| 2014年01月09日(木) |
きっとそこは春なのだろう |
冬将軍がお馬さんに乗ってぱっかぱっかとやって来る。 まさに「矢でも鉄砲でも持ってこい」と身構えているような気分。
明日の朝は今期いちばんの冷え込みになりそうだった。 寒さは身に沁みるけれどなんとしても乗り越えていかねばならない。
胸に手を当ててみるとほんのりとあたたかい。 きっとそこは春なのだろう。どんな花が咲いているのだろうか。
仕事はなんとか荒波が静まり今日は穏やかな海のうえ。 どこかの島にたどり着くあてもないけれどゆうらゆうらと旅をしている。 それはそれは果てしない海だ。どこまでいっても海ばかりの旅だった。
母と向かい合ってたわいのないおしゃべりをする。 同僚が冗談を言ったりして笑わせてくれたりする。
微笑んでいられるのはほんとうにありがたいことだった。
帰宅の足をそのままにクルマでお大師堂に向かった。 一度家に帰って散歩がてらに歩けば良いものを 冷たい風のせいにしてちょっぴり怠けてしまう自分がいる。
どんな時もあってよしと自分をゆるす。 こだわらないってこんなことなのかな、よくわからないまま頷いていた。
お大師堂には美味しそうなどら焼きがお供えしてあって すごくすごく食べたかったのだけれど今日は我慢をしてしまった。 きっと今夜の夢に出て来るな、なんて思うとちょっぴり愉快な出来事。
「おお寒っ」背中を丸めるようにして土手の石段をあがった。
土手から見渡す川は私の大好きな白波のたつ大河であった。
まるで春先のようにあたたかくて優しい雨。 このままほんものの春が訪れてくれたらどんなに良いだろうか。
冬将軍を押しやるように微笑んでいる雨は 乾いたこころさえも潤すように歓喜の涙を流している。
水曜日、今年も姑さんのリハビリ通院が始まった。 二週間ぶりで私が付き添うのはほぼひと月ぶりではないだろうか。 仕事を休むのはやはり気が引けるけれど、久しぶりの付き添いも楽しみであった。
歯を食いしばるように腕に力を入れて一生懸命に頑張る姑の姿を見た。 やはり支えなしでは立つことは出来ないけれど、歩こうと言う強い意志を感じる。
決してあきらめないこと。立ち向かって行く勇気をおしえられたように思う。 どんなに困難なことであってもあきらめてしまえばそこでお終いだった。 姑の姿から伝わってくる大切なことをずっと忘れずにいたいと強く思う。
午後、一度はやんでいた雨がまた降り始めた。 雨音が耳に心地よく響く。しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん。 傘の仕事始めだとテレビでお天気キャスターが言っているのもうなずける。
お大師堂で手を合わす。目を閉じると家族の顔がほっこりと浮かんでくる。
みんなが無事でいてくれた。それがどんなにありがたいことだろうか。
もう七日。日常の暮らしに戻りとんとんとんと毎日が過ぎる。 年末のような慌ただしさはないけれど、やっぱり駆けているような気がする。 そんなに急いでどこに向かっているのだろう。 ゆっくりのんびりと日々を散歩するように歩いて行きたいものだ。
昨日は仕事始め、穏やかにとはいかなくてほんの少しの荒波。 その荒波が今日も続く。なんだか船酔いのように気分が重くなる。 けれどもそれも自分に与えられていることだと思って受け止めなければ。
どんな日もあってよし。今年もその言葉を忘れずにいたいものだ。
家に帰ればまるで穏やかな海の波打ち際にいるように感じる。 寄せては返す波と戯れながら静かな波音にこころを癒されている。
「お父さん、良かったよ。洗濯物が乾いているよ」
「おお良かったな。曇っていたけど風があったからな」
