ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2015年06月09日(火) お大師堂で

降り続いていた雨がやっとやんで西の空が茜色に染まる。

明日は晴れるのかもしれない。そんな空をほっと仰いでいる。



お大師堂に体調を悪くしたお遍路さんが逗留している。
腹痛と下痢でとても先には進めそうにないとのこと
お参り仲間のいとこが正露丸を届けてあげたらしい。

そのことを今朝いとこから聞いて様子を見がてらお大師堂へ。
40歳ぐらいだろうか、徳島の霊山寺のすぐ近くに住んでいるのだそうだ。

諦めて帰ろうと思えばすぐに帰れるのだけれど
ここまで来たからにはなんとしても結願したいと話してくれる。
進みたくても進めない、どんなにかもどかしいことだろうか。

とにかく体調が良くなるまで休むことをすすめた。
正露丸で少しは落ち着いたらしいけれど、まだ本調子ではなく
明日は病院へ行ってみようかと言うことになった。

幸い市街地まで行かなくても胃腸科のある病院が近くにあって
その病院をおしえる。タクシーで行くから大丈夫と応えてくれた。

車で5分の道のりも歩けば一時間近くかかるのだった。
「歩く」ってほんとに大変なことなのだなとつくづく思った。

どうか大事に至りませんように。きっときっと治りますように。

明日も会う約束をして別れる。お大師さんどうか彼を見守ってあげて下さい。



2015年06月08日(月) ひまわりおばさん

朝からずっと雨が降り続いている。

「あしたもあめやって」綾菜はずっかりお天気お嬢ちゃん。



月曜日の仕事はぼちぼち。来客もなくしんと静か。

雨のせいかもしれない。母となんだかしょんぼりとしていた。

私はついついマイナス思考。いつも悪い事ばかり考えている。

けれども母はいつだってあっけらかんとしていて好きだなと思う。

「生きていたらきっと良いこともあるけん」そう言って微笑んでくれた。



昔話になるけれど多感だった少女の頃。
母と離れ離れに暮らしていた時期が7年ほどあった。

FMラジオのリクエスト番組が流行っていてよく聴いていたっけ。
NHKの高知放送局だった。常連になってスタジオにも度々遊びに行ったり。
そして何度か声の出演も。私は「青い鳥さん」と呼ばれていた。

