ホトトギスがね、ほらいま鳴いたでしょ。
どうしたわけか母にはその声が聞えないらしい。
今日も母と向かい合ってのんびりと仕事。
とはいえ10時前に出勤してきた母はお昼前まで新聞を読んでいる。
まるで読書をしているように隅々まで読み尽くすのが日課であった。
私はJAへ用事があって出かける。そこで小学生の時の同級生に会った。
開口一番に「おまえどうしたがぞ、えらい太ったことないか」と言われる。
それが少しもショックではなくて笑い飛ばしている自分がいた。
川仕事が終わってまだ10日ほどだというのにまた太り始めてしまった。
先日も病院で言われたけれどあきらかに運動不足だと思われる。
そのうえすごい食欲でいつもがつがつと食べ過ぎてしまうのだった。
今夜も綾菜とお風呂に入っていて「おばあちゃんでぶい」と言われる。
「もうおばあちゃんはごはんもたべられんね」と応えると
「おかしもたべたらいかんよ、チョコレートもたべられんぜ」と綾菜。
それも笑い話のようで少しもショックではなかったのだけれど
自分で自分が醜いと思うようになった。なんとも無様なありさま。
けれども笑顔で生きている。それ以外に何も出来ない現実を見つめながら
まあなるようになるだろうとか、人生はケセラセラだと思ってみたり。
今日も穏やかな一日をありがとうございました。
玄関先のつばめの巣から可愛いひなが顔を出してくれた日。
午後4時の気温が27℃もあって暑い一日だったけれど
そよ吹く風が心地よく気温のわりに過ごしやすかった。
娘と孫たちとみんなでお散歩がてらお大師堂へ。
風に吹かれながら四万十川の土手を歩く。
野あざみやしろつめ草の花はもう枯れかけているけれど
姫女苑の白い花が今が盛りと咲いていてとても可愛い。
歩くのはなんだか久しぶりだったけれど孫たちに元気をもらって
てくてくと歩けば疲れも感じずとても気持ちが良かった。
これからどんどん暑くなってしまうけれど
歩くことを決して怠けてはいけないなと思ったりした。
お大師堂では綾菜も芽奈もちゃんとお賽銭を入れて手を合わす。
それからろうそくの火を消すのだけれど二人がそれをしたがって
ちょっと喧嘩になってしまった。先に綾菜が消してから
もう一度火をつけて今度は芽奈が消してやっと仲直り。
今日は残念ながらお楽しみのお菓子が無くなっていて食べられず。
「おだいしさんがおなかすいちょったがね」と納得して帰った。
時たまお供えのお菓子がごっそりと無くなってしまう事があるのだけれど
またお供えすれば良い事とあまり詮索をしないことにしている。
帰り道も楽しく今日も笑顔のまま暮れていった。
穏やかな一日をありがとうございます。今日もほっこりのばあちゃんでした。
茜色の空を眺めながらこれを記しているうちに、もうすっかり夜です。
今日は孫たちの親子遠足。「おばあちゃんもいっしょにいこうよ」と
綾菜が誘ってくれて嬉しかった。下田にある西南大規模公園へ。
海が見える高台にあって久しぶりに真っ青な海を眺めた。
遠足とは言っても芝生の上でかけっこをしたり親子でダンスをしたり
ちょっとした運動会のようでとても楽しい時間を過ごさせてもらった。
芽奈は終始泣きっぱなしだったけれど良い経験になったと思う。
秋の運動会の頃にはもう2歳。かけっこも出来るようになりますように。
さあお楽しみのお弁当の時間、残念ながらばあちゃんの食べる分はなくて
仕方なく一足先に帰ることに。なんて美味しそうなお弁当なのでしょう。
綾菜も芽奈も喜んで食べている姿が見られたので笑顔で帰路に着く。
車の窓を開けて走れば、潮風がとても心地よかった。
海に会いたくなってしまって独りで波打ち際を歩いていたのは
もうずいぶんと昔のことに思えた。すごくすごく遠い日のこと。
懐かしいような気恥しいような。それだけ老いてしまった自分を感じる。
今日も穏やかな一日をありがとうございました。
「あの頃に戻りたい」とか思うことすらなくなってしまって
ただただ前を向いて生きることを楽しんでいる日々です。
今夜もちょっとほろ酔ってこれを記す。
朝の峠道で顔なじみのお遍路さんとばったり会った。
逆打ちだったおかげで正面から顔が見えて気がついたのだった。
車を停めてしばし語らう。今夜はお大師堂に泊まってくれるとのこと。
また会う約束をして笑顔で職場に向かう朝だった。
午後3時過ぎ、あれこれと差し入れの食料を提げてお大師堂へ。
少しでも滋養のつく物をと思うのだけれど
相変わらずの物でいつも申し訳ないなと思う。
一日一食しか食べられない日もあるのだそうだ。
もう慣れているから大丈夫とどんなに笑っていても
それでは身体が持たないだろうといつも気がかりでならない。
ささやかなことでも自分にできることをといつも思う。
お接待と思う気持ちは少しもなかった。
