| 2019年01月14日(月) |
母は温泉が大好きだから |
お天気も良く日中は暖かくなりそうだったので
娘と孫たちとどこかに出かけようかねと話していた朝のこと。
愛媛県の南宇和県立病院と言うところから突然の電話。
昨夜母が救急搬送され入院している知らせだった。
愛南町に「一本松温泉」という母のお気に入りの温泉があって
昨夜も出掛けていて入浴後にロビーで転倒したらしい。
とにかく行かなくちゃ。義父にも連絡をして大急ぎで家を出る。
じいちゃんが一緒に行ってくれてとても助かった。
母は幸い骨折はしておらず打撲のみでしばらく安静が必要とのこと。
大事に至らなくて良かったと思うしかない。
入院の手続きなどはあえて義父に任せる。
別居はしていてもたった一人の家族ではないかと改めて思った。
退院後の母のことも考えながらどうしても複雑な気持ちになるけれど
なるようになる。きっとなんとかなるだろうと思うことにした。
帰宅途中に遅い昼食。ラーメンセットを美味しいねえと
じいちゃんと向かい合って微笑みながら食べた。
| 2019年01月13日(日) |
友と呼ぶよりも同志なのだろう |
風がことこと窓をたたく。雨ではなくて星が降っていた。
夜明け前の風にふれてみる。それは思いがけなくあたたかい。
大寒を前にして冬はいったいどこに隠れてしまったのだろう。
軽く朝食。今日は久しぶりに友と会う約束をしていて
隣町のホテルでモーニングセットを食べながら語り合うことに。
話したいことがたくさんあったけれどまずは友の話を聞きたい。
定年退職後の彼女はとても生き生きとしていて魅力的だった。
会うたびに刺激をもらうのがとても楽しみでもある。
わくわくとするきもち。それはとても言葉では言い尽くせない。
旅の話。写真の話。文芸活動の話。それは私とはかけ離れていて
ただ日々をこうしてささやかに書き続けている自分には誇りを持てる。
だからと言って決して競い合う気持ちはない。私は「わたし」だもの。
それぞれの人生。それぞれの生き方があるものだとつくづく思った。
それを「どう生きるか」それは私達にとっての大切な課題だと思う。
友と呼ぶよりも「同志」なのだろうとあらためて感じたことだった。
書くことは生きること。そう言ったのは誰だったのか。
その言葉をそのままにいただき今日も生きていました。
| 2019年01月12日(土) |
雨だれの音が耳に心地よく響く |
目覚めたら静かに雨が降っていた。懐かしいほどの雨音。
ぽっとんぽっとん雨だれの音が耳に心地よく響く。
気がつけば自分の息さえも雨だれになっていた。
知らず知らずのうちにこころが渇いていたのかもしれない。
娘夫婦が仕事のため私は三連休をいただいていた。
のんびりの朝だったけれどいつもの時間に孫たちを保育園へ。
今朝は上機嫌のめいちゃん。ふたり仲良く車に乗り込む。
可愛らしい長靴と傘の花。雨を楽しむように門をくぐるふたり。
土曜日は3時間ほどですぐにお迎えの時間だった。
帰るなり二階の部屋へ駆け上がる孫たち。
「おばあちゃんはこなくていい」と言うのでふたりだけで遊ばす。
気になって時々様子を見に行ったけれど喧嘩もせずに仲良く遊んでいた。
おかげでじいちゃんと録画してあったドラマを見て過ごす。
あの世界的な名作「レ、ミゼラブル」の日本版かつ現代版で
涙するほど感動的なドラマだった。こころにいつまでも残ることだろう。
夕方近くに母から電話があった。
「昨日はほんとにありがとう」となんだか照れ臭くなるような。
日頃の親不孝が一気に報われたような気がしてとても嬉しかった。
しばし穏やかに語り合う。母の声はとても弾んで楽しそうだった。
| 2019年01月11日(金) |
優しい顔には微笑みが返って来る |
お天気が下り坂のせいだろうか少し寒気が緩む。
朝から暖かいのはありがたいことだけれど
やはり真冬らしい寒さの方がなぜか落ち着く。
今朝はめいちゃんがご機嫌ななめでやけを言って泣いてばかり。
「もうおいていくよ」あやちゃんがいかにもお姉ちゃんらしくて
玄関で泣いているめいちゃんをおいて先に保育園へ向かった。
春からはもう一年生になるあやちゃん。
めいちゃんは年中組になる。ぐんと成長したふたりを見るのが楽しみ。
仕事はさほど忙しくはなかったけれど、母から電話があって
急きょまた母のアパートへ駆けつけていた。
今日は掛かりつけの病院の通院日だったのだけれど
お財布が見つからないと言う。中には保険証や診察券が入っていて
すぐに見つかったけれどお財布には小銭しか入っていなかった。
病院も自分で運転して行くと言って聞かない。
仕方なく今日も母の車の後にくっつくようにして出掛ける。
