ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2015年11月13日(金) どしゃ降りの雨

朝から降り始めた雨が今も降り続いている。

風も強くなんだか嵐のような一日だった。



そんな悪天候の中、帰り道の県道で1人のお遍路さん。

まだ若い青年だった。杖を二本にして颯爽と歩いていたけれど

どんなにか辛いだろうと気遣いながら追い越して行く。

声をかけたくてたまらなかったけれどそれさえも出来ず。

こころで手を合わしながらそっとエールを送った。


今日はそのお遍路さん1人だけだったけれど、

いつもは楽しみにしていることでも

今日ばかりは少なかったら良いなと思っていたのだった。



どしゃ降りの雨のせいにして今日はお大師堂参りもお休みする。

こだわらないこと。たまにはこんな日もあって良しと思うことに。



金曜日の夜はいつもふにゃふにゃになっているのだけれど

明日も仕事なのでまだまだ気が抜けないかなと思いつつ

今夜も焼酎を飲みつつこれを記す。少し酔ってきたかな。




2015年11月12日(木) 毛糸の帽子

暖かく穏やかな晴天。小春日和と言うのだろうか。

今日も忙しかったけれど、そんな忙しさを楽しんでいた。



今日のお遍路さんは6人。最近少しずつ少なくなっているようだ。

朝の大橋で最初のお遍路さん、それから国道で1人。

山道では1人も見かけず仕事中の山里で1人。

帰り道の県道で3人、その3人はとても若かった。

袖のある白装束をきちんと着ていてなんとも凛々しい姿。

ひとりひとりに声をかけられたらどんなに良いだろうかと思う。



帰宅して今日もお大師堂へ。

お参り仲間さんと会って一緒におせんべいをいただく。

そうして新しいおせんべいをまたお供えして帰る。



娘がお休みだったので綾菜と芽奈と一緒に少しだけお散歩。

近所に住むいとこが綾菜たちにと毛糸の帽子を編んでくれていた。

なんとも嬉しいこと。ふたりともよく似合っていてすごく可愛い。

その帽子を被ったまま晩御飯も食べたりして楽しかった。

今日も笑顔の食卓となりお腹もこころもいっぱいになる。


毎日こうして「ありがとさん」って言える日々がとても愛しい。

今夜もまったりと焼酎を飲みつつこれを記す。





2015年11月11日(水) 飛行機雲

今朝は青空に飛行機雲がいくつも見えていた。

「ひこうきぐもよ」と綾菜に教える。

空を不思議そうに見上げるつぶらな瞳が愛しい朝。



今日の遍路道は5人のお遍路さん。

早朝に見かけたお遍路さんは大橋ではなく市街地に向かっていた。

国道では1人も見かけず山道に入ってやっと1人。

今日は少なそうだなと思っていたのだけれど

帰り道の県道で3人のお遍路さんを見かける。

1人は茶髪でサングラスをかけていた。

ショートヘアーだったので男性かなと思ったのだけれど

すらりと伸びた綺麗な足は女性だったのかもしれない。

観察と言うのも失礼だけれど、いろんなお遍路さんがいて興味深い。



帰宅して今日もお大師堂へ。

ここ数日娘の帰りが早いので綾菜をお迎えに行ってくれて助かる。

おかげで時間を気にせずゆっくりとお参りが出来る。

今日もきらきらの川面を眺めながらおせんべいをいただいた。

お参り仲間さん達もきっとそうしているのだろう。

毎日少しずつ減っていくのがなんだか嬉しい。


忙しい一日だったけれど今日も平穏無事に暮れて行く。

いつもと変わらない平凡こそが幸せなのだなとつくづく思う。

今夜もありがとさんとまったりさんで焼酎を飲みつつこれを記す。



2015年11月10日(火) おひさまばんざい

爽やかな晴天。久しぶりの青空がとても嬉しかった。

洗濯物を干すのがすごく楽しい。ちっちゃくて可愛い服を

近所の人達に見せびらかすように干したりするのだった。



今日の遍路道は5人のお遍路さんとマイクロバスの団体さん。

バスは対向車で足摺方面からやって来た。

白装束のお遍路さんたちがたくさん乗っているのが見える。

歩き遍路に憧れているけれどバスも良いかなとふと思う。



母の様子をみながらぼちぼちと仕事。

はらはらとすることが多く、なんだか母を見張っているような気分。

ついつい優しい口調にもなり、母の笑顔を楽しみにしてみたり。



帰宅して今日もお大師堂へ。

西日が射しこむお堂のほんわかとあたたかいこと。

きらきらと光る川面をながめながらお供えのおせんべいをいただく。

穏やかな川の流れにとろけてしまいそうな自分がいた。


今日も平穏無事、孫たちとふれあいながら夕食のしたく。

忙しさが少しも苦にならないのはふたりの孫のおかげだと思う。


今日もありがとさん。まったりまったり焼酎を飲みつつこれを記す。



2015年11月09日(月) あしたは晴れますように

どんよりとした曇り空。少し蒸し暑さを感じるような気温。


自宅療養をと言って聞かせていた母がやはり出勤して来る。

