ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2018年10月28日(日) あたたかいものがきっとある

きりりっと今朝はいちだんと冷え込む。

夜明け前に見上げる月とオリオン座にこころが和む。


寒さにこだわってはいけない。あたたかいものがきっとある。



今日は地区の秋祭りがあったのだけれど

春に姑さんを亡くしているので

神事に関わってはいけないとじいちゃんからのお達し。

もう半年を過ぎているから良いのではと言えば叱られる。


午後、娘とめいちゃんが行きたがっていてやっとお許しを。

太刀踊りを見るだけなら良いだろうと言ってもらえて良かった。

三人で歩いて行く。真っ青な空に太鼓の音が耳に心地よい。

勇ましい太刀踊りに遠い昔の息子の姿が目に浮かんだ。



夜になりみんなでそわそわ。あやちゃんが帰って来るのを待ちかねる。

さきほど元気に帰って来てくれて思いっきりハグをしたところ。

いちばん喜んでいるのはやっぱりめいちゃん。

二人そろえば喧嘩もするけれどお姉ちゃんが大好きだった。

明日からまたおばあちゃんと保育園に行こうね。


笑顔いっぱいの穏やかな夜にほっこりとこれを記す。










2018年10月27日(土) じぶんらしさ

昨夜の雨がやんでいて思いがけずにぽっかりと浮かぶ月。

そんな夜明け前のひと時がとても好きだった。


某SNSで「じぶんらしさ」とはと深く考えさせられる出来事。

自分に誇りを持ち胸をはって堂々としていたいものだ。




昨夜息子からヘルプが来ており朝からけい君を預かることに。

めいちゃんも保育園をお休みして一緒にお迎えに行っていた。

ハイテンションのふたりにおばあちゃんのテンションもあがる。

遊び疲れたけれどとても楽しい一日だった。

会うたびに成長しているけい君。今日は自転車の練習もした。


夕方、仕事を終えた息子が迎えに来て機嫌よく帰ったけれど

めいちゃんは一緒にお風呂に入りたかったのだそう。

もう少し大きくなったらお泊りも出来るようになるかな。

お姉ちゃんがいなくて寂しかったけれどけい君と遊べて良かったね。



おひさまが大急ぎで沈んでいく。

窓から夕陽に手を合わせていた。優しいおひさまありがとう。









2018年10月26日(金) 好きなように咲けばよい

つかの間の青空。午後から曇ってぽつぽつと雨になる。

静かな雨だ。しっとりと潤って日が暮れていく。



あやちゃんが今日からプチ旅に。

下田のおばあちゃんと南国市まで行ったのだけれど

めいちゃんが今にも泣きだしそうで可哀想だった。

保育園を休んでまで行かなくてもと娘と話す。

娘はその一言がどうしても言えないのだそうだ。

二泊三日の予定。あやちゃんがいないと家族みんながさびしい。



今週の仕事をなんとか終えてほっと肩の荷がおりる。

明日の車検の予約も入っていたけれど同僚が大丈夫と言ってくれて

その言葉に甘えることにした。私がいなくてもなんとかなるものだ。

「整備士じゃないだろう」と同僚が笑う。ほんとにそのとおり。



近くの公園でリンドウが見頃だと聞いて帰りに立ち寄っていた。

花屋さんで見るような真っ直ぐなリンドウではない。

くねくねと曲がったり地面を這うように咲いていたり

それも自然のままの風情があって良いものだなと思う。

みんなそれぞれにありのままの姿で咲き誇っていた。


ふとひともそうであればと思う。好きなように咲けば良いのだ。

かたちにこだわらず、私ならば地を這って咲いてみたいものだ。





2018年10月25日(木) ひとつきりの月

夜明け前に見た綺麗な月が今夜は満月になり東の空に浮かんでいる。

ひとつきりの月。同じ月なのにとなんだか不思議に感じる。

地球もひとつ。自分もひとりきりなのだと感慨深く思ってみたり。



今朝はめいちゃんがお母さんと行くと言って

あやちゃんだけを保育園に送り届けて山里の職場へ向かう。

四万十大橋に差し掛かったところで友人の車とすれ違う。

子供みたいに手を振ったら友人も大きく手を振ってくれて嬉しかった。

そんなささやかことでほっこりと笑顔になれてありがたいこと。



