どんよりとした曇り空。少し肌寒い一日だった。
朝の国道で菜の花が満開になっているのを見つける。
暖冬とはいえあまりにも早い春の訪れにおどろく。
むしょうに写真が撮りたかった。昔みたいに心を躍らせながら。
国道からいつもの山道へ。今日もお遍路さんを見つけられないと
諦めかけていたところ前方を歩く白装束のお遍路さんを発見。
すごくすごく嬉しくなってゆっくりと近づき声をかけてみた。
なんとも清々しい笑顔。遍路笠は被っておらず坊主頭に白髪がちょこっと。
私と同じくらいの年齢かなと思ったけれど溌剌としていて若々しい。
つかの間の挨拶しか出来なかったけれどたくさんの元気をいただく。
久しぶりに会ったお遍路さん。今年もたくさんの出会いがありそうな気がする。
今日も穏やかな夕暮れ。ほんのりと雨の匂いがしていた。
いつもと変わらないにぎやかな夕飯。そうして孫たちのお風呂騒動。
すごくすごく平凡なのだけれどそれがいちばんの幸せに思う。
ささやかなことも愛しくぎゅっとぎゅっと抱きしめていたい日常。
今日もありがとうございました。今夜も焼酎が美味しゅうございます。
朝の忙しさとともに日常がかえってくる。
保育園に行きたくないと駄々をこねて泣き出す綾菜をなだめつつ
「良心市にほうれん草があるかも」などど言ってやっと笑顔になった。
残念ながらほうれん草はなかったけれど、保育園に着くとお友達がいっぱい。
ばあちゃんはトトロのお山。小さな手とタッチをして「行って来ます〜」
川沿いの国道は朝陽が降り注ぎきらきらとまぶしい。
いつだったかそんな朝陽に胸がいっぱいになり涙したことがあった。
まだ若かったのだと思う。あのせつなさはどこにいってしまったのだろう。
お遍路さんの姿をさがしながら、とうとう見つけられずに山里へ。
山里は霧の朝だった。その霧をくぐりぬけると青空が広がっていた。
清々しい朝だ。わくわくとするくらいこころも晴れていた。
ぼちぼちと仕事を始めたものの、今日は開店休業状態となる。
年末の忙しさが嘘のように静かで同僚と暇を弄んで過ごす。
母が同じ話を何度もするのも恒例となり、ついつい笑ってしまった。
すっかり元気になった母だけれど、お口も達者で少し暴言も。
それにはカチンと来たけれど新年早々喧嘩などしたくはない。
さらりさらりと水に流す。流してしまえば海にだって流れ着くだろう。
今日も穏やかにまあるくおさめておしまい。いい日だったなっておもう。
あけて三日。夜明け前には静かに雨が降っていたようだ。
耳を澄ますほどの雨音。その優しさはまるで春のようだった。
日中は曇り空だったけれど気温が高くなりとても暖かくなる。
娘が仕事だったのでふたりの孫と一緒にたくさんお散歩をする。
土手から河川敷までおりて草の道をどんどん歩いて行った。
「まだまだ行こうよ」と綾菜の声に励まされるように
芽奈と手をつないで汗だくになって追いかけて行った。
そうしてまた土手にあがって四万十大橋のたもとまで。
休憩所のベンチでひとやすみ。ちょこんと並んで座るふたりが
まるで絵のようにまぶたに映る。こころのシャッターを押すのはいま。
なんとも穏やかな午後だった。ゆったりと流れる大河のように。
「また来ようね」と約束をして家路につく。
「おばあちゃん、こんどはおべんとうもってこようね」と綾菜。
そうね、それがいいかも。ばあちゃんも楽しみになってきた。
楽しみは待つのではなく自ずから作るものだなとはっとするように思った。
ついつい引っ込み思案になってしまう自分にちょっぴり喝を入れる。
夕飯にお正月の昆布巻きが一本残っていて、娘が「いただき〜」と平らげる。
30本作った昆布巻きもこれでお終い。頑張って作ったかいがある。
あっという間の三が日だったけれどずっと穏やかに過ごせて良かった。
明日は仕事始め。孫たちの保育園もまた始まる。
どうかどうか穏やかな日々を。今夜も手を合わせて眠りたいと思う。
あけてふつか。穏やかさをかみしめつつ新年を迎えた。
今年はどんな一年になるのだろうとふっと不安がってみたり
とにかく歩んでみなければ何もわからないからとすくっと胸をはったり
いろんな自分がいるけれど今年もそんなありのままの自分と
寄り添うようにつきあっていけたら良いなと思っている。
今年は年女。そしてついに還暦を迎える。
人生まだまだこれからだとはどうしても思えなくて
「終活」と言う言葉も他人事では思えなくなってきた。
