ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2015年05月11日(月) 夢に餅を

季節外れの台風が接近しているせいだろうか、風が強く少し肌寒かった。

今期最後の海苔の出荷日。やれるだけのことをやった達成感。

良い年もあればそうでない年もあるけれど欲を言えばきりがないもの。



出荷量が少なかったため夫が一人で大丈夫とのこと。

私は久しぶりに山里の職場へ行っていた。

朝の山道はもう新緑の季節、鮮やかな緑が目にまぶしい。

田んぼの稲もちろちろと風に揺れてなんとも可愛らしく見えた。


五時間の限られた時間に溜まっていた事務仕事をやっつける。

お昼休みはいつもないけれど持参のお弁当だけはしっかりと食べる。

「今日は夢に餅ね」なんて言って母がとても喜んでくれた。

私はすることがいっぱいあってあまり母とおしゃべり出来なかったけれど

事務所に私が居るだけでほっとして肩の力が抜けるのだそうだ。


昨日の「母の日」に何もしてあげられなかったことを詫びる。

そうして姑さんの事も話すと「それはいかんよ」と叱られた。

義理の仲だからこそ大切にしなければいけないことがあるのだ。

気を遣いすぎてもいけないけれど「無視」するのはもっといけない。


帰宅して夫や娘にそんな話をしていると

「七月がおばあちゃんの誕生日やね」と娘が提案してくれる。

今度こそ後悔しないように「気持ち」を伝えられそうな気がしてきた。

勇気を出して一歩踏み出してみようではないかと思う。


今日も綾菜とお大師堂へお参りに行っていて

忘れそうになっていた大切なことを思い出した。

私は姑の後継ぎとして毎日お大師さんに会いに来ていると言うこと。



2015年05月10日(日) 母の日

早朝から川仕事、爽やかな朝の風が心地よい。

「母の日」なんだなってずっとずっと思っていた。

実は今年になってからほとんど姑さんの顔を見ていない。

すぐ近くに住んでいるというのになんて薄情な嫁なのだろう。

「母の日」が良いきっかけになることはわかっているのだけれど

何も出来なかった。いや、あえて何もしなかったと言うべきか。

自分が姑さんを避けていることを自覚している。

それがありのままの自分。どうしてなのだろう、自分でもよくわからない。




午後、お昼寝から目覚めた綾菜と芽奈と一緒に散歩しながらお大師堂へ。

ふたりの孫たちのおかげで私はとても幸せな「母の日」をさせてもらった。

夕方には娘婿がケーキとワインを買って来てくれる。

そうなんだ、「母の日」ってこんなに嬉しい日なんだって思った。


姑さんの気持ちを考えると複雑な気分になり心が晴れないまま夜になる。

私が一歩踏み出せばきっとまるく収まることなのだろうけれど。

いったいいつまで薄情な嫁のままで居続けるのだろうか・・・。

ごめんなさいおかあさん。どんなに後悔しても取り戻せない日。



2015年05月09日(土) 雨のち晴れ

雨の一日。夕方には陽が射し始めてほっとする。

お風呂上がり、窓から一番星が見えた。


今日は川で船外機がかからなくなるトラブル。

まだ買って半年にもならない新品なのにどうしたことか。

修理屋さんに来てもらってなんとか船着き場まで。

お昼には綾菜を保育園にお迎えに行かねばならず

今日の川仕事はほとんど出来ないまま帰宅した。

まあどんな日もあってよしかなと思うことにしよう。



綾菜とお昼ご飯。焼きそばを食べて食後に蜜柑の缶詰。

蜜柑の缶詰が大好物なのだ。甘い汁まで飲み干してご機嫌。

さあお昼寝と思ってもなかなか寝てくれなくて茶の間でテレビっ子。

最近はアンパンマンを卒業して「くまのプーさん」とかお気に入り。

同じ番組を何度も繰り返して見てやっと眠ってくれた。


雨が降っていたので綾菜が寝ている間にお大師堂へ。

今日は旧暦の3月21日。地区の「お大師さん」の行事があった。

殺風景だったお大師堂にも季節の花が活けられていてこころがなごむ。

お参りを済ませて外に出たらアマリリスの花も咲き始めていた。

明日は綾菜と来ようと思う。アマリリスをおしえてあげたい。



夕方には雨もやみ今日も茜色の夕空が嬉しかった。

穏やかに時が流れている。それがどんなにかありがたいことか。

