| 2016年04月24日(日) |
いつもと変わらないこと |
曇り日、お昼頃からまた雨がぽつぽつ降り始める。
干していた洗濯物を急いで取り入れてコインランドリーへ。
生乾きだった洗濯物も20分でふっかふっかになった。
被災地の人達は着の身着のままで過ごしていることだろう。
今日で10日目、いまだ余震も続いておりどんなにか不安なことか。
洗濯物をたたみながらやはりどうしても心苦しさがつのるばかり。
夕方になり雨がやんでくれたのでお大師堂へ。
ちょうどお遍路さんが到着したばかりで少しだけ語らうことが出来た。
二度目のお遍路で今回は区切り打ちとのこと。
遠く神奈川からはるばる来てくれてほんとにありがたいことだ。
お大師堂の事はインターネットで知ったとのこと、けっこう有名らしい。
こうして訪ねて来てくれるお遍路さんに少しでも快適な空間を。
これからも自分に出来ることを精一杯にしていきたいなと改めて思う。
綾菜も帰って来てくれて今夜もにぎやかに夕食。
いつもと変わらないことがどれほどしあわせなことだろう。
今日も平穏な一日をありがとうございました。
孫たちのはしゃぎ声を聞きながら微笑みつつこれを記す。
朝のうちは晴れていたけれど午後からぽつぽつと雨。
綾菜が昨夜から下田のおばあちゃんちへ泊まりに行っていて
今朝は芽奈だけ保育園へ。じいちゃんも一緒に行こうよと
つないだ手を離さず、じいちゃんもしぶしぶついていく。
お昼のお迎えも二人がかりですっかり孫三昧をさせてもらった。
眠くなった芽奈を連れてドライブがてら海苔の漁場を見に行っていた。
すっかり潮の引いた漁場で「もう駄目やね」とため息をつく。
後はもう撤収作業か、それも人並みで良いだろうと結論を出す。
すやすやと気持ちよさそうに眠った芽奈の寝顔に癒される。
じいちゃんもばあちゃんもやれるだけのことをしたよって。
短い漁期だったけれどそれなりに達成感もある。どんな年もあるのだもの。
午後はぐっすりと眠る芽奈と一緒にうたた寝をしてまったりと過ごす。
なんだか雨が降りそう。洗濯物を取り入れるなり雨が降り始める。
よかった、ちゃんと乾いている。おひさまありがとさんです。
今日もこんなに穏やかな一日をありがとうございました。
ほっこりほっこり生きているだけでじゅうぶんです。
| 2016年04月22日(金) |
きらきらとまぶしい空 |
昨日との温度差が10℃近く、すっかり初夏のような陽気となる。
きらきらと眩しい空を仰ぎながらこんなに平和なのにと思った。
空はどこまでも繋がっているというのにやりきれない思いになる。
川仕事の目処も立たず、とりあえず今日は山里の職場へ。
のどかな山里はもう田植えの準備が始まっている。
すでに植えられている田んぼもあって小さな苗がちろちろと風に揺れていた。
忙しかったけれど定時で終らせてもらって帰路につく。
お大師堂へ行くと川辺にじゅうたんや座布団が干してあって
お参り仲間のSさんから「取り入れておいて下さい」とメモがあった。
もし来れずにいたら夜露に濡らしてしまうところだった。
いつもお大師堂のお世話を熱心にしてくれるSさんに感謝である。
私もよほどの事がない限りは毎日お参りに来ようと改めて思った。
その後、娘と一緒に保育園へお迎えに。今日は孫たちの風疹の予防注射。
芽奈は少しだけ泣いたけれど、綾菜は大暴れするほど抵抗して泣く。
赤ちゃんの時からいろんな予防注射をしているのだけれど
こんなに暴れて泣いたのは初めてだと娘も不思議がっていた。
ここ数日おねしょもしたりおしっこの失敗も多くなりなんだかおかしい。
何かが原因で情緒不安定になっているのかもしれない。
保育園ではしっかりお姉ちゃんぶりを発揮しているとのこと、もしかしたら
頑張り過ぎているのかもしれないねと娘と話したことだった。
あれこれと思うことはあるけれど今日も平穏無事に暮れて行く。
いただいた一日を今日も全う出来たような気がする。
決して当たり前の事ではないことがたくさんあるのだけれど
今日も穏やかな一日をありがとうございました。
隣室から孫たちが「おばあちゃーん」と呼んでいます。
予報通りの大雨となる。怖いほどの雨だった。
どしゃ降りの雨のなか孫たちを保育園にお迎えに行っていた。
じいちゃんも一緒に行ってくれたのでとても助かる。
可愛らしいレインコートと雨靴。子供たちは雨を楽しんでいた。
娘が遅番だったので孫たちと先に夕食を食べていたのだけれど
芽奈が牛乳の入ったコップを床にぶちまけてしまった。
それとほぼ同時に綾菜がおしっこをお漏らししてしまう。
夕食どころではなくなってじいちゃんと二人でてんやわんや。
