梅雨の晴れ間。気温は32℃を越えとても蒸し暑い真夏日となる。
仕事を終えて帰宅、今日はお大師堂に行く事が出来た。
やはり思っていた通り例のお遍路さんがノートに書き残してくれていた。
徳島へ一度帰宅してからまた出直すとのこと。
ほっとしたのと、どんなにか悔しかった事だろうと複雑な気持ち。
けれどもお大師さんはきっとまた呼んでくれるから。
ノートには「またきっと会いましょう」と綴られていた。
私も従兄弟もなんだかまた会えそうな気がしている。
今度こそは四万十大橋を渡れることだろう。
ささやかな出会いだったけれど忘れられない出会いとなった。
一期一会。ほんとうにご縁があったのだなと思う。
「やまない雨はないのだから」ふとつぶやきながら職場へ向かう。
雨合羽を羽織ったお遍路さんがふたり険しい峠道を上って行く。
いつも声をかけられなくてその背中に手を合わすばかり。
お大師堂の例のお遍路さんはどうしているだろうかと気がかりでもあった。
徳島へ帰る決心をして駅に向かっているだろうか。
もしかしたら無理を承知で足摺岬に向かったのかもしれない。
お大師堂に何か書き残してくれているような気がしていたのだけれど
今日に限って帰宅が遅くなる。綾菜のお迎えの時間になっていて
すごく気になりながらもお大師堂へ行く事が出来なかった。
どんな日もあってよしか。諦めてしまうとなんだかせつない。
こころにぽっかりと穴が開いてしまったような気分になる。
その穴にも雨が降る。大きな大きな水たまりが出来る。
「あしたははれやって」綾菜の声ににっこりと微笑み今日が暮れる。
梅雨の中休み。午前中は薄っすらと陽射しがあって嬉しかった。
仕事を休ませてもらって整形外科へ。 川仕事の撤収作業をしていた頃からずっと骨盤のあたりの痛みがあった。 あまりに長引くので今日こそはと診てもらったのだけれど 特に骨には異常なしとのこと。湿布薬でしばらく様子見となった。 すぐには治らないのは年のせいか。気長に付き合っていくしかないだろう。
午後お大師堂へ。ちょうど従兄弟と一緒になってよかった。 例のお遍路さんも午前中に病院へ行っていたようだった。 話を聞いてなんとびっくり。てっきり食あたりだと思っていたけれど なんとマダニに咬まれていたことが分かったのだそうだ。
恐るべしマダニである。感染症で死亡する人もいるらしく鳥肌が立った。 そのマダニをお医者さんが見つけてくれて切開して取り除いてくれたそうだ。 潜伏期間からするとまだ徳島を歩いている時に咬まれていたようだ。 ちょうど胸のあたりでお遍路さんも重い荷物のせいの痛みと思っていたらしく まさかそのせいで腹痛や下痢に襲われるとは思ってもいないことだったようだ。
お医者さんはしばらくの安静を勧め一度帰宅するように助言したらしいが お遍路さんはなかなか決心がつかないようで今日も迷っていた。 私も従兄弟と一緒に一時帰宅を勧める。区切り打ちでも良いのではないか。
「お大師さんがまたきっと呼んでくれるから」と励ますばかり。
聞けば三日前、四万十大橋を渡ろうと思っていた時に腹痛に襲われたとのこと。 そうしてお大師堂までやっとの思いで辿り着いたのだそうだ。
お大師さんが引き止めてくれたのだと思う。きっときっとそうに違いない。
歩き続けることにこだわってはいけない。そんな声も聞こえる気がする。
嘆くばかりのお遍路さんを精一杯励ますことしか出来なかったけれど
私も従兄弟もかけがえのないご縁をいただいたのだと思った。
降り続いていた雨がやっとやんで西の空が茜色に染まる。
明日は晴れるのかもしれない。そんな空をほっと仰いでいる。
お大師堂に体調を悪くしたお遍路さんが逗留している。 腹痛と下痢でとても先には進めそうにないとのこと お参り仲間のいとこが正露丸を届けてあげたらしい。
そのことを今朝いとこから聞いて様子を見がてらお大師堂へ。 40歳ぐらいだろうか、徳島の霊山寺のすぐ近くに住んでいるのだそうだ。
諦めて帰ろうと思えばすぐに帰れるのだけれど ここまで来たからにはなんとしても結願したいと話してくれる。 進みたくても進めない、どんなにかもどかしいことだろうか。
