ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年04月07日(火) 大切なものを守ろうとしている

朝の寒さもつかの間。日中はとても暖かくなる。

山里ではあちらこちらで田植えの準備が始まっている。

水を張られた田んぼに桜が水鏡のように映るのもよいものだ。



あやちゃんのランドセル姿を久しぶりに見た朝。

新しい先生。新しい教科書を楽しみに元気に登校して行く。


けい君の入学式も予定通りに行われて

「無事に終わったよ」と息子から連絡があった。


ほっとしたのもつかの間のこと

まだ本決まりではないけれどまたしばらく学校が休みになりそう。

こどもたちも落ち着かないことだろうと気がかりでならない。



今日も隣町から2人の感染者。介護士さんと中学の先生だと言うこと。

中学の先生は高知市内から赴任して来たばかりだったそう。

入学式は突然の中止となりどんなにか戸惑ったことだろう。

でもある意味間に合って良かったのかもしれないと思う。


夕方、市役所からの放送が流れる。

不要不急の外出を控える事。多人数の集まりを控える事等。

国の緊急事態発令を真摯に受け止めている田舎町の姿だった。

自分達には関係ない事だと思っている人がいるならそれは大間違いだ。

いまは国民が一丸となって感染拡大を食い止めなければいけない。



コロナを身近に感じながらも我が家には笑顔があった。

決して笑い飛ばしてはいない。不安と緊迫感はつのるばかり。

それでも必死になって大切なものを守ろうとしている。


いま押しつぶされてどうする。いまは闘う時なのだと。



2020年04月06日(月) こんなにもあたらしい春に

もうすっかり春だと思っていても朝はまだ肌寒い。

日中は暖かくなりほっと救われる気がする。

桜はまだ散り始めてはいなかった。

精一杯に咲き誇りこころを和ませてくれている。



母の転院が水曜日に決まった。

今の県立病院に入院していてももう治療法がないとのこと。

とにかく少しでも以前のように生活できるようにと

リハビリを兼ねての療養が目的なのだそうだ。


コロナの影響で面会が出来ないまま3週間が過ぎていた。

時おりナースセンターに電話をしては様子を聞いてはいたけれど

この目で確かめないとまだまだ安心は出来ない。

母に会いたい。「だいじょうぶよ」と微笑んで欲しい。




仕事を終えて帰宅すると今日も感染者のニュースが待っていた。

今日は3名。1人は近隣の市町村であるとのこと。

詳しい地域の公表はなくただただ困惑するばかりだった。

個人が特定出来ないように守秘することも確かに大切な事だろう。

けれどもせめて市町村名だけは公表して欲しいと願ってやまない。




あやちゃんは明日から新学期。不安や心配はあるけれど

2年生になるのをとても楽しみにしている。

そんなこどもの夢を決して壊したくはなかった。

どうか安全にどうか無事にとひたすら祈ることしか出来ない。


めいちゃんは保育園の年長組さんになって少し情緒不安定のよう。

そういえば去年の今頃もそうだったねと娘と語り合った。

担任の保育士さんが変わっただけでも不安なのだろう。

そのうち慣れるだろうとあたたかく見守ってあげたいと思う。


コロナ騒動さえなければこんなにもあたらしい春。

そんな春を少しでも伸び伸びと過ごさせてあげたい。


嘆きはこどもにも伝わる。不安な気持ちも同じように。

だからこそおとなは笑顔で日々を精一杯に生きていかなければ。


負けない勇気。立ち向かう姿をこどもたちに伝えたい。







2020年04月05日(日) 負けないでいましょう

花冷え。晴天に恵まれたけれど風が冷たかった。

風の強さに桜も少しずつ散り始めたことだろう。

散る時は散る。そんな潔さもうつくしいものだ。



今日も早朝より川仕事。やれるだけのことをと精を出す。

「隣の芝生は青い」ではないけれど我が家の海苔が最も悪い状態。

どんな年もある。たまたま今年がそんな年だったのだろう。

嘆きはしない。少しでも収穫出来てありがたいことだと思う。


じいちゃんの腰痛が再発しとても辛そうだった。

毎日の川仕事はとても無理。週末だけがちょうど良いのだろう。


今日も孫たちが作業場に遊びに来てくれてにぎやか。

あやちゃんはちょこちょこ手伝ってくれてありがたいこと。

「2年生になるからえらいね」とほめたら得意そうな笑顔。

もっとえらいなと思うのはごほうびを欲しがらないところ。

せめて今夜は好きなものを作ってあげようと思う。


そしてトンカツ。喜んで食べてくれて嬉しかった。

ソースをたっぷりとかけてソースカツ丼みたいにして食べるのだ。



テレビからはまた新たな感染者のニュースが流れる。

今日は7人。1人はまた隣町の介護士さんだと言うこと。

日ごとにつのる不安と緊迫感に押しつぶされそうになりながらも

笑顔だけは忘れない家族の姿が宝物のように思えた。


負けないでいましょう。きっときっと乗り越えましょう。



2020年04月04日(土) 精一杯に生きてみせよう

二十四節気の「清明」万物が光り輝くころ。

いのちあるものが生き生きとその命を輝かせるころ。

ひともそうであってほしい。精一杯に生きてみせよう。



早朝より川仕事。また一週間ぶりになってしまった。

