| 2018年07月22日(日) |
ふつうに暮らせるありがたさ |
台風の外雲が尾を引いているようで、雨が降ったりやんだり。
幸い猛暑は和らいでいたけれど湿気がすごく蒸し暑い一日。
午前中にコインランドリーと買い物を済ませて帰宅すると
じいちゃんが久しぶりにドライブに行こうかと誘ってくれる。
娘たちも出掛けていて留守だったので躊躇わずに行くことに。
先日の豪雨で被害があった宿毛市から大月町へ。
土佐清水市を経由して2時間ほどで帰って来た。
消防団のじいちゃんは豪雨の爪痕がとても気掛かりだった様子。
不謹慎かもしれないけどなと心配しながらのドライブだった。
でも見る限りはとても平穏で何事もなかったような町の様子。
ほっとしながらも「見えないところで」と複雑な気持ちになった。
そうして改めて「ふつう」に暮らせるありがたさを感じる。
今夜はカレーが食べたいと娘たちのリクエストがあって
3時頃から早めにカレーを作る。甘口と辛口と二つのお鍋。
ビールの肴にと「鰹のタタキ」も作った。
昨夜少し雨が降って今朝はとても蒸し暑かった。
朝焼けに浮かぶ電線に燕がたくさん並んでいて可愛い。
子燕かしらと微笑まし仰ぐ。そんな朝も良いものだ。
職場は休みではないけれど自分だけお休みをいただき
同僚には申し訳ないけれどありがたいこと。
娘もお休みだったけれど孫たちはお昼まで保育園へ。
土曜日はプール遊びがないそうでちょっと残念。
午前中に買物を済ませて午後はのんびりと過ごす。
今にも雨が降りそうになって早目に洗濯物を取り入れる。
それから間もなくどしゃ降りの雨になった。
バケツの水をひっくり返したような激しい雨だった。
おかげで猛暑にはならずに済んだけれど
各地では大変な猛暑だったよう。今日も熱中症で亡くなった人が。
ほんとうに命に関わる暑さなのだと心が痛むばかり。
幸いな事に我が家は今日も平穏無事。
それがとても心苦しいけれどあえて感謝をしたいと思う。
めいちゃんもあやちゃんも晩ごはんをたくさん食べてくれた。
雨あがりの空。入道雲もおひさまも競い合わないのがいちばんに思う。
大気が不安定だったようでお昼前から思いがけずに雨が降る。
あたりの熱気を一気に冷ますようにとても心地良くて。
午後には仕事が一段落していたので早目に終わらせてもらう。
明日はお休みをもらえてほっと肩の荷がおりる。
事務仕事ばかりで体力は使っていないのになぜか疲れる。
やはり歳のせいだろうかと情けなく思いつつ愉快だったり。
張り切らず頑張り過ぎずぼちぼちの日々ばかり。
土用の丑の日でスーパーの店頭ではうなぎの蒲焼のいい匂い。
家族みんなに食べさせてあげたくて思い切って6匹も買う。
お財布は空っぽ。でもみんなの喜ぶ顔が楽しみだった。
いつも質素な夕食ばかりなのに美味しいと言ってくれる家族。
先日のBBQの事も娘たちに我慢をさせていたのだと改めて思う。
おばあちゃん今日は大奮発したよってちょっと得意顔だった。
笑顔いっぱいの夕食。そうして今日も平穏に暮れて行く。
最高気温が35℃。高知は恵まれているのだと思う。
湿度もさほど高くもなくからりっとした暑さだった。
大雨で命を落とし、今度は日照りで命を落とす。
自然は容赦なく人々を襲うばかりで心が痛んでならず。
平穏無事だった一日がなんだか奇跡のように思えてならない。
山里からの帰り道、トンネルの出口で座り込んでいるお遍路さん。
この猛暑に歩き遍路はどんなにか辛いことだろう。
迷わず車を停めて「大丈夫ですか」と声をかけていた。
「ハロー」と声が返ってくる。外国人の女性のお遍路さんだった。
日本語はまったく通じず気遣う気持ちも伝えられず。
白い肌は真っ赤に日焼けしていてとても辛そうに見えた。
それなのににっこりと微笑んで手を振ってくれる。
