少しずつ少しずつ「前へ」決して立ち止まってはいないのだなと思うこの頃。 織りなすような日々と言うほどではないけれど、縦の糸と横の糸が ぱったんぱったんと混ざり合ってやがて一枚の布が出来上がるような気がする。
もともと不器用だからそれなりに。すごくちぐはぐとしてしまうかもしれない。 失敗しても良いのだ。後悔しても良いのだとちょっと胸を張っている。
川仕事の撤収作業が始まり、午前六時過ぎから頑張っていた。 三時間ほどで切り上げ、帰宅するなりすぐに山里の職場に向かう。 そんな慌ただしさも楽しい。すごく溌剌としている自分が好きだった。
嫌だなって思った瞬間、人ってしょぼんとしおれてしまうものだから 何事も使命のように思って立ち向かっていけばきっと清々しくなれる。
使命と「義務」は違うのだなって最近よく思うときがある。 義務ってどうして苦しくなるのだろう。義務ってすごく肩の荷が重くなる。
じゃあその義務を使命だと思えば良いのだけれど 気の重さがどうしてもぬぐえなくて、やはり義務になってしまうのだった。
いま私はそんな義務からちょっと逃げいている。 すると今度は罪悪感がおそってきてどうしようもなく苦しくなってしまうのだ。
でもそれが自分と向き合うと言うこと。とことん向き合ってみようかなと思う。
どんな日もあるけれど、今の自分が「好きだ!」と胸をはっていよう。
がんばれわたし、他の誰でもない「わたし」がついているよ。
「こどもの日」は朝からあいにくの雨。 娘が仕事だったので綾菜のお守りを頼まれていたけれど 公園にも遊びに行けずなんとも残念であった。
せめてもと近くのショッピングタウンに買物に行く。 そこには幼児用の自動車カートがあって綾菜が大喜びしてくれた。 買物を済ませて店内のゲームセンターへ連れて行く。 アンパンマンの乗り物がお気に入り、コインを入れて動かすと泣き出すけれど。 最後におまけのカプセルが出て来て、それはとても喜んでくれたのだった。
ほんとは少し遠出をして水族館に連れて行ってあげたかった。 でも私の車にはチャイルドシートがなくてそれは断念する。
その後はパワー全開の綾菜が家中を走り回ってやっとお昼になった。 とにかく片時もじっとしていない。部屋中のドアを開けてはしゃぎまわる。
午後一時、お昼寝タイムにはじじばばもすっかり疲れて一緒にうたた寝。 こんなにまったりとするのはすごく久しぶりのことであった。
夕方には雨もやんでいて、迎えに来た娘と綾菜と一緒にお大師堂へ。 ちいさな手のひらを合わせてちゃんとお参りをする綾菜に心が和む。
ずっとずっと元気でおりこうさんでいられますように。 娘はお腹の赤ちゃんがどうか無事に生まれますようにと祈っていた。
そうして三人でお供えしてあったおせいべいをご馳走になる。 「おいちいねー」綾菜の声がお大師さんにも届いているといいな。
帰り道、綾菜に見せてあげたいなとずっと思っていた土手の黄色い花。 今日は見せてあげることが出来てほんとに良かったなって思った。
「お花いっぱいきれいね」って言うと「おはなきれーね」って綾菜の声。
私はこころのシャッターを押して綾菜の写真をいっぱい撮った。
風薫る五月というけれど風ってほんとに薫るのだなって思った。 若葉の匂いだろうか花々の匂いだろうか、なんともいえない良い薫りがする。
初夏のような陽射しの中をそんな風が吹き抜けていく。 しんこきゅうをすれば自分も風になれるような気がした。
きらきらとまぶしい空。爽やかな風は天からの贈り物。
やっとこさ、川仕事が一段落する。 海苔の収穫が終わり、後は漁場の撤収作業を残すのみとなった。 なんだか気が抜けたようになりながらも大きな達成感を感じている。 こつこつと頑張ったかいがあった。なんとも清々しい気持ちでいっぱい。 私たち夫婦にとっては天職なのだろう。天から授かった大切な仕事。 どんな時もあるけれど精一杯の二人でこれからもいたいなと思った。
「おつかれさま」「ありがとうね」夫の背中はいつもたくましい。 以前は一人で出来たことも今では夫がいないと何も出来なくなってしまった。 それだけ夫を頼りにしている。労わる気持ち、感謝の気持ちでいっぱいだ。
お大師堂で手を合わせながらこの三ヶ月をしみじみと振り返っていた。 お大師さんもずっと見守ってくれていたのだな。ほんとにありがたいこと。
最初はすごく不安で弱気になってしまった時もあったけれど いつのまにかそんな不安を乗り越えていた。 「なるようになるよ」ってお大師さんが励ましてくれたような気がする。
そういつだって明日はあしたの風が吹いてくれるのだもの。
気がつけば立夏も近くなりにけり。 今日もぐんぐんと気温が高くなり25℃を超す夏日となった。
夫が内科の通院日だったため川仕事はお休み 山里の職場へ顔を出すつもりだったけれど 孫の綾菜が昨夜から熱を出していて今朝も下がらず 急きょお守りをすることになってしまった。
今日は保育園で五月生まれのお誕生日会があったとのこと 行けなくて残念だったけれど明日我が家でお祝いをすることにした。
明日が二歳の誕生日、ほんとうに早いものである。 よく熱を出すのは今も変わらないけれど、すくすくと元気に成長してくれた。 そんな綾菜の姿にじじばばはどんなにか心を癒されたことだろう。 孫ってほんとにありがたいものだなとつくづく思う。
