朝からどしゃ降りの雨。まるで春の嵐のようだった。 そんな雨も午前中にやんでくれてすぐに陽射しが降り注ぎ始める。 気温もぐんと高くなりすっかりぽかぽか陽気となった。
職場の庭の紅梅のつぼみはちょうどマッチ棒ほどのふくらみ。 立春も近くなり春の足音がすぐ近くで聞こえているような気がする。
昨日は伯父の葬儀があり、なんだか大往生の「お祝い」のようにして終わる。 みんなでにぎやかに見送ってあげることが出来てほんとうに良かったと思う。 たくさんの思い出を残してくれた伯父のことをいつまでも忘れることはないだろう。
帰宅するなり娘と綾菜がやって来て晩御飯やお風呂と慌ただしく過ごす。 ちょっぴりしんみりとしていた日だったけれど、とても良い気分転換になった。
そして今夜も、またまた晩御飯とお風呂でにぎやかな我が家であった。 昨日からお婿さんが出張で留守をしているとのこと、実家を頼ってくれて嬉しかった。
娘と綾菜がいてくれるだけでまるでお花畑にいるような我が家。 たんぽぽとひまわりが一緒に咲いたような気分になるのだった。
来週からは川仕事が始まるので週末の楽しみがなくなってしまうのが寂しい。 保育園にお迎えに行けるのも今週で最後になってしまいそうだった。
欲張りなバーバは毎日だって会いたくてたまらない。 いっそ二世帯住宅にして一緒に住むか、なんてジージが出来もしないことを言って笑う。
無理なこととわかっていても夢がどんどんふくらんでいくバーバであった。
霜の朝から一気に気温があがり日中はとても暖かくなった。 冬のおひさまほどありがたいものはなくて日向ぼっこをしたくなる。
ずっと平穏な日々が続いていたけれど 昨日は突然の訃報が舞い込んできた。 川向の地区に住む伯父が急死した知らせだった。 姑の兄にあたる人でとても穏やかで優しい伯父であった。
四万十大橋が開通してからというものよく自転車で遊びに来てくれたり とても元気そうだったのだけれど、ほんとうにあっけなく逝ってしまった。 夫ともども私も可愛がってもらって大好きな伯父であった。
嘘でしょう?一瞬そう呟いてしまうほどのあっけない死。 やはり人は死んでしまうのだなと現実を叩きつけられたような気がした。
今夜はお通夜、心から手を合わせてさきほど帰ってきた。 92歳の大往生とはいえなんとも寂しいことである。
私も年を重ねるごとに「死」がとても身近に感じられてならない。 今は病気もせずにこうして元気に日々を過ごしているけれど ある日突然にそれが襲って来たらと思うと不安と恐怖で胸が張り裂けそうだった。
生きたいと思えば思うほど不安になってしまうもの。 命のろうそくなどある日突然に消えてしまうのかもしれないと思う。 消えてしまわないように自分でその炎を守れたらどんなに良いだろうか。
こうして命あることのありがたさ。かみしめながら今夜も眠る。
明日のことを考えていられるだけで幸せなのだなと思っている。
| 2014年01月26日(日) |
いっぱいのしんこきゅう |
つかの間の春らしさも今日限りか、明日の朝はまたぐんと冷え込みそうだった。
そんな暖かさを惜しむように土手の道をたくさん散歩する。 お大師堂のかたすみに咲く水仙の花にこころをなごませ 今度は川沿いの道を水の流れに沿って大橋のたもとまで
ああ生きているんだなとすごく感じる。 自然の風景にふれることでこころもからだもしんこきゅうをしているようだ。
ずっと昔「心呼吸」という詩を書いたことがあったけれど ある詩人の方から「深呼吸の間違いですよね」と誤字を指摘されたことがある。
あれはいったい何だったのだろうか。ふっとそんな昔の記憶がよみがえった。 こころが呼吸をしているのだ。それがわかってもらえなかったことが悔しかった。
