ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2014年03月09日(日) 愛しさとは

寒の戻りもなんのその。うぐいすがしきりに鳴いて励ましてくれる。

「おう、だいぶ上手になったな」夫の一言ににっこりと微笑む朝。


早朝からの川仕事もぼちぼち。例年なら最盛期の頃なのだけれど
今年は不作のせいもあってがむしゃらに頑張ることもほとんどなかった。
程よい疲れ、それはきっとありがたいことなのだろうと思っている。


悪阻がひどくなった娘が昨夜も綾菜と遊びに来てくれた。
お婿さんが飲み会で留守なので夕食を作る気にもならないとのこと。
オムライスなら食べられそうと言うので腕を振るって四人分作る。
綾菜のオムライスにはアンパンマンの顔を書いてあげた。

食後はお楽しみのお風呂、ばあちゃんと入るのだと言って自分で服を脱ぐ。
私よりも先にはだかん坊になってさっさとお風呂場に向かう綾菜であった。

この冬の間、お風呂がとても苦手だった私もおかげでお風呂が好きになる。
自分が倒れる心配よりも綾菜に風邪をひかせてはいけないと気遣うばかり。
肩までちゃんと浸かろうね、玩具で遊んだり歌を歌ったり楽しいひと時。

お風呂上がり、茶の間でしばらくおりこうさんで遊んでいたのだけれど
ドアノブを回すことをすっかり覚えてしまって他の部屋に行きたがる。
階段も上りたがり誰もいない二階にまで行きたがるようになった。
追いかけまわしているうちにじじばばはすっかりへとへとになるのだった。

そうして今度はまたトイレ騒動が始まる。パジャマのズボンもパンツも脱いで
自分でトイレに行こうとする。ついにトイレのドアも開けるようになった。

出るかな?出るかな?「う〜ん」と言ったり「シーシー」と言ったり。
そんなことを五回ほど繰り返したけれど残念ながら出るものが出なかった。

お尻はすっかり冷え切っていて今度こそ風邪を引いてしまいそう。
それなのにどうしてもパンツをはきたがらない。これにはさすがに参った。

娘と二人係で押さえつけて無理やりパンツをはかせたら大泣きになってしまった。
いったいどうしたいの?まだうまくしゃべれなくて伝えられないもどかしさ。
母さんもばあちゃんもどうしてわかってくれないのだろうって思っていることだろう。

そう思うと憐れになって怒るにも怒れなくなってしまう。

じゃあもうお家に帰ろうか?「うん!」今度はちゃんとパジャマのズボンをはいた。
そうしてさっさと玄関に向かうと自分でちゃんと靴をはいたりするのだった。

「今夜の豆台風は大荒れだったな」夫と苦笑いしながらふたりを見送る。

し〜んと静かになればそれもまた寂しいもの。

愛しさとは不思議なもので一緒にいる時よりもいない時のほうが大きい気がする。






2014年03月06日(木) おひさまのように

寒の戻りだろうか、北風が強くて少し肌寒い一日だった。
けれども降り注ぐ陽射しは真冬とは確実に違っている。
どんなに寒くてもおひさまは微笑んでいてくれるのが嬉しい。

おひさまのようなひとになりたいなとふと思う。
それはとても身の程知らずのことだけれど
この先どれほどの時間が自分に与えられているのかもわからないけれど
おひさまのような人だったねと言われて逝けたらどんなに良いだろうか。



川仕事を終えて日課のお大師堂参り。
土手のつくしを愛でながらふっとあんずのことを思い出したりする。
お散歩仲間だったワンちゃんたちに会うたびに、それはいっそう増す。
独りぼっちで歩くのはやっぱり寂しいものだなとつくづく思うのだった。