「ありがとうございました」今夜も手を合わせて眠りたいと思う。



2015年05月08日(金) ゆびきりげんまん

爽やかな夏日。心地よく初夏を楽しむ。

川仕事も順調で撤収作業もあと数日で終わりそうだ。


きっと大丈夫と信じていた芽奈、今朝も熱はなく無事に保育園へ。

夕方娘と一緒に元気いっぱいで帰って来る。


綾菜とお大師堂へ。川面が夕陽できらきらと輝いていた。

「うみきれいね〜」と言う。「海じゃなくて川だよ」とおしえる。

幼い心は純真で見たままを言葉にする素直さが嬉しい。

ふっと本物の海を見せてあげたくなった。どんなにか喜ぶことだろう。


お大師堂では顔なじみのお遍路さんと再会。

もう一人隣の地区からお参りに来ていた女性と会った。

ちょっと恥ずかしくて「なむだいしへんじょうこんごう」言えなかった綾菜。

でも今日は特別にお大師さんからおせんべいをもらってご機嫌で帰る。

明日もお大師さんに会いに来ようね。ゆびきりげんまんだよ。


やがて西の空が茜色に染まって今日も平穏に暮れていく。

夕陽はいつだってゆびきりげんまん。あしたはきっとやってくる。



2015年05月07日(木) 安堵の一日

朝方は小雨が降っていたけれどすぐに降りやむ。

おひさまがかくれんぼをしたままで少し肌寒い一日だった。


川仕事をお休みして予定通り総合病院の小児科へ。

今朝も微熱があったけれど元気いっぱいの芽奈であった。

「こんな元気な赤ちゃんが病気のはずはないですよ」と

お医者様から太鼓判を押してもらってどんなにか安堵したことか。

熱が続いているのは気管支炎がまだ完治していないせいだと言うこと。

それも峠を越えているようでもう少しの辛抱だと言ってもらった。

処方してもらったお薬が効いたのか、お昼には平熱になる。

そうして夕方になっても平熱のままでほっと胸を撫で下ろした。

今夜は久しぶりのお風呂。なんとも気持ちよさそうにうっとりとしていた。

パジャマを着せながら頬ずりをする。ぎゅっと抱きしめたいくらい愛しい。

最初の発熱から12日目、めいちゃんはすごいすごい頑張ったのだと思う。


まだ油断は出来ないけれどなんとなくもうきっと大丈夫だと思えてきた。

そう信じよう。それが見守って来た家族の使命のようにも思う。


穏やかで平和だった一日に感謝しながら明日への希望を胸につのらせている。



2015年05月06日(水) さらりさらりと

もう「立夏」夏の気配を感じる頃とか。

今日も夏日になって暑くなるのかなと思っていたけれど

晴れのち曇りで爽やかな風が吹き過ごしやすい一日だった。


川仕事で程よく疲れて午後はくたくたとお昼寝をする。

芽奈の熱も下がっていて一緒に添い寝をしていた。

どうかもう熱が出ませんようにと祈りつつ。


けれども夕方になりまた発熱、元気なので熱を測るまで気が付かず。

離乳食を美味しそうに平らげる。みんなと一緒に食べるのが嬉しいようだ。

食後、大量のうんち。お風呂に入れなくてなんとも可哀そう。


明日は川仕事をお休みして娘と一緒に病院へ行くことになった。

お大師堂で手を合わす。どうかどうかお守りください。


さらりさらりと川は流れる。そう何事もさらりさらりと流れるのがいちばん。



2015年05月05日(火) まごの日

「こどもの日」というより我が家は「まごの日」

どこにも連れて行ってあげられず遊んでもあげられなかったけれど

綾菜とおしゃべりしたり芽奈を抱っこしたりしてそれなりの「まごの日」



芽奈の熱はまだ続いていて今日も解熱剤を使う。

食欲もあり元気なら大丈夫と医師から聞いているけれど。

あまりに長引くのでさすがに心配になってきた。

娘たちとも相談して連休明けに総合病院の小児科で診てもらおうと思う。


そんな芽奈ももうすぐ生後八か月になる。

最近は少しおしゃべりらしき言葉も発するようになってきた。

「あった、あった」とか「まんま」「ねんね」とかとても微笑ましい。

きっと綾菜に負けないくらいおしゃべりな女の子になることだろう。


なんとしても孫たちを守りたい。いつもいつもそう思っている。


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