もう春なのかしら。やっとそう思えるようになったこの頃。 今日も汗ばむほどの陽気になり南風が心地よく吹き抜けていく。
ああ春風だなって思った。ほんのりと潮の香りがする風。
相変わらず川仕事が忙しくて今朝も早朝から精を出す。 今年は不漁だと決めつけて不安な気持ちになっていたけれど そんな不安を打ち消すように海苔がぐんぐんと成長し始めた。 なんとありがたいことだろう。天に手を合わせながら感謝するばかり。
昨日は仕事がお休みだった娘が手伝いに来てくれた。 子供の頃からよく手伝ってくれていた娘、手際もよくてすごく助かる。 妊婦さんをこんなにこき使ってもいいのかしらと思いつつすっかり甘えてしまう。
おかげで今日は午後からの作業がなくて久しぶりにゆっくりと休む事が出来た。 買物に行ったり掃除をしたり、たまっていた家事もずいぶんとはかどる。
夫は茶の間でうたた寝。私は録画してあった「ケンミンショー」を見る。 あれも食べたいこれも食べたいと思う番組、いつかきっと食べようと思う。
日課のお大師堂参り、ここ数日行けない日もあってずっと気になっていた。 けれどもお大師さんはちゃんとわかってくれてゆるしてくれていたのだなと思う。
どんな日もあるよって微笑んでくれる。ほら、おせんべいを食べなさいって 満開になった桜の花を仰ぎながらかりぽりとおせんべいをいただく至福のひと時。
お花見なんてとても無理だと思っていたけれど、今日がその日になった。 春風に吹かれながら桜を愛でることが出来てほんとうに良かったと思う。
桜の花の向こう側にはさらさらと四万十の流れがまるで絵のように映っていた。
高知城下の桜が満開になったそうだ。 四万十はまだ5分咲きだろうか、ゆっくりと桜の季節を楽しみたいものだ。
とは言っても儚い桜。明日は桜雨になりそうだった。 どうか優しい雨であって欲しい。桜の花が泣いてしまわないように。
相変わらずの忙しさで今日もめまぐるしく一日が過ぎる。 忙しいのはありがたいことだよ。夫の言葉にうなずいている自分がいた。 独楽鼠のように動き回りながらも手を合わす気持ちを大切にしたい。
嬉しかったのはお昼に息子夫婦と孫の圭人が訪ねて来てくれたこと。 ほぼひと月ぶりに抱く圭人はずいぶんと重くなっていたように感じる。 一か月検診も順調だったようでほっと胸を撫で下ろす。 母乳もごくごくとたくさん飲んでいるようでおかげですくすくと成長している。
ほんのつかの間の事だったけれどよく来てくれたものだととても嬉しかった。 帰り際になって息子たちがまだお昼を食べていないことを知ったけれど後のまつり。
なんのおもてなしも出来なかったことを詫びながら見送ることのせつなさ。 「おかあ、今度焼肉でもしようや」息子が言ってくれた。うん、そうしよう! 父さんも母さんも川仕事を頑張るよ。美味しいお肉をいっぱい食べさせてあげるから。
息子たちを見送ってからまた午後の作業に精を出す。 慌ただしさのなかにもほっとする瞬間があってとても癒されたように思った。
日課のお大師堂参りにも行けなかったけれど、お大師さんも微笑んでいてくれるだろう。
明日はあしたの風がふく。どこにいてもどんな時でも手を合わすことを忘れない。
早朝からの川仕事を終えて大急ぎで山里の職場に駆けつける。 休む間もなくすっかりへとへとになって帰ってきた。
やらなければいけないことがたくさんあるのだけれど からだはひとつ。あれもこれもと頑張っていると身体が持たない。
限られた時間のなかでやれることだけを精一杯頑張ってみる。
とんとん拍子にはいかないこと。思うようにすんなりとはいかないこと。
それもみんな自分に与えられている試練なのかもしれないなって思った。
とうとう時間切れ。なんだかちょっぴり悔しいような情けないような。 もっと落ち着いて取り組めばミスもせずに済んだものをと思う。
