ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年06月27日(木) どしゃ降りの雨に

夜明け前にはぽつぽつだった雨が

やがて本降りになり大雨警報が発令される。

おまけに熱低が台風に変わるかもと。

まるで空が泣き叫んでいるような朝だった。


いつもは集団登校のあやちゃんも

今日は特別にお父さんが車で送ってくれることに。

そうしたらめいちゃんも一緒に行きたいと泣き出して

いつもより一時間も早く登園する。


孫たちはひと安心。さて私はどうしましょう。

気になる仕事もなかったので自宅待機にしようかと考える。

そうしたらじいちゃんに「おっこうな」と笑い飛ばされてしまった。

「おっこうな」とは方言で「おおげさな」と言うような意味。

そうね。子供でもあるまいしと大雨の中を「いざ」と出掛ける。


しかしそれにしても凄い雨。四万十大橋をなんとか渡ったものの

怖くてたまらなくなってついにUターンしてしまった。

笑いながら呆れかえるじいちゃん。おまけに雨は小降りになる。


もう一度出掛けようかと迷いつつ、やっぱりもうやめることに。

同僚に電話をしてやっと自宅待機が叶った。


その後の全国ニュースで山里の記録的な豪雨を知る。

無理をして行かなくて良かったのかもしれない。



ぽっかりと舞い込んだ休日をありがたく過ごす。

お昼寝もしたり本を読んだり。のんびりの一日だった。



2019年06月26日(水) ささやかな言葉

夜明け前しずくのような雨音を聴く。

こころに沁みるような雨音だった。

まるで雨を待ち焦がれていた草のようなきもち。


そうしてやっと梅雨入りになる。

ところが熱帯低気圧が明日にも台風になりそう。

自然のきびしさをつくづくと感じている。




同僚の協力のおかげで週一の体操教室へ。

なんとしてもと思いつつ今月は毎週行けたことになる。

身勝手な事は充分に承知で来月もと欲が出てくる。

今しか出来ないことを出来る日にとひたすら思う。



午後は読書。どうしてもすぐに読みたい本があった。

読み始めたら止まらず一気に読み終える。

詩人の白井明大さんの新刊「希望はいつも当たり前の言葉で語られる」

詩集ではなく初めてのエッセイ本であった。

読後感がとても清々しい。ますます彼のことが好きになる。

何気ない一言をどう受け止めるか。言葉には不思議な力がある。

一生忘れられない言葉が私にもあった。

ある意味「縁」ではないだろうかとつよく感じる。

ひとに希望を与え勇気を与え生きる力にもなり得るのだ。


「めいさん」私はどうしても白井さんとは呼べなくて

ネット空間で知り合った頃はまだ無名だっためいさんが

こんなに立派に大きく羽ばたいたことを誇りに思う。


めいさんの足元にも及ばないちっぽけな私だけれど

ささやかな言葉を誰かの心に残せるような人になりたいものだ。



2019年06月25日(火) ゆったりと時間が流れる

爽やかな青空も今日までのようだ。

明日からしばらくは雨の予報。やっと梅雨に入りそう。



今日も笑顔で仕事。お客さんは二人だけだったけれど

二人も来てくれたのだとありがたく嬉しく思う。

ゆったりと時間が流れる。これくらいがちょうどいい。



帰り道のショッピングセンターで弟にお中元を。

来月の誕生日に着くようにビールを頼んだ。

毎年楽しみにしてくれているのでお姉ちゃんも嬉しい。

還暦を迎える弟がいつまでも可愛くてならない。


ふと遠い昔の家族のことを思い出すことがある。

父がいて母がいて弟がいた。それが当たり前のように思っていた頃。

ある日突然に家族がばらばらになるなんて思ってもいなかった。




帰宅したらお休みだった娘が洗濯物をたたんでくれていた。

やがてめいちゃんもあやちゃんも帰って来る。

二人ともすっかり小麦色になってなんとも微笑ましい。


私はこんなにも家族に恵まれている。

今日も暮れようとしている空にありがとうございました。



2019年06月24日(月) 笑う門には福来る

爽やかな晴天と喜んでばかりもいられない。

梅雨入りの遅れは観測史上初の記録になったそうだ。

農作物の生育にも少なからず影響が出始めたらしい。


今週こそは梅雨入りをと願わずにいられない事態になった。



