| 2019年07月12日(金) |
青空には笑顔が似合う |
梅雨の中休み。朝から爽やかな青空がひろがっていた。
久しぶりの青空にこころも晴々としてくる。
午前中は山里の職場へ。午後から病院へ向かう。
じいちゃんの入院も5日目になって
なんだかもうそれが日課のようになってしまう。
じいちゃん順調に快復しているのだけれど
頭痛が酷くなり鎮痛剤を処方してもらったとのこと。
昨日は大相撲を見るのだと楽しみにしていたのに
結局見られずに可哀想でならない。
あれこれと心配すればきりがなくとにかく笑顔で接する。
じいちゃんも笑顔。それが何よりの救いだった。
カレーが食べたいと言うので病院の献立表を見に行っていたら
日曜日の昼食がビーフカレーになっていた。
「そうか、それは楽しみだな」と喜んでくれて嬉しかった。
日に日にストレスも溜まって来ていることだろう。
せめて好きな物を食べさせてあげたいと母親のように思う。
「もう帰っておまえも休めや」と言ってくれる優しさ。
帰宅するなり倒れ込むようにして夕方まで寝入っていた。
いま夕焼けがきれい。病室の窓からも見えていることだろう。
お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴かせてあげたいものだ。
雨のちくもりそして晴れる。
久しぶりの青空が嬉しくてならない。
夜明け前のこと、裏のお宅からピアノの音が聴こえて来た。
それはおそらく人差し指だけで弾いていたのだろう。
同じ音ばかりゆっくりと単調に暗闇に響いていた。
数年前にご主人を亡くされてから長男さん一家と同居していた。
お孫さんが4人もいてそれはそれは賑やかな家族だった。
それが2ヶ月ほど前に長男さんが新居を建てて引っ越してしまう。
どんなにか寂しい事だろうと案じていたのだけれど
その頃から毎日のようにピアノの音が聴こえるようになった。
夜明け前に聴くのは初めての事でその寂しさがひしひしと伝わって来る。
私は幸いなことに家族に恵まれていて
じいちゃんが居なくてもいつもと変わらない笑顔でいられる。
娘一家が一緒に居てくれてほんとうにありがたくてならない。
独りぼっちだったらどんなにか寂しかったことだろう。
じいちゃん順調に快復していて、今日も私を待っていてくれた。
午前中に仕事を片づけて急いで駆けつけたかいがある。
病院の昼食には間に合わなかったけれど
じいちゃん大の苦手なブロッコリーとオクラが出たそう。
早く家に帰って好きな物ばかり食べたいとまるで子供のよう。
今日からやっと大相撲中継を見たくなったと言ってくれて
テレビカードをセットする。それが何よりの快復だった。
前へ前へと一歩ずつ進んでいるような日々。
明日も笑顔のじいちゃんにきっと会えることだろう。
あやちゃんの登校時にどしゃ降りの雨。
集団登校とはいえ歩かせるのも可哀想になって
今朝は私が車で送って行っていた。
仕事は休ませてもらっていたけれど
いつものように体操に行っても良いものかとしばし悩む。
じいちゃんに相談したら「行って来いよ」と言ってくれて
気分転換もかねて体操教室へ向かう朝のこと。
でもやっぱり集中できず楽しむことが出来なかった。
終わり次第に昼食を掻き込むようにして病院へ向かう。
じいちゃんの顔を見たらほっとして肩の力が抜けるようだった。
絶対安静だったのが今朝からトイレにも行けるようになったとのこと
若くて可愛らしい看護師さんに身体を拭いてもらって照れ臭かったと
私が来るのを待ちかねていたようにいっぱい話してくれる。
髭を剃りたいと言うので介助しながら洗面台の前に立った。
そうかこんなふうに髭を剃るのかとそれは初めて見る光景だった。
口髭だけは残しておいたらと言ったら大笑いになったり。
昨日よりも今日と快方に向かっているのがとても嬉しくほっとする。
順調に経過さえ良ければ二週間ほどで退院出来るかもしれない。
もうしばらくの辛抱だ。じいちゃんなんとしても乗り越えようね。
孫たちが帰宅して奪い合うようにしてじいちゃんの座椅子に座る。
家族がひとりでも欠けるということはこんなにも寂しいこと。
その寂しさは愛しさそのものなのではないだろうか。
| 2019年07月09日(火) |
もう大丈夫。きっと大丈夫 |
雨の一日。時おり激しい雨音。
雨ならば雨を受けとめよう。やまない雨はない。
昨日の夕方のこと、思いがけないアクシデントがあった。
いつものように一番風呂に入ったじいちゃんが
入浴後に脱衣所で足を滑らせたのか転倒してしまう。
「どすん」と大きな音がして真っ先にめいちゃんが駆けつけていた。
娘と私もすぐに駆け付けたけれど笑い飛ばすじいちゃん。
尻もちをついただけだと思っていたのだけれど
その後少しずつ様子がおかしくなってしまった。
めまいと吐き気、これはいけないと救急車を呼んだ。
幸い命に別状はなかったのだけれど後頭部を打っており
