| 2016年02月12日(金) |
わっしょい、わっしょい |
お天気は下り坂、日暮れとともに雨が降り始める。
今朝はふたりのお遍路さん。ふたりともまだ若くてまぶしい姿。
今通量の多い国道でのことでただただ会釈をして旅の無事を祈る。
仕事はぼちぼち。同僚が通院日との事で午前中お休みしていて
すっかり開店休業状態になりひっそりと静かだった。
午後から私の車をちょっと見て欲しかったけれど言い出せず
実は今朝から変な音がし始めてとても気になっていたのだった。
まだ二年目の車なのでダイハツへ行った方が良いかなと思って
一度帰宅してからじいちゃんに付き添ってもらって行っていた。
一時間ほど見てもらったけれど原因不明。仕方なく預けて帰る。
じいちゃんは自分の車があまりに古いのでとても恥ずかしかったそうだ。
でも私はじいちゃんのムーヴがとても好きだ。久しぶりの助手席も嬉しい。
帰宅したら保育園から帰っていた孫たちが待ちかねて迎えてくれる。
娘と大急ぎで夕食の準備、食いしん坊の芽奈は大騒ぎしていた。
「さあ出来たよ」と言う前にもう芽奈はつまみ食いを始めていた。
わいわいわい。今夜もお祭りのような晩御飯。
そのにぎやかさと言ったらまるで蜂の巣をつっついたようなありさま。
今日も楽しくて穏やかな一日をありがとうございました。
金曜の夜なのでばあちゃんは焼酎をぐびぐび飲みながらこれを記す。
すっかり春のような陽気。沖からの南風はまるで春風のようだった。
午前中は娘たちと一緒に買物がてらフジグランへ。
孫たちはゲームセンターでイベントがあって大喜びで遊んでいた。
芽奈が帰るのを嫌がって大泣きになったりちょっと大変だったけれど。
ゲームセンターでバド仲間のMさんに久しぶりに会った。
お互い孫を連れての再会。なんだかすごく歳月が流れたような気がする。
彼女はずっとバドを続けているようでとても溌剌としていて元気そう。
私はと言えばすっかり重くなってしまった身体をもてあましていて
それなりに老いてそれなりにおばあちゃんが板についてきている。
同い年の彼女がとてもまぶしく見えた。活き活きとしていてとてもきれい。
だからと言って自分を見下すのはよそうと思った。私はありのままで
背伸びをすることもなくずっとこうして老いて行きたいと思った。
お昼下がり、あまりのぽかぽか日和にさそわれてみんなでお散歩。
お供え物のミカンなどをさげてお大師堂まで歩いて行く。
「なむだいしへんじょうこんごう」久しぶりの綾菜のお経が嬉しい。
小さな手を合わせながら「めいちゃんがおねつでませんように」って。
お大師堂のそばでタンポポを見つけたりしてほっこりほっこり帰って来た。
今日もこんなに穏やかな一日をありがとうございます。
生きているって嬉しいことだなってあらためて思ったいちにち。
| 2016年02月10日(水) |
今日は「ふとんの日」だそうです |
氷点下の朝だったけれど日中はとても暖かくなる。
あちらこちらに梅の花が咲いてほっこりと心が和む。
逆打ちのお遍路さんがひとり、降り注ぐ日差しの中を颯爽と歩いていた。
仕事は今日も忙しく少し残業になり急いで帰路につく。
高速の入り口で信号待ちをしていたら後ろにパトカーが来てしまった。
制限時速70キロを超えないようにドキドキしながら走って帰る。
いつもは90キロぐらいで走り抜けているので良い戒めとなったのかも。
帰宅が遅くなったけれどなんとなく気がかりになってお大師堂へ。
お供えのお菓子やミカンがきれいさっぱりと無くなっていた。
お賽銭は無事でも今まで時々こんなことがあったのだった。
ゴミ箱の中にミカンの皮があって持ち帰ったのではなさそう。
ちょっとショックな気持ちもあるけれどあれこれと詮索しないでいる。
お大師さんがおなかペコペコだったのだなあとにっこり笑って帰ってきた。
無くなってしまったらまたお供えすればよい。それも私の楽しみだもの。
明日はお休み、またお供え物を持ってゆっくりとお参りをしよう。
今日も穏やかな夕暮れ。娘が遅番だったのでちょっと手抜き料理。
家族が文句も言わずにちゃんと食べてくれるのがほんとにありがたい。
今日もありがとうございました。今夜も焼酎が美味しくまったりさんとこれを記す。
まるで春一番のような強い風が吹き荒れる。
2月9日、今日は「福の日」だと知り
仕事帰りに西日本宝くじを買ってみる。
売り場には顔なじみの福本さんが居てくれてなんとラッキーだった。
買ったとたんにもう夢を見始めていた。
捕らぬ狸の皮算用とはよく言ったものである。
欲しがる人には当たらないと言う宝くじ。
けれども欲しがらずにいるのはとても難しく思える。
藁にも縋るような思いでいつもいつも夢を買うわたしであった。
帰宅して久しぶりに綾菜を迎えに行く。
「おばあちゃん、きょうのばんごはんはなあに?」