国道から山道に入ると今朝はいつもよりお遍路さんが多く

ひとりひとりに会釈をしながらふと気づいたことがある。

鈴の音が聴こえない。殆どのお遍路さんが金剛杖を持っていないのだ。

代わりに山登りの時に使う金属製の杖?あれは何と呼ぶのか

それを両手に持って一歩一歩踏みしめるように歩いているのだった。

きっとそのほうが歩きやすいのだろう。これも時代の流れだろうか。


私もいつかきっと歩こう。ちりんちりんと鈴の音がやっぱり好きだ。



2018年10月24日(水) 笑顔で「またね」

夜明け前、思いがけないほどの月明かり。

窓を開けてみるとそれはそれは綺麗な月が浮かんでいた。

そんな月が暖めてくれたのか今朝はずいぶんと寒さが和らぐ。


日中もほぼ夏日になるほど気温があがる。

ぽかぽかを通り過ぎて薄っすらと汗ばむほどだった。



仕事を終えてから母を訪ねる。

傷害保険の手続きをするのに母の委任状が必要だった。

「世話をかけるねえ」と母。私もついつい優しい口調。

認知症の症状が出ているかと思えば今日はとてもしっかり。

字もとても達筆でさすが母だなと思う。


テーブルの上に先日届けた日記帳が置いてあった。

長いこと事務所の机の引き出しに置きっぱなしにしてあったのを

少しでも「書く」ことを思い出して欲しいと届けたのだった。

母にとっては退屈な毎日なのかもしれないけれど

「まだ死ぬものか!」と書いてあった最後のページを思い出す。


叱ることも怒ることも何もなく笑顔で「またね」と別れた。

もう限界だと思う時もあったけれど、やはり私は母の娘でありたい。



2018年10月23日(火) 母は生き仏さん

二十四節気の「霜降」朝の寒さは和らぎ久しぶりの雨となる。

進路のまだ定まらない台風も発生しておりどうなることやら。

季節は晩秋から初冬へとゆっくりと移り始めている。



孫たちを保育園に送る頃にはちょうど雨が小降りになっていた。

「かさはいらない」と走り出すふたりを追いかけて送り届ける。


山里へ向かえば雨遍路さんがふたり。今朝もそっと会釈を。

どうか大雨になりませんようにと旅の無事を祈る。



仕事は午前中に一段落して、午後は早めに帰らせてもらった。

今週は少し楽なのか。気忙しさもなくずいぶんと助かる。

臨機応変にと思う。少しでも肩の力を抜いて行こう。



帰宅してのんびり。じいちゃんと録画してあった「下町ロケット」を。

ドラマは殆ど見る事がないけれどこの秋はこのドラマにはまっている。




母からは何の連絡も無し。今夜も居酒屋さんに居るのだろうと思う。

八十歳になれば生き仏さんなのだそう。叱ったり怒ったりしては

いけないと某SNSで介護の仕事をしている方が発信していた。

その言葉を呪文のように自分に言い聞かす。

生んでくれてありがとうと心から手を合わせられる自分になりたい。




2018年10月22日(月) なんとほっとする夕陽だろうか

朝の寒さにも少しずつ慣れてくる。

まだまだこれからなのだと言い聞かせてみたり。


あやちゃんもめいちゃんも長袖を着て保育園へ。

車から降りるなり駆け出していくふたりを

ふうふう言いながら追い掛ける朝。

ふたりに元気をもらって私も山里の職場に向かう。


秋遍路さんが随分と多くなった。追い越しながら会釈を。

タイミングがうまくつかめず今朝も声をかけられず。

けれども颯爽と歩く姿にはいつも勇気づけられている。




仕事は午後から集金があって母の住む宿毛市まで。

アパートのすぐ近くなのでビールと食料を届けた。

昨夜も居酒屋さんに行っていた母が少しでもおとなしくと

心配しながら思うのだけれど、母にとってはよけいなお世話だとか。

あれこれと口を出せば大喧嘩になってしまうのでもう何も言わない。

余程のことがない限り母とは少し距離を置きたいとさえ思い始める。

薄情な娘と言われようが、今はもう精一杯で限界を感じている。



そんな複雑な葛藤もあったけれど、今日も穏やかに日が暮れる。

なんとほっとする夕陽だろうか。優しいひかりに包まれるように

しばし窓辺に佇んでいた。




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