少しひんやりの朝。ちゃんちゃんこがあたたかい。
冬の忘れ物はなんだろう。はやく見つかるといいな。
じいちゃんと相談のうえ、やはり数日間川仕事を休むことに。
姑さんの一周忌が無事に終わったらまた再開しようと決める。
ラストスパート前の休養も大切ではないかと思ったり。
あやちゃん今朝も元気に登校。路地を曲がるまで見送る。
まるでランドセルが歩いているような後ろ姿も微笑ましくて。
めいちゃんを保育園に送り届けてから山里の職場に向かった。
昨日から機嫌の悪い義父に「私が行こうか」と声をかけてみたら
よけいに機嫌を損ねてしまって「自分が行くからいい!」と怒られる。
母のことをすべて押し付けてしまっていて心苦しさが募るばかり。
だからと言って今更何が出来ようか。少し開き直る自分もいた。
そんな複雑な気持ちも忘れるくらいに仕事が忙しかった。
それがとてもありがたくてならない。
遅い帰宅になったけれど笑顔の孫たちに癒される。
あやちゃんのリクエストでポテトサラダを作った。
娘はハンバーグを作ってくれる。どちらも美味しくっておなかいっぱい。
桜。染井吉野ではない桜。
今日は仕事の合間に写真を撮ることが出来て良かった。
| 2019年04月10日(水) |
ぎゅっと抱きしめたくなる |
とうとう花散らしの雨。風も強く吹き荒れて
桜(染井吉野)はすっかり葉桜になってしまった。
でも遅咲きの違う種類の桜はまだ咲き誇っていて
雨風に打たれながらも健気に咲いている姿に心が和む。
春の嵐のような朝、あやちゃんが元気に登校して行く。
集団登校とは言えはらはらと心配でならない。
「最初の試練だな」とじいちゃんは笑っていたけれど。
めいちゃんと保育園に向かったら学校の教室から
あやちゃんがにこにこしながら手を振っていた。
ほっと嬉しい。めいちゃんと一緒に手を振り返す。
雨蛙さんがぴょんぴょんと跳ねていた。めいちゃんも蛙さんみたい。
川仕事はお休みでそのまま山里の職場に向かう。
義父から母が明日転院が決まった報せ。
義父の代わりに病院へ行って欲しいと頼まれたけれど
はっきりと断った。どうしてもそんな気持ちになれない。
義父の機嫌を損ねてしまってとても複雑な気持ちになる。
早目に仕事を終えて帰宅するなりじいちゃんに相談したら
それで良かったのだと私の気持ちを汲んでくれてとてもほっとする。
かかわらないと決めた以上はそれを貫くべきだと彼は言う。
今までも何度かそんなことがあってそのたびに嫌な思いをしてきた。
暴言を吐き散らす母。義父からも責められたことを思い出す。
もう二度とそんな思いをするのはどうしても嫌だった。
「ただいまぁ」元気な声がしてあやちゃんが帰って来る。
そうして寝転んでいる私に馬乗りになってスキンシップ。
じいちゃんの肩にしがみついて甘える姿がなんとも愛しい。
家族みんなが揃っている時には決して甘えないあやちゃんだった。
甘えるのはいつもめいちゃんできっと我慢しているのだろう。
それがわかるだけによけいに愛しい。ぎゅっと抱きしめたくなる。
| 2019年04月09日(火) |
なんとかなってくれるものだな |
黄砂なのだろうか、春霞のような空。
爽やかな風にやわらかな陽射しがふりそそぐ。
あやちゃん初めての通学日。
いつもより早起きをして朝ごはんもしっかりと。
地域の上級生たちと集団登校をするので
お向かいの男の子が「おはよう」と迎えに来てくれる。
幼馴染でつい最近まで仲良く遊んでいたけれど
3年生にもなると少し照れくさいようで微笑ましい姿だった。
今朝のめいちゃんはおりこうさん。「おばあちゃんといく」と
お姉ちゃんに負けないように準備をして元気に登園する。
潮待ちをして川仕事の予定だったけれど
じいちゃんの計らいで急きょ山里の職場に行けることになった。
「俺ひとりで行くから」となんと助かることだろう。
昨夜わたしが少し気落ちしていたのを察してくれていたのだろう。
おかげで昨日やり残していた仕事を片付けることが出来た。
午前中で仕事を終えて急いで作業場まで帰って来た。
すごい、じいちゃん一人なのにたくさん収穫してきている。
「やったね、がんばったね」とせっせと天日干しの作業。
午後は箱詰め作業もなく久しぶりにゆっくりと休む。
うたた寝が気持ち良い至福のひと時だった。
あれこれと考えながらなんとかなるだろうと思っていれば
なんとかなってくれるものだな。今日はつくづくとそう感じた。
| 2019年04月08日(月) |
だいじょうぶまだ歩ける |
今日も25℃近くなりとても暖かだったけれど
風が強く吹きとうとう桜が散り始めてしまった。
なんとも儚いけれど桜吹雪も良いものだ。
まるで雪のように花びらが空を舞う。
今日はあやちゃんの入学式。
今朝は赤いランドセルを背負って見せてくれた。
わくわくと嬉しい事だろう。おばあちゃんも嬉しい。
入学式にも行きたかったけれどさすがに
おばあちゃんまで行く人はいないと娘に笑われる。
めいちゃんも一緒に行きたかったのか今朝はご機嫌ななめ。