とにかく体調が良くなるまで休むことをすすめた。 正露丸で少しは落ち着いたらしいけれど、まだ本調子ではなく 明日は病院へ行ってみようかと言うことになった。
幸い市街地まで行かなくても胃腸科のある病院が近くにあって その病院をおしえる。タクシーで行くから大丈夫と応えてくれた。
車で5分の道のりも歩けば一時間近くかかるのだった。 「歩く」ってほんとに大変なことなのだなとつくづく思った。
どうか大事に至りませんように。きっときっと治りますように。
明日も会う約束をして別れる。お大師さんどうか彼を見守ってあげて下さい。
朝からずっと雨が降り続いている。
「あしたもあめやって」綾菜はずっかりお天気お嬢ちゃん。
月曜日の仕事はぼちぼち。来客もなくしんと静か。
雨のせいかもしれない。母となんだかしょんぼりとしていた。
私はついついマイナス思考。いつも悪い事ばかり考えている。
けれども母はいつだってあっけらかんとしていて好きだなと思う。
「生きていたらきっと良いこともあるけん」そう言って微笑んでくれた。
昔話になるけれど多感だった少女の頃。 母と離れ離れに暮らしていた時期が7年ほどあった。
FMラジオのリクエスト番組が流行っていてよく聴いていたっけ。 NHKの高知放送局だった。常連になってスタジオにも度々遊びに行ったり。 そして何度か声の出演も。私は「青い鳥さん」と呼ばれていた。
その放送を母も遠くの町で聴いていたのだと思う。 ある日、「ひまわりおばさんから青い鳥さんへ」と曲が流れたのだった。
すぐに母だとわかった。どんなにか恋しく会いたかったことだろう。
ひまわりおばさんはそれから毎週のように葉書を出し続けていた。 そして私も「青い鳥からひまわりおばさんへ」と葉書を出す。
そんなささやかなふれあいがどんなにか励みになったことだろうか。
母と再会できた時は二十歳になったばかりの頃。
「ひまわりおばさん?」私は決して訊かなかった・・・。
晴れのち曇り。また雨が近づいているようだ。
娘が仕事だったので芽奈のお守りを任される。
綾菜は娘婿がずっと遊んでくれたのでずいぶんと助かる。
芽奈はほんとうに手のかからない子でお守りも楽だった。
ただ「ハイハイ」をし始めたので目が離せないのだけれど。
じいちゃんと二人係で「ほれほれ」言いながらの孫日和だった。
そうして今日も平穏に暮れて行く。決して当たり前ではない「平穏」
娘たちと同居を始めてもう9ヵ月が過ぎたのだなとしみじみと思う。
いただいた日々をありがたく受け止めてただただ感謝するばかり。
「生きているんだな」って思えるのも家族のおかげだなとおもう。
昨日の大雨がうそのように素晴らしい青空。
梅雨特有の蒸し暑さもなくなんとも爽やかな一日だった。
今日は「紫陽花まつり」のイベントがあったので楽しみにしていたけれど
芽奈がまた熱を出してしまってお守りをしなければならず断念。
でも紫陽花はまだしばらく楽しめそうなので近いうちに見に行けそうだ。
熱はあっても元気で食欲もある芽奈と一日を過ごすのもまたよし。
もうひとつ、今夜は山里の小学校の同窓会の報せも届いていたけれど
さんざん迷った挙句「欠席」を選んでしまった。
情けないことだけれど経済的な理由がいちばんだった。
夫も娘も「行って来たら」と勧めてくれたのだけれど財布がうんと言わない。
決して無駄遣いではないのかもしれないけれど我慢しようと決める。
小学校の時、とても可愛がってくれた女先生が二人も来てくれるとのこと。
すごくすごく会いたかった。会えばきっと涙してしまったことだろう。
もうずいぶんと高齢になっていることだろう。最後のチャンスだったのかも。
けれども行かないと決めたからには潔く諦めなければいけない。
だいじょうぶ。たくさんの思い出があるからそれだけでじゅうぶんだった。
ちょっぴり複雑な気分になりながらも今日も平穏に暮れて行く。
芽奈の熱も下がったようだ。綾菜は相変わらずのちびっ子ギャング。
そう、自分はほんとうに満たされているのだからとつくづく思う夜である。
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