お大師堂で手を合わせながら、今日の平穏無事に感謝する。
なんだか毎日が奇跡のように思えてならない日々がずっと続いている。

当たり前のことなど何一つなくて、すべてが恵まれていることだと思う。
「ある日突然に」そう思うと怖くて不安でいっぱいになったりもする。

あっけらかんとそうしてのほほんと暮らしていくのは実はむつかしい。

けれども自分に与えられた日々をなんとしても全うしたい。

明日のことは誰にもわからない。だからこそ明日に向かって今日を生きる。



2014年03月05日(水) 幸せは「仕合せ」

雨のち晴れ。雨あがりの北風が強く吹き荒れて少し肌寒かった。
川仕事に向かう途中に農道を通るのだけれど
農作業をしている人の姿が日に日に目立つようになった。

かたわらにはいちめんの菜の花。その畑もやがて耕されることだろう。
菜の花畑に寄り添うように桃の花が咲いているのにも心が和まされる。
明日はもう「啓蟄」どんなに寒くても春の兆しに満ち溢れているこの頃だった。

寒さなくては花は咲かず。私の好きな言葉である。
もし一年中暖かな日ばかりだったら桜の花は咲くことを忘れてしまうのだ。
ひとのこころも同じだと思う。辛い冬があるからこそ春の喜びを感じられる。

あのひとは元気にしているかしら?ふと思い出す時もあるけれど
出会ったことがとてもとても遠い昔のように感じて自らその扉を閉めてしまう。

ノックの音が聴こえない。そんな現実にほっとしている自分がいた。

そうして縁遠くなる。もっともっと遠くなれば良いのにと思ったりする。

そんな薄情なことを思いつつも誰のこころにもきっと春が訪れますように。
毎日、まいにち手をあわせているときっと何かが伝わるような気がするのだった。

幸せは「仕合せ」青い鳥の童話のようにさがさなくてもすぐ近くにあるもの。

ほらあなたのすぐそばにもそれはあるでしょう?



2014年03月02日(日) ちいさなあんよ。可愛いお靴

雨のち晴れ。風が強く吹いて寒桜がはらはらと散り始めてしまった。
それはとてもせつないけれど、どれほどこころを和ませてくれたことか。
儚い花ほどこころに残る。ひとの命と同じようにこころに残る。

やがてソメイヨシノの季節がやってくることだろう。
それがほんとうの桜の季節なのだとしたら寒桜がとても健気に思えてならない。



昨夜も娘と綾菜が遊びに来てくれたのだけれど、
今日も会いたくなってしまって久しぶりに娘のアパートを訪ねた。
綾菜はちょうどトイレにいてアンパンマンの便座にちょこんと座っていた。
朝から何度もトイレに行きたがってはそのたびに出るものが出ないとか。
娘はもう呆れかえっていたけれど、トイレを覚えただけでもすごい成長だと思う。

トイレから出ると今度はパンツをはきたがらない。
お尻を出したまま部屋中を逃げ回っているのを娘と二人で追いかけまわる。
「いや!」っていう言葉を最近覚えて「いや、いや!」と連呼する。

「じゃあくまさんにパンツあげるよ」ぬいぐるみにパンツをはかせると
それもいやでやっとおりこうさんになってパンツをはいてくれるのだった。

私が一緒に居たのは二時間ほどだったけど、その間に三回もトイレに行く。
そのたびに追いかけまわしてなんとも楽しいひと時であった。

お昼寝の時間になったので私が帰ろうとすると、
先に玄関へ行って自分で靴を履こうとする。ちいさなあんよ。可愛いお靴。

「ばあちゃんは帰るんだよ、バイバイしようね」って娘が言うと
すっかりご機嫌ななめになってしまって今にも泣きそうになってしまった。

後ろ髪を引かれるように、なんだか逃げるようにしてドアを閉める。
その時見た綾菜の顔が忘れられない。すごくすごく悲しそうな顔をしていた。

10分でもいいからお外で遊んであげたらよかったなって後から思う。
それもあとのまつり。おりこうさんでねんねしてくれたかなってずっと気になる。

会うたびに成長している綾菜の姿にどれほど癒されている事だろう。
明日はひな祭り、綾菜も一歳と10ヶ月になろうとしている。



2014年02月28日(金) かならず春はやってくる

とうとう二月も最後の日、明日からは弥生三月と思うとなんだかわくわくする。

今日も気温が高くなりすっかり春を思わす陽気となった。
土手の土筆の坊やたちも気持ちよさそうに背伸びをしている。

あれはいつのことだったのだろう。
土筆を食べてしまったうさぎの童話のようなことを書いたことがあった。
たくさん泣いて赤い目になってしまったうさぎが土筆の坊やたちと出会うのだった。