月曜日の職場。やっと少し活気が出てくる。

「笑う門には福来る」って言うしなあと

タイムカードを押しながらにっこりと微笑んでみる。

そうしたらさっそくにお客さんが来てくれてびっくり。

笑顔には不思議なチカラがあるようだった。

ため息ばかりをついていたら福の神様が逃げてしまう。


同僚も嬉しそうに仕事をしていた。私も嬉しくてならない。


明日はあしたの風が吹くだろう。

とにかく笑顔を絶やさずにいよう。きっといい日になる。



2019年06月23日(日) 今日の涙を忘れない

曇り日。気温もさほど上がらず過ごしやすい一日。


朝のうちにお大師堂へ。

先日の外国人のお遍路さんはスペイン人だったようだ。

備え付けのノートにイラスト入りで書き込んでくれていた。

解読は出来ないけれどコメントがとても嬉しく思う。

Sさんの字で「スペイン男女」と添え書きをしてあって

Sさんらしいなあと笑みがこぼれる。



お参りを終えてから母に会いに行く。

前回は孫たちが一緒だったけれど今日は一人で。

どうしたことかひどく緊張をしていた。

とにかく笑顔でと自分に言い聞かせていたけれど

母の顔を見るなり自然に笑顔になれた。

そうしてたくさんおしゃべりをする。

なんと穏やかな母の笑顔だろう。

そんな母の笑顔を見たのは初めてのような気がした。


また来るからねと約束をして部屋を出る。

「ありがとうね。ありがとうね」と母の声がこだましていた。


外に出て車に乗るなりどうしようもなく涙があふれてくる。

少女の頃に生き別れた母とやっと再会できたような気がする。

50年もの間、私と母はいったいどこを彷徨っていたのだろう。

母でもない娘でもないと見えない壁にさえぎられていたのか。

その壁がやっと今日取り払われたような気がした。


私は今日の涙を一生忘れないだろう。


お母さんもうどこにもいかないで。



2019年06月22日(土) 夏至の日のひまわり

夜明け前、はんぶんの月を仰ぐ。

ほんとうは丸いのだなとふと思う。

はんぶんを見せてそうして精一杯に光る月。

ひともそんな生き方がよいのかもしれない。



今日は娘夫婦がお休みで孫たちの心配もなく

娘が「どこかへ行って来たら」と言ってくれる。

じいちゃんに相談したらひとつ返事でうなずいてくれた。


わくわくと嬉しい朝。さてどこに行きましょうか。

行き当たりばったりも良いけれど

先日新聞に写真が載っていた土佐市のひまわり畑を見に行く事に。

早咲きのひまわりが畑一面に咲いているのだそうだ。

先日の「ゆり街道」もそうだったけれど

快く連れて行ってくれるじいちゃんがとてもありがたくてならない。


我が家から一時間半ほど、高速道路を走り思ったよりも近く感じる。

そこには思わず歓声をあげるほどの見事なひまわりが咲いていた。


青空を見あげるように微笑むひまわり。

こんなにおひさまが似合う花がほかにあるだろうか。

こころにもひまわりの花を咲かせましょう。








2019年06月21日(金) ねむの木の子守唄

曇り日、少し蒸し暑かったけれどさほど苦にはならず

吹き抜ける風のおかげで昨日よりも過ごしやすかった。


職場の庭にねむの木の花が咲き始める。

天使が羽根をやすめているような可愛らしさ。

ふと母を想う。ああ見せてあげたいなとおもう。


数年前の事、あまりに大きくなり過ぎたねむの木を

母がのこぎりで切ってしまったことがあった。

「どうして酷いことをするの」と声を荒げたことが今は懐かしい。


もうその痕跡はない。ねむの木はまたすっかり大きくなった。




仕事を早めに終わらせてもらって帰宅。

夕方、土手を歩く外国人の男女のお遍路さんの姿が窓から見えた。

お大師堂に向かっているのに違いないと思い

ふたりを見届けようと土手の道へと走って行く。


そうしたらちょうどSさんが自転車で行くのが見えて

ふたりよりも先にお大師堂に向かったようだった。

ちゃんと出迎えてくれるに違いないとほっと安堵。


水道もなく不便なお大師堂だけれど

少しでも疲れた身体を癒してほしいと願わずにいられない。


今日も「いい日」でした。ありがとうございます。


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