海苔の生育は相変わらずで決して良好とは言えないけれど

しっかりとした根がありそれがいのちそのものに思える。

ほんのわずかな収穫だったけれど自然の恵みをありがたく頂く。


娘夫婦が仕事だったので孫たちは作業場の庭で遊んでいた。

お菓子屋やジュースを買って来てまるで遠足のようにはしゃぐ姿。

それが微笑ましくてならず笑顔のままで作業を終える。


山里の職場に急ぎの仕事があり休む間もなく駆けつける。

孫たちは娘婿のお母さんが預かってくれてとても助かった。

おかげで仕事が出来る。二足の草鞋も苦にはならなかった。


仕事が忙しくすっかり帰宅が遅くなってしまったけれど

スーパーのお惣菜のありがたいこと。今夜は手抜きで行こう。

あやちゃんは「なにもつくってないじゃん」と文句を言いつつ

レトルトのカレーを美味しそうに食べてくれてほっと嬉しい。



家族団欒をよそにテレビからは新たな感染者のニュースが流れる。

そんな現実から逃れられずにみんなでため息をつきながら

笑い飛ばすような勢いですぐに笑顔が戻ってくるのだった。


どうしようも出来ない危機感や不安に押しつぶされやしない。

家族みんなで立ち向かって行こう。そうして乗り越えようと

つよくつよく思った夕暮れ時のこと。



2020年04月03日(金) ひとりひとりの覚悟のようなもの

花曇り。時おり陽射しもあったけれど少し肌寒く感じた。

満開を迎えたばかりの桜がもう散り始めてしまって

なんと儚いことだろうとふとせつなさを感じたけれど

桜吹雪の舞い落ちる道を帰りながらその風情をたのしんでいた。



帰宅するとめいちゃんのお友達とあやちゃんのお友達が

そろって遊びに来てくれていてそれはにぎやかな我が家。

こども達の笑い声が嬉しくて私も笑顔でいっぱいになる。



夕方になりまた隣町で新たな感染者が出たニュースが流れる。

老人施設の介護職員らしく息子の姿と重なりこころが痛むばかり。

先日の発熱の事もありとても他人事には思えなかった。

感染経路は今回も不明とのこと。それがよけいに不安を煽る。


とにかく不要不急の外出を避けることそれがいちばんだと思う。

娘と夕食の支度をしながら「困ったことになったね」と。

娘は今日の入園式も園庭に居て待機していたそうだ。

自分も隠れコロナかもしれないと思うくらいでいないといけない。

娘の言葉にうなずいていた。ひとりひとりの覚悟のようなもの

それがあれば少しでも拡大を防げるような気がするのだった。



夕飯は牛丼。じいちゃんの好物でわしわしと掻き込む姿。

みんなみんな笑顔だった。そんな平和が奇跡のように思える。

家族みんなをなんとしても守りたい。



2020年04月02日(木) 不安だからこそ希望が持てる

久しぶりの青空。空から天使が舞い降りてきそうだった。

桜も満開となりきらきらとまぶしい。なんて綺麗なのだろう。

不安な気持ちもそうして救われていくのだった。


考えてもかんがえても仕方のない事にしばしとらわれていた。

すくっと前を向かなくてはとやっとそう思えるようになる。

不安だからこそ希望が持てる。嘆いてばかりでは何も変わらない。



仕事を終えて帰宅していたら孫たちが自転車で遊んでいた。

「おばあちゃんおかえりなさい」その声の嬉しいこと。

今日は娘がお休みだったので学童も保育園もお休みしていた。

明日は保育園の入園式が予定通り行われるようだ。

めいちゃんも年長組さんになる。早いものだなと感慨深い。


こどもたちの笑顔をずっとずっと見ていたい。

なんとしても守りたいとつくづくと思う。


「いい日」でしたと言える今日に感謝しかない。

平穏無事が身に染みるほどありがたさが込み上げてくる。



2020年04月01日(水) 風のせいにしてしまおうか

午後になり降り続いていた雨がやっとやむ。

雨雲を追いやるように強い風が吹き始めている。

明日は晴れるだろうにざわざわとこころが落ち着かない。

風には罪がないけれど風のせいにしてしまおうか。



残念ながら今日もまた隣町から感染者が出た。

昨日の人の同僚だということ。仕方ないことなのだろう。

それ以外の感染経路はまったく公表されない。

昨日の人がいったいどこに行っていたのか

どんな行動をとっていたのかそれが知りたくてならない。

どこにいても感染しうるのならそれこそが恐怖そのものなのだ。



コロナの話ばかりでは気が滅入るばかり。

だからと言って笑って無関心を装うことなどどうしてできようか。

某SNSを見ながらいつも思うことがある。

まったく不安を見せようとしない人に不信感さえおぼえるけれど

その人はその人なりの生き方があるのだろうと認めてあげなくては。

そう自分をなだめつつ「不安なら不安と言ってごらんさい」と

「どうしてもっと自分に正直になれないのか」と声にならない声。


私にはこうして自分の心を整理する場所がありありがたいこと。

かつて「書くことは生きること」と。それは今でも変わらない。



お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴きながらこれを記す。

我が家はこんなにも平和なのでした。


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