だからと言っていったい何をすれば良いのかわからない。
ただただ与えられた一日を大切に過ごしていくこと。
そうして感謝の気持ちを忘れずにいつも手を合わせながら生きていきたい。
愛しい日々はまるで奇跡のよう。生きているだけでじゅうぶんに思える。
それが決して当たり前の事ではないことを忘れてはいけない。
あたらしい年をありがとうございます。しっかりと受け止めながら
一歩いっぽ大切に生きていきたいです。今年も「いのち」いただきます。
夕焼け空がきれい。今日も穏やかに暮れて行く。
毎日いただいた穏やかさが天からの贈り物。
不安なことも心細いこともあったけれど
それがとても些細なことに思えて今年も終わろうとしている。
一歩いっぽ歩んできた日々、「あるこうあるこうわたしはげんき」
孫たちと歌えばこころもからだも元気いっぱいになれた。
道ばたの名も知らぬ花にも微笑みかけて
大空を舞う鳥を見あげて手をふってみたり
そのたびにほっこりほっこりとまあるくなったこころ。
生きているんだな。ここにいるんだなと思えた日々が愛しい。
きっと長生きをしてかわいらしいおばあちゃんになりたいなと思う。
いただいたありがたい日々を今年もそっと胸にしまって
また一歩、新しい年に向かって踏み出して行きたいものだ。
どうかどうかこの穏やかさがずっと続きますように。
そうしていつも笑顔で微笑んでいられますように。
ありがとうございました。わたしはしっかりと生きています。
※※ 今年最後の日記になりそうです。
ささやかな日々におつきあい下さった皆さまほんとにありがとうございます。
どうか穏やかな新年をお迎え下さいね。来年もどうかよろしくお願いします。
今朝は少し冷え込む。きりりっとした寒さが心地よく感じる。
山里は一面の霜だった。平野部よりもぐんと気温が低い。
朝の国道で赤いリュックのお遍路さん。
それから山里の道でまた逆打ちのお遍路さんに出会った。
帰り道の県道では男女二人連れのお遍路さん。
ご夫婦なのかなと思ったけれど二人ともとても若かった。
お遍路さんに会えた日はとても清々しい気持ちになる。
今年もそんなありがたさをかみしめるように終わろうとしている。
忙しかった仕事も今日は一段落、午後から暇になり早目に帰らせてもらった。
久しぶりに綾菜をお迎えに行く。今日で今年の保育は終了だった。
保育士さんたちと年末の挨拶を交わしているあいだ
綾菜は滑り台にまっしぐら。まだまだ遊び足りない様子。
四月に入園してからあっという間に八か月が過ぎた。
ずいぶんと成長した綾菜の姿がまぶしいほどに愛おしい。
今日も穏やかな夕暮れ。平穏な一日をいただいたのだと思う。
さずかった一日を抱きしめるようにたいせつに生きる。
これからもずっとずっとそんな自分でありたいと思う。
ありがとうございました。今夜もまったりとほろ酔ってこれを記す。
| 2015年12月27日(日) |
小春日和にほっこりと |
今年最後の日曜日。風もなく穏やかな小春日和となる。
午前中にお墓掃除に行く。すごい枯葉だった。
義妹とじいちゃんと三人でせっせと頑張る。
我が家のお墓は地区の墓地でいちばん古い納骨堂であった。
ちょぴりみすぼらしく見えて新しい納骨堂にしたいねと話す。
自分たちが生きているうちにそうできたらどんなに良いだろうか。
やがて息子の代になりそうして未来には圭人の代になるのだった。
午後は大掃除ならず小掃除。床の間のある和室を片付けていた。
和室は孫たちのジャングルジムと滑り台が占領していて所せまし。
なんとか床の間の掃除を済ませ少し早いけれど鏡餅もお供えする。
それなりにいい感じになり新年を迎える準備が出来てほっとした。
暖かさに誘われて玄関先の花も植え替える。パンジーとサイネリア。
綾菜が「あたらしいお花や」と喜んでくれて嬉しかった。
サイネリアはピンクのつぼみがいっぱい。咲くのがとても楽しみだ。
お大師堂ではミカンをお供えする。艶々としたオレンジ色にほっとする。
今日はお遍路さんを見つけられなかったけれど明日は会えると良いな。
穏やかなまま夕暮れ。今年も残り少なくなったけれど日々の穏やかさを
贈り物のように思って今日もぎゅっと抱きしめるような思い。
ありがとうございました。生きているってほんとに嬉しいこと。
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