母が「ありがとうね」と言ってくれる。なんだか胸が熱くなってしまった。
大急ぎで帰宅してたくさん干してあった海苔を取り入れる。 いつも笑顔の夫がなんだかピリピリしているようで気になった。 「用事が済んだらすぐ帰るから」そう言って出掛けていたせいかもしれない。
夕飯の買い物も出来なかったのだけれど、夫がありあわせで良いぞって言ってくれた。
よかった。顔色を窺っていたけれどいつもの優しい夫になっていてほっとする。 残りご飯でチャーハンを作った。夫には大盛り、私は小盛でじゅうぶんだった。
とてもハードな一日だったけれど、平穏無事に今日も暮れていく。
それがいちばんありがたいこと。幸せをかみしめながら焼酎を飲んでいる。
桜の花が咲き始めるとかならず寒の戻りがあるように思う。 「花冷え」いにしえの頃からある言葉だろうか そんな日本語がとても好きだなと思うのだった。
朝は真冬の寒さだったけれど、日中はぽかぽかと春らしくなった。 気がつけば土手のつくしもスギナに変わりつつある。 雀色だった土手が一気に緑が鮮やかになっていく。 たんぽぽの綿毛も旅に出る頃だろうか。なんだかふわふわの気分。
川仕事を終え日課のお大師堂参り。 川辺の桜もぽつぽつと咲き始めてこころが和む。 さらさらと水の流れに耳を傾けながら空と一緒にあおぐ桜木。
お参りを済ませて帰ろうとしていたら最近知り合ったばかりのお仲間さんが。 お隣の地区の方だそうで会うたびにおしゃべりをするのも楽しみになった。 以前からお参りに来ていたらしいのだけれど、午前中が多く今まで会えなかった。 先日初めて会った時に「いつも何時頃来ているんですか?」って訊かれて おしえたら「私もそうしようかしら」と言ってくれたのだった。
たまたま偶然に出会えたのもお大師さんの下さったご縁だと思う。 なんだかずっと昔からお友達だったような懐かしささえ感じるのだった。
お大師堂もずっとお参りに来ていたお年寄りが一人減り二人減りと寂しかった。 そんなおばあちゃん達の二代目に私たちもなりたいねって今日は誓い合う。
ひととひとが出会うのってほんとに不思議なこと。
きっとどこかでつながっていてある日その糸が手繰り寄せられるかなって思う。
縁のある人にはかならず巡り会える。ずっとずっと永遠にその縁はつづく。
| 2014年03月20日(木) |
桜のつぼみもふくらんで |
雨のちくもり。雲の上にはいつもおひさまがいるのよって いつか母が言ってくれた言葉をふっと思い出していた。
こころもおなじ。時には曇ってしまう時があるけれど みんなみんなおひさまを抱いて生きているのだと思う。
そんなおひさまを見失わないでいたいものだった。
川仕事はまたまた猫の手も借りたいほどの忙しさ。 「猫って嫌いなんでしょ?」とわたし。 「いや、三匹くらい飼いたい気分だ!」とおっと。
ふたりくたくたに疲れていてもふっと笑みがこぼれる会話だった。
作業場でお昼ご飯、すぐお隣がコンビニだからすごく助かっている。 今日はカツ丼と焼きそば。ダイエットのことも忘れてがっつりと食べる。 そんなお昼ご飯が毎日の楽しみになって、川仕事も頑張れる気がする。 明日は何を食べようかな、もう明日のことを考えているのも愉快だった。
午後四時やっと今日の仕事が終わる。 万歩計を気にしながらも歩こうとしないすっかり怠け者の私がいた。
お大師堂の桜は明日にでも咲きそう。薄紅色のつぼみがふっくらと可愛い。 また顔なじみのお遍路さんが来てくれていてしばらくおしゃべりをした。 そういえば去年は満開の桜を一緒に眺めたっけ。もう一年か、早いものである。
一昨日のお遍路さんもそうだけれど、顔なじみのお遍路さんが何人かいてくれる。 名前も知らないお遍路さんもいて、今日のお遍路さんは勝手に「お地蔵さん」と呼んでいる。