その放送を母も遠くの町で聴いていたのだと思う。
ある日、「ひまわりおばさんから青い鳥さんへ」と曲が流れたのだった。

すぐに母だとわかった。どんなにか恋しく会いたかったことだろう。

ひまわりおばさんはそれから毎週のように葉書を出し続けていた。
そして私も「青い鳥からひまわりおばさんへ」と葉書を出す。

そんなささやかなふれあいがどんなにか励みになったことだろうか。


母と再会できた時は二十歳になったばかりの頃。

「ひまわりおばさん?」私は決して訊かなかった・・・。








2015年06月07日(日) 平穏無事に

晴れのち曇り。また雨が近づいているようだ。


娘が仕事だったので芽奈のお守りを任される。

綾菜は娘婿がずっと遊んでくれたのでずいぶんと助かる。

芽奈はほんとうに手のかからない子でお守りも楽だった。

ただ「ハイハイ」をし始めたので目が離せないのだけれど。

じいちゃんと二人係で「ほれほれ」言いながらの孫日和だった。


そうして今日も平穏に暮れて行く。決して当たり前ではない「平穏」

娘たちと同居を始めてもう9ヵ月が過ぎたのだなとしみじみと思う。

いただいた日々をありがたく受け止めてただただ感謝するばかり。


「生きているんだな」って思えるのも家族のおかげだなとおもう。



2015年06月06日(土) 青空ばんざい

昨日の大雨がうそのように素晴らしい青空。

梅雨特有の蒸し暑さもなくなんとも爽やかな一日だった。

今日は「紫陽花まつり」のイベントがあったので楽しみにしていたけれど

芽奈がまた熱を出してしまってお守りをしなければならず断念。

でも紫陽花はまだしばらく楽しめそうなので近いうちに見に行けそうだ。

熱はあっても元気で食欲もある芽奈と一日を過ごすのもまたよし。



もうひとつ、今夜は山里の小学校の同窓会の報せも届いていたけれど

さんざん迷った挙句「欠席」を選んでしまった。

情けないことだけれど経済的な理由がいちばんだった。

夫も娘も「行って来たら」と勧めてくれたのだけれど財布がうんと言わない。

決して無駄遣いではないのかもしれないけれど我慢しようと決める。


小学校の時、とても可愛がってくれた女先生が二人も来てくれるとのこと。

すごくすごく会いたかった。会えばきっと涙してしまったことだろう。

もうずいぶんと高齢になっていることだろう。最後のチャンスだったのかも。

けれども行かないと決めたからには潔く諦めなければいけない。

だいじょうぶ。たくさんの思い出があるからそれだけでじゅうぶんだった。



ちょっぴり複雑な気分になりながらも今日も平穏に暮れて行く。

芽奈の熱も下がったようだ。綾菜は相変わらずのちびっ子ギャング。

そう、自分はほんとうに満たされているのだからとつくづく思う夜である。



2015年06月05日(金) あしたは晴れ

なんとも肌寒い雨となる。昨日との温度差が10℃もあった。

子供はすごいなと思うのは半袖でもまったく平気なこと。

また風邪をひくのではと心配し過ぎるのは老婆心か。


綾菜をお迎えに行った時もどしゃ降りの雨。

お気に入りの長靴と赤い傘で雨を楽しんでいた。

そして「おだいしさんのとこへいくよ」と言う。

さすがに連れて行くのは無理で「きょうはおだいしさんおやすみ」


おじいちゃんも出掛けていて、娘も今日は遅番。

一人で夕飯の支度をしながら綾菜の遊び相手もする。

ラーメンが食べたいと言い出して慌てて作ったり。

ふたりきりだとすごく甘えん坊になってそれもまた可愛い。


金曜日は仕事の疲れもあってくたくたなのだけれど

ほのぼのとした時間がそんな疲れを癒してくれるのだった。


テレビの天気予報を見ていた綾菜が「あしたははれやって」と教えてくれる。

そんな一言がほんとうに嬉しくてたまらなかった。


明日は晴れ。なんかとても良いことがありそうな気がするね。



2015年06月03日(水) 梅雨入り

どしゃぶりの雨になる。とうとう梅雨入りの報せ。

夕方には雨がやみほんのりと夕焼け空が見えた。

ほっと空を仰ぐ。明日は晴れてくれそうだ。


雨のせいにしてお大師堂へ行くのをあきらめる。

どんな日もあってよしと自分を宥めながら。

けれどもふっと不安になったりもする。

なにかとても悪い事が起こりそうな気がしたり。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。きっと見守ってくれているだろう。


そんな不安をよそに穏やかなまま今日も暮れて行く。

孫たちの笑い声、そのおかげでどんなにか癒されていることだろう。

ぐっすりと眠ればまた穏やかな朝がきっとやってくる。



2015年06月02日(火) 雨音を聴きながら

夕方から雨が本降りになる。雨音が耳に心地よい夜だ。

六月は雨の季節。そんな雨を楽しめるようなこころでありたい。



今日もぼちぼちの仕事。母の話し相手にもなってみたり

お昼休みと言うものがないのでお腹が空いた時にお弁当を食べる。

それがいつも早い。今日も11時には食べていた。それも5分で。



買物を済ませて帰宅する前にお大師堂へ行くのが日課になった。

昨日のように綾菜が行きたいと言った時はもう一度行くようにしている。

今日は娘がお休みだったので綾菜を迎えに行ってくれた。

助かるけれどちょっぴりさびしい。気が抜けたようなさびしさ。


夕暮れて晩御飯時はまるで戦場のような我が家であった。

綾菜がスープを床にわざとこぼす。娘がそれを叱る声。

芽奈も一緒に食べたいのだろう、泣き始めたらもう止まらない。

それそれわっしょい。戦場と言うよりお祭り広場なのかもしれない。


忙しいけれどそれが楽しい。今日もみんなが元気で穏やかに暮れていった。


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