全国的に4月並みの暖かさだったよう。
雪の多かった地方にもちいさな春が届いていますように。
川仕事と山里の仕事と、やればできるものでなんだか順調。
する仕事のあることがとてもありがたく思える。
少しずつ自信が湧いて来て明日も頑張ろうと思えてきた。
不思議なことにこころはゆったりとしている。
苛立つこともなく焦ることもなくまるで春のようなこころ。
お昼前の山道では外国人のお遍路さんに会えて声を掛ける事が出来た。
言葉はうまく伝わらないけれど笑顔には笑顔が返って来る嬉しさ。
「グッドラック」で良いのかなと思いながら手を振ると
お遍路さんも手を振ってくれて、ああちゃんと伝わったのだと嬉しい。
仕事を終えて帰り道にはまた牧場へ立ち寄っていた。
なんだか良い匂いがするなと思ったら沈丁花の花が咲いていたり。
牛さんは二頭だけで、子牛が座り込んでなんだか寂しそうに見える。
お母さんじゃないのかな。耳に付けられた黄色の札がなんだか切ない。
「またあしたね」って声をかけて後ろ髪を引かれるように帰る。
あした。そう口にするだけでなんだか元気が出て来る。
ゆっくりゆっくり私にも未来があるように思える。
今日も穏やかな一日をありがとうございました。
春のようなこころをぎゅっと抱きしめている夜です。
今朝もひんやり。そうして日中はまたすっかり春の陽気。
冬と春がおしくらまんじゅうをしているようなこの頃。
早朝からの川仕事を終え山里の職場へ向かう。
若い頃にはずっとそうしてしていたけれど
この歳になると体力に自信が持てなくなり
不安で心細くなったりしてしまうものだ。
きっと試されているのだろうと思う。
出来るのか出来ないのか、それならばと
なんとしても乗り越えてやろうではないかと思ったり。
そうして忙しいからとこころまで忙しくしてはいけない。
そう強く思う。だからこそほっとする瞬間が愛しく思える。
峠道を越えて山里の県道を走っていたら
道ばたに可愛らしいラッパ水仙の花がたくさん咲いていた。
毎年咲いてくれていたのかもしれない。
どうして今まで気づいてあげられなかったのだろう。
迷わず車を停めて花に微笑みかけていた。
そんな瞬間がとてもたいせつなひと時に思える。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
| 2018年03月11日(日) |
「ふつう」がいちばん |
朝の寒さが嘘のように日中はとても暖かくなる。
昨年よりも遅くなってしまったけれど
今日から青さ海苔の収穫を始める。
生育はとても順調とは言えず
昨年に続き今年も不漁の年になりそうだ。
でも今から嘆いていては海苔に申し訳ない。
自然の恵みをありがたく受け止めて収穫に精を出す。
じいちゃんと励まし合いながら「なんとかなるなる」と。
収穫量が少なく午前中には作業を終えていた。
おかげで午後はのんびりと身体を休ませることが出来る。
2時46分には孫達も一緒に黙祷。
心が痛み、心苦しく思うことはまだたくさんあるけれど
いま自分達に与えられている穏やかな日々をありがたく
うけとめて「ふつう」にしていることが一番に思えた。
暖かさに誘われるように夕散歩。
娘と孫たちも一緒にお大師堂へと向かう。
あやちゃんが木魚を叩きながら「なむだいしへんじょうこんごう」
めいちゃんはお供えのお菓子が無いとつまらなそう。
西日の射し込む暖かなお堂で水筒に入れて来たカルピスを飲む。
お散歩しながらの帰り道、土手には土筆の坊やが背比べ。
河川敷の木には若き緑の新芽が芽吹き思わず足を止める。
今日も平穏無事。それがどんなにありがたことだろうか。
「いい日」でした。ありがとうございます。
| 2018年03月10日(土) |
寒さなければ花は咲かず |
今朝は真冬並みの寒さ。ちゃんちゃんこを羽織る夜明け前のこと。
そんな寒さもつかの間で日中はすっかり春らしくなった。
どうしても外せない大事な仕事があり今日も山里の職場へ。
今朝も山道でお遍路さんに声をかけることが出来た。
金剛杖ではなく山登りに使う杖、あれは何て言うのだろう。
その杖を両手に持って元気よく颯爽と歩いていた。
私のささやかな一言に「ありがとうございます」と笑顔が。
ありがたいのは私のほうだった。とても元気をいただく。
仕事をしながら母の事ばかりが気にかかる。
月曜日の再入院はなんとか納得してくれたのだけれど
小さな会社とは言え今は私が経営をやり繰りしていて
自分なりに精一杯出来る事をやり遂げて来たつもりだった。
それが歯がゆくてたまらない母の気持ちもわかるけれど
矢を射るように荒い言葉が飛んでくるのが今日はとても辛かった。
いつものことだとさらりと水に流すことが出来ず
