ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年01月21日(月) 白梅のせつなき胸に青き空

夜明け前、少し西に傾き始めた月を見あげる。

煌々と輝きなんとうつくしいのだろう。

寒さも和らいでいてしばし見入っていた。

ふと自分にはそんな時間がひつように思う。



孫たちを送り届けて山里の職場に向かう山道で

ラジオから懐かしい「あずさ2号」が流れて来た。

聴きながら口ずさみながらなぜか胸が熱くなり

どうしたことか涙がほろほろとこぼれる。

このせつなさは何だろうと自分でも不思議だった。


あるひとの顔が浮かぶ。3年前に亡くなってしまったけれど

お葬式に行かなかった。お線香のひとつもあげられないまま

私はいまだにその死を受け止められずにいる。




仕事はとても忙しかったけれど心には余裕を持ちたい。

心を亡くしたり荒らしたりしてはいけないと自分に言い聞かす。


郵便局に行ったついでに少し遠回りをして梅の花を見に行った。

とてもきれいに咲いているよと教えてくれた人がいてくれて

真っ青な空に純白の梅の花を映してみたかった。

つかの間のことだったけれどとても心が和みほっとする。





2019年01月20日(日) うさぎさんがおもちつきしてるね

二十四節気の「大寒」さほど冷え込みもせず雨のち晴れる。

午後は風が強くなり北風小僧が走り回っているようだった。

「立春」の声を聞くまでは雪のちらつく日もあることだろう。



午前中は地区の初会があってじいちゃんが行ってくれる。

私は買物に行ったりコインランドリーへ行ったり。


母が入院して一週間。気にはなっていたけれど行かず仕舞い。

義父が様子を見に行ってくれていたそうで連絡があった。

そろそろ退院ではと安気に考えていたけれど

まだ腰の痛みが取れず自力では歩けないのだそうだ。

ただの打撲にしてはおかしいと義父も心配していた。

もう一度よく調べてもらった方が良いのかもしれない。

義父が積極的に動いてくれるのでずいぶんと心強いのだけれど。




夕方、降り注ぐ夕陽を浴びながら孫たちが散歩に出掛けたので

私も少しだけ歩いてみる。ゆっくりと歩けば足の痛みも気にならず。

三日坊主になるかもしれないけれど毎日歩くように心がけたい。



夕食時、窓からきれいな月がぽっかりと見えた。

孫たちが喜んで窓を開けて「うさぎさんがおもちつきしてるね」って

みんなでしばしお月見をして笑顔で穏かな夕暮れ時のこと。







2019年01月19日(土) 80歳でもきっとだいじょうぶ

少し風があったけれど今日も冬晴れの真っ青な空。

午前中にてくてくと歩いてお大師堂まで。

もうSさんが来てくれていたのか窓を開け広げて

絨毯や座布団を外に干してくれていた。

ああ気持ちが良いなあと清々しい気持ちになる。


ゆっくりと手を合わせて穏やかな朝に感謝する。

お供えのお菓子とお線香を補充してからの帰り道。

川辺の道をゆっくりと歩いて空を仰ぎ、川を眺め

すっかり葉を落とした木々が好きだなあとおもう。


大橋のたもとまで歩きたかったけれど足が痛くなり断念。

悔しいくらいに足腰が弱ってしまってそれも仕方なくって。

これでは歩き遍路も無理だなあと夢を諦めかける自分がいた。

でも決してお遍路を諦めたのではない。バス遍路だって良いのだ。

70歳を越えてからも行ける。80歳でもきっとだいじょうぶ。



お昼前に孫たちを迎えに行って午後は一緒に遊ぶつもりだったけれど

例のごとくでほったらかして炬燵でうたた寝をしていた。

なんと3時間も寝ていたらしくじいちゃんもすっかり呆れ顔。

いつの間にか娘も帰って来ていてなんと怠け者のおばあちゃんでしょう。



今夜は久しぶりにめいちゃんとお風呂。とても楽しかった。

お乳をむぎゅっとされて痛かったけれどいっぱい笑った。





2019年01月18日(金) 陽だまりの猫日和

朝の冷え込みもつかの間のこと。雲一つない青空に恵まれ

日中はぽかぽかと暖かくなった。まるで陽だまりの猫日和。


仕事でお客さんの家を訪ねたら、お布団をたくさん干していて

ああいいなあって思う。ぬくぬくのお布団で寝てみたいものだ。

おひさまのにおいにつつまれてぐっすりと眠れることだろう。



少し残業になり帰宅する。じいちゃんが洗濯物を取り入れてくれていた。

