたいと思えるようになった。
難破船のような会社だけれどどこかの島に流れ着こうとしている。
それをしっかり見届けるまでは船を下りることは出来ない。
これも宿命だと思えば観念も出来る。私に与えられている試練でもある。
いつのまにか孫たちが帰って来ていて外はもう薄暗い。
「ほらほらお風呂よ」と娘の声が聴こえている。
焼酎のおかわりをしに台所に行ったらめいちゃんがぽつんと居て
私が「だるまさんころんだ」と言ったら後ろの正面に来る。
もういっかい「だるまさんがころんだ」と振り向いたら
私の足元にうずくまって隠れているめいちゃんが見えた。
「楽しいねえ」と言ったらにこにこ笑顔で「またやろうね」って。
そうしてお風呂に行きました。お風呂から出たらまたやろうかな。
今日も晴れ。梅雨入りしてからも晴天の日が多かったけれど
明日の午後からしばらくは雨の日が続きそうだ。
降り過ぎる雨は怖いけれど雨は決して嫌いではない。
梅雨らしさもなくてはならないもの。だから私は嘆くことをしない。
ほととぎすがしきりに鳴いて語りかける夜明け前。
また崖っぷちに立たされたかのように歌を詠み詩を書く。
私の誇りとはいったいなんだろうとふと思う。
無名のくせにと蔑みそうになりながらも生きようとしているのだ。
無様なことだろうか。滑稽なことだろうか。けれども負けはしない。
仕事を終えてちょこっと買物をして帰宅。
娘がお休みだったので大量の洗濯物をたたんでくれていた。
なんとありがたいこと。おかげですぐに横になることが出来る。
保育園から学校へ寄ってあやちゃんを美容院へ連れて行くと言うので
どんな髪型になるのかと楽しみにしながら帰りを待っていた。
うんとても似合っている。軽やかになって気持ちよさそうなあやちゃん。
今週はもうプール開きがあるのだそうで長い髪を気にしなくていいね。
夕食後の散歩に出掛けた孫たちの姿を窓から眺めていた。
なんときれいな夕焼け。孫たちの姿が絵のように映る。
この目がそのままカメラになれば良いのにと思った。
すぐに駆け出して行けばよいものをなんと出不精になったのだろう。
こころのままに行動が出来なくなってしまったけれど
こころのアルバムにはふたりの孫たちの姿がちゃんとあるのだと思う。
今日もいい日でした。ありがとうございました。
からりと爽やかに晴れる。風が涼しく過ごしやすい一日。
目覚めてすぐに窓を開けたらきれいな月が見えていた。
もう満月ではなかったけれどストロベリームーンなのだそう。
いつから月に名前をつけるようになったのだろう。
空を仰ぐ楽しみが増えた気がする。次の満月は何という名だろうか。
朝のうちに買物を済ませあとはひたすら怠惰に過ごす。
娘は仕事で娘むこも素潜り漁に行っていて孫たちを任されていたけれど
ほぼほったらかし状態で祖母の役目さえも怠けてばかりだった。
とにかく眠くて眠くてしょうがない。お昼前からもううたた寝。
孫たちの昼食もめいちゃんはカップヌードル。
あやちゃんはまだ食べたくないと言ってタブレットで遊んでばかり
「もう勝手にして食べたくなったら自分で食べて」と言い残して
そのまままた寝入ってしまっていた。目覚めたらもう午後三時。
じいちゃんは卵かけご飯を食べたそう。
あやちゃんは昨夜のハンバーグを温めてちゃんと食べてくれていた。
やるじゃんと思った。あてにされないのもなかなか良いものだ。
おばあちゃんは居るけれどいないのと同じ。そうそのとうりです。
こうしてまた今夜もつまらない日記を書き終えようとしているけれど
隣の子供部屋ではあやちゃんが宿題の日記を書いているところ。
「もう書けた?」と訊くと「あっち行って」と怒られてしまう。
国語の教科書を広げていて「晴れ」という字が見えていた。
「もう晴れと言う字を習ったの?」と訊くと「あたりまえじゃん」と。