あれこれと応えると「じゃああしたのばんごはんはなあに?」
ほのぼのと愉快な会話がとても楽しかった。
実は毎日のメニューを考えるのはとても大変なのだけれど
頭を悩ませながら子供も大人も喜ぶような物を作るようにしている。
それもばあちゃんの楽しみ。そうね、明日は何にしようかね。
今日も穏やかに暮れてほっこりと幸せをかみしめている。
ふっと思った、毎日が「福の日」なのだなって。
今日もありがとうございました。今夜の焼酎も美味し。
朝はかなり冷え込んでいたけれど日中は暖かくなる。
昼下がり仕事の手を止めて少しのあいだ空をみあげていた。
出棺の時間だった。「ごめんね、ゆるしてね」と空に手を合わす。
吹っ切ったつもりでも吹っ切れていない愚かな自分を感じる。
仕事帰り、以前は毎日のように買い物をしていたスーパーへ立ち寄る。
12日を最後に閉店するのだそうだ。やはり経営難のようだった。
閉店セールで混雑していたけれど、顔なじみの店員さんのレジに並んだ。
そうしてお別れの言葉を交わしあう。しんみりと寂しいけれど笑顔で。
それから街中の商店街に行って老舗の呉服屋さんへ寄ってみた。
綾菜にちょうど良いウールの着物が見つかって衝動買いをしてしまう。
予算よりもずいぶんと高かったけれど可愛い孫のためならなんのその。
しかし家に帰るなり娘から大クレーム攻撃を受けてしまった。
ネットオークションで良い着物があって今日落札したのだと言う。
わずか2500円だとか。それもほぼ新品だと言うからびっくり。
私の買ってきた着物は「あやに見せたらいかんよ」と叱られてしまう。
しょんぼりと呉服屋さんに向かう夕暮れ時、なんとか返品が叶った。
孫たちの物を買うときはやはり娘に相談してからにしなければ
ばあちゃん反省の出来事も、夜には笑い話になっていたけれど。
あれこれの一日だったけれど今日もありがとうございました。
今夜も穏やかさの毛布にくるまってぐっすりと眠りたいと思う。
ほんの少し日が長くなったようだ。午後六時の茜色の空。
今日は山里から訃報が舞い込んで来て
ショックと言うよりとても複雑な気分で過ごしていた。
最後に会ったのは20年ほど前だろうか。
いろんなことがあってお互い傷ついてしまったのかもしれない。
そして同時にたくさんの人を傷つけてしまったのも事実である。
風の噂を耳にする時も会ったけれど、とてもとても遠い人のように思った。
自分なりに封印していたものを二度と開きたくない強い思いもあった。
明日がお葬式とのこと。私は参列しないことを決める。
迷いはなかった。どんなに薄情者と言われようと私は決して行かない。
再会するならば「あの世」でと思っている。
「おお、やっと来たか」と笑って迎えてくれることだろう。
よぼよぼのおばあちゃんになった私の手を
まるで息子のように手を差し出してくれそうな気がする。
たくさんの思い出をありがとう。青春時代がとても懐かしく思い出される。
お風呂上がりの孫たちとはしゃぎながらぎゅっと抱きしめたくなった。
「いま」がある。どんな過去よりも「いま」ほど愛しい時はなかった。
曇り日、さほど寒くはなかったけれど強い西風が吹く。
四万十川では先日から天然青海苔漁が始まっていて
たくさんの川船が出て川面をにぎやかしている。
そのせいかそわそわと落ち着かないじいちゃん。
今年は青さ海苔の成長が著しく遅れていて少し焦っているせいだろう。
我が家も青海苔漁をと思うのだけれど、もう20年ほど遠ざかっている。
若い頃のようにはいかないよと宥めてやっと諦めてくれたようだ。
例年ならそろそろ青さ海苔の収穫を始める頃になったけれど
いまだめどが立たず。とにかく希望を持ってその時を待ちたいと思う。
自然相手のこと、これも試練だと思って耐えていかなければいけない。
今朝は芽奈の熱が下がっていてほっとひと安心。
娘がお休みだったので保育園はお休みして月曜日まで様子を見ることに。
抗生剤はまだ飲み続けなければいけなくて、来週また再検査だった。
どうかこのまま順調に快復してくれますように。
午後、綾菜と約束していたお雛様を飾る。
大喜びの綾菜が「おきものがきたい」と言い出してタンスから出したけれど
ずいぶんと背が伸びたものだ。もうちんちくりんに小さくなっていた。
ぐすんぐすんと涙を流す綾菜が憐れでならないばあちゃんだった。
お雛祭りまでにはなんとかしてあげなければと思う。
あれこれと思うことはあるけれど、今日も穏やかに暮れていく。
ふっと思った。試練のない人生なんてほんとうにつまらないもの。
そう思うと与えられた日々が愛しくてありがたくてならなかった。
今日もありがとうございました。またほろ酔ってまったりとこれを記す。
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