寒の戻りも峠を超えたのか、明日から一気に暖かくなるとのこと。 桜もそろそろ咲き始めることだろう。待ちわびていた春がやっとやって来る。
例のごとく早朝から川仕事、午前七時にはもう川の中にいた。 うぐいすの鳴き声に耳を傾けながら夫とふたり精を出す。 昨日の地震で津波がなかったのはほんとうに幸いだったと思う。 わずか50センチの津波でも海苔は全滅してしまうのだった。
川から戻ると海苔を洗って天日干しにする作業が待っている。 おひさまのありがたさをつくづく感じる作業だった。
午後からは干しあがった海苔を箱詰にする作業。 これがけっこう手間がかかり猫の手も借りたいほどだった。 夫は腰が痛いと言う。私は肩と背中がぱんぱんに張っていた。
そんな作業を4時間、もう陽が傾き始めて干していた海苔を取り入れる。 海苔は一日では干しあがらず、最低でも三日は干さなくてはいけない。 おひさまの恵みをいっぱいに受けて今日も良く干せて嬉しかった。
「お疲れさま」どんなにハードな一日でも労わりあう気持ちを大切にしたい。 疲れを分かち合うと言うか、ささやかな一言で疲れも癒されるものだった。
「お父さん、今日はお炊事が出来そうにないよ」
「おう、コンビニの弁当でもいいぞ!」そう言ってくれるありがたさ。
やっほう!の気持ちでいっぱいになって近くのコンビニに走る奥さまであった。
朝から強い風と雨。まさに春の嵐のようだった。 さすがに川仕事を諦めてしまって急きょ山里の職場に向かう。
仕事のことでずっと気になっていたこともあって 今日はやっとそれを片づけることが出来てとてもほっとしている。
責任感と言えば聞こえが良いが、そんなだいそれたことではなくて 几帳面でもないくせにそれが荷になって仕方がなかったのだった。
まあなんとかなるさ。それが苦手な性分は幾つになっても変わらない。 そんなふうに気楽になれたらもっともっと人生が楽しいのだろうけれど。
出来ることを出来る日に。きっとそれがいちばんなのだろうと思う。 順調であろうがなかろうが、それが自分に与えられている一日だった。
「ありがとうね」母の声に見送られて家路を急ぐ。
感謝するのは私の方なのにいつも母に先を越されてしまうのも微笑ましいこと。
まるで台風一過のような青空。心にも身体にも光の天使が舞い降りてくる。
夕方、娘に電話をすると心配していた綾菜はなんとか保育園に行っていたとのこと。 今のところ熱も出ていなくて元気に遊んでいる様子でほっと胸を撫で下ろす。 今夜熱が出なければもう大丈夫だろう。どうか、どうかと祈る気持ち。
けれども今度は娘の体調が少し悪いようで、またまた心配になってくる。 どうやら綾菜の風邪が移ってしまったようで微熱があるとのこと。 悪阻と風邪、家事と育児と、どんなにか辛い事だろうと思う。
「今から行ってあげようか」と言うと「だいじょうぶ」と応える。
それがなんだかとても健気に思えてならない。
おなかの赤ちゃんも頑張っているのかな。それが娘の励みになっているのかも。
母は強しね。きっとどんなことだって乗り越えていけそうな気がする。
雪柳の花が咲き始めた。ちいさな白い花がまるで雪のように降り積もる。 それがとてもあたたかい。やわらかな陽射しをあびてきらきらと輝いている。
「ゆき」と名付けれたひとが佇んでいるようなささやかな春の風景だった。
孫の綾菜、また真夜中に高熱が出てしまって今日は保育園をお休みする。 今朝は熱が下がっていたけれど用心をしてもう一日様子を見ることにした。 娘がどうしても仕事を休めなくて朝からずっとお守りをしていた。