そんな悔しさもいまはもうない。しんこきゅうは「心呼吸」だとただただ貫く。
夕食後、ふっと外を見るとまだ薄明るくてまた歩きたくなった。 ここ数日のあいだにずいぶんと日が長くなってくれてありがたいこと。 もうおひさまは沈んでいるのだけれど西の空がほんのりと茜色だった。
ちょっとだけ駆け足、それもすぐに息が切れ始めて早足歩きになってしまった。 壊れかけたロボットみたいな歩き方、それも愉快だなって思った。
大橋のたもとの県道を横切り、お隣の地区まで行って引き返して来た。 薄っすらと汗をかきなんとも心地よい。これこそ心呼吸だなって思う。
歩けば歩くほどこころも動く。この清々しさはくせになりそうだった。
| 2014年01月25日(土) |
ほっこりふっくらふくらんで |
今日はまるで春のような暖かさ。梅のつぼみも一気に膨らみそうだった。 つかの間の事だとわかっていても春らしい陽気に私の心も膨らんでいく。
ほっこりふっくらと一日を過ごす。ぬくぬくのおひさまに抱かれながら。
お昼前に綾菜を保育園に迎えに行って、その足で公園に遊びに行った。 「公園に行く?」と訊くと「うん」と言ってうなずくようになった。 ほんの一週間会わないあいだにずいぶんと言葉数が多くなってきたようだ。
話しかけるたびにちゃんと応えてくれる。それが嬉しくてならない。 時にはいったい何と言っているのかわからない時もあるのだけれど 綾菜なりに一生懸命伝えようとしているのがわかってぎゅっと抱きしめたくなる。
帰宅すると真っ先に茶の間に歩いて行って「アンパンマン」を見ると言う。 ジージのひざに抱っこされてまるで特等席に座った王女様のようだった。
「あやちゃん、そろそろねんねしようかね」って声をかけても 「いや!」と言って首を横に振る。目は眠そうにとろんとろんしているのだけれど。
一時間ほどテレビにくぎ付けになったあとやっとお昼寝をしてくれた。 ジージもバーバもほっとして一緒にうたた寝をする午後であった。
お昼寝から目覚めたらおやつの時間、チーズの蒸しパンとりんごジュース。 食べ終わるなりおならをプーと鳴らして「うんち」と言い出した。 大急ぎでトイレに連れて行く。初めてのことでバーバはどきどきしていた。
「うーん、うーん」トイレで一緒にうなる。ちゃんと出てくれるかな。 どばどばっとそれは出た。「出たね〜」と言うと「デタネ!」って綾菜。
おりこうさんでちゃんとトイレでうんちしたからえらかったよ。 おじいちゃんにも「出たよ」って言わないといけないね。
「ジータン」声をあげながら綾菜が駆け足になって茶の間に向かっていく。 ふりっちんのお尻の可愛いこと。なんとも微笑ましいうしろ姿だった。
そんな成長のひとこまを垣間見ることが出来て、今日はとても嬉しかった。
会うたびに綾菜がおしゃまな女の子になっていく。
それはそのまま幸せのかたちになってほっこりふっくらとふくらんでいくのだった。
| 2014年01月23日(木) |
さよなら今日子ちゃん |
今朝は今季いちばんの冷え込みだったようでいちめんの霜。 クルマのフロントガラスも凍っていて出勤前にあたふたとする。
少しエンジンを暖めてから出掛けたのだけれど 家を出てすぐにクルマが走行不能になってしまった。 数日前からなんか調子が悪いなと思ってはいたのだけれど もうオンボロ車だからと諦めていたのがいけなかったようだ。
近くの修理工場さんにお世話になって引き取りに来てもらう。 そこから歩いて家に帰り夫のクルマを借りてやっと職場に行けた。
実は職場も修理工場。まさに灯台もと暗しであった。 社長や母に相談すると、もう廃車にしたほうが良いのではと言う。 長年乗り慣れた愛着のあるクルマだけれどもう18年目で23万キロも走っていた。 軽自動車でこれほど長持ちするクルマも珍しく、よく頑張ってくれたと思う。