しっかりとお化粧をしていて思っていたよりも元気そうに見えた。

会うのがこわいなどと思っていたことを心の中で詫びる。

少なからず緊張感はあるけれどやはり懐かしいほどの母の姿。

しばらくは様子を見乍ら決して無理をさせないように見守りたいと思う。




今朝は珍しくお遍路さんの姿をひとりも見かけなかった。

こんな日もあるのだなともう諦めかけていたけれど

帰り道の県道で立て続けに8人のお遍路さんを見つけて嬉しかった。

そのなかの1人はなぜか道端に立ち止まっていて不安そうな様子。

気になったのですぐにクルマを停めて声をかけてみた。

今夜泊まる予定の遍路宿の場所がわからなくなってしまったのだそうだ。

「清水川荘」もうすでに通り過ぎている場所だった。

宿のご主人が迎えに来てくれるのを待っているところだったらしい。

良かった、きっとすぐに来てくれるだろう。ほっとしてお別れする。

気になった時は声をかける、これからもそう心がけようと心に誓う。



帰宅してお大師堂へ。今日は誰も居なくてひっそりと静かだった。

バイク旅の青年も予定通り今朝旅立ったようだった。

きっと良き思い出となったことだろう。それが何よりも嬉しいこと。



夕暮れてまたまた孫三昧をしながらみんなでわいわいと夕食。

「ピンクのおさかながたべたい」と綾菜のリクエストで鮭のムニエル。

芽奈も食べたがり骨に気を付けながら少しずつ食べさせる。

みんなみんな美味しい顔、ばあちゃんはすごい嬉しかったよ。







2015年11月08日(日) めぐりあってふれあって

雨のち晴れ。立冬とは思えないほどの暖かさとなる。

雨の中、四万十大橋を渡るお遍路さんが4人。

横殴りの雨の中、どんなにか難儀な事だろうと気遣う。


お昼前には雨があがって久しぶりの青空が見えた。

お大師堂の例の青年が気になり様子を見に行っていた。

そうしたらちょうど荷造りを整え靴を履いているところだった。

半日ではそれほどの距離は歩けないだろうと察する。

「行けるところまで行ってどこででも寝ます」と笑って言う。

その笑顔になんだかとても励まされた。なんとかなるものなのだ。


青年を見送ってからもう一人一緒に泊まっていた青年と少し語らう。

お遍路さんではないのだけれど愛犬と一緒にバイクで旅をしているとのこと。

藤沢ナンバーのバイク、ずいぶんと遠い所から来てくれたのだった。

大橋のたもとの東屋で犬と野宿をしていたところ声をかけてもらって

昨夜はお大師堂で泊まることになったのだそうだ。

その声をかけてくれた人のお宅でお風呂にも入れたととても喜んでいた。

「高知の人ってみんなすごい親切なんですね」って言われてすごく嬉しかった。

「みんなおせっかいながよ」って笑って応えるおばちゃんもそのひとり。


明日の朝は旅立つと言う青年と別れの言葉を交わして家に帰った。

めぐりあってふれあって、縁と言うものはほんとに素晴らしいなと思った。


おかげで今日も清々しく穏やかな一日を過ごさせてもらった。

ありがとさんの焼酎も美味し、まったりまったりとこれを記す。





2015年11月07日(土) 飴とムチ

雨が降ったりやんだり。冷たい雨でなくてよかった。


昨日母が退院したのだけれどまだ本調子ではなく

しばらくは自宅療養をするように言って聞かせる。

入院している間に10キロも痩せてしまったようだ。

どんなにかやつれていることだろう、とても気になっている。

会いたいような会うのがこわいようなちょっと複雑な気持ち。

薄情な娘は母の留守中の仕事をひたすら頑張ることしか出来ない。




今日のお遍路さんは7人。トンネルの中だったり帰り道だったり。

そうしてお大師堂で先日再会したばかりの青年にまた会うことが出来た。

お供え物のミカンやお菓子がやはりほとんど無くなっていた。

托鉢をしながらの日々だけれどおそらく所持金が底をついているのだろう。

なんとも憐れでならない。また母の気持ち、姉の気持ちになってしまう。

帰宅して大急ぎでおにぎりを持って行ってあげようと思ったのだけれど

今日に限ってご飯が少なくておにぎりが作れなかった。

コンビニへ走りお弁当とパンを買い求めまたお大師堂へ向かう。

ほんとはすごくおせっかいなことなのかもしれないけれど

一日だけでもおなかいっぱい食べさせてあげたかった。


連泊を希望する青年にすこし苦言も言ってしまう。

まるで「飴とムチ」のようなことを平気でしてしまうおばさんだった。

お参り仲間さん達の苦情も耳にしていてある程度のわきまえも必要かと。

青年は快くうなずいてくれたけれど、やはりとても心苦しいことだった。


若い時の苦労は買ってでもしろとよく言うけれど

今の苦労がいつかきっと報われる時が来るだろうと信じてやまない。


さらりさらり、今日も穏やかなまま大河は流れていた。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加