ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年01月17日(木) なんとしても守りたいこと

朝食前に黙祷を。人として出来ることをとおもう朝。

阪神淡路大震災から24年目の朝のこと。


何も知らない孫たちのあどけない笑顔を見ていると

なんとしても守りたいことでこころはあふれるばかりだった。



「おばあちゃんいくよ」今朝も待ちかねているあやちゃん。

「めいもいく」と大急ぎで服を着るめいちゃん。

寒い朝だったけれど今朝も元気いっぱいのふたりだった。

さあおばあちゃんも行きましょうと私も山里の職場に向かう。



仕事は小休止でさほど忙しくもなく時間が流れる。

同僚ものんびりモードでたまにはこんな日もあってよし。

今日しかないかなと私のミライースの車検整備をしてもらった。


午後、母から電話があるかなと思っていたけれど

今日はなし。特に変わったこともなかったのだろう。

昨夜の日記の最後に50年も昔の事を書いてしまって後悔していた。

心の片隅でまだ母を責め続けている自分がいるのかと自問自答する。


亡き父の遺影に語り掛けるように「ゆるしてあげようね」と手を合わす。



2019年01月16日(水) 福の神さんになりたい

風が少し冷たかったけれどそんな冬らしさが好きだなと思う。

娘がお休みだったので洗濯物を干しておいてくれるとのこと。

ほっと楽な朝。残り物を詰め合わせて自分用のお弁当を作る。


孫たちは風の子。めいちゃんはジャンバーも羽織らずに薄着で

今朝もふたり仲良く車に乗って元気に保育園へ行った。


保育園ではもう節分の準備を始めているようで

「鬼さん」や「福の神さん」やとても楽しそう。

その福の神さんの役目を私にとちらっと話が出ていたようだけど

今年は他の人に決まったようで来年こそはと伝言があった。


ふっくらと太っていていつもにこにこしているかなと思ったり

福の神さんだなんて光栄なこと。気が早いけれど来年がとても楽しみ。




仕事中に免許センターから電話あって、先日の母の認知症再検査は

やはり不合格だったとのこと。今後の事いっさいを義父に任せる。

私は関わらずにいたほうが良いようだ。なるようになるだろうと。


母は今日も機嫌よく電話をかけてきて、とにかく食事が美味しいと。

車椅子でトイレにも行けたと嬉しそうに話していた。

自力で歩けるようになればすぐに退院になることだろう。


本音を言えば一日でもながく病院にいて欲しい。

そのほうがどれほど安心なことか。やはり私は薄情なのだろう。


こころでどんなに切り離そうとしても血の繋がりは決して切れない。

私と弟は50年前に捨てられた子供だったというのに。



2019年01月15日(火) 顔がしわくちゃになるくらいの笑顔

朝のうちぽつぽつと雨が降っていたけれど

ほんのお湿り程度ですぐに青空が見え始めていた。

風もなくぽかぽかと暖かい。とても真冬とは思えないほど。


連休明けでどうかなと思っていたけれど

めいちゃんとても機嫌が良くふたり仲良く保育園へ。

ちびっ子パワーをいただき私も元気に山里の職場へ向かう。


朝一の急ぎの仕事があったけれど順調に片付きほっと安堵。

同僚と納車に行ったお得意先でまた車検の予約を頂いた。

気がつけば顔がしわくちゃになるくらい笑顔になっていて

お客様も満面の笑顔。あらためて笑顔の大切さを感じる。




午後から義父が母の病院へ行ってくれた。

昼食がビーフカレーだったらしく大きな牛肉が入っていたそう。

母はそれがとても美味しくて嬉しかったようだ。

すぐに退院が決まるかもしれないけれど、楽しみもあって良かった。


先の事を考えるよりも今日の事を今の事を大切にしなければいけない。





2019年01月14日(月) 母は温泉が大好きだから

お天気も良く日中は暖かくなりそうだったので

娘と孫たちとどこかに出かけようかねと話していた朝のこと。


愛媛県の南宇和県立病院と言うところから突然の電話。

昨夜母が救急搬送され入院している知らせだった。

愛南町に「一本松温泉」という母のお気に入りの温泉があって

昨夜も出掛けていて入浴後にロビーで転倒したらしい。


とにかく行かなくちゃ。義父にも連絡をして大急ぎで家を出る。

じいちゃんが一緒に行ってくれてとても助かった。


母は幸い骨折はしておらず打撲のみでしばらく安静が必要とのこと。

大事に至らなくて良かったと思うしかない。


入院の手続きなどはあえて義父に任せる。

別居はしていてもたった一人の家族ではないかと改めて思った。