「ぼくらを食べてよ」「おなかいっぱいになるまで食べてよ」

泣き虫のうさぎはぽろぽろ涙を流しながら「ごめんね、ごめんね」って
言いながら土筆の坊やたちを食べてしまったのだった。

でもね。また春が来ると土筆の坊やたちとちゃんと会えたんだよ。

泣きたいだけ泣きなさい。どんなに辛くてもかならず春はやってくる。






今日は先月亡くなった伯父の35日の法要があった。
実際にはまだ35日にも満たないのだけれど、三つきに渡るといけないのだそうだ。
本来なら49日が正当だけれど、35日でも三つきになってしまうのだった。

どうして三つきに渡るといけないのだろう?不思議に思って調べてみたら
「身を切る」という言い伝えがあるのだそうだ。
身内に災いが降りかかるというような意味だろうか、なんとなく納得する。

いとこ達がみな集まりにぎやかな法要になった。
伯父の笑顔の遺影を見ていると、いまだに亡くなったことが信じられない。
みんなと一緒になって大好きだったビールを美味しそうに飲んでいるような気がした。

時はそうして流れていく。何事もなかったかのように流れていくものなのだろう。



2014年02月27日(木) 母の背中

どしゃ降りの雨のあと一気に青空が広がる。
気温は20℃を超えすっかり春の陽気となった。

今日も川仕事を諦めてしまって山里の職場に駆けつける。
ばたばたと走り回る忙しい一日だったけれど、なんだか楽しい。
することがたくさんあるのはとても嬉しいことだと思うのだった。

出来ることを出来る日にといつも思う。
明日は月末なのに何も手伝ってあげられないのが少し心苦しいけれど。

「なんとかなるよ」母のその一言がとても頼もしかった。

もうすぐ76歳になる母、いったいいつになったら楽をさせてあげられるのかしら。
会社を続けている限りその苦労も続くのだと思うとふっと憐れでならなくなる。

同時に母が頑張っている限り私も頑張ろうと思える。
母は偉大なり、ずっとずっと母の背中を見守っていきたいと思っている。

「ごめんね」「ありがとうね」母と交わす言葉はそればかり。

けれどもそれさえも言えずにいた若いころをふっと思い出すことがよくある。



2014年02月26日(水) ほらほら「かりんとう」をお食べ

お天気は下り坂、午後からぽつぽつと小雨が降り始めた。
気温は高めなのになんとも肌寒く感じるのが不思議に思える。
一雨ごとに春が。そう思うと雨の日もまた楽しみのひとつでもあった。


今日も早朝より川仕事に出陣したのだけれど
潮が引き過ぎていて収穫が出来ずに諦めて帰ってきた。
干満の差が激しくなるのも春の兆しであり季節の移ろいを感じる。

予定変更になり作業場で出荷の準備をしていた。
三月三日が海苔の「お嫁入り」の予定である。
例年よりもずいぶんと少ないけれど、精一杯頑張ったのだと思う。


午後は炬燵でうたた寝。とろりんとろりんと時が流れる。
可愛い猫にはなれなくて、大きなトドだと夫が笑っていた。
若い頃には思いもしなかったけれど、年を重ねるごとにそんな時間が愛しい。
だらしなく怠惰に過ごす。すっかり怠け者になるのも心地よいものだ。

「よっこらしょ」やっと起きだせばもう5時近くになっていた。
ぽつぽつと小雨の中をお大師堂にお参りに行っていた。
満開近くなった寒桜もしっとりと雨に潤っている。
土手には土筆の坊やたちが可愛い頭をならべて微笑んでいた。

お大師堂で手を合わせながら、ただただ平穏無事に感謝するばかり。
これ以上の何を望もう。足りないものなど何ひとつないのだと思った。

「ほらほらかりんとうをお食べ」お大師さんが引き止めてくれて
お供えしてあったかりんとうをごちそうになる。

黒砂糖のほんのりとした香りと甘み。すごいすごい幸せなひと時であった。


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