ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年05月04日(土) 一期一会が嬉しい

五月らしい爽やかな晴天。

北の窓を開けるとちょうど柿の木があって

鮮やかな緑が目に沁みるようにきれい。



今日も少しだけ川仕事へ。

網を叩くのに疲れ果てたじいちゃんの提案で

竹杭を抜く作業を。じいちゃんが引き抜いたのを

一本一本川の水で汚れを落とし船に載せていく。

それも潮が引き始めるとあっという間で

大潮の時は何をしても潮に追い立てられるのだった。

「大潮が良いのは潮干狩りぐらいだな」と笑い合った。

2時間ほどで限界になりまた明日と今日はもうお終い。



午後はまた何もせずにごろごろと怠惰に過ごす。

孫たちもお婿さんの実家へ遊びに行っていてなんとも静か。


4時を過ぎてやっと動く気になりお大師堂へ行ってみたら

フランス人だと言う親子のお遍路さんに会うことが出来た。

でもフランス語はまったく分からず身振り手振りでなんとか会話。

もう夕方だというのにこれから足摺に向かうのだそうだ。

「ノジュク」「アシズリトオイ」「デモイク」と言う。

昨夜泊まっていて今日はゆっくり出来たのだそうだ。

連泊をすすめたけれど「デモイク」と言ってきかない。

笑顔のナイスなとても微笑ましい父と息子だった。


そんな一期一会が嬉しい。今日は行ってみてほんとうに良かった。





娘が夕飯もご馳走になってから帰ると言うので

すっかり手抜きで夕飯の支度まで怠けることにする。


コンビニでお好み焼きとパスタを買って来て夕食。

食器洗いもしなくてよくて何て楽ちんなのだろう。



ずいぶんと日が長くなりもうすぐ7時だというのにまだ明るい。

夕焼け空を楽しみにしていたけれど残念ながら曇ってしまった。


窓を開け放して夕風に吹かれながらこれを記す。



2019年05月03日(金) あやちゃん7歳の誕生日

晴れたり曇ったり。昨日ほどの暑さはなく過ごしやすい一日。


朝のうちに川仕事を少しだけがんばる。

まだ海苔の根が落ち難く思うように捗らない。

少しでも網を軽くしたほうが作業は楽だった。

それとこの大潮で胞子が出始めるかもしれなくて

撤収作業を急ぐと海苔の種が採れなくなるのだった。

連休中に片づけてしまいたい気持ちもあるけれど

こればかりは焦っても仕方なく自然に任せようと思う。




今日はあやちゃんの7歳の誕生日。

ささやかなご馳走とケーキでみんなでお祝いする。

もう7歳なのかと感慨深い。ずいぶんと大きくなった。

一年生になってからよけいにその成長を感じている。


あやちゃんおたんじょうびおめでとう。

これからも元気で笑顔いっぱいのあやちゃんでいてね。




2019年05月02日(木) 私には私なりの生き方がある

夜明け前久しぶりに星を仰いだ。きらきらときれい。

ああ晴れているのだなとほっと嬉しい。



娘夫婦がやっとお休みで今日こそはと川仕事へ。

じいちゃんも体調が良くなりもう大丈夫と。

でももう収穫出来るような海苔はなくなっていた。

「今度こそ終わったな」とじいちゃんの一声で

すぐに撤収作業に取り掛かっていた。

網に付いている海苔の根を叩き落としてから

一枚一枚手繰り寄せては網を船に載せて行く。


8時を過ぎるともう陽射しが強くなって来て

薄っすらと汗が流れ始める。とにかく暑い。

水分補給も出来ずふたりふらふらになっていた。


もう限界と今日は少ししか撤収できなかったけれど

明日は冷たい麦茶を持って行って頑張ってみようと思う。


暑さに参ってしまったけれど久しぶりの肉体労働が

とても心地よく思えた。する仕事のあるのは本当にありがたい。



午後はまた何もせずにのんびりと過ごしていた。

「頑張り過ぎないで」「肩の力を抜いてね」と

某SNSである方が声をかけてくれたけれど

少し違和感を感じる。傍目にはそんな私に見えるのだろうか。


確かに頑張ってはいるけれどそれはやれるだけのことを。

肩の力はいつも抜いている。張り切っているつもりはなかった。


目の前の事をこつこつ。山があれば登ってみるだけのこと。


私には私なりの生き方がある。このままで良いのだと胸を張りたい。



2019年05月01日(水) いまここにありし命のありがたさ

いまここにありし命のありがたさ踏み出していく令和元年。


夜明け前にこんな歌を詠んでみた。

眠っている間に年号が代わっただけのことかもしれないけれど

なんとも清々しく新鮮な朝のように思えた。


そうしていつもと変わらない日常が始まる。

それが何よりの幸せなのではないだろうか。



今日も孫たちと過ごす予定だったけれど

急きょ娘むこのお母さんが預かってくれることになって

なんだか気が抜けたような寂しいような気分だった。

川仕事も「もう一日休もう」とじいちゃんもまだ本調子ではなく

ふたりそろってゆっくりと身体を休めることにした。


それなのになんだかそわそわと落ち着かない。

たまには家事を真面目にしてみようとエプロンをしてみるが

