| 2018年06月30日(土) |
沖の風に吹かれながら |
高知県中部、東部では激しい雨だったそうだ。
幸いなことに西部は雨が降らず曇り空のまま日が暮れようとしている。
少し蒸し暑かったけれど窓を開け広げて南風をたのしんでいた。
そんな南風のことを我が地では「沖の風」と呼ぶ。
午後から孫たちと過ごす予定だったけれど
急きょ娘むこのお母さんが預かってくれることに。
「下田のおばあちゃん」孫たちは大好きだった。
おかげで棚からぼた餅的な休日となりのんびりと過ごす。
じいちゃんは茶の間でプレステゲーム三昧。
私は先週から読みかけていた本をゆっくりと読む。
詩人の白井明大さんの新刊、「一日の言葉、一生の言葉」を。
読むほどに言葉が愛しくてならない。宝物のような一冊だった。
「めいさん」と気やすく呼んではもういけないのだろうけれど
私にとってはいつまでも「めいさん」だった。
もうずいぶんと昔のことになってしまったけれど
私のホームページを見つけてくれて声をかけてくれたこと。
パソコン画面に即興で詩を書いていた私のことを認めてくれたひと。
その出会いにどれほど勇気づけられたことだろうか。
おかげで今もささやかにこうして在り続けることが出来ている。
ずいぶんと老いぼれてしまったけれど生きている限りと願いながら。
いつかは消える命です。書き残さなくてどうする。
| 2018年06月29日(金) |
思わずキスをしたくなる |
雨が降ったりやんだり。時おり激しく降ったり。
今はやんでいて西の空がほんのりと茜色。
月末の仕事をそれなりにやっつけて明日はお休みをいただく。
同僚は急ぎの仕事が残っていて明日も仕事だった。
いつも自分ばかりと心苦しいのだけれど。
弟から電話があって母の手術日が決まったとの事。
一週間後だった。もう手術以外に治療法がないらしい。
高齢でもありリスクが大きいけれどお医者様に任せるしかない。
それで少しでも元気になるものならとただただ祈るばかり。
帰宅してばたんきゅうと横にりうたた寝をしていた。
今週も忙しかったけれどなんともいえない達成感があった。
する仕事のあることはほんとうにありがたいことだ。
お風呂上がりの孫たちのなんとも愛しいこと。
ふたりの髪をドライヤーで乾かすのがとても好きだ。
めいちゃんがすっぽんぽんでワニ泳ぎを披露してくれた。
ほんのり紅いおしりに思わずキスをしたくなるほど。
| 2018年06月28日(木) |
楽しみなことがたくさんある |
蒸し暑さを和らげるように吹き抜ける風のありがたいこと。
明日は雨になるのだそう。今夜の満月は見られそうにない。
遅番だった娘と一緒に孫たちがほっぺを真っ赤にして帰って来る。
今日もプール遊びをめいいっぱい楽しんだようだ。
めいちゃんはワニさん泳ぎをしたそうで
プール参観の日が楽しみでならない。
楽しみなことがたくさんある人生。
あれもこれもと欲張りなばあちゃんだった。
夕食時、今日のお葬式の話をじいちゃんがしてくれて
やはり日にち薬やねと語り合ったり。
従姉妹たち家族が少しでも前を向いて歩みだして欲しいと願うばかり。
何事もなかったように今日も穏やかに暮れていく。
お風呂上がりの孫たちのにぎやかな声に微笑みながらこれを記す。
とても蒸し暑い一日。
さきほどお通夜から帰って来たところ。
娘がおにぎりを作ってくれていた。
おいし。3個もたいらげる。
明日の告別式にはじいちゃんだけが参列することに。
私も見送りたかった。ちゃんとお別れしたかった。
でも親戚の人達と話し合って夫婦で行くのはやめようと決まる。
私だけ特別と言う訳にはいかないのだそう。
また少し落ち着いた頃に従姉妹の顔を見に行こうと思う。
日にち薬。きっと少しずつ元気になってくれるだろう。
ざわざわと心落ち着かない一日だったけれど
まごたちの笑顔にほっこりと癒されている夜。
うす曇りの一日。風もなくまるで空がうたた寝をしているよう。
山里の職場に着くなりじいちゃんから着信アリ。
一瞬胸騒ぎがしてそれが思った通りになる。
近所に住む従姉妹の息子さんが亡くなった知らせだった。
どんなにか気落ちしていることだろうと心が痛んでならず。
とんぼ返りは出来ずとにかく急ぎの仕事を済ませてから帰る。
そうして子に先立たれるのはどんなに辛いことか思い知った。
従姉妹を抱きしめてあげることしか出来なかったけれど。
まだ50歳の若さ。まだまだこれからの人生だったのに。
神も仏もない。あるのは現実だけなのかもしれない。
どうかやすらかに。そんなありきたりの言葉しか浮かばない。
それがとてももどかしくてならない夜。
今日も真夏日となる。爽やかな風のおかげでさほど暑さを感じず。
紫陽花はとうとう化石のようになってしまって憐れなり。
ふと自分の姿に重ねてみる。目を反らしてはいけないと。
桜のように潔く散れない花がたくさんあるのだろうと思う。
老いることは憐れな事か、そう自分に問いかけてみれば
胸を張って「ちがう」と言える。そんな自分が好きだ。
仕事が少し忙しくいつもより遅く帰路についた。
不思議と疲れは感じず、とても充実した一日に思える。
今日も与えられた一日を全うできたのだろう。
帰り道のスーパーのすぐ近くでとても気になる木を見つける。
今までどうして気づかなかったのだろうか。
ああこの木なんかいいなとクルマから降りて駆け寄っていた。
好きだなこの木。それだけで今日も「いい日」
ほぼ真夏日となり心地良いほどの暑さとなる。
苦手だった夏が好きになったのはいつからだったろうか。
遠い日の夏のことを決して忘れてはいないけれど
もう口に出してはいけないような封印されたような夏がある。
朝のうちにお大師堂へ。独りでてくてくと歩いて行く。
日捲りの暦が昨日のままだった。めくるのは久しぶりのこと。
お参りを済ませてから外の木陰でしばし風と戯れていた。
風が生きている。吹き抜けながら踊りながら歌っているように。
午後はめずらしく独りぼっちだった。なんとも静かなこと。
読みたかった本をやっと開くことが出来る。
言葉が愛しい。ひとつひとつの言葉がこころに沁みるよう。
それからふと海が見たくなってしまってぶらりと出掛ける。
独りで海に来たのは何年ぶりだろうか。ずいぶんと遠い日のこと。
もう感傷に浸る歳でもないけれど懐かしい思いが込み上げてくる。
このまま老いて朽ち果てたくはないなとふと思った。
まだ「おんな」なのだろうか。それともただの人間だろうか。
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