ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2016年01月08日(金) 毛糸の帽子

冬らしくきりりっと寒い朝。そんな寒さが心地よい。

綾菜と保育園に向かっていたら交差点の信号が赤。

「あっ青になったよ」と言うと不思議そうな顔をして

「おばあちゃん、しんごうはみどりやになんであおなが?」と問う。

ほんとうにそうだなと思った。どうして青って言うのかしら。

ほんの5分足らずの通園路だけれど、朝の会話はいつも楽しい。



それから四万十大橋を渡って山里に向かう朝の道。

国道でお遍路さんを発見。毛糸の帽子を被って颯爽と歩いていた。

そしてすぐに二人目のお遍路さんを発見。またまた毛糸の帽子だった。

「冬へんろ色とりどりの帽子かな」なんてつぶやきながら会釈をする。

朝一番にお遍路さんに会えた日はなんとも清々しくて嬉しくなる。



仕事は少しずつ活気が出て来て忙しさを楽しんでいた。

今日は母との会話が楽しく思えた。きっと自分が穏やかだったせいだろう。

苛々しているとついついぶつかり合ってしまうのでいけないなと思う。

何事も自分次第なのだ。ずっとずっとまあるい自分でいたいものだ。



帰宅してお大師堂へ。昨夜泊まっていたお遍路さんがいたようだ。

お札を残してくれていて嬉しかった。もしかしたら毛糸の帽子のお遍路さん。

お供えのお菓子が少なくなっていたので明日はまたお供えしようと思う。



今日も穏やかな夕暮れ。夕焼けがとても綺麗だった。

晩御飯の時、芽奈が初めて「じーちゃん」って言う。

じいちゃんのそれはそれは嬉しそうな顔。次は「ばーちゃん」かな。

「だっこ」はまだうまく言えなくて「あっこ」って言うのだけれど

食後はいつもじいちゃんに抱っこされてご機嫌の芽奈であった。


今日も穏やかな一日をありがとうございました。

今夜も焼酎でほろ酔ってまったりとこれを記す。





2016年01月07日(木) やっと会えた

晴れたり曇ったり。週末にはまた寒波がやってくるらしい。

寒の入りとはよくいったものだと思う。どうぞ冬らしくあれ。



今日はお昼にとても嬉しいことがあった。

昨日会えなかったお遍路さんが山里経由で延光寺に向かっており

「いま三原ですよ」と連絡して来てくれたのだった。

農協のあたりを歩いていると言うので急いで駆けつける。

初対面だと言うのになんとも懐かしいのが不思議だった。

清々しい笑顔。そしてとても勇ましい遍路姿であった。

いつもブログを拝見していてすっかりファンになっていたけれど

こうして会うことが叶ったのも縁あってこそだと思った。


実は四年前にも高知を歩いていてお大師堂に泊まってくれたのだけれど

到着が夜になり出発が早朝だったため会えないまま歳月が流れていた。

きっといつか会えると信じていて良かった。やっとやっと願いが叶う。


話したいことがたくさんあったけれど長く引き止めるわけにもいかず

笑顔と笑顔で別れを告げる。颯爽と歩き始めた後姿がとても眩しい。


こんなに「いい日」をありがとうございました。

今夜も手を合わせて「あした」に向かいたいと思う。



2016年01月06日(水) まあるいのが好き

寒の入り。夕方から冷たい雨が降り始める。


今日はインターネットで知り合ったお遍路さんが

足摺岬に向かうとのことで朝の道をとても楽しみにしていた。

けれども伊豆田トンネルを抜けても姿を見つけられない。

おそらくかなり早い時間に宿を出発したのだろうと思う。

一日で40キロ以上も歩く健脚の持ち主でもあった。

足摺まで追いかけて行きたい気持ちを抑えて山里へ向かう朝。

会いたいな、きっと会える気がする。まだ諦めてはいない。



仕事は少しずつ忙しくなり活気が出てきたように思う。

母とのやりとりに少なからずストレスを感じつつも

毎日が親孝行なのだからと自分に言い聞かしていた。

本音を言ってしまえば「辞めたい、逃げたい」になってしまう。

ずっとずっと穏やかな海ばかり眺めているわけにはいかない現実。

どんな日もあってよしと思おう。穏やかな日もきっとあるのだから。



帰宅してお大師堂へ。片隅にお遍路さんの荷物が置いてあった。

けれども姿は見えず。近くのコンビニに行っていたのかもしれない。

お札を残してくれたら良いな。お大師ノートもあるのだけれど。

そんな欲ばかりが頭をかすめる。泊まってもらえるだけでありがたいのに。


今日の私は少しちくちくしているのかもしれない。

どれどれどこに棘が刺さっているのかな。さあ抜いてあげましょうかね。


まあるいのが好き。好きな自分になるのは自分次第ですよ。


今夜はお歳暮でいただいた高そうな麦焼酎。めっちゃ美味しゅうございます。



2016年01月05日(火) 菜の花咲いて

どんよりとした曇り空。少し肌寒い一日だった。

朝の国道で菜の花が満開になっているのを見つける。

暖冬とはいえあまりにも早い春の訪れにおどろく。

むしょうに写真が撮りたかった。昔みたいに心を躍らせながら。