やはり運転はとてもしっかりとしていて安心して後をついて行けた。
病院の相談員さんがとても親身になってくれてありがたい。
今日も母の診察に付き添ってくれると言ってくれて助かった。
認知症の事も医師に話してくれるとの事。すっかり甘えさせてもらう。
本来なら娘の私がするべきことなのだろう。
わかっているけれどついつい頼ってしまう自分がいた。
だからと言って自分を責めるのはよそう。
今日は穏やかでにこにことしていた母。「ありがとうね」と
言ってくれてとても嬉しかった。
私もきっと優しい顔をしていたのだろう。
| 2019年01月10日(木) |
40年目の結婚記念日 |
氷点下にこそならなかったけれどしんしんと冷え込む朝。
そんな寒さにもすっかり慣れてしまって暖を取るたのしみがある。
いつものように孫たちを送り届けて山道を走っていたら
ラジオから「1月も10日になりましたね」と聴こえて来て
はっと閃くように思い出した。今日は結婚記念日だったのだ。
12月の私の誕生日に入籍をしていたので挙式の日の事など
もう何年も思い出すことがなかった。じいちゃんもきっと
忘れていることだろう。もう40年目の結婚記念日だった。
走馬灯のように過ぎ去った日々を懐かしく思い出した朝のこと。
仕事を終えていつもの病院へ。お薬だけ処方してもらう。
変わったことは何もない。ただ体重が増え続けているだけ。
でも元気だから良いさと思う。嘆くことなど何一つなかった。
お薬に頼りながらだけれどこれからも元気でいようと改めて思う。
今日は娘がお休みだったのでずいぶんと助かる。
夕飯の支度も手際よく手伝ってくれて今夜もみんなの美味しい顔。
早目にお風呂にも入れてのほほんとしながらこれを記す。
| 2019年01月09日(水) |
梅の花が咲き始めましたよ |
寒の内らしい冷え込み。ひゅるひゅると北風の吹く夜明け前。
体内時計さんが少しお寝坊をしてアラームさんに起こしてもらう。
寝過ぎるぐらい寝ているのだけれどつかれが出始めたのだろうか。
自覚症状はまったくないというのに身体はとても正直なもの。
まあこんなもんでしょう。今日もそうして一日が始まる。
いつものように保育園へ向かう朝。孫たちのなんと元気なこと。
ちびっこパワーはほんとうにありがたく今日もおすそわけ。
山道の人里離れた所にぽつんと梅の木があってもう花が。
あたりの木々にまるで守られているように咲いていてこころが和む。
今日は母の認知症検査の再試験のある日。
義父が心配していた通り母はすっかり忘れていたようだ。
仕事の手を休めて急きょ母のアパートへ駆けつけていた。
自動車学校まで私が送り届けると言うのを頑なに拒む母。
仕方なく母の車の後にくっつくようにして一緒に出掛ける。
母の運転はとてもしっかりとしていて感心するほどだった。
認知症でさえなければと残念に思うばかり。
夕方義父が電話をしたら試験問題の殆どがわからなかったとのこと。
今回も駄目かもしれないなと義父も残念そうにつぶやいていた。
義父と相談し、結果を待って今後の対処をすることにした。
なんだかとても母が憐れでならないけれど仕方ない。
午後からの仕事を終えて帰宅。今日は娘の帰宅が遅い日で
6人分の夕食作りに奮闘する。
手を抜こうと思えばいくらでも手抜きが出来るけれど
今日はちゃんと作ろうと思った。
そのかいがあって家族みんなの美味しい顔が見られて嬉しかった。
氷点下にこそならなかったけれど真冬らしい冷え込み。
やはり少しずつ夜明けが早くなっているようだ。
午前6時、見あげた空は薄く紺色に浮かび上がっていた。
夜明け前、燃えるごみを出しに行ってくれていたじいちゃんが
まさかの転倒。庭先で前のめりになりお向かいのブロック塀へ激突。
額から血を流して帰って来たのでとてもびっくりした。
幸い額と膝と手のひらを擦りむいただけで済んで良かったと思うことに。
後頭部だったら命を落としていたかもしれなかった。
やがてはそれも笑い話になっていたけれど
孫たちが「おじいちゃんのおかおがこわい」と怯えていた。
転ばぬ先の杖か。急がず慌てず何事も慎重にとつくづくと思う。
仕事は少し忙しかったけれどそれなりに終えてほっと安堵。
同僚の咳が辛そうなので帰りに良く効くらしい咳止めを買う。
みんなでいたわり合い支えあってこその職場だと思う。
帰宅するとじいちゃんが額に大きな絆創膏を貼っていた。
娘が買って来てくれたそう。これなら孫たちもこわがらないだろう。
いつものようににぎやかな夕食。みんなが笑顔で煮込みラーメン。
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