ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2015年06月16日(火) 儚いひとになる

ぽつりぽつりと雨が降る。静かで優しい雨。


還暦が近くなったせいかまた同窓会の報せが届く。

青春時代を過ごした県東部の海辺の町だった。

「絶対に来てね」と当時の親友が言うのだけれど

「行けない」と言ったらどんなにか残念がるだろうか。

聞けばつい最近亡くなった同級生もいるということ

会える時に会っておかなければいつ最後になるやら。

すごくすごく複雑な気分になってしまって考え込むばかり。


懐かしい友たちの顔が目に浮かぶ。

それは最後に会った日のそのままの姿であった。

歳月は流れてしまったけれど、あの時のままで

それでよいのではないかとふと思ったりしている。


私は「行かない」行けないのではなくて「行かない」

薄情なのかもしれないけれど、いや私はきっと儚いひとなのだ。



2015年06月15日(月) 人生ってこんなもの

今朝は晴れていたけれど夕方からまた雨が降り始めた。

静かな雨だ。こんな雨音を聴きながら眠るのが好き。



母がまた高知市内の病院へ。検査入院で一泊で帰る予定。

心臓がぼろぼろになっているのだろうか・・・。

ゆっくりと楽をさせてあげたらどんなに良いだろうかと思う。

お昼に母から電話、仕事の事ばかり話しているのだもの。



帰宅してお大師堂でいろんなことを考えながら手を合わす。

何事もまあるくおさまっているようでどこかに傷があるような日々。

その傷の手当てもままならないままただただ流れていく日々だった。

けれどもそれが「人生」って言うものかしらと考えたりした。

言い換えれば傷のない人生なんてありえないのだもの。


転んでも泣き続けていてはいけない。

傷口はかさぶたになりやがて「ああ、あの時の傷」って思い出にさえなる。



2015年06月14日(日) 雨の日曜日

雨の日曜日。少し肌寒い雨だった。


今日で生後9ヶ月になった芽奈といちにち過ごす。

ハイハイからつかまり立ちへ、日に日に成長している姿が微笑ましい。

お守りも目が離せなくて追い掛け回しているけれど

それもじじばばの楽しみでありがたいことだと思う。



孫たちとふれあう日々、ああ長生きがしたいなといつも願っている。

まだそんな年ではないでしょと人によく言われるけれど

ある日突然ぽっくり逝ってしまわないとは限らないから

それは考えただけで恐ろしくて不安でいっぱいになってしまうのだ。


今日も生きていた。明日も生きていたい。毎日毎日そう思う。

「ありがとうございました」今日も手を合わせて眠ろう。



2015年06月13日(土) 綾菜とお昼寝

晴れのち雨。大急ぎで洗濯物を取り入れたり。

綾菜がお手伝いしてくれた。小さな手に洗濯物を抱えて。



土曜日は芽奈は夕方まで保育園が預かってくれるのだけれど

綾菜はお昼に迎えに行かなければいけなくて忙しいばあちゃん。

お昼ご飯を食べさせたり遊び相手になったり。

お昼寝もなかなか寝てくれなくて「ももたろう」の本を読んだ。

それでも寝てくれないので「目をつむらないと鬼がめん玉を取りにくるよ」

「めん玉にマヨネーズつけて食べるがぜ」って言ったら慌てて目をつむる。


微笑ましくて穏やかな午後となった。ばあちゃんも一緒に添い寝。

静かな雨音を聴きながらうつろうつろしていた。

なにか夢をみていたような気がするけれどなんだっけ?



2015年06月12日(金) 真夏日に

梅雨の晴れ間。気温は32℃を越えとても蒸し暑い真夏日となる。


仕事を終えて帰宅、今日はお大師堂に行く事が出来た。

やはり思っていた通り例のお遍路さんがノートに書き残してくれていた。

徳島へ一度帰宅してからまた出直すとのこと。

ほっとしたのと、どんなにか悔しかった事だろうと複雑な気持ち。

けれどもお大師さんはきっとまた呼んでくれるから。


ノートには「またきっと会いましょう」と綴られていた。

私も従兄弟もなんだかまた会えそうな気がしている。

今度こそは四万十大橋を渡れることだろう。


ささやかな出会いだったけれど忘れられない出会いとなった。

一期一会。ほんとうにご縁があったのだなと思う。



2015年06月11日(木) やまない雨はない

「やまない雨はないのだから」ふとつぶやきながら職場へ向かう。

雨合羽を羽織ったお遍路さんがふたり険しい峠道を上って行く。

いつも声をかけられなくてその背中に手を合わすばかり。


お大師堂の例のお遍路さんはどうしているだろうかと気がかりでもあった。

徳島へ帰る決心をして駅に向かっているだろうか。

もしかしたら無理を承知で足摺岬に向かったのかもしれない。

お大師堂に何か書き残してくれているような気がしていたのだけれど

今日に限って帰宅が遅くなる。綾菜のお迎えの時間になっていて

すごく気になりながらもお大師堂へ行く事が出来なかった。


どんな日もあってよしか。諦めてしまうとなんだかせつない。

こころにぽっかりと穴が開いてしまったような気分になる。


その穴にも雨が降る。大きな大きな水たまりが出来る。


「あしたははれやって」綾菜の声ににっこりと微笑み今日が暮れる。



2015年06月10日(水) もし出会わなければ

梅雨の中休み。午前中は薄っすらと陽射しがあって嬉しかった。

仕事を休ませてもらって整形外科へ。
川仕事の撤収作業をしていた頃からずっと骨盤のあたりの痛みがあった。
あまりに長引くので今日こそはと診てもらったのだけれど
特に骨には異常なしとのこと。湿布薬でしばらく様子見となった。
すぐには治らないのは年のせいか。気長に付き合っていくしかないだろう。


午後お大師堂へ。ちょうど従兄弟と一緒になってよかった。
例のお遍路さんも午前中に病院へ行っていたようだった。
話を聞いてなんとびっくり。てっきり食あたりだと思っていたけれど
なんとマダニに咬まれていたことが分かったのだそうだ。

恐るべしマダニである。感染症で死亡する人もいるらしく鳥肌が立った。
そのマダニをお医者さんが見つけてくれて切開して取り除いてくれたそうだ。
潜伏期間からするとまだ徳島を歩いている時に咬まれていたようだ。
ちょうど胸のあたりでお遍路さんも重い荷物のせいの痛みと思っていたらしく
まさかそのせいで腹痛や下痢に襲われるとは思ってもいないことだったようだ。

お医者さんはしばらくの安静を勧め一度帰宅するように助言したらしいが
お遍路さんはなかなか決心がつかないようで今日も迷っていた。
私も従兄弟と一緒に一時帰宅を勧める。区切り打ちでも良いのではないか。

「お大師さんがまたきっと呼んでくれるから」と励ますばかり。

聞けば三日前、四万十大橋を渡ろうと思っていた時に腹痛に襲われたとのこと。
そうしてお大師堂までやっとの思いで辿り着いたのだそうだ。

お大師さんが引き止めてくれたのだと思う。きっときっとそうに違いない。

歩き続けることにこだわってはいけない。そんな声も聞こえる気がする。


嘆くばかりのお遍路さんを精一杯励ますことしか出来なかったけれど

私も従兄弟もかけがえのないご縁をいただいたのだと思った。






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