お遍路をしながら見つけたお地蔵さんには必ず手を合わせているのだそうだ。
その光景がいつも目に浮かんでほっこりほっこりとこころが和む。
「ありがとうございました」心からそう言える再会であった。
やわらかで優しい春の雨。濡れても少しも気にならなかった。 高知城下で桜の開花宣言。待ちわびていた桜の季節がついにやってきた。
川仕事を終え、午後は少しだけのんびりと過ごすことが出来る。 ずっと忙しかったからなんだか気が抜けたようになってしまう。 休める時にやすむ充電日。そうしてまた明日から頑張ろうと思う。
いつのまにか雨もやんでいて、散歩がてら歩いてお大師堂に向かった。 顔なじみのお遍路さんのことを考えていたらそれが虫の知らせだったようだ。
ほぼ40日ぶりの再会、いつもの笑顔が嬉しくもあり少し複雑な気持ち。 これまで会うたびにお接待をさせてもらっていたのだけれど いつからかそれを強要されるようになってしまっていたのだった。
惜しみなくと思う気持ちはあるのだけれど、やはりいい気持ちにはなれない。 決して偏見を持ってはいけないと自分に言い聞かしているのだけれど 今日は何を頼まれるのだろうとはらはらしている自分がそこにいた。
そのせいか、以前のように打ち解けてゆっくりと話すことが出来なかった。 なんだか逃げているような自分に気づいて心の奥のほうが苦しくてしょうがない。
お遍路さんもそんな私の変貌に少し気づいているような感じがした。 だから何も言わない。あれこれと欲しがらないのがよけいに辛く感じる。
あとに残るのは反省と後悔、「何か困っていることはない?」の一言が どうして言えなかったのだろうとなんとも後味の悪い再会になってしまった。
もしかしたら私が甘えられる唯一の人だったのかもしれないなと思った。
家族も家も何もかも遠くへ押しやってひたすら四国を歩き続けているお遍路さんがいる。
「おかあさん」っていつも私のことをそう呼んでくれていたお遍路さんだった。
ぽかぽかとすっかり春を思わす陽気。 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、明日はもう彼岸の入りだった。
夫、62歳の誕生日。同じく山里の母も76歳の誕生日だった。 出会った頃の夫は27歳。自分の母と同じ誕生日なのを知って驚いたことだった。
もう35年が経ってしまったけれど、なんだかあっという間だったようにも感じる。 父になり母になり、気がつけばおじいちゃんとおばあちゃんになっていた。
30歳で父親を亡くした夫は、俺も長生きは出来ないといつも言っていたっけ。 57歳で亡くなった父親と同じ年で死ぬんだと口癖のように言っていたものだった。
そんな弱気な夫が一気に元気になったのが還暦を迎えた時だった。 そうして初孫の綾菜の誕生、それがどんなにか嬉しかったことだろう。
俺はいつ死んでも良いけど、孫の顔だけは見たいな・・・なんて言っていたのが 今ではすっかり笑い話のようになってしまった。もう二人の孫のおじいちゃん。
昨夜は娘の提案で一日早い誕生日のお祝い。みんなで焼肉バーティーをした。 お婿さんとビールをつぎ合ってそれはそれは嬉しそうな顔をしていた。
綾菜がすっかりおじいちゃんっ子になっているのも嬉しくてたまらない様子。 「じーたん、じーたん」と追い掛け回されて嬉しい悲鳴をあげているのだった。
きっときっと長生きが出来るよ。夫の笑顔には希望がたくさんあふれている。
その希望を自分にも重ねて私も一緒に長生きができそうな気がするのだった。
「おとうさん」と呼んだり「おじいちゃん」と呼んだり、それこそが私の愛しき日々。
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