孫たちを叱ってはいけないとわかっていてもついつい声を荒げてしまう。
母親の帰りが遅いとやはり寂しいのだろうかとはっと感じたことだった。
あれこれあっても今日も平穏無事に暮れて行く。
そんな平穏がほんとに心苦しくてならない日々が続いている。
自分たちがどれほど恵まれているか、そればかり考えている。
今夜は芽奈と一緒にお風呂に入った。抱っこして湯船に肩まで浸かる。
ぎゅっと抱きしめたいほど愛しいはだかんぼうさん。
夕方のニュースで避難所の乳幼児たちがやっとお風呂に入れたと聞く。
幼子を抱いて涙を流しているお母さんの姿にもらい泣きしてしまった。
朝は晴れていたけれどすぐに曇り空になった。
今日は穀雨。明日は大雨の予報が流れる。
被災地にとってはなんとも辛い雨になってしまいそうだ。
どうかもうこれ以上の被害がありませんように。
これでもか、これでもかと天や大地が荒れ狂っているとしか思えない。
みんなが手を合わせて祈っている。この祈りがどうか天に届きますように。
今日も平穏無事。なんと恵まれていることだろうか。
孫たちの笑顔を宝物のように思って日々を抱きしめるように生きている。
きっと長生きをと思っていてもやはり不安はつのるばかり。
そんな不安に負けないように精一杯の笑顔で過ごしたいものだ。
笑顔でいればなんだって乗り越えられそうな気がする。
悲観すればするほど「しあわせ」は逃げて行くのだと思う。
今日も穏やかな一日をありがとうございました。
どうか今夜も何事もなく穏やかな朝を迎えられますように。
肌寒い朝。まだまだ暖房が必要だった。
電気のありがたさ。水道のありがたさ。温かいご飯のありがたさ。
それが決して当たり前のことではないことを日に日に思い知る。
心苦しさはつのるばかりだけれど、そんな日々を大切に暮らしていきたい。
今日も早朝から川仕事、残り少ない海苔もほんとうにわずかになった。
今日はなんとかなったけれど明日はどうしようかと頭を悩ましている。
せめて今月いっぱいはと欲なことを思ってみたり
あれこれ考えてもすべて天にまかせるしかないのだろう。
今日は娘がお休みだったので洗濯物を干してくれていて大助かり。
保育園のお迎えも二人で行ったら孫たちが大喜びしてくれた。
「おだいしさんいく〜」と綾菜。「おだいちしゃんいく〜」と芽奈。
西日の差し込むひだまりでみんなでお菓子をごちそうになる。
「ねえ、お母さんにもしものことがあったら」と娘に語りかける。
お大師堂が荒れ果ててしまいそうで娘に後を託したかったのだ。
娘は笑いながら「あやが毎日お参りに来るろう」と言い放つ。
そうねおばあちゃんがうんと長生きをしたら綾菜に後を託せるのかな。
ふっと希望がふくらんできた。あと20年したら綾菜は24歳だ。
なんとしても長生きをしなければと心に誓う。
夕飯の支度も娘が手伝ってくれてほんとに大助かりだった。
そろそろ食べ納めかなと「青さ海苔の天ぷら」を作る。
今日も平穏無事な一日をありがとうございました。
ほっこりほっこり生きていました。
ぽつぽつと小雨の降る一日。昨日よりも10℃も気温が下がる。
被災地も肌寒いのではないだろうか。せめておひさまの光を
どんなにか不安で心細い避難生活を送っていることだろうか。
心を痛めるばかりで何もできないでいる無力さがとても心苦しい。
今日も早朝から川仕事、今の自分に与えられたことを精一杯に。
ある日突然にと思う気持ちは日に日に強くなって来ているけれど
自分はどうなってもいい。家族だけはなんとしても守りたいと強く思う。
午後、お大師堂へ。顔なじみのお遍路さん二人と再会する。
一人は昨年の父の命日にお経をあげてくれたお遍路さん。
もう一人は自転車でずっと旅を続けているお遍路さんだった。
二人とも福岡の出身、それがすぐ近隣の町の出身だとわかったのだそうだ。
すっかり意気投合して故郷の話で盛り上がっているところだった。
九州は大変なことになっているけれど二人の笑顔にとてもほっとした。
娘が遅番だったのでじいちゃんと二人で孫たちを迎えに行く。
晩御飯の支度も大変だったけれど、なんとか四人で夕食を済ます。
芽奈が大好物の枝豆をすごい食べた。それは大人並みの食欲。
そうして家族がみなそろいわいわいわいとにぎやかな夜になった。
みんなが笑顔でいられる。それがどれほどありがたいことだろうか。
今日も平穏無事をありがとうございました。
どうかどうか何事もなく無事に朝を迎えられますように。
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