お昼には熱も平熱に下がりチキンラーメンを美味しそうに食べてくれる。 自分で靴をはいて外にも出たがるのでもう大丈夫かなと少しお散歩もした。 お昼寝もいっぱいして寝起きに熱を測ったら出ていなくてほっとする。 どうか今夜は熱が出ませんように。明日はみんなでお誕生日会をしようね。
今日は思いがけず息子たちも孫の圭人を連れて来てくれて嬉しかった。 私が圭人を抱っこしていると綾菜がきょとんした顔で不思議そうに見ていた。 綾菜も秋にはお姉ちゃんになるの。ちょっとした予行練習になったかしら。
おじちゃんから誕生日プレゼントをもらってそれがとても気に入った様子。 「アンパンマンのことばずかんデラックス」というおもちゃで ペンで絵をタッチするとその絵がおしゃべりをするすごい楽しいおもちゃ。 今どきのおもちゃってほんとにすごい。どんどん言葉を覚えられそうだ。
綾菜と圭人とじじとばばと、今日はなんとも幸せな一日であった。
四月もとうとう最後の日。あっという間のひと月だったように思う。 流されるのではなくて好きなように流れて行こうと思っていた。 いろんなこととふれあいながらいっぱい微笑みが生まれて来るように。
お大師堂でまた初顔のお遍路さんに出会った。 横浜から来たそうで今日で16日目のお遍路だということ。 民宿には泊まらず寝袋ひとつでずっと野宿をしているのだそうだ。 だから「こんな場所があるのがとてもありがたい」と言ってくれて 満面の笑顔で喜んでくれたのがとても嬉しかった。
携帯電話の充電も思うように出来なくて困っていたのだそうだ。 「今夜はさっそくかみさんに電話します」と言っていた。 ご家族も心配している事だろう。どうか無事にとそればかりだと思う。
「いつかきっとまたここに来たい」とも言ってくれた。 それがたとえ10年後であっても「あの時と変わらない」と感じてほしい。
地元の私たちに出来ることはほんとに些細なことだけれど この場所を「守る」その気持ちをずっと持ち続けたいと思った。
どうか無事に結願をと祈りつつ笑顔と笑顔でお別れをする。
とても清々しいきもち。心の中を春のそよ風が吹き抜けているような午後だった。
| 2014年04月28日(月) |
雨あめふれふれもっと降れ |
午後から雨が降り始めた。ぽつりぽつりと静かな雨。 予報では明日は大荒れのお天気になるということ。 それもいいな。どしゃ降りの雨と強い南風もいい。
「おいおい、もう休みモードか?」夫が笑いながら言う。 そう言う自分だってほんとうは休みたいくせにと心で笑う。
ラジオから「明日は肉の日ですね」なんて流れて来て 「ゆっくり休んで夜はステーキにしようか」と私が言うと にっこりと微笑む夫はまるで子供みたいで可愛らしかった。
「明日の朝になってから決めよう!」それでも夫はまだもがいている。 そんなやりとりが楽しい。なんだか二人して吉本の芸人になったような気分。
この三か月間、ふたりはほんとうに頑張ったのだと思う。 海苔もそろそろ寿命が尽きそうになってずいぶんと弱って来ている。 今日はなんとか収穫が出来たけれど、もしかしたら最後の収穫になるかも。
「もうじゅうぶんだな」これ以上の恵みをどうして望めようか。
今まであった気合がす〜っと薄れていくのを感じている。 肩の力が抜けてふにゃふにゃに崩れ落ちてしまいそうだった。
「おとうさん、ありがとうね」
明日はステーキを食べさせてあげたいな。
まるで初夏のようなお天気が続いていたのだけれど 長続きはしなくて明日からまた雨になってしまいそうだ。 植物にとっては恵みの雨になることだろう。 木々の若葉も潤っていっそう緑が濃くなりそうだった。 川仕事にはちょっと辛い雨だけれどありがたく受け止めようと思う。
午後の作業を終えていつものようにお大師堂へお参りに行く。 昨日は初顔のお遍路さんが来てくれていて嬉しかったのだけれど 今日は誰もいなくてし〜んと静か。川のせせらぎが耳に心地よい。
手洗い水が汚れていたので入れ替えようとバケツを持って川におりる。 その時ふっと視線を感じて川辺を見ると屋形船からたくさんの人が見ていた。 なんとも照れ臭い。手を振るのも恥ずかしく黙々と川の水を運んだ。 世間ではGWとかで観光客も少しずつ増えているようだった。
お参りを済ませてお供えしたばかりのおせんべいをご馳走になる。 最近は必ず袋の口を開けておくことにしている。 私も食べているけれど、みんなに食べてほしいなあなんて思って。
帰り道、土手の黄色い花がいちめんに広がってとても可愛い。 ふっと孫の綾菜の姿を重ねてみる。ここに連れて来てあげたいなと思った。
時にはどうしようもないことを考え込んでざわざわとしてしまうけれど 楽しいことや嬉しいことを考えている時の自分がとても好きだった。
「好きな自分になる」それは決して不可能なことではないと思うのだ。
人はみんな自分を愛してこそまわりの人を愛せるようになるのだと言う。
言い換えれば自分を愛せない人がどうして人を愛することが出来ようか。
もうずっと昔に読んだ本にそう書いてあった。 そんな大切なことを忘れていたのだな。思い出すと心がすごく清々しくなった。
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