ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2015年03月19日(木) 一件落着

降り続いていた雨がやっとやんだ。明日は久しぶりの青空になりそう。

今日は休養日の予定だったけれど、なんだか落ち着かなくて

少しでもと思い川仕事に出かける。雨合羽を着ていると汗びっしょりになった。

暖かいのは嬉しいことだけれど、川仕事は寒いほうがずっと楽である。




夕食時、綾菜がまたわがままを言い始めて困らせる。

おかずが気に入らないと言って「だいきらい」ばかり。

挙句の果てにスープをわざと床にぶちまけてしまったのだった。

これにはさすがに怒らないわけにはいかない。

いつもは優しいゆばーばだけれどつい手を出してしまったのだった。

泣きわめく綾菜を娘がなだめる。どうして叱られたか言って聞かせる。


今度は夫が私を叱った。「親が叱る前におまえが叱るな」って

その言葉にはっとした。冷静になってみれば私がいちばん悪いのだった。

昔ながらの子育てとは違うのだなとうなだれるように反省をする。


どんなにわがままを言っても娘たちには娘たちの子育てがあった。

その方針にでしゃばるようなまねをしてはいけないのだとつくづく思った。


しばらく泣き続けていた綾菜もケロっとして夕食を食べる。

あんなに嫌がっていたおかずもちゃんと食べてご飯も完食。

「あやちゃんごめんね」って言うと「ゆばーばにおこられたが」って。


やれやれこれで一件落着かな。けれどもとても考えさせられる出来事であった。



2015年03月18日(水) お墓参り

彼岸の入り。雨が降らないうちにお墓参りに行く。

娘も芽奈をおんぶして一緒に行っていた。

お寺の裏山のお墓は枯葉がうずたかく積もっていて

それも掃除のし甲斐があるというもの。

夫と娘と三人で「まあこんなもんかな」と掃除を終える。

みんなで手を合わせて亡き義父を偲んだことだった。


義父が亡くなった時まだ一歳だった娘には「おじいちゃん」の記憶がない。

そうしてひ孫の芽奈、天国のひいおじいちゃんもきっと喜んでいることだろう。



お墓参りを終えてほっとひと息、帰宅してからお大師堂へお参りに。

お参り仲間のSさんだろうか、古いストーブや扇風機を処分してくれていた。

ずっと気になっていたから嬉しかった。おかげでずいぶんと綺麗になった。

みんながそうして守ってくれる。ほんとうにありがたいことだと思う。



近くのスーパーに買物に行ったら、札幌の自転車遍路さんと再会。

会うのは三度目だろうか、もうすっかり顔なじみになっていた。

今夜はお大師堂に泊まると言うこと。雨が降らないうちに行ってねと話す。

もう何巡目だろうか、今回結願したら札幌に帰るのだと言っていた。

息子と同じくらいの歳だろうか、ご家族もどんなにか心配している事だろう。

話好きの愉快な青年遍路さんである。帰る場所があってほんとうに良かった。



そうして今日も平穏無事に暮れていった。

「やまない雨はない」雨音を聴きながらあしたのことを考えている。





2015年03月17日(火) ふたりの誕生日

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。

明日はもう彼岸の入り。今日は気温が20℃を越え汗ばむほどの陽気だった。


8日ぶりに山里の職場へ。母の77歳の誕生日でもあった。

けれどもちっとも嬉しくないと言う。「いくつになったか知らない」なんて

母らしいなと苦笑い。そんな母に寄り添うように仕事をしていた。


今日は夫も誕生日でもう63歳になってしまった。

夫と出会った若かりし頃、母と同じ誕生日なのを知って驚いた事を思い出す。

なんだか運命的なものを感じた。それもずいぶんと昔の事だけれど。


母には何もしてあげられなかったけれど、そばにいてあげられて良かった。

夫は家族みんなにお祝いしてもらってすごく嬉しそうだった。

綾菜が保育園でおぼえた「たんじょうびのうた」を歌ってくれて

それがいちばんのプレゼントになったようだった。


母も夫もどうかこれからも元気に長生きをしてほしい。

「生まれて来てくれてありがとう」こころからそう思った日。



2015年03月16日(月) とんとんとん

曇り日。すっかり春らしく暖かな一日だった。

彼岸の入りも近くなり「寒の別れ」の頃となる。


とんとんとんと今日も足ふみをするように過ぎていく。

