今朝はどしゃ降りの雨。一日中降ったりやんだりだった。
そうしてとうとう八月も最後の日。夏よさらばの気持ち。
仕事のストレスが半端じゃない。月末は特にそれがひどい。
親孝行の気持ちもどこへやら。今日は本気で辞めたいと思った。
と、ぶちまけてみる。私だってたまにはそんな時がある。
けれどもなんとかかんとか月末のやり繰りを乗り越えてみると
まあ良かったじゃないかと思えるゲンキンさもそなえている。
苦労をぜんぶ母に押し付けるわけにはいかない。
ふっと弱音をはく母のそばにいてあげるだけでも良いのかもしれない。
家に帰るとどっと肩の力が抜けて今にも崩れ落ちそうだった。
夫が愚痴を聞いてくれる。「そうか、そうか」となんとも癒される。
綾菜を保育園にお迎えに行ったら「おばあちゃんのながぐつは?」
そうだった。今朝の大雨に私が長靴を履いていないのを気にしていた。
「お迎えの時はちゃんと履いてくるね」って約束していたのだった。
忘れん坊のおばあちゃんと長靴をはいた綾ちゃんが手をつないで帰る。
娘と芽奈が帰って来ると我が家はまるで「ひまわり畑」のよう。
今日は芽奈が「わんわん」って初めて言った。
私が犬の真似をしてじゃれると「わんわん、わんわん」って。
そうして大はしゃぎて「きゃっきゃっ」と声を出して笑ってくれる。
どんな日があっても何があっても、そうして癒されていく日々。
今日もありがとうございました。私はこんなに幸せです。
雨のち曇り。朝方は雷を伴い激しく降る。
そんな悪天候のなか今日は津波の避難訓練があった。
午前9時、サイレンが鳴り響き避難を開始する。
訓練だとわかっていてもなんとも不安なものだ。
もしも現実ならばちゃんと逃げられるだろうかと思った。
それは今夜かもしれない明日かもしれないのだもの。
家族がみんな一緒に居るとは限らない。
いろんな不安が押し寄せて来てとても怖かった。
だからこそ平穏無事がどんなにありがたいことか。
今日は特にそう思った。身に沁みるような穏やかさ。
もっともっと日々を愛しみ大切に過ごしていきたいと心に誓う。
ありがとうございました。手を合わせば家族みんなの笑顔が浮かぶ。
曇りのち雨。ずいぶんと涼しい。
今夜は花火大会だったけれどこの雨では無理だろうか。
延期の情報も入らないまま夜になってしまった。
雨音を聴きながら、もしかしたらと花火の音を待っている。
花火か、もう何年も見ていない気がする。
白い花火がすごい好きだった。雪のように散る花火だ。
まだ私にも「せつない」と言う気持ちが残っていた頃。
若かったのだと思う。あのせつなさが今では懐かしい。
昨夜はなぜか眠れなくて怖い夢ばかり見ていた。
こころはこんなに穏やかなのにいったいどうしたことだろう。
今夜はぐっすり眠りたい。ふかくふかく沈みこむように。
日に日に朝晩が涼しくなってきている。八月も残り少なくなった。
今日は海苔の漁場を個人別に分ける仕事があって久しぶりに川へ。
撤収作業から三ヶ月ほど、もう次の準備が始まったのだ。
早いものだなとつくづく思う。背中を押されているように日々が巡る。
人手が少し足らなくてお仲間さんの従兄弟の手伝いもした。
そうしたら夕方ビールが届く。思いがけずにとても嬉しかった。
みんなで助け合う気持ち。ほんとに当たり前の事をしただけなのだけれど。
綾菜が帰って来てから一緒にテレビを見ていた。
おじいちゃんのお膝が大好き。いつも抱っこしてもらってテレビを見る。
芽奈が帰って来るとふたりでおじいちゃんの取り合いっこをする。
微笑ましいことがたくさんあってほんとに幸せだなと思う。