ひどく落ち込んでしまって涙が出そうになる。
母に声もかけられずに黙って職場を後にしていた。
帰り道のダム湖の公園まで行ってベンチに座りただただ青い空を仰ぐ。
ちっぽけだなって思った。この遣り切れない思いはいったい何なのか。
ふとまわりを見渡すと、桜の木がたくさん植えられてあって
はっと心が明るくなる。まだ蕾さえも見えないけれど
やがてたくさんの桜が咲いてこころを和ませてくれることだろう。
「寒さなければ花は咲かず」そんな言葉をふと思い出していた。
くよくよと思い悩むのはもうよそう。すくっと立ち上がり家路を急ぐ。
梅の花もそろそろ散り始める頃。それは決して嘆くことではない。
「弥生つめたい風」そんな歌のことをふと思い出した日。
陽射しはたっぷりとあったけれど風が強くとても冷たく感じた。
今朝も山道で男性ふたりのお遍路さん。もう躊躇わない。
すぐに車を停めて声をかけることが出来た。
今日も満面の笑顔をいただく。なんだか贈り物のような笑顔。
「この道で良いのかな」と少し不安になりながら歩いていたそう。
山道に入ると誰しも心細くなるものだろう。声をかけて良かった。
おかげで今日も清々しい気持ちのまま仕事に精を出す。
金曜日は好きなラジオ番組があって、それを聴きたさに
外まわりの仕事ばかりを選んでいた。そのたびにラジオが聴ける。
番組にメールを送っていたのが読んでもらえてすごく嬉しかった。
月曜日に再入院の予定の母が、月曜日ではないと言い張る。
弟に電話して確認したらやっぱり月曜日だった。
それでも母は「月曜日には行かない」と言い張る。
喧嘩にこそならなかったけれど、やはり認知症なのかと複雑な気持ち。
明日また穏やかに説得してみようと思う。「はい、わかりました」と
どうか素直にうなずいてくれますように。
帰宅したらじいちゃんが居なくて、洗濯物が竿のまま飛ばされていた。
あらあらどうしましょうと風の悪戯もなんだか愉快に思える。
強い風のせいにしてお散歩はやめておく。こんな日もあってよし。
出来ることを出来る日に。それがいちばんなのかもしれない。
今日も平穏無事。清々しく笑顔でいられたことが何よりに思う。
あしたはあしたの風が吹く。どうか優しい風でありますように。
| 2018年03月08日(木) |
大切なことを忘れていた |
また春の嵐か。雨も風も凄く大荒れの一日となる。
孫たちもしっかりと傘をつかんで無事に保育園へ。
大雨の中を突き抜けるように山里の職場へ向かう。
山道で黄色い雨合羽を着て歩くお遍路さんを見つけて
声をかけることが出来た。満面の笑顔が返って来て嬉しい。
ずっとずっと疎かにしていたことが「ああ出来たんだ」って思った。
なんて清々しいのだろう。こんな大切なことを忘れていたなんて。
おかげで仕事中も穏やかでいられたような気がする。
母の暴言も聞き流し、気にならないのがとても不思議だった。
帰る時には笑顔で「また明日ね」ってちゃんと言える。
「ありがとうお疲れさま」母はとても優しかった。
来週にはまた入院する母。きっと複雑な気持ちだろうと思う。
帰宅して雨音を聴きながらコタツムリ。すぐに寝入ってしまう。
娘と孫たちが帰って来てはしゃぎ声がなんだか夢の中のよう。
夕食後、めいちゃんをお風呂に誘ったら「きょうはいや」って。
私が泣き真似をしたらちょっと困った顔をして
「おばあちゃんをなかせてしもうた」とじいちゃんに報告。
私が笑ったらめいちゃんも笑う。なんとも微笑ましい瞬間。
降り続いていた雨もやっとやんでくれて穏やかな夜。
今日も「いい日」をありがとうございました。
| 2018年03月07日(水) |
おばあちゃんのたまごやき |
寒の戻りだろうか。ひんやりと肌寒い朝。
雲の多い空だったけれど15℃まで気温があがる。
今日は孫たちが遠足だったのでとてもほっとした。
夕方から風が強くなってまたぐんと寒くなる。
明日はまた春の嵐だとか。大荒れにならなければ良いけれど。
遠足から帰った孫たちはとても楽しかったようす。
お弁当の「おばあちゃんのたまごやき」が一番美味しかったと
言ってくれてとても嬉しかった。なんだか舞い上がるようなきもち。
あやちゃんは好きな男の子がいて一緒にお弁当を食べたっかのだそう。
でも男の子と女の子が別れて食べたらしく「ショック」って言って
幼い恋心だろうか。なんだかほのぼのと耳を傾けていた。
先日は「だいすき」って手紙も渡したそうでなんとも微笑ましいこと。
今日も平穏無事、笑顔のままに暮れていきありがたいこと。
あれこれと思い悩むこともなきにしもあらず。
まあいいか。なるようになるさとのほほんとしている夜だ。
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