立ち止まらずにひたすら前を向いている日々だった。

毎日の平穏無事を絵に描けばどんな絵になることだろう。


夕ご飯の時、綾菜が歌をうたってくれた。

まだまだ「おひな祭り」で我が家の桃の節句は続いている。

みんなで拍手するとそれは得意気に満面の笑顔になった。


手のひらからこぼれおちそうなしあわせ。

それは言葉にできないくらいありがたいことだった。


「ある日とつぜん」いつもいつも不安はついてまわるけれど

怖れてはいけないのだと最近よく思うようになった。

なにがあっても立ち向かっていかなければいけない。

それはきっとかみさまがあたえてくれた大切な試練だから。


「寒さなければ花は咲かず」桜の季節がもうすぐやってくる。



2015年03月15日(日) 雨もまたよし

雨のいちにち。雨もまたよしと思えば雨音も心地よいもの。

雨合羽を羽織っていざ出陣と川仕事に精を出す。

なんと因果な商売だろうねなんて夫と笑い合いながら。

春に三日の日和なしと言うけれどしばらくは晴れそうにない。

海苔を天日干しに出来ないのはほんとうに困ったことだった。

めげないめげない。そのうちあふれんばかりの陽射しが降り注ぐことだろう。


午後は炬燵でまあるくなる予定だったけれど

パワフルな綾菜に負けてしまって大賑わいの茶の間であった。

保育園ではいつもお昼寝をしているのだけれど

日曜日はどうしてか眠くならないようだった。



お大師堂に行くのをお休みする。少し後ろめたい気もするのだけれど

毎日行かなければならないとこだわらないのもよしかなと思ったり。

お大師さんもゆるしてくれるかな。たまには休みなさいと言って。


どんな日もあってよし。それがわたし流の生き方になりつつある。



2015年03月14日(土) すっかり春の陽気

朝方少し雨が降ったけれどすぐに晴れてぽかぽか日和となる。

綾菜の保育園が親子遠足だったのだけれど

公園の芝生や遊具が濡れていたらしくて少し残念だった。


早朝から川仕事、大急ぎで帰ってきて芽奈のお守り。

ベビーカーに乗せて作業場へ連れて行き海苔を干した。

泣きもせずご機嫌で遊んでくれてとても助かる。

帰り道はおじいちゃんに抱っこしてもらって大喜び。

おひさまやそよ風とすっかり仲良しになった芽奈だった。

寒い冬の間ずっと家の中ばかりで過ごしていたけれど

これからは外の空気にいっぱいふれさせてあげたいと思う。


お昼に綾菜たちが帰って来る。お弁当おいしかったよ〜って。

公園では遊べなかったけれど山羊さんを見に行っていたのだそうだ。

楽しいおしゃべりの花が咲く。目をくりくりさせてよくしゃべる。



午後、日課のお大師堂参り。ちょうどお参り仲間のいとこと一緒になる。

二人であれこれとおしゃべりしながら少し掃除をして帰る。

仲間がいるってとても嬉しい。お遍路さんの話ばかりしていた。


そうして今日も平穏無事に暮れていった。

いつもいつも思う。それは決して当たり前のことなんかじゃなくて

天からさずかった「ありがたい一日」だということ。



2015年03月13日(金) 貧乏ひまなしされど満たされ

今朝は真冬並みの寒さだったけれど、日中はすっかり春の陽気。

青さ海苔の干し場には「からすのえんどう」が可愛い花を咲かせて

踏まないように踏まないようにと足元に気をつけながら海苔を干す。

それにしても陽射しのありがたいこと。海苔の乾きが早く大助かり。



午前中は川へ、午後からは乾いた海苔の箱詰め作業に追われる。

休む暇もなく忙しい一日だったけれどとても充実感を感じた。

「貧乏暇なし」というけれどまさにそんな感じである。


今年の収入は例年の半分というところだろうか。

それでもこつこつと頑張るしかない。欲を言えばきりがないもの。


買物に行けば常に「節約」が頭から離れない。

美味しそうなケーキにごくんとつばを飲み込み

花屋さんの店先では買ったつもりでいろんな花を愛でている。

なんだかちょっぴり悔しいような、けれどもそれで満たされる日々。


夕方、やっとお大師堂にお参りに行けた。

広島からだと言う若いお遍路さんと出会った。

ゆっくりと話せなかったのが少し心残りでもあった。


帰り道、川沿いの早咲きの桜がもう咲いていてくれて嬉しい。

それは西に傾き始めたおひさまの光をまっすぐに受け止めてきらきらと光っていた。


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