五月晴れと呼べるのもあとわずかになった。 今日は新緑と美味しいものを求めて少し遠出をする。
先日買い物中に友人にばったり会って今日の約束をしていた。 運転はまかせておいてと言う友人の言葉に甘えて楽ちんのドライブ。 お隣の愛媛県愛南町まで足を延ばす。ほぼ一時間ほどで目的地に着いた。
少し人里離れた山奥ではあったがお城のような温泉郷があった。 そこの食堂で地元のご婦人たちがバイキング料理をふるまってくれていた。 お腹がぺこぺこ。食い意地の張っている私が大喜びしたのは言うまでもない。 あれもこれもとお皿に入れてこれでもかと言うほどがつがつとよく食べる。 デザートのシャーベットもしっかりいただき最後にコーヒーを飲んで終了。 ダイエットのことなどすっかり忘れて好きなだけ食べるのはとても幸せだった。
食後はすぐ近くの公園のベンチでおしゃべりの花を咲かす。 アマチュア写真家の彼女の写真を見せてもらうのも楽しみであった。 去年は奈良に行っていたのよと可愛い鹿の写真にこころが和む。
それにしても彼女の行動力にはほんとうに頭が下がる。 最近ではお四国参りも始めたのだそうで思わず感嘆の声をあげてしまった。 私にとっては夢のような話だった。いつかきっと叶えたいとずっと願っている。
何事も諦めてはいけないのだなと今日はすごく思った。 とにかく動き出さなければ夢は決して叶わないのだと思う。
会うたびに私に大きな刺激をあたえてくれる彼女にとても感謝している。 「まだまだこれからでしょ」と言ってくれてすごくすごく励みになった。
さらさらと小川が流れる。新緑をくぐり抜けるように爽やかな風が吹く。
しんこきゅうをいっぱいしながら私はわたしの「これから」に思いを馳せていた。
土手に姫女苑の白い花が咲き始めてとても可愛い。 寄りそうようにチガヤの穂がゆらりゆらりと風に揺れている。
もうすぐ土手の除草作業が始まるのだそうだ。 いつ見納めになっても良いように毎日こころのシャッターを押し続けている。
今週は山里の職場に復帰してあらあらと言う間に週末が迫って来た。 忙しくて嬉しい悲鳴をあげている。ばたばたと走り回ってみたり パソコンにかじりついて作業をしたりでとても充実している日々だった。
ふっと頭をよぎるのは姑さんのリハビリ通院のこと。 去年は仕事を休んで通院の付き添いをしていたのだけれど 今年はどうしたものだろうと少し悩んでいるのが本音であった。 義務だと思うと気が重くなる。でも少しでも助けてあげたい気持ちもある。 「仕事を休めない」と言ってしまったらどんなにか角が立つことだろう。
なるようになるさ。夫はいつもあっけらかんとしている。 私も夫のようにもっともっとあっけらかんと生きていきたいといつも思う。
日課のお大師堂参り。今日はペットボトルの水の補給をする。 すぐ近くに水道があってもまだ知らないお遍路さんが多いのだった。 汗ばむ季節になってせめて顔を洗いたいだろう足を洗いたいだろうと思う。
水を運び終えてからお供えしてあるおせんべいをご馳走になった。 ほのかに海老の匂いがする。一枚のつもりが三枚も食べてしまった。
しばし腰をおろして川のせせらぎに耳を傾けていた。
さらさらさら。なんと心地よく流れているのだろうか。
どくだみの花ってなんて清楚で可憐なのだろう。 それは十字架のかたちに似ている。 少女の頃に初めて手にした聖書のことを思い出した。
布教のおばさんが時々訪ねて来てくれていろんな話をしたっけ。 父に叱られた。「おまえは何でもすぐにのめりこむから」と。
父への反抗心もあったのだろうか。こっそりと十字架の首飾りを買った。 あの時の何とも言えない「やすらぎ」はいったい何だったのだろう。
ある日のことおばさんと些細なことでぶつかってしまった。 今思えばそれは少しも些細なことではなかったのかもしれない。
おばさんはとても大切なことを私に教えてくれようとしていたのだろう。 たしか17歳だったと思う。まだまだ未熟だった心のせいで聖書を閉じた。 肌身離さず身に着けていた首飾りはどうしてしまったのか。 捨ててしまった記憶もないと言うのにどうしても思い出せないのだった。
川仕事の撤収作業もやっと終わって、今日から山里の職場に復帰する。 自分なりにスイッチを切り替える。それはとても清々しい行為であった。 自分に与えられていることをありがたく受け止めてまた頑張っていこうと思う。
決して穏やかな日ばかりとは限らないけれど、すくっと前を向いていれば どんなことも乗り越えられそうな気がするのだった。
てくてくと歩いて行こう。前を向いて歩いて行こう!