「晴れ」っていいね。おばあちゃんもちゃんと書けたよ。
| 2020年06月06日(土) |
継続は力なりと言うけれど |
いかにも梅雨時らしい曇り日。午後ほんの少しだけ雨が落ちる。
幸い蒸し暑さは感じず過ごしやすい一日だった。
この日記もそうだけれど夜明け前に書いている短歌や詩も
なんだかマンネリ化してきたなと我ながら思う。
もともと才能などないものだからそれも当然のことだろう。
それでも書くことを諦めずにいる。もはやもう「あがき」に他ならない。
継続は力なりと言うけれどどれほどの力が私にあると言うのだろう。
生きる支えのようなものなのだろうかと思いつつまたこれを記している。
今日は急きょ仕事だった。昨夜お得意様より電話がありヘルプ要請。
同僚に任そうかと思ったけれどやはり自分が動かなければと思い直す。
義務と言うのとは少し違う。心のこもった対応が大切に思えたのだった。
午前中に一段落しほっとして午後は早めに終わらせてもらう。
あやちゃんがハンバーグが食べたいと言っていたので今日も買物。
土曜日のせいか店内が混雑しておりなんだかはらはらとするのを
ハンバーグのことだけを考えながらさっさとレジに並んでいた。
「レジ応援をお願いします」店内にアナウンスが流れて
店側もなるべく密を避けるように努めていてくれていてありがたいこと。
帰宅したらじいちゃんが「まいったまいった」と苦笑い。
めいちゃんが「ひま〜たいくつ」を連呼して困らせていたようだ。
それでもずいぶんと手が掛からなくなったこと。それが成長だった。
家族みんなでにこにこハンバーグ。あやちゃんが一番嬉しそう。
ささやかなことが愛しい。その愛しさをこうして記す。
読んでくださってありがとうございました。
梅雨の晴れ間。30℃を超える真夏日となりとても蒸し暑くなる。
そういえば夏が好きだったなと思い出せば少しも苦にはならない。
ようは気の持ちようでひとは嘆くことをやめられるものなのだ。
むかし読んだ本に書いてあった。感謝すれば救われると。
とにかくどんなに辛い事があっても「ありがとう」と口にする。
たとえば「辛い目に遭わせてくれてありがとう」と。
相手がいることならなおさらそのひとに感謝すれば良いのだそうだ。
40代の始めだったか私は更年期障害の症状が出始めていた。
情緒不安定に加えうつ病。精神的にひどく落ち込んでいた頃のこと。
心療内科に通い医師と面談しながら泣きじゃくったこともある。
話を聴いてもらえるだけでずいぶんと救われる思いだった。
自分は弱くてとても脆いのだと信じ切っていたあの頃。
ある日の通院日に待合室でひとりの少女に出会った。
その少女は母親らしき女性に付き添われて自力で歩くことも叶わず
とても哀しそうな目をしていた。きっとどん底の辛さだったのだろう。
私はと言えば今日も話を聴いてもらおうと少し浮き浮きしていたような。
そんな自分がとても恥ずかしく愚かに思えてならなかった。
気がつけば私はそこから逃げ出していた。
その少女の辛さに比べれば自分はなんと恵まれていることだろうと。
そうしてその日を最後に私は二度とその心療内科に足を向けなかった。
むさぼるように自己啓発的な本を読み始めたのはその頃からだった。
心理学を学び自己暗示術も学んだ。まさに目から鱗のような本ばかり。
かれこれ20年近い歳月が流れたけれど私はまだ学び続けている。
更年期障害の薬も飲み続けていなければ不安でならない。
そんな弱さもあるけれど日々が成長なのだと思うことにしている。
自己暗示術はずいぶんと私を助けてくれたように思う。
それは心理学にもつながり暗示にかかりやすい自分をコントロールする。
たとえば私の口癖でもある「ぼちぼち」や「そろりそろり」もそう。
