各地で真夏日を記録した今日。四万十も暑い一日となった。 山里ではホトトギスがしきりに鳴いていてあたりにこだまする。 「てっぺんかけたか」高い木のてっぺんにいるのだろうか。 声は聞こえど姿は見えずただただ愉快な鳴き声がこだまするばかり。
あらあらと言う間に木曜日、毎日が駆け足のように過ぎて行く。 なんとも充実した毎日を送られてほんとうにありがたいことだった。 つい先日までざわざわとしていた気持ちもすっかり落ち着いて来て なんだかひとやま越えたような清々しさがとても心地よい。
些細な心配事もふっきれてもうどんなことでも受け止められるような気がする。 ちっぽけなこころをふぅっとふくらましてみればそれはたやすいことに思える。
どんな日もあってよし。そう思って前を向いて歩いていきたいものだ。
日課のお大師堂参り、またまた顔なじみのお遍路さんと再会する。 前回は確か三月の中旬だったと記憶している。 これまで何度も出会っていると言うのにずっと名前を知らなくて 「笑顔のお遍路さん」と名付けて勝手にそう呼んでいたのだった。
今日はやっと名前を教えてもらった。でもそれは本名ではない。 いわばお遍路さんのニックネームのようなものでそれもまた良いものだなと思う。
出身地や本名を明かさないお遍路さんも多い。 そうして終わりなき旅をし続けているお遍路さんがいることを忘れてはいけない。
今日もとびっきりの笑顔。やっぱり「笑顔のお遍路さん」だって思った。
雨あがりの爽やかな朝。小雀たちがちゅんちゅんとそれはにぎやか。
「行って来ま〜す」夫に声をかけて山里の職場に向かう。 いつもの長いトンネル、いつもの峠道がなんだかとても新鮮に感じる。
母が「とても楽になったよ」と言ってくれる。 それが嬉しくてならなくてついついハッスルしてしまうのだった。 自分を必要としてくれるひとがいてくれるのはほんとうにありがたいこと。 毎日がささやかな親孝行だと思って仕事に精を出したいと思う。
「ただいま〜」自分の帰りを待ってくれているひとがいてくれるのもありがたい。 「おう!」の一言。たまには「お帰りぃ!」って言ってみれば良いのに。 なんてこころのなかでくすくす笑いながらその日の疲れが癒されていく。
お大師堂には顔なじみのお遍路さんが到着していた。 ただただ笑顔、それが自分に出来る精一杯のお接待だと思う。 以前には少し複雑な気持ちになったこともあったけれど 自分はいったい何にこだわっていたのだろうと今日は思った。 もしも少なからず偏見を持っていたのなら謝りたい気持ちでいっぱいになった。
帰る家がない。待っていてくれる家族もいない。 それがどんなに孤独で辛いことだろうとあらためて思ったことだった。
お大師堂の紫陽花もほんのりと色づいてきた。
ゆったりと流れる大河はきょうもさらさらと歌いつづけている。
五月晴れと呼べるのもあとわずかになった。 今日は新緑と美味しいものを求めて少し遠出をする。
先日買い物中に友人にばったり会って今日の約束をしていた。 運転はまかせておいてと言う友人の言葉に甘えて楽ちんのドライブ。 お隣の愛媛県愛南町まで足を延ばす。ほぼ一時間ほどで目的地に着いた。
少し人里離れた山奥ではあったがお城のような温泉郷があった。 そこの食堂で地元のご婦人たちがバイキング料理をふるまってくれていた。 お腹がぺこぺこ。食い意地の張っている私が大喜びしたのは言うまでもない。 あれもこれもとお皿に入れてこれでもかと言うほどがつがつとよく食べる。 デザートのシャーベットもしっかりいただき最後にコーヒーを飲んで終了。 ダイエットのことなどすっかり忘れて好きなだけ食べるのはとても幸せだった。
食後はすぐ近くの公園のベンチでおしゃべりの花を咲かす。 アマチュア写真家の彼女の写真を見せてもらうのも楽しみであった。 去年は奈良に行っていたのよと可愛い鹿の写真にこころが和む。
それにしても彼女の行動力にはほんとうに頭が下がる。 最近ではお四国参りも始めたのだそうで思わず感嘆の声をあげてしまった。 私にとっては夢のような話だった。いつかきっと叶えたいとずっと願っている。
何事も諦めてはいけないのだなと今日はすごく思った。 とにかく動き出さなければ夢は決して叶わないのだと思う。
会うたびに私に大きな刺激をあたえてくれる彼女にとても感謝している。 「まだまだこれからでしょ」と言ってくれてすごくすごく励みになった。
さらさらと小川が流れる。新緑をくぐり抜けるように爽やかな風が吹く。
しんこきゅうをいっぱいしながら私はわたしの「これから」に思いを馳せていた。
土手に姫女苑の白い花が咲き始めてとても可愛い。 寄りそうようにチガヤの穂がゆらりゆらりと風に揺れている。
もうすぐ土手の除草作業が始まるのだそうだ。 いつ見納めになっても良いように毎日こころのシャッターを押し続けている。