ひとりで川仕事に向かった夫を作業場で待つ。 ひだまりのなかで遊ぶ綾菜を見ていると息子や娘の幼い頃を思い出した。 幼心に忙しいのだなというのがわかるのだ。綾菜もまったく同じだった。
作業をしているあいだもひとりでおりこうさんで遊んでくれる。 「これはね、青さだよ」っておしえると「あおた?あおた」と応えてくれる。
作業が終わると作業場の掃き掃除を手伝ってくれた。 ちいさな手にほうきと塵取りを持ってなかなかの手つきである。 「すごいね〜上手だね」とほめると悦に入ってどんどん手伝ってくれるのだ。
お疲れさま、ありがとうね。やっとお昼ご飯の時間になる。 綾菜はコンビニのナポリタン。すごい勢いでちゅるちゅるとよく食べる。 デザートに大好物のミカンの缶詰、それも一缶ぺろりと平らげてしまった。
けれどもその後、咳き込んでしまって食べたものを殆ど吐いてしまった。 食欲はあったのにどうしたことか、やはり風邪のせいだろうかと一気に心配になる。
ただの食べ過ぎだろうと夫が言うので、私もそう思うことにした。 あまり気にしないことにして茶の間でアンパンマンを一緒に見ながら過ごす。
そうして眠った。じいちゃんに抱っこされてそれは気持ちよさそうに眠ってくれる。 なんと三時間もお昼寝、昨夜の寝不足もあったのだろうと思う。
寝起きに熱を測った時は平熱だったのだけれど、夕方にはまた熱が出てしまった。 夕食もそこそこに迎えに来た娘と早々と帰って行った。
どうかどうか今夜は熱が高くなりませんように。そればかり祈っている。
今日はねいっぱいお手伝いをしてくれてありがとうね。
じいちゃんもばあちゃんも綾菜のおかげでにっこりにっこりでいられたよ。
ざわざわとしたりほっとしたり、それも生きているからこそのこと。
命あることのありがたさをつくづくと感じた一日だった。
あの日からもう三年、こうして日々を綴ることも不謹慎に思えるけれど 「普通にしていようよ」と言ってくれた友の一言を忘れずにいたかった。
住む家があって三度の食事に恵まれ、家族がみな元気でいてくれる。 それがどれほど恵まれているのかをいつもいつも思い知らされている。
それはきっとこれからも変わらない。10年経っても20年経っても。
そうしていつか私も逝ってしまう日が来るだろうけれど すごくすごく幸せな人生だったよって微笑みながら逝けそうな気がするのだった。
今日は綾菜が保育園で熱を出してしまって、急きょお迎えに行ったり インフルエンザかもと小児科へ連れて行ったりばたばたと大忙しの一日だった。 幸いなことにただの風邪だったけれど、ぐったりしていてとても可哀想だった。
小児科で解熱の坐薬をさしてもらったのが良かったのか、すぐに熱が下がる。 晩御飯も元気にいっぱい食べてくれてほっと胸を撫で下ろしたことだった。
どんなに毎日手を合わせていても、こんな日もあるものだなと思う。 だからといって天を恨むことなどどうしてできようか。
ひとつひとつを受け止めながら乗り越えていくことしか出来ない。
明日のことは誰にもわからないのだもの。明日が来るだけでも幸せだと思う。
なんだか思うようにいかなくて ぐるぐるぐるぐるしてしまう時があるのだけれど
そんな時の自分ってきっとすごく欲張りなのだなろうなって思う。
たっぷりと時間はあるように思えても足らなくなってしまったり いつもは出来ていたことが出来ない日だって誰にだってあるのだろうか?
何かに疲れているのだけれど、それが何なのかよくわからない。
まあいいさ。あしたは明日の風にふかれよう!