同居を始めて今日で一年。ほんとにあっという間の一年だった。
もうすぐ一歳になる芽奈が今夜は初めて歩いた。
ふたりの孫の成長をこうして毎日見ていられることのありがたさ。
おじいちゃんもおばあちゃんもぜったいに長生きをするね。
穏やかなまま今日という日を胸にしまう。
明日もきっときっと「いい日」になりますように。
今日も爽やかな晴天。暑さもそれほど気にならなかった。
朝の山道に栗が落ちていた。ちいさな秋を見つけた気分。
母の通院日。遠路はるばる高知市内の病院まで行く。
社長も同僚も稲刈りで工場は開店休業だった。
一人で留守番。早弁をしたりしてのんびりと仕事。
午後、社長から急な仕事を頼まれて一気に忙しくなる。
定時には帰れそうになかった。念のために保育園に電話する。
延長保育をしてくれるとのこと。ほっとひと安心して仕事をこなす。
いつもより一時間ほど遅くなり帰宅。すぐに保育園に向かった。
綾菜はもっともっと遊びたいモードで帰りたくないと駄々をこねる。
ブランコ、滑り台と走り回ってやっとクルマに乗ってくれた。
娘も遅番だったので晩御飯の支度も忙しい。
けれどもそんな忙しさを楽しんでいる自分がいた。
いっぱいいっぱいなのだけれど不思議と意欲がわいてくるのだった。
同居を始めてから明日でもう一年。母さんでもあるばあちゃんはすごい頑張った。
走り抜けたような一年を胸にぎゅっとしてまた歩み始めようと思う。
台風一過の爽やかな青空。空も風も一気に秋らしくなった。
冬が終わる時は嬉しいけれど夏が終わるのはなんだか淋しい。
ラジオからそんな声が聴こえて来た。ほんとにそうだと思う。
朝の道で昨日のお遍路さん、常連さんの青年とばったり会った。
お賽銭を早目に回収しといてねと言って笑顔で去って行く。
仕事を終えていつものようにお大師堂へお参りに行くと
なんと百円玉が五個も入っていた。お大師堂にとっては大金である。
二人の青年が入れてくれたのだろう。なんとありがたいことだろう。
なんのお接待も出来なかったことが少し悔やまれる。
もっともっと自分に出来ることがあったはずなのだけれど。
お賽銭を回収しながら手を合わせた。なんとも清々しい気持ちである。
気がつけば先日の「残念な事」などもうすっかり忘れている自分がいた。
二人の青年遍路さんと一緒にお大師さんが居てくれたような気がする。
幸いなことに台風の直撃は免れたけれど
九州や山口ではかなりの被害があったようで心を痛めている。
とても他人事ではなかった。いつだって明日は我が身である。
仕事は休みになり自宅待機、雨はそれほどではなかったが風がとても強い。
孫たちの保育園も出来るだけ家庭保育をと連絡があったけれど
綾菜がどうしても行きたがり強風の中を連れて行く。
芽奈はお休みしてじじばばと一日を過ごしていた。
目が離せないけれど一人遊びが出来るようになったのでずいぶん助かる。
午後、雨もやんでいたのでお大師堂へ。
昨日のお遍路さんのことがとても気になっていた。
悪天候の中を無理して旅立ったのではないかと。
よかった。ちゃんといてくれた。笑顔で再会する。
もう一人、常連さんのお遍路さんも一緒にいて話がはずむ。
徳島で私とそっくりな人に会ったとか思わず笑ってしまった。
二人ともまだ若いお遍路さん。まるで息子のような二人だった。
なんのお接待も出来なかったけれど「母のこころ」が届けばいいな。
とても清々しい気持ちで二人と別れる。どうかどうか無事でと願いながら。
濁流が渦巻く大河もすぐに穏やかな流れを取り戻すだろう。
さらりさらりと水に流す。いつだってそうでありたいものだ。
|