ただ人として当たり前のことをしているのだと思っている。
どうして見て見ぬふりをできようか。
今度はいつ会えるだろうか。約束も何も出来ないけれど
どうか身体を大切に元気に歩き続けて欲しいと願っている。
終わりのない旅、終わるということは死ぬことだとその人は言う。
今日も夏日になったけれど風がとても爽やかで気持ち良かった。
あたりの緑を包み込むように吹く風は空からの贈り物のよう。
仕事を終えて帰り道に宝くじを買った。
7億円が当たったら人生がとてもつまらなくなりそうで
7千万のミニにしておく。それでもやはりつまらない人生かとも思う。
人生は苦しいほど楽しいのである。わかっていても夢を買ってしまう愚かさ。
とりあえず住宅ローンを完済してついでにリフォームをしてとか。
じいちゃんに新しい車を買ってあげようとか、もう当たったつもり。
あれこれと捕らぬ狸の皮算用をすることが楽しいのであった。
そうしてその夢が破れた時もまた楽しいのが不思議でもあった。
おっし、またこれからも頑張ってやろうじゃないかと思う。
宝くじはつかのまの「ひと休み」なのかもしれない。
今日も穏やかな夕暮れ。家族がみな揃うとわいわいととても楽しい。
今夜は綾菜と久しぶりにお風呂に入ってお湯のかけっこをした。
綾菜が本気出してやるものだからばあちゃんは頭からずぶ濡れ。
童心にかえったようで楽しいお風呂だった。あやちゃんありがとうね。
お風呂あがりの焼酎も美味し。今夜もほろ酔ってこれを記す。
少しひんやりとした朝だったけれどすぐに暖かくなる。
そしてまたまた夏日となり汗ばむほどの陽気になった。
朝のラジオで「五月晴れ」というのは今の晴天を言うのではないのだと。
それは6月になって梅雨の晴れ間の事を言うのだとしきりに言っていた。
そうなのか知らなかったとうなずきながら山里の職場に向かう。
季節ごとの言葉って風情があってとても好きなのだけれど
使い方を間違っている時が自分にもよくあるなあって思ったことだった。
今日もぼちぼちと仕事。事務仕事はけっこう忙しいのだけれど
工場の方が暇になってしまって、今日は少し営業の電話などする。
それがなんだか楽しかった。自分は営業に向いているのかもと自惚れたり。
そして帰る時に母や同僚に「明日も来ても良いかね?」と少しおどけて。
そうしたら「どうぞおいでてください」とみんなで大笑いになった。
どんな時もあるけれどそんな「楽しさ」は自分で作れるものかもしれない。
反対にすごく嫌な事があった時はそれも自分が原因を作っているのかも。
そう思うことにしよう。何事も自分次第だと言う事を肝に命じたい。
今日も笑顔で穏やかな一日をありがとうございました。
隣室からの孫たちの声がどっちの声なのかわからなくなるくらい
芽奈もおしゃべりが上手になって綾菜の声とよく似ている。
さあばあちゃんは今夜もたんと焼酎を飲んで、これにて終了です。
| 2016年05月17日(火) |
あふれんばかりのみどり |
昨日の雨が嘘のように素晴らしく晴れる。
晴れたら気温が高くなり今日も夏日だったようだ。
新緑が目に沁みるようにまぶしい季節でもある。
山里にいると特に緑に恵まれているのを感じる。
今日もぼちぼちと仕事。さほど忙しくはなかったのだけれど
なんとなく気だるい。そして午後は眠気がおそってくる。
おそらく上手くスイッチが切り替わっていないのだろう。
川仕事の時は暇さえあればごろりと横になっていたのだから。
まだ火曜日だと言うのにもう週末が待ち遠しい自分がいた。
母はその反対にすごく気が楽になってほっとしているらしい。
それだけ私のことを頼りにしてくれていたのかと思うと嬉しくもある。
出来ることを精一杯に。やはりそれがいちばんの親孝行なのだろうか。
定時で帰路に着きじいちゃんと一緒に銀行へ行っていた。
住宅ローンの更新の手続き。まだ6年も期間が残っているらしい。
3年ごとの更新なので次の更新には完済したいねと話したことだった。
夢のマイホームはローン地獄でもあった。今までよく頑張ったと思う。
過ぎ去った日々を思い起こしながらちょっと感慨に浸ったりした。
娘が遅番だったので保育園は延長保育をお願いしてあったのだけれど
仕事を終えた娘が迎えに行ったら綾菜と芽奈の二人きりだったそうだ。
おまけに芽奈は微熱が出ていたそうで可哀想な事をしてしまった。
けれども二人ともすごく元気。晩御飯もいっぱい食べてくれた。
今日も平穏無事としよう。穏やかな一日をありがとうございました。
茜色の空を眺めながらこれを記しているうちにすっかり夜になった。
焼酎はもう何杯目なのかも忘れてしまったけどおかわり良いですか?
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