昨夜、圭人の初節句のお祝いを無事に終える。 じじもばばもひとつの務めを果たし終えたとただただほっとするばかり。
15名ほどの小宴だったけれど、それはにぎやかで楽しい宴だった。 お嫁さんのご両親もとても喜んでくれてほんとうに良かったと思う。
泣き顔しか知らなかった圭人も昨夜はご機嫌でよく笑う。 「あう、あう」と声も出したりしてすっかり主人公になっていた。
圭人を抱っこしながら綾菜も気になる。ああ、二人の孫がいるのだな。 なんだか夢のように感じた。それが当たり前の事とはどうしても思えない。
うまく言葉に出来ないけれど、夢見心地とはきっとこんなことを言うのだろう。
なにもかもがありがたくてならなくて感謝の気持ちが込み上げてくる。 この幸せがずっと続きますように。ふっと不安になってしまいそうな幸せ。
そんな不安を打ち消すかのように私はこころのそこから微笑んでいた。 この笑顔が救ってくれる。ずっとずっと夢の続きを見せてくれるように思った。
「あした」は未来だとも言う。そんな未来でも私はきっと微笑んでいるだろう。
お大師堂の庭先に真紅のアマリリスが咲き始めた。 なんとも鮮やかな色でとても可愛い。 「こんにちは」って声をかけたくなる。 まるで小さな女の子のように微笑んでいる。
午前中は川仕事、撤収作業もあと少しになった。 薄っすらと汗を流しながら頑張る。 「ああ、もうしんどくて嫌になったよ」って私が嘆くと 夫が「くたばってどうする、頑張れ!」と励ましてくれる。
午後は明日の初節句の準備、いよいよ迫ってきたという感じ。 どうか何事もなく順調に、無事に出来ますようにとそればかり願う。 15名ほどの小宴なのだけれど、準備は結構大変だった。
でもなんだかひと山ひと山という感じでクリアしていく感じが好きだ。 目の前にあることをひとつひとつやっつけていく。すごく充実している日々。
明日はきっと「いい日」になることだろう。 みんなの笑顔につつまれて圭人の初節句をお祝いしたいなと思っている。
今日はこの夏?いちばんの暑さだったとか。 四万十も28度を超えおひさまは元気いっぱいに輝いていた。
午後からの川仕事の暑かったこと、すっかりくたばってしまった。 予定では今週末までに撤収作業を終えたかったのだけれど 思うようにはかどらず来週に食い込んでしまいそうだった。 毎日少しずつの作業だけれど二人で力を合わせて頑張りたいと思う。
空いている時間にはずっと家中の片づけに精を出している。 特に二階の二部屋は娘たちのためにも綺麗にしておきたかった。 それがまさにゴミ屋敷、今朝はゴミ袋に10個ものゴミを出す。 日曜日に娘が手伝いに来てくれて要らない物を整理してくれたのだった。 娘の古着だけでも山のようにあった。市のリサイクルに持って行ったり ワンピースやスーツなどは古着屋さんに買い取ってもらったけれど 買った時は高価な物でもびっくりするほど安くて思わず笑ってしまった。
今日は私の部屋の押し入れに突っ込んであったたくさんの文庫本を処分する。 本だけは捨てられないとずっとため込んでいたものだから重いのなんの。 それもツタヤさんが買い取ってくれるというのでいそいそと持って行く。 ゴミに出すのはあまりにも可哀想で、誰かに読んでもらえたらなって思っていた。
でもそんな願いも一瞬にして崩れ落ちた。あまりにも古すぎたのだろうか、 すべての本にカビが生えているとのこと、プロの目ってすごいなと感心する。 査定してくれた店員さんが処分してくれると言うのでそのままそこでお別れ。
もう誰にも読んでもらえないのだと思うとほろりと涙が出そうだった。 まあそんなもんか、人生にはいろんな別れがあるものだなって思ったり。
熱しやすく冷めやすい私だけれど、片づけ魔の炎が消えないうちに頑張りたいと思う。
娘いわく「未練がましいのはやめなさい!」はいはい、わかりましたよ〜
母の日、山里の母には何もしてあげられなかったけれど 姑さんに好物のお赤飯や薄皮まんじゅうなどを届ける。 ほんとにささやかな物なのにとても喜んでくれて嬉しかった。
実はここしばらく姑さんの介護を免れていることもあって なんだかすごく後ろめたい気持ちでいっぱいになっていた。 せめて顔を見に行くだけでも少しでも話し相手になってあげれば そう思いつつも気が付けば心のどこかで姑を避けていたように思う。 このままではいけない。私はどんどん薄情な嫁になっていく。
そんな矢先の「母の日」に今日はずいぶんと救われたのだった。 笑顔にはきっと笑顔が返って来る。やっと清々しい気持ちになれた気がする。
お昼には娘たち一家が遊びに来てくれて「お母さん、いつもありがとう」 花屋さんで綾菜が選んでくれたというひまわり色のガーベラの鉢植え。 とても可愛い花でなんとも思いがけずに嬉しくてたまらなかった。
自分にも「母の日」ってちゃんとあるのだなと思ったり ひとって思いがけないことほど嬉しくて幸せな気持ちになるものだった。
ありがとうには「ありがとう」がこだまする。
こころはスキップをしながら笑顔の花をたくさん咲かせたような一日。
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