雨が降り始めると掃除をする気にもならなかった。

結局またごろごろ。時間が経つのがとても遅く感じる。



夕方には孫たちも帰って来て一気ににぎやかになる。

そんなにぎやかさがやっぱり私は好きだった。


家族あっての自分なのだとつくづく思う。









2019年04月30日(火) 優しい雨で良かった

曇りのちまた雨となる。ぽつぽつと静かな雨だった。

優しい雨で良かった。心まで潤すように今も降り続いている。



娘夫婦が仕事のため今日は孫たちと過ごすことに。

昨日とは打って変わってにぎやかな一日となる。


お天気が悪いので水族館に行こうかと誘えば

「きょうみがない」とあやちゃん。

それよりもゲームセンターに行きたいと言うので

じいちゃんにも付き添ってもらってみんなで行く。


小銭があらあらという間に消えて行く。

孫たちはとても楽しそうだったけれど

まるでおとなのパチンコのようなものだと思った。

お金のありがたみをまるで感じていない孫たちに

軽くお説教をしてやっと諦めてくれた。



帰宅するなり風邪気味だったじいちゃんついに発熱。

朝から安静にさせてあげていたらと悔やまれる。

さわがしい孫たちを二階に連れて行き「ドラえもん」を見る。

仲良く見ているかと思えば喧嘩。泣きわめくめいちゃん。

私には保育士さんの仕事は無理だなと苦笑いしていた。


4時前にやっと娘が帰って来てくれてお役御免となった。

「明日も頼むよ」と娘。「おっけい」と私。なんとかなるだろう。

孫守りは少し疲れるけれど孫たちと過ごせるのはとてもありがたい。



じいちゃん微熱のままお風呂へ。いつものようにビールも。

食欲もあるので大事には至らないだろうと思う。



平成が幕を閉じるまであと数時間となった。

過ぎ去った日々を思い起こすととても感慨深い。

昭和生まれの子供たちが立派に成長し親になった。

そうして可愛らしい孫を3人も授けてくれた。


痛ましい災害もとても多かったけれど

だからこそ平穏無事のありがたさを感じることが出来たのだと思う。


平成の時代に感謝しつつ清々しく令和を迎えたい。



2019年04月29日(月) たまには怠け者になるのも良い

「昭和の日」肌寒い雨の一日となる。

明日にかけてまとまった雨になりそう。

雨の少なかった春に恵みの雨になることだろう。


早朝、まだ雨の降らないうちに川仕事の予定だったけれど

じいちゃん風邪で体調が悪く急きょお休みすることに。

ずっと頑張ってきたから疲れが出てきたのだろう。

朝のうちに箱詰め作業を少ししてからゆっくりと休む。


娘夫婦は仕事だったので孫たちはお婿さんの実家へ。

孫たちがいないとなんとも静かで寂しいくらいだった。

炬燵に潜り込んでテレビを見たりごろごろと怠惰に過ごす。

時間を無駄に使っているようでもそんな時間も必要に思った。

何もしないのも良いものだ。たまには怠け者になるのも良い。



娘たちが帰って来て「今夜はたこ焼きパーティーをしようと」

あやちゃんもめいちゃんも大喜びでたこ焼きを焼く。

はふはふと美味しい。ウィンナーやチーズも入っている。

わいわいと楽しい夕食だった。娘たちのおかげである。




こうして日々のことを記しながらふと何の意味があるのだろうと

思う時もあるけれど、過去の日記を読み返すとやっぱり

書いていて良かったと懐かしく思うことが多い。


誰のためでもない自分のために書いているのだと思う。

生きている証だとかそんなだいそれたことを考えるのはもうよそう。





2019年04月28日(日) 灰汁を流そう。いまそうしなければ

今朝はまたいちだんと肌寒く

冬の忘れ物のちゃんちゃんこを羽織る。



今日も川仕事、6時にはもう陽が昇り

ずいぶんと夜明けが早くなったこと。

そんなおひさまの光を浴びながら

残っている海苔を精一杯に収穫する。

「やったらやっただけのことはあるな」とじいちゃん。

ほんとうにその通りだと思う。心地よい達成感。



午後は箱詰め作業もなくのんびりと過ごす。

ああ日曜日なのだなと思った。時間が愛しい。

庭先で花いじりをしたりそんなひと時が嬉しいと思う。

金魚草は枯れた花を千切ってあげたら

また新しい花が咲くのだった。

私もそうでありたい。どんなに枯れ果てても。

純粋な赤子のような心を持ち続けたいものだ。

灰汁を流そう。いまそうしなければ手遅れになる。



二週間ぶりにお大師堂へ。

ご無沙汰を詫びながらゆっくりと手を合わす。

帰り際にSさんが干してくれていた絨毯を取り入れていたら

お堂の入り口に吊るしてある鈴の木の部分に頭をぶつけてしまった。

それが思いがけずに固く目から火が出るように痛い思いをする。

その木の部分には寄贈した人達の名前が記してあって

亡き姑さんの名もあった。あまりにも足を遠のけてしまっていたので

姑さんに諭されたような気がする。今日の痛みを忘れてはいけない。


忙しさのせいにしてなんと疎かにしていたことだろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加