退院後の母のことも考えながらどうしても複雑な気持ちになるけれど

なるようになる。きっとなんとかなるだろうと思うことにした。



帰宅途中に遅い昼食。ラーメンセットを美味しいねえと

じいちゃんと向かい合って微笑みながら食べた。



2019年01月13日(日) 友と呼ぶよりも同志なのだろう

風がことこと窓をたたく。雨ではなくて星が降っていた。

夜明け前の風にふれてみる。それは思いがけなくあたたかい。

大寒を前にして冬はいったいどこに隠れてしまったのだろう。


軽く朝食。今日は久しぶりに友と会う約束をしていて

隣町のホテルでモーニングセットを食べながら語り合うことに。

話したいことがたくさんあったけれどまずは友の話を聞きたい。

定年退職後の彼女はとても生き生きとしていて魅力的だった。

会うたびに刺激をもらうのがとても楽しみでもある。

わくわくとするきもち。それはとても言葉では言い尽くせない。


旅の話。写真の話。文芸活動の話。それは私とはかけ離れていて

ただ日々をこうしてささやかに書き続けている自分には誇りを持てる。

だからと言って決して競い合う気持ちはない。私は「わたし」だもの。


それぞれの人生。それぞれの生き方があるものだとつくづく思った。

それを「どう生きるか」それは私達にとっての大切な課題だと思う。


友と呼ぶよりも「同志」なのだろうとあらためて感じたことだった。


書くことは生きること。そう言ったのは誰だったのか。

その言葉をそのままにいただき今日も生きていました。



2019年01月12日(土) 雨だれの音が耳に心地よく響く

目覚めたら静かに雨が降っていた。懐かしいほどの雨音。

ぽっとんぽっとん雨だれの音が耳に心地よく響く。

気がつけば自分の息さえも雨だれになっていた。

知らず知らずのうちにこころが渇いていたのかもしれない。



娘夫婦が仕事のため私は三連休をいただいていた。

のんびりの朝だったけれどいつもの時間に孫たちを保育園へ。

今朝は上機嫌のめいちゃん。ふたり仲良く車に乗り込む。

可愛らしい長靴と傘の花。雨を楽しむように門をくぐるふたり。


土曜日は3時間ほどですぐにお迎えの時間だった。

帰るなり二階の部屋へ駆け上がる孫たち。

「おばあちゃんはこなくていい」と言うのでふたりだけで遊ばす。

気になって時々様子を見に行ったけれど喧嘩もせずに仲良く遊んでいた。


おかげでじいちゃんと録画してあったドラマを見て過ごす。

あの世界的な名作「レ、ミゼラブル」の日本版かつ現代版で

涙するほど感動的なドラマだった。こころにいつまでも残ることだろう。




夕方近くに母から電話があった。

「昨日はほんとにありがとう」となんだか照れ臭くなるような。

日頃の親不孝が一気に報われたような気がしてとても嬉しかった。

しばし穏やかに語り合う。母の声はとても弾んで楽しそうだった。



2019年01月11日(金) 優しい顔には微笑みが返って来る

お天気が下り坂のせいだろうか少し寒気が緩む。

朝から暖かいのはありがたいことだけれど

やはり真冬らしい寒さの方がなぜか落ち着く。


今朝はめいちゃんがご機嫌ななめでやけを言って泣いてばかり。

「もうおいていくよ」あやちゃんがいかにもお姉ちゃんらしくて

玄関で泣いているめいちゃんをおいて先に保育園へ向かった。


春からはもう一年生になるあやちゃん。

めいちゃんは年中組になる。ぐんと成長したふたりを見るのが楽しみ。




仕事はさほど忙しくはなかったけれど、母から電話があって

急きょまた母のアパートへ駆けつけていた。

今日は掛かりつけの病院の通院日だったのだけれど

お財布が見つからないと言う。中には保険証や診察券が入っていて

すぐに見つかったけれどお財布には小銭しか入っていなかった。


病院も自分で運転して行くと言って聞かない。

仕方なく今日も母の車の後にくっつくようにして出掛ける。

やはり運転はとてもしっかりとしていて安心して後をついて行けた。


病院の相談員さんがとても親身になってくれてありがたい。

今日も母の診察に付き添ってくれると言ってくれて助かった。

認知症の事も医師に話してくれるとの事。すっかり甘えさせてもらう。


本来なら娘の私がするべきことなのだろう。

わかっているけれどついつい頼ってしまう自分がいた。

だからと言って自分を責めるのはよそう。


今日は穏やかでにこにことしていた母。「ありがとうね」と

言ってくれてとても嬉しかった。

私もきっと優しい顔をしていたのだろう。


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