そう口にするだけで自分をコントロール出来る魔法のような言葉なのだ。
だから「ありがとう」もそう。感謝すれば救われると何度でも言いたい。
たとえどんな一日であっても「ありがとう」の一言で「いい日」になる。
今日もいい日でした。ありがとうございました。
| 2020年06月04日(木) |
ながいながいトンネルの出口に |
薄曇りの空。時おりかすかに陽射しがあり梅雨らしい蒸し暑さとなる。
そんな時は風を待つ。なんだか恋しい人に会いたがっているかのように。
職場の庭に母が毎年愛でていたアマリリスの花がやっと咲く。
周りの草を引く人もいなくて荒れ果てた庭にそれは精一杯微笑む。
向かい合い語り合うようにして写真を撮った午後のこと。
職場は5月決算でぼちぼちだけれど帳簿の整理に取り掛かる。
法人登記をしてから26回目の決算。ずいぶんと歳月が流れたものだ。
その当時の事をよく憶えていて母もまだ若くばりばりの現役だった。
「おかあさん」とは呼ばず「専務」と呼んでいたのも懐かしい。
私は経理を任され一から母に教わった。貸方も借方もよくわからず
戸惑うばかりの私に母は時に厳しくそうして優しい日も確かにあった。
けれども甘えた記憶はない。母は常に上司であり専務と言う名の人。
そうして数年が経ちやっと一人前になった私と母はよく喧嘩をした。
特にパソコンが導入されてからはぶつかることが多くなる。
母は手書きの元帳を求め続けパソコンに向かう私を嫌っていた。
「そんなもんあてにならない」とよく言われたことを憶えている。
今思えばきっと悔しくてたまらなかったのだろうと思う。
やがて見積書も請求書も手書きではなくなる時が来てしまって
とうとう母のする仕事が何もなくなってしまったのだった。
母は決心したかのようにパソコン教室に通い始める。
けれどもそれを発揮できない。私がいるせいだと母は言うのだった。
泣きながら帰った日も多い。専務が母ならどんなに救われたことだろう。
私はわたしを責め続けていた。なんと親不孝な娘なのだろうと。
葛藤に葛藤を重ねながら会社を辞めようとさえ思ったこともある。
それからながいながいトンネルの出口にやっと母の姿を見つける。
昔の面影をかすかに残しやせ細った母はとても小さく見えたけれど
子供の頃の記憶のままに優しい母の笑顔がそこにあった。
| 2020年06月03日(水) |
どんなに不安でも私は怖れない |
薄曇りの朝だったけれど次第に梅雨空となる。
夕方になり雨がぽつぽつ。夕散歩に行っていためいちゃんが
泣きじゃぐりながら帰って来て「もっとおさんぽしたかった」と。
あまりに大声で泣くのでご近所さんが心配して外に出て来てくれていた。
いまは機嫌を直してお風呂に入っている。やっぱりはしゃぎ声のほうがいい。
今日も仕事を終えてから買物へ。昨日決めたことだからと
もうまとめ買いをするのをやめた。ちゃんと夕食のメニューを考え
必要なものだけを買う。荷物が軽いそれだけでずいぶんと楽だった。
ちゃんと消毒液を置いてあったりレジにはビニールのカーテンが。
店員さんはポイントカードを手渡しせずに支払いはキャッシュレスで。
お店側も精一杯に感染予防に努めてくれていてありがたいこと。
まだまだ不安はあるけれど神経質になり過ぎてもいけないのだろう。
帰宅してすぐに手洗いとうがい。これだけは守らなくてはいけない。
あやちゃんの好きな牛肉。ハラミの味噌漬けが美味しかったようで
もぐもぐ食べながら「おばあちゃんあしたはなに?」ともう訊く。
「あやちゃんのすきなものね」と応えると「じゃあパスタね」と。
その時の嬉しそうな笑顔になんだか励まされているような気がした。
なんだか毎日買物に行くのが私の使命のように思えたのだった。
どんなに不安でも私は怖れない。可愛い孫のためなら立ち向かって行く。
|