ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2015年11月24日(火) ぼちぼちと

夜のうちに雨もあがり穏やかな晴天となる。

暖かいのがありがたい。昨日は二十四節気の「小雪」だったというのに。

今年は暖冬なのだろうか。それとも突然に冬がやって来るのか。



今朝は保育園まで行ったもののまともに歩けず

綾菜が「ひとりでもだいじょうぶで」と気遣ってくれて

荷物をちゃんと持って保育園の門から一人で歩いて行ってくれた。

まだ三歳とはいえずいぶんと成長したものだなと頼もしく思う。

私の不注意で幼い心にまで心配をかけていることが申し訳ない。


仕事帰りに病院へ行っていたのだけれど

靭帯が少し傷ついているとのこと、全治10日程の診断を受ける。

足を固定するサポーターを付けてもらってずいぶんと楽になった。

こればかりは焦ってもしょうがなく、ぼちぼちと治して行こうと思う。



今日のお遍路さんは4人。少なかったけれど今日も元気をいただく。

野宿なのだろうか、とても大きな荷物を手押し車に載せて歩くお遍路さん。

歩くだけでも大変なのにほんとうに頭が下がる思いであった。

明日はまた雨の予報。みんなのお遍路さんの無事を祈っている。



隣室から孫たちのはしゃぎ声、ばあちゃんは笑顔で焼酎を飲んでいます。



2015年11月23日(月) ちょっとしたアクシデント

伯母の三回忌がありじいちゃんと出掛ける。

車には大量の洗濯物を積んであって

ちょっと抜け出してコインランドリーに行ったり。

急いでいたのがいけなかったのだろうか。

わずかな段差を踏み外してしまって左足を捻挫してしまった。

帰宅してすぐに湿布をして安静にしていたのだけれど

夕方から痛みがひどくなり歩くこともままならない。

晩御飯の支度や後片付けは娘がしてくれてとても助かる。


芽奈が甘えて来るけれど抱っこできない。なんとも情けないばあちゃん。


今夜は様子を見て明日は病院へ行って来ようと思う。


どんな日もあってよしだ。これも試練とありがたく受け止めている。



アクシデントはあっても家族みんなが平穏無事。それが何よりの幸せ。



2015年11月22日(日) ふにゃふにゃと

曇り日、夕方から雨がぽつぽつ降り始める。

静かな雨だ。耳を澄ましながら雨音を聴いている夜。



今日は特に予定もなくてふにゃふにゃと怠惰に過ごしていた。

疲れが溜まっているような自覚症状はないのだけれど

午後はいつのまにか寝てしまって二時間ものお昼寝。


家族がみなそろっていたので今夜は鍋にする。

鶏団子、お豆腐、エノキダケやしめじをガツガツと食べる芽奈。

綾菜は熱いのが苦手で冷ましているうちにとうとう一口も食べず。

ご飯に冷めたお味噌汁をかけて食べるのがもう定番になっている。


にぎやかな夕食が終わるとまたにぎやかなお風呂上がり。

はだかん坊の孫たちを追い掛け回してやっとパジャマを着せる。

ばあちゃんはとてもとても忙しいけれどこれも幸せのひとこまだった。



今日は大橋を渡るお遍路さんを1人だけ見かけただけだったけれど

プチ連休でもありもっとたくさんのお遍路さんが歩いていたことだろう。

自分が動かないとその姿も見つけられないのだなとつくづくと思った。


怠惰な一日だったけれど今日もなんて穏やかな一日だったことだろう。

それが決して当たり前の事ではないのだといつもいつも思う。

ありがとさんの焼酎をまたまた今夜も飲みつつこれを記す。



2015年11月21日(土) 穏やかな空に

今日も穏やかな小春日和。少し汗ばむほどの陽気となる。


綾菜の保育園で地震、津波の避難訓練があって参加する。

けたたましいサイレンの音には訓練と分かっていてもやはり緊張する。

子供たちもいつもとは違った顔。手をつないで小学校の屋上に避難した。

小さな手を握り締めて階段を駆け上がりながら

どうかどうかこんなことが実際に起こりませんようにとひたすら祈る。

幼い命だけはなんとしても守りたいと誰もが思っていたのではないだろうか。


屋上から見上げた空のなんと穏やかなこと。

ひだまりにくるまれるように佇みながらこの平和をかみしめていた。




今日は山里の職場を休ませてもらっていたので

いつものようにお遍路さんを見かけることもないだろうと諦めていたけれど

偶然にも大橋へと向かうお遍路さんを3人見つけて嬉しかった。

綾菜が車の窓から「おへんろさーん」と呼びかけたけれど

残念ながら聞こえなかったようだ。ちょっとしょんぼりする綾菜。

「おへんろさんはいっしょうけんめいあるきよるがよ」って言って聞かす。

またきっといつかお遍路さんとお話し出来るかな。楽しみにしていようね。



今日も穏やかな夕暮れ。食いしん坊の芽奈がチキンナゲットを4つも食べる。

「すんごいおっきいぽんぽね」ってみんなで笑い合ったことだった。

この穏やかさがどうかどうかずっと続きますように。