脳内の硬膜に少し出血が見られていてそのまま入院となる。
多量の出血だったら手遅れになるところだった。
軽い出血で良かったとほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間
医師はまだ油断が出来ないと言う。急変する場合もあるとのこと。
一人で心細かったけれど義妹が病院まで駆け付けて来てくれた。
6時間ほどの処置を終えやっと病室に落ち着くことが出来る。
今日の検査では昨日ほどの出血は見られないとのこと。
病室もナースセンターから離れた部屋に移った。
24時間ぶりの食事を「うまい、うまい」と食べるじいちゃん。
もう大丈夫。きっと大丈夫と自分を宥めるように言い聞かしていた。
めいちゃんが「おじいちゃんのにおいがする」と言って
茶の間の座椅子を子犬のようにくんくんと嗅いでいた。
そんな微笑ましい姿をじいちゃんに見せてあげたいな。
みんなで帰りを待っている。かけがえのない大切な家族だもの。
| 2019年07月07日(日) |
主なき家に咲く紫陽花 |
二十四節気の「小暑」そして「七夕」
梅雨が明けて本格的に夏が訪れる頃と言われているけれど
今年はまだもう少し梅雨空が続きそうだ。
七夕の日に晴れるのもめずらしく今日は梅雨の中休み。
若き頃ならば夜空を見上げてせつなく想うひともいたけれど
この歳になると孫たちに「織姫と彦星」を語るばかり。
今日はすこし遠出を。母の生まれ故郷まで足を伸ばす。
香美市香北町の美良布と言うちいさな町だった。
アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんの故郷でもある。
母の生家はもう後絶えになっており今はもう廃屋と化しているけれど
車一台がやっと通れるほどの狭い山道を登った高台にある。
覚悟はしていたけれどそれはなんとも憐れな姿だった。
庭には草木が生い茂り一歩も中には入れない。
祖父母がいて叔母もいた遠い昔の光景を懐かしく思い出す。
子供の頃の夏休みにはずっとこの家で過ごしていた。
祖父がスイカを冷やしてくれた谷川の水。
さらさらと水音が聴こえる。それは今でも変わらない。
ひとつでも変わらないことがあるのがとても嬉しかった。
裏庭の方にまわってみたけれどそこも一歩も入れない。
塀から覗き込んで見るとまるで大きな木のような紫陽花。
もう盛りは過ぎていたけれどとても綺麗に咲いていた。
主なき家にそれは毎年咲いてくれていたのだろう。
なんとありがたいこと。おかげで哀しみも薄れていく。
その紫陽花の影に祖母が微笑んでいるように見えた。
思わず「おばあちゃん来たよ」と声が出る。
遠路はるばる悪路を連れて来てくれたじいちゃんに感謝。
「また来ような」と言ってくれてとても嬉しかった。
ふと母はもう来ることは出来ないだろうとはっきりとおもう。
荒れ果てたお墓を撫でるようにしながら谷川の水を供えた。
くもり時々ぽつぽつと雨が降る。
ありのままの空に身をまかせるように過ごす。
朝のうちに母を訪ねる。
日曜日のつもりだったけれど一日でも早い方が良いかなと
大好物のバナナを届けたら「まあ嬉しい」ととても喜んでくれた。
あまりに喜ぶので少し照れくさくなったほど。
母の笑顔を見ていると救われたような気持ちになる。
ささやかなことだけれど親孝行が出来ているのだろうか。
今夜は保育園の夏まつりがあって少しの間だけ見に行っていた。
あやちゃんも招待状をもらっていて浴衣を着て参加する。
どんどこどんどこ太鼓の音に合わせてそれは可愛らしい踊り。
親ばかを通り越してばばばか。めいちゃんが一番上手に見える。
帰って来たらいっぱいほめてあげようと帰りを待っている。
気がつけば朝からずっと微笑んでいた一日だった。
今日も「いい日」をありがとうございました。
| 2019年07月05日(金) |
ソルティドックを私にください |
曇り時々晴れて久しぶりの真夏日となる。
風がそよそよと心地よい。おかげで暑さも苦にはならず。
今朝はめいちゃんが珍しく「おばあちゃんといく」と言ってくれる。
久しぶりの保育園だった。こどもたちの笑顔がとてもまぶしい。
仕事中に取引先の社長さんと電話で話していて
行きつけだったスナックのマスターが亡くなっていたことを知る。
最近は街に繰り出すことも無くなってしまってご無沙汰していたけれど
いつも優しく微笑んでくれたマスターの顔が目に浮かび
たまらなく悲しくてなってしまって涙があふれてしまう。
私にとっては「とまり木」のようなお店だった。
カウンターでマスターと向かい合ってたわいのない話をする。
「いつものやつね」と言って作ってくれたソルティドック。
死はこんなにも身近なものだったのかとふと悔しさが込みあげる。
逝ってしまったものはどうしようもないとは思えないのだった。
若き頃からのたくさんの思い出。それがせめてもの救いだった。
ソルティドックが飲みたくてたまらない夜。
|