国道からいつもの山道へ。今日もお遍路さんを見つけられないと

諦めかけていたところ前方を歩く白装束のお遍路さんを発見。

すごくすごく嬉しくなってゆっくりと近づき声をかけてみた。

なんとも清々しい笑顔。遍路笠は被っておらず坊主頭に白髪がちょこっと。

私と同じくらいの年齢かなと思ったけれど溌剌としていて若々しい。

つかの間の挨拶しか出来なかったけれどたくさんの元気をいただく。


久しぶりに会ったお遍路さん。今年もたくさんの出会いがありそうな気がする。



今日も穏やかな夕暮れ。ほんのりと雨の匂いがしていた。

いつもと変わらないにぎやかな夕飯。そうして孫たちのお風呂騒動。

すごくすごく平凡なのだけれどそれがいちばんの幸せに思う。


ささやかなことも愛しくぎゅっとぎゅっと抱きしめていたい日常。

今日もありがとうございました。今夜も焼酎が美味しゅうございます。



2016年01月04日(月) きらきらの朝陽

朝の忙しさとともに日常がかえってくる。

保育園に行きたくないと駄々をこねて泣き出す綾菜をなだめつつ

「良心市にほうれん草があるかも」などど言ってやっと笑顔になった。

残念ながらほうれん草はなかったけれど、保育園に着くとお友達がいっぱい。

ばあちゃんはトトロのお山。小さな手とタッチをして「行って来ます〜」


川沿いの国道は朝陽が降り注ぎきらきらとまぶしい。

いつだったかそんな朝陽に胸がいっぱいになり涙したことがあった。

まだ若かったのだと思う。あのせつなさはどこにいってしまったのだろう。


お遍路さんの姿をさがしながら、とうとう見つけられずに山里へ。

山里は霧の朝だった。その霧をくぐりぬけると青空が広がっていた。

清々しい朝だ。わくわくとするくらいこころも晴れていた。


ぼちぼちと仕事を始めたものの、今日は開店休業状態となる。

年末の忙しさが嘘のように静かで同僚と暇を弄んで過ごす。

母が同じ話を何度もするのも恒例となり、ついつい笑ってしまった。

すっかり元気になった母だけれど、お口も達者で少し暴言も。

それにはカチンと来たけれど新年早々喧嘩などしたくはない。


さらりさらりと水に流す。流してしまえば海にだって流れ着くだろう。


今日も穏やかにまあるくおさめておしまい。いい日だったなっておもう。



2016年01月03日(日) 初春さんぽ

あけて三日。夜明け前には静かに雨が降っていたようだ。

耳を澄ますほどの雨音。その優しさはまるで春のようだった。



日中は曇り空だったけれど気温が高くなりとても暖かくなる。

娘が仕事だったのでふたりの孫と一緒にたくさんお散歩をする。

土手から河川敷までおりて草の道をどんどん歩いて行った。

「まだまだ行こうよ」と綾菜の声に励まされるように

芽奈と手をつないで汗だくになって追いかけて行った。

そうしてまた土手にあがって四万十大橋のたもとまで。

休憩所のベンチでひとやすみ。ちょこんと並んで座るふたりが

まるで絵のようにまぶたに映る。こころのシャッターを押すのはいま。


なんとも穏やかな午後だった。ゆったりと流れる大河のように。

「また来ようね」と約束をして家路につく。

「おばあちゃん、こんどはおべんとうもってこようね」と綾菜。

そうね、それがいいかも。ばあちゃんも楽しみになってきた。


楽しみは待つのではなく自ずから作るものだなとはっとするように思った。

ついつい引っ込み思案になってしまう自分にちょっぴり喝を入れる。



夕飯にお正月の昆布巻きが一本残っていて、娘が「いただき〜」と平らげる。

30本作った昆布巻きもこれでお終い。頑張って作ったかいがある。

あっという間の三が日だったけれどずっと穏やかに過ごせて良かった。


明日は仕事始め。孫たちの保育園もまた始まる。

どうかどうか穏やかな日々を。今夜も手を合わせて眠りたいと思う。



2016年01月02日(土) 新しい年に

あけてふつか。穏やかさをかみしめつつ新年を迎えた。

今年はどんな一年になるのだろうとふっと不安がってみたり

とにかく歩んでみなければ何もわからないからとすくっと胸をはったり

いろんな自分がいるけれど今年もそんなありのままの自分と

寄り添うようにつきあっていけたら良いなと思っている。



今年は年女。そしてついに還暦を迎える。

人生まだまだこれからだとはどうしても思えなくて

「終活」と言う言葉も他人事では思えなくなってきた。

だからと言っていったい何をすれば良いのかわからない。


ただただ与えられた一日を大切に過ごしていくこと。

そうして感謝の気持ちを忘れずにいつも手を合わせながら生きていきたい。


愛しい日々はまるで奇跡のよう。生きているだけでじゅうぶんに思える。

それが決して当たり前の事ではないことを忘れてはいけない。


あたらしい年をありがとうございます。しっかりと受け止めながら

一歩いっぽ大切に生きていきたいです。今年も「いのち」いただきます。






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