笑顔と笑顔で別れた。きっと大丈夫と信じるしかない。
帰宅したら娘と孫たちが先に帰って来ていて
「おばあちゃんおかえりなさい」と嬉しい声。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
岐阜で40℃のニュースにおどろく。
高知の暑さなどまだまだ序の口だと思う。
被災地も連日の猛暑が続いていて心が痛むばかり。
自然には逆らえないけれどどこまで苦しめれば気が済むのか。
我が家は今日も申し訳ないほどに平和だった。
小麦色の孫たちの笑顔にどれほど癒されたことだろう。
ほんとうにありがたいこと。感謝の気持ちに尽きる。
昨日は燃えているように紅い夕暮れだったけれど
今日はほんのり。おひさまも頑張り過ぎたのだろう。
おつかれさまと空を仰げば思いがけずにひこうき雲が見えた。
夜明け前のつかの間の涼風をたのしむ。
いつものように朝が来る。
それは決してあたりまえのことではなくて。
孫たちを保育園に送り届けてから山里の職場に向かう朝。
国道で友人の車を見つけて思いっきり手を振る。
友人も窓から手を出して千切れんばかりに降ってくれて嬉しかった。
にっこりと微笑みながら山道に差し掛かると
今度は毎朝すれ違っている知人に会ってまた手を振り合う。
そんな何でもないようなささやかなことに元気をもらった朝。
山道をくねくね。峠道をよっこらしょと越えると
いつものように山里の景色が一面に広がっている。
大好きな一本杉が約束していたように今朝も迎えてくれた。
母は昨日無事に退院したけれど、しばらくは自宅療養を。
今回だけは母もそれを覚悟していておとなしくしていてくれる。
お昼に電話があって「エアコンが壊れて暑くてたまらない」と。
どうやらリモコン操作を誤って暖房にしていたようだった。
すぐに駆けつけられないもどかしさ。電話でゆっくりと説明して
やっと冷房に切り替わる。「涼しい風が出て来た」とほっとする。
仕事を終えてから母に会いに行く事も不可能ではないけれど
あえてそれをせずまっすぐに帰路に着く親不孝な娘だった。
何がよくて何が悪いことなのかわからないまま
今日も精一杯の自分だった。
| 2018年07月16日(月) |
すめばまたはじめることができる |
夏空から炎のかけらのように陽射しが降ってくる。
娘たちは家族そろって川遊びに出掛けた。
水着を着て嬉しそうに車に乗り込む孫たち。
我が家は今日も申し訳ないほどに平和だった。
午前中にお大師堂へ。日捲りの暦が土曜日のまま
この暑さでSさんも足が遠のいているのかもしれない。
ゆっくりとお参りを済ませてから手水鉢の水を入れ替える。
川の水が昨日より今日と随分と澄んできれいになっていた。
「澄む」は少し「済む」にも似ていて
すめばまたはじめることができるのだなとふと思ったり。
お大師堂から眺める四万十大橋。この景色がとても好きだ。
午後はまたエアコンのお世話になりながらのんびりと過ごす。
夕食の買い物を済ませていたのに、娘がBBQをするのだと言う。
お肉をたくさん買って来ていて準備を始めているのを見ながら
どうしたわけかひどく落ち込んでしまって涙が出てしまった。
母は母なりに精一杯食費を切り詰めようと努力していて
贅沢もさせてあげられず娘たちに我慢をさせていたのかと。
娘たちのささやかな楽しみがなんだか仕打ちのように思えて辛かった。
でもそんな涙もつかの間のこと。大喜びしている孫たちの笑顔が嬉しい。
夕食前に昨日洗った海苔網を取り入れに行っていた。
よく乾いていて気持ちいい。白くてもこもこしていて
なんだか生き物みたいにほっこりとあたたかくて。
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