ホンダのツディなので「今日子ちゃん」と呼んでいた。私の大切な愛車。 お別れするのも寂しいけれど、悩んだ挙句やはり廃車にすることに決めた。
いざそれが決まるとすぐに新しいクルマを準備しなければいけない。 取引先のダイハツで見積書を作ってもらって帰宅後展示車を見に行った。
タントやムーヴは夫が欲しがっているのだけれど 私は小回りの利く小さめのクルマのほうが良くて、ミライースに決定。 一緒に見に行っていた夫は「俺は、俺は・・」と呟いていた。 お金さえあれば二台買うのだけれどそんな余裕などないのが我が家の現状。
とんとん拍子に話が決まって契約書にサイン。納車は来月の始めだとか。 なんだかあっという間に事が進んでしまってちょっぴり戸惑っている。
夕方、修理工場に預けていた「今日子ちゃん」が運搬車に乗せられて連れていかれる。 それがなんともせつなくてならなかった。さよなら今日子ちゃん。
解体されてしまうのか、バラバラになってしまうのか・・・。
今まで私の足になってくれてすごくすごく頑張ってくれてありがとう。
今日子ちゃんのエンジンの音がそのまま心臓の音になって私の中で生き続けているよ。
北風小僧のかんたろう君なのかな? 唸り声と言うよりも何だかめずらしい楽器を吹き鳴らしているようだった。 ひゅるりんひゅるりんひゅるひゅるりん。
日中の気温が昨日よりも8℃も低い。どうりで寒いはずだった。 いつもの散歩道も手がかじかんでしまって早目に家路を急いでしまう。
お大師堂にはまた顔なじみのお遍路さんが来ていた。 「今日は初大師だからね」言われるまですっかり忘れてしまっていた。 初大師の日は毎年ここと決めているのだそうで 一年前にも会っているはずだったけれどあまり覚えていなかった。
もしかしたらいちばん落ち着いてほっと出来る場所なのかもしれない。 エンドレスのお遍路さんには帰る場所がないのだと知っているから。 我が家のように思って寛いでもらえたらそれで良いのだと思った。
やむをえない事情のない限り連泊禁止になっているお大師堂だけれど 「二、三日、休ませてください」と言われたら微笑んで頷くしかなかった。
何が駄目で何が良いのやら。ちょっぴり複雑な気持ちのまま今日は別れる。
「慈悲」という言葉がある。未熟者の私にはまだよくその意味がわからない。
二十四節気の「大寒」もっとも寒さが厳しい頃と言われているけれど 今日の四万十はまるで春のように暖かい陽気となった。
寒暖の差も身に堪えるものだけれど、暖かいとやはりほっとする。 それも寒さあってのことと冷たい風にも感謝しなければいけない。
帰宅するとポストに友からの便りがあった。 今年に入ってからもう二度目の便りを嬉しく思う。 悩み事と言うほどのことではないのだけれど 前回ちょっと私が嘆いてしまったことを気にかけてくれたようだ。 よけいな心配をかけてしまったようでなんだか心苦しかった。 どんなに些細なことでももう嘆くのはよそうと心に誓う。
けれどもありのままの自分と向き合っていると 決して楽天家でもなく、あっけらかんと生きていくのも難しく思える。 「そのままでいいよ」いつも自分に言い聞かせている毎日であった。
だからもしかしたらまた嘆くかもしれない。 友には聞こえないようにひっそりとどこかで。
暖かな陽射しに誘われるように今日もたくさん歩いた。 動いているんだなってすごく感じる。その瞬間がとても心地よい。
私はわたしの道を行く。その道は間違っているよって声が聞こえても
私はわたしの道を信じたいと思う。それが自分に与えられている道だから。
|