今夜もお風呂上がりのまったりさんで焼酎を飲みつつこれを記す。



2015年11月20日(金) おひさま今日もありがとう

今日も11月とは思えないほどの暖かさ。

このまま寒い日が来なければどんなによいだろうか。

けれども寒さなければ花は咲かずで冬も大切な季節である。



今日のお遍路さんは9人。

朝の国道で3人。山道で2人。帰り道の県道で4人だった。

山道の道端で一服中だったお遍路さんに声をかけることが出来た。

とても美味しそうに煙草を吸っている姿が微笑ましくて

こればかりは愛煙者でなければわからない気持ちなのだけれど。

「歩けそうですか?」と問うと「はい、歩きますよ〜」と元気な声。

なんだか初めて会ったのに昔から知っている人のような親近感があった。




金曜日の仕事はいつも忙しく、今日も少しばたばたしながら頑張る。

退院から二週間目の母はまだまだリハビリのような日々が続いている。

気苦労がないようにと気を遣いつつのんびりさせようとしているのだけれど

それが裏目に出てしまって母の機嫌を損ねてしまう時もあったり。

思うようにいかないこともあるけれど「なるようになっている」のだろうか。



帰宅してお大師堂でお参りを済ませてから、少しだけ芽奈とお散歩。

夕陽がまぶしくて目を細める姿がなんとも愛らしい。

おひさま今日もありがとう。また明日ねって空と約束した。


そうして今日も穏やかに暮れて行く。幸せはやはり「仕合せ」




2015年11月19日(木) 不思議なパワー

「おばあちゃん、なんかおそらがうみみたいなね」

綾菜と一緒に空を仰ぐ朝。やっと晴れたねと嬉しかった。

保育園に送り届けると、いつもタッチの手を合わせて別れる。

幼い小さな手のひらから不思議なパワーが伝わってくるよう。



今朝は国道から山道に入る直前までお遍路さんを見つけられなかった。

やっと1人、赤いリュックで眼鏡をかけたとても若い青年だった。

その青年をまた帰り道の県道でも見かける。

途中で休憩をしたとしても6時間ほど歩いて来たことになる。

車だと15分ほどの距離、歩くと言うのはほんとに大変な事なのだ。

その青年にエールを送りつつ追い越して行くともう1人のお遍路さん。

今日は2人のお遍路さんで、いつもよりぐんと少なかったけれど

毎日こうしてお遍路さんの姿を数えながら、頂いているパワーは大きい。




帰宅してお大師堂へ。昨日は雨のせいにしてお休みしてしまったけれど

日捲りの暦をちゃんと「今日」にしてくれていてほっと嬉しかった。

お供えのお菓子も少しずつ減っていて、お参り仲間さん達の笑顔が目に浮かぶ。

数年前までは「お大師組」という高齢者のグループがあったのだけれど

今ではもう殆どの人が亡くなってしまってとても残念に思う。

また新たに「お大師組」を発足してみるのはどうだろうかとふと考える。

もちろんよぼよぼのお婆さんになっても私もその一員でありたい。



いろんなことを考えながらいろんなことを想いながら

今日もいただいた一日を全う出来たように思う不思議な充実感があった。

お疲れさんとありがとさん。今夜もご褒美の焼酎を飲みつつこれを記す。



2015年11月18日(水) 雨が降りますあめがふる

朝からずっと雨が降り続いている。今日の雨も暖かい雨だ。


そんな雨の朝、大橋を渡るお遍路さんが1人。

それから国道、山里、帰り道と4人のお遍路さんを見かける。

そして今日も団体さんの大型バスが山里に停まっていた。

職場のすぐ近くの農改センターでトイレ休憩をしていたようで

何人かのお遍路さんの姿が見えたけれど数えることが出来なかった。

せめてもとバスに近づきナンバーを確認。大阪ナンバーだった。

バスツァーというのも良さそうだなと興味がわいてくる。

志をひとつにして老若男女が縁を深めるよい機会になりそうだ。


あいにくの雨だったけれど、どうかどうかよき旅を。




仕事を終えて、今日は免許の更新に警察署へ寄る。

あっという間の5年だった。もう写真を撮るのも気恥ずかしい年頃。

白髪も染めずにそのままでなんだかありのまま過ぎる自分だった。

また5年後、私はどんなおばあちゃんになっているのだろうか。


帰宅すると台所からカレーの美味しそうな匂いが迎えてくれる。

今日は娘がお休みだったので早目にカレーを作ってくれていた。

それは自分が作るよりずっと美味しい。ありがとさんとごちそうになる。


食後、とても久しぶりに芽奈とお風呂に入った。

長湯になりちょっとしんどかったけれど楽しいお風呂だった。

元気なばあちゃんでいなくてはとつくづく思う。

孫とお風呂にも入れなくなったらあまりにも寂し過ぎる。


雷さんがごろごろと鳴って空がおこりん坊している夜だけれど

こころはとても穏やかにまったりまったりこれを記す。


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