寒の戻りもなんのその。うぐいすがしきりに鳴いて励ましてくれる。
「おう、だいぶ上手になったな」夫の一言ににっこりと微笑む朝。
早朝からの川仕事もぼちぼち。例年なら最盛期の頃なのだけれど 今年は不作のせいもあってがむしゃらに頑張ることもほとんどなかった。 程よい疲れ、それはきっとありがたいことなのだろうと思っている。
悪阻がひどくなった娘が昨夜も綾菜と遊びに来てくれた。 お婿さんが飲み会で留守なので夕食を作る気にもならないとのこと。 オムライスなら食べられそうと言うので腕を振るって四人分作る。 綾菜のオムライスにはアンパンマンの顔を書いてあげた。
食後はお楽しみのお風呂、ばあちゃんと入るのだと言って自分で服を脱ぐ。 私よりも先にはだかん坊になってさっさとお風呂場に向かう綾菜であった。
この冬の間、お風呂がとても苦手だった私もおかげでお風呂が好きになる。 自分が倒れる心配よりも綾菜に風邪をひかせてはいけないと気遣うばかり。 肩までちゃんと浸かろうね、玩具で遊んだり歌を歌ったり楽しいひと時。
お風呂上がり、茶の間でしばらくおりこうさんで遊んでいたのだけれど ドアノブを回すことをすっかり覚えてしまって他の部屋に行きたがる。 階段も上りたがり誰もいない二階にまで行きたがるようになった。 追いかけまわしているうちにじじばばはすっかりへとへとになるのだった。
そうして今度はまたトイレ騒動が始まる。パジャマのズボンもパンツも脱いで 自分でトイレに行こうとする。ついにトイレのドアも開けるようになった。
出るかな?出るかな?「う〜ん」と言ったり「シーシー」と言ったり。 そんなことを五回ほど繰り返したけれど残念ながら出るものが出なかった。
お尻はすっかり冷え切っていて今度こそ風邪を引いてしまいそう。 それなのにどうしてもパンツをはきたがらない。これにはさすがに参った。
娘と二人係で押さえつけて無理やりパンツをはかせたら大泣きになってしまった。 いったいどうしたいの?まだうまくしゃべれなくて伝えられないもどかしさ。 母さんもばあちゃんもどうしてわかってくれないのだろうって思っていることだろう。
そう思うと憐れになって怒るにも怒れなくなってしまう。
じゃあもうお家に帰ろうか?「うん!」今度はちゃんとパジャマのズボンをはいた。 そうしてさっさと玄関に向かうと自分でちゃんと靴をはいたりするのだった。
「今夜の豆台風は大荒れだったな」夫と苦笑いしながらふたりを見送る。
し〜んと静かになればそれもまた寂しいもの。
愛しさとは不思議なもので一緒にいる時よりもいない時のほうが大きい気がする。
寒の戻りだろうか、北風が強くて少し肌寒い一日だった。 けれども降り注ぐ陽射しは真冬とは確実に違っている。 どんなに寒くてもおひさまは微笑んでいてくれるのが嬉しい。
おひさまのようなひとになりたいなとふと思う。 それはとても身の程知らずのことだけれど この先どれほどの時間が自分に与えられているのかもわからないけれど おひさまのような人だったねと言われて逝けたらどんなに良いだろうか。
川仕事を終えて日課のお大師堂参り。 土手のつくしを愛でながらふっとあんずのことを思い出したりする。 お散歩仲間だったワンちゃんたちに会うたびに、それはいっそう増す。 独りぼっちで歩くのはやっぱり寂しいものだなとつくづく思うのだった。
お大師堂で手を合わせながら、今日の平穏無事に感謝する。 なんだか毎日が奇跡のように思えてならない日々がずっと続いている。
当たり前のことなど何一つなくて、すべてが恵まれていることだと思う。 「ある日突然に」そう思うと怖くて不安でいっぱいになったりもする。
あっけらかんとそうしてのほほんと暮らしていくのは実はむつかしい。
けれども自分に与えられた日々をなんとしても全うしたい。
明日のことは誰にもわからない。だからこそ明日に向かって今日を生きる。
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