なんとか宥めて保育園まで送って行ったけれど
保育室に入りたがらず私の手をぎゅっと握りしめる。
担任の保育士さんがまるで赤ちゃんみたいに抱っこしてくれた。
ずっとお姉ちゃんと一緒だったから無理もない。
少しずつ慣れながら成長していくことだろう。
その足で作業場まで。潮待ちをしている間にまた箱詰め作業を。
ついに目標達成か、明日からしばらく休もうかとじいちゃん。
川仕事を終えてから山里の職場へと走り
明日で良い事は残しておいて早めに帰って来たら
「休めなくなったぞ」とじいちゃんが寝耳に水のようなこと。
漁場の見回りに行っていたらもう三番海苔が伸びていたらしい。
それを聞くとやっぱり収穫しないわけにはいかなかった。
三番海苔が採れるのはめったにないことでそれは嬉しい恵みだった。
かと言って職場の仕事を疎かには出来ず明日も行かなければいけない。
なんともいっぱいいっぱいの気持ちになって少し気分が沈む。
やれば出来るのか。そうだ、やってみなくては始まらない。
二足の草鞋の片一方の緒が切れそうになっているのを
ぎゅっと結び直す。だいじょうぶまだ歩ける。明日もがんばろう。
| 2019年04月07日(日) |
はっけよいのこったのきもち |
今日もほぼ夏日だったようだ。
それにしても数日前までの寒さが嘘のように思える。
また寒い日があるかもしれないと思いつつ衣替えを急ぐ。
今日は娘夫婦が日曜出勤。さて孫たちをどうしようかと
思案の末、仕方なく義妹に預かってもらうことに。
快く引き受けてくれたけれどなんだか申し訳なくて
川仕事を早めに切り上げて急いで帰って来た。
お昼は田舎寿司を買って来て作業場でまたピクニック。
お家で食べるよりもずっと美味しい。
はしゃぎまわる孫たちを見ながら天日干しの作業だった。
ちょうどその時、娘むこが仕事を終えて帰って来てくれる。
大喜びの孫たち。私たちもほっとして大助かりだった。
おかげで午後は箱詰め作業をすることが出来て良かった。
箱の数がもう少しで目標に達する。もうひとふんばりだ。
一週間後には姑さんの一周忌を控えていてその準備もあり
目標を達成したら少し休もうかとじいちゃんが言ってくれる。
山里の職場はそうそう休めないけれどなんとかなるだろう。
一周忌の法要が無事に終ればまた頑張れば良い。
ひとつひとつ目の前の事をクリアしていく。
それも張り合いがあってそんな日々も楽しいものだなと思う。
はっけよいのこったのきもち。よっしかかってこいのきもち。
| 2019年04月06日(土) |
ほどよいつかれを楽しみながら |
気温がぐんぐんと高くなり春を通り越して初夏のような陽気となる。
たっぷりの陽射しに寄り添うように爽やかな風が吹いていた。
川仕事は今期でいちばん多い収穫となる。
川船に積んであるカゴに入りきらずてんこ盛りにして帰った。
良質の海苔がたくさん、ほんとうにありがたいことだ。
後の作業が大変だったけれど、お休みだった娘が手伝いに来てくれて
ずいぶんと助かった。せっせと天日干し、海苔も嬉しそう。
お昼にはめいちゃんも保育園から帰って来て
作業場でピクニックをする。楽しそうな孫たちの姿に微笑みながら
やっと作業が終了。なんとも心地よい達成感だった。
午後も箱詰め作業があり休む間もない忙しさだったけれど
じいちゃんとふたり「つかれた、つかれた」と言いながらも頑張る。
やったらやっただけのことがある。それがふたりの口癖になる。
夜風が涼しいと感じる。それだけ今日は暑かったのだろう。
お風呂上がりの孫たちが半袖のパジャマを着ていた。
あとは寝るだけ。ほどよいつかれを楽しみながらこれを記す。
| 2019年04月05日(金) |
「いい日」はいつも自分次第です |
二十四節気の「清明」なんとも爽やかな晴天となる。
吹く風も心地よく身も心もむくむくっとしてくる。
大潮になり早朝が満潮。潮が引き始めるのを待ちかねて
やっと8時過ぎに川へ入れる。ぐんぐんと潮が引いて行くので
水があるうちにとせっせと収穫に精を出した。
薄っすらと汗が。今日はずいぶんと暖かくなる。
良質の海苔がたくさん採れたのでご近所さんにお裾分けも。
いつもあれこれ頂くばかりなのでやっとお返しが出来てほっとする。
午後は山里の職場を休ませてもらって箱詰め作業に専念する。
次の出荷日が決まったので一箱でも多くと精が出る。
また私の捕らぬ狸の皮算用が始まったとじいちゃんに笑われたり。
やったらやっただけのことはあるのだと思う。
努力はきっと報われると信じてやれるだけのことを頑張ろう。
心地良い達成感。今日も「いい日」だったなあと心から思える。
いい日になりますようにと言う人もいるけれど
私はそれはいつも自分次第なのではと思う。
どんなこともありがたく受け止められる自分でいれば
いつだって「いい日」なのではないだろうか。
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