孫たちの可愛いいのをたたむのが好き。自然と笑みがこぼれてくる。


娘も遅くなる日で孫たちは延長保育をお願いしていた。

夕食の支度が出来て6時前になりやっと帰って来る。

お刺身大好きのめいちゃんのそれは美味しそうに食べること。

わいわいと賑やかな夕食。家族団らんを絵に描いたようだった。


娘たちが帰る前にじいちゃんと話していたこと。

ふたりっきりだったら毎晩何を食べていたのだろうねって。

「刺身はないな」とじいちゃんとうなずきながら笑い合った。


夕焼け空も見ないうちにあっという間に日が暮れる。

穏かな一日を今日もありがとうございました。





2019年01月17日(木) なんとしても守りたいこと

朝食前に黙祷を。人として出来ることをとおもう朝。

阪神淡路大震災から24年目の朝のこと。


何も知らない孫たちのあどけない笑顔を見ていると

なんとしても守りたいことでこころはあふれるばかりだった。



「おばあちゃんいくよ」今朝も待ちかねているあやちゃん。

「めいもいく」と大急ぎで服を着るめいちゃん。

寒い朝だったけれど今朝も元気いっぱいのふたりだった。

さあおばあちゃんも行きましょうと私も山里の職場に向かう。



仕事は小休止でさほど忙しくもなく時間が流れる。

同僚ものんびりモードでたまにはこんな日もあってよし。

今日しかないかなと私のミライースの車検整備をしてもらった。


午後、母から電話があるかなと思っていたけれど

今日はなし。特に変わったこともなかったのだろう。

昨夜の日記の最後に50年も昔の事を書いてしまって後悔していた。

心の片隅でまだ母を責め続けている自分がいるのかと自問自答する。


亡き父の遺影に語り掛けるように「ゆるしてあげようね」と手を合わす。



2019年01月16日(水) 福の神さんになりたい

風が少し冷たかったけれどそんな冬らしさが好きだなと思う。

娘がお休みだったので洗濯物を干しておいてくれるとのこと。

ほっと楽な朝。残り物を詰め合わせて自分用のお弁当を作る。


孫たちは風の子。めいちゃんはジャンバーも羽織らずに薄着で

今朝もふたり仲良く車に乗って元気に保育園へ行った。


保育園ではもう節分の準備を始めているようで

「鬼さん」や「福の神さん」やとても楽しそう。

その福の神さんの役目を私にとちらっと話が出ていたようだけど

今年は他の人に決まったようで来年こそはと伝言があった。


ふっくらと太っていていつもにこにこしているかなと思ったり

福の神さんだなんて光栄なこと。気が早いけれど来年がとても楽しみ。




仕事中に免許センターから電話あって、先日の母の認知症再検査は

やはり不合格だったとのこと。今後の事いっさいを義父に任せる。

私は関わらずにいたほうが良いようだ。なるようになるだろうと。


母は今日も機嫌よく電話をかけてきて、とにかく食事が美味しいと。

車椅子でトイレにも行けたと嬉しそうに話していた。

自力で歩けるようになればすぐに退院になることだろう。


本音を言えば一日でもながく病院にいて欲しい。

そのほうがどれほど安心なことか。やはり私は薄情なのだろう。


こころでどんなに切り離そうとしても血の繋がりは決して切れない。

私と弟は50年前に捨てられた子供だったというのに。



2019年01月15日(火) 顔がしわくちゃになるくらいの笑顔

朝のうちぽつぽつと雨が降っていたけれど

ほんのお湿り程度ですぐに青空が見え始めていた。

風もなくぽかぽかと暖かい。とても真冬とは思えないほど。


連休明けでどうかなと思っていたけれど

めいちゃんとても機嫌が良くふたり仲良く保育園へ。

ちびっ子パワーをいただき私も元気に山里の職場へ向かう。


朝一の急ぎの仕事があったけれど順調に片付きほっと安堵。

同僚と納車に行ったお得意先でまた車検の予約を頂いた。

気がつけば顔がしわくちゃになるくらい笑顔になっていて

お客様も満面の笑顔。あらためて笑顔の大切さを感じる。




午後から義父が母の病院へ行ってくれた。

昼食がビーフカレーだったらしく大きな牛肉が入っていたそう。

母はそれがとても美味しくて嬉しかったようだ。

すぐに退院が決まるかもしれないけれど、楽しみもあって良かった。


先の事を考えるよりも今日の事を今の事を大切にしなければいけない。




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