今週は山里の職場に復帰してあらあらと言う間に週末が迫って来た。 忙しくて嬉しい悲鳴をあげている。ばたばたと走り回ってみたり パソコンにかじりついて作業をしたりでとても充実している日々だった。
ふっと頭をよぎるのは姑さんのリハビリ通院のこと。 去年は仕事を休んで通院の付き添いをしていたのだけれど 今年はどうしたものだろうと少し悩んでいるのが本音であった。 義務だと思うと気が重くなる。でも少しでも助けてあげたい気持ちもある。 「仕事を休めない」と言ってしまったらどんなにか角が立つことだろう。
なるようになるさ。夫はいつもあっけらかんとしている。 私も夫のようにもっともっとあっけらかんと生きていきたいといつも思う。
日課のお大師堂参り。今日はペットボトルの水の補給をする。 すぐ近くに水道があってもまだ知らないお遍路さんが多いのだった。 汗ばむ季節になってせめて顔を洗いたいだろう足を洗いたいだろうと思う。
水を運び終えてからお供えしてあるおせんべいをご馳走になった。 ほのかに海老の匂いがする。一枚のつもりが三枚も食べてしまった。
しばし腰をおろして川のせせらぎに耳を傾けていた。
さらさらさら。なんと心地よく流れているのだろうか。
どくだみの花ってなんて清楚で可憐なのだろう。 それは十字架のかたちに似ている。 少女の頃に初めて手にした聖書のことを思い出した。
布教のおばさんが時々訪ねて来てくれていろんな話をしたっけ。 父に叱られた。「おまえは何でもすぐにのめりこむから」と。
父への反抗心もあったのだろうか。こっそりと十字架の首飾りを買った。 あの時の何とも言えない「やすらぎ」はいったい何だったのだろう。
ある日のことおばさんと些細なことでぶつかってしまった。 今思えばそれは少しも些細なことではなかったのかもしれない。
おばさんはとても大切なことを私に教えてくれようとしていたのだろう。 たしか17歳だったと思う。まだまだ未熟だった心のせいで聖書を閉じた。 肌身離さず身に着けていた首飾りはどうしてしまったのか。 捨ててしまった記憶もないと言うのにどうしても思い出せないのだった。
川仕事の撤収作業もやっと終わって、今日から山里の職場に復帰する。 自分なりにスイッチを切り替える。それはとても清々しい行為であった。 自分に与えられていることをありがたく受け止めてまた頑張っていこうと思う。
決して穏やかな日ばかりとは限らないけれど、すくっと前を向いていれば どんなことも乗り越えられそうな気がするのだった。
てくてくと歩いて行こう。前を向いて歩いて行こう!
昨夜、圭人の初節句のお祝いを無事に終える。 じじもばばもひとつの務めを果たし終えたとただただほっとするばかり。
15名ほどの小宴だったけれど、それはにぎやかで楽しい宴だった。 お嫁さんのご両親もとても喜んでくれてほんとうに良かったと思う。
泣き顔しか知らなかった圭人も昨夜はご機嫌でよく笑う。 「あう、あう」と声も出したりしてすっかり主人公になっていた。
圭人を抱っこしながら綾菜も気になる。ああ、二人の孫がいるのだな。 なんだか夢のように感じた。それが当たり前の事とはどうしても思えない。
うまく言葉に出来ないけれど、夢見心地とはきっとこんなことを言うのだろう。
なにもかもがありがたくてならなくて感謝の気持ちが込み上げてくる。 この幸せがずっと続きますように。ふっと不安になってしまいそうな幸せ。
そんな不安を打ち消すかのように私はこころのそこから微笑んでいた。 この笑顔が救ってくれる。ずっとずっと夢の続きを見せてくれるように思った。
「あした」は未来だとも言う。そんな未来でも私はきっと微笑んでいるだろう。
お大師堂の庭先に真紅のアマリリスが咲き始めた。 なんとも鮮やかな色でとても可愛い。 「こんにちは」って声をかけたくなる。 まるで小さな女の子のように微笑んでいる。
午前中は川仕事、撤収作業もあと少しになった。 薄っすらと汗を流しながら頑張る。 「ああ、もうしんどくて嫌になったよ」って私が嘆くと 夫が「くたばってどうする、頑張れ!」と励ましてくれる。
午後は明日の初節句の準備、いよいよ迫ってきたという感じ。 どうか何事もなく順調に、無事に出来ますようにとそればかり願う。 15名ほどの小宴なのだけれど、準備は結構大変だった。
でもなんだかひと山ひと山という感じでクリアしていく感じが好きだ。 目の前にあることをひとつひとつやっつけていく。すごく充実している日々。
明日はきっと「いい日」になることだろう。 みんなの笑顔につつまれて圭人の初節句をお祝いしたいなと思っている。
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