なんでもないような会話。でもそういうのがなんか幸せだった。
夕飯の七草雑炊をふたりで向かい合ってはふはふと食べる。 私は夫が美味しそうに食べている姿を見るのがとても好きだった。
当たり前のことのようで決してそうではないのだとつくづく思う。
食後の後片付けをしながら夫のお茶碗に「ありがとうね」なんてつぶやく夜。
元旦からずっと暖かい日が続いていてありがたいことだと思う。 水仙の花があちらこちらに咲いておひさまに向かって微笑んでいる。
今日は特に予定もなくて茶の間でテレビっ子をしていたところ 娘から電話があって綾菜を連れて遊びに来てくれるとのこと。 今日から保育園の予定だったのだけれどオサボリをしてしまったようだ。
「じいちゃんはもう疲れてしまったぞ」夫の一声に思わず笑ってしまう。 仕方なく三人で海の見える公園に遊びに行くことにした。 芝生のうえをよちよちと歩き回る綾菜と鬼ごっこをして遊んだ。 お気に入りの滑り台も何回も滑ってきゃあきゃあと大喜びだった。
そろそろマンマの時間だね。帰りたがらない綾菜もマンマには弱い。 「マンマ、マンマ」を連呼し始めるとやっとクルマに乗ってくれた。
家の近くの地場産市場が今日から開店していたのでお昼の買い物をする。 鶏の照り焼きとたこ焼きを買って帰る。ばあちゃんもお腹が空いたよ。
四人で昼食、もぐもぐを通り越してがつがつと食べる綾菜はなんとも微笑ましい。
食後、娘がちょっとトイレに行ってしまったら急に火が付いたように泣き出してしまった。 「かーたん、かーたん」と涙をぽろぽろ流しながらトイレまで追いかけて行く。
それも成長のあかしだろうか。そう思うとどんなに泣いても微笑ましく思う。
お昼寝はお家に帰ってからにしようかね。送り出す時は寂しいようなほっとしたような。
「やれやれ」し〜んと静かになった茶の間でつぶやく夫もまた愉快であった。
おかげで今年も孫三昧の日々を送らせてもらえそうだった。 泣いたり笑ったりの綾菜にどんなにか癒されていることだろうか。
明けて三日、朝は霜が降りていて冷え込んでいたけれど 日中は風もなく穏やかな小春日和となる。
元旦は家族が勢揃い、昨日は綾菜のお守りと忙しくしていたけれど 今日はやっとのんびりと出来そうで夫と二人で初詣に出かけていた。
四国霊場37番札所の「岩本寺」はとても好きなお寺だった。 クルマでちょうど一時間、穏やかな朝の海を眺めながらのドライブ。
お遍路さんの姿もたくさん見られた。白装束のちびっ子遍路さんもいてびっくり。 可愛いお遍路さんが鐘をついている姿はなんとも微笑ましかった。 来年には綾菜も連れて来てあげたいねと、もう来年の話などする。
二人でおみくじを引いたら二人とも「吉」だった。 大吉でないほうがなんか良いよねと二人で微笑みあう。 ちょうどいいくらいの幸せ。それでじゅうぶんだと思える。
お守りを買ったらお接待ですよと蜜柑をいただく。 それはとても思いがけないことでとても嬉しかった。
それから岩本寺を後にして四万十川をさかのぼる。 四万十町十和にある道の駅をめざしてまたまたドライブだった。 そうして楽しみにしていた昼食、「とうわ御前」という定食を食べた。 炊き込みご飯、茶わん蒸し、青さ海苔の天ぷらもあって大満足だった。
クルマは私の生まれ故郷へと向かう。ちょうど一年ぶりの故郷が懐かしい。 もしかしたらまだ住んでいた家が残っているかもしれないと思った。 でもそこまでは行けないと夫に却下されてしまってちょっと残念。 後ろ髪を引かれるような思いで故郷の風景がどんどん遠ざかって行った。
生まれてから9歳まで過ごした山村も、今は合併して四万十市になっている。 去年の夏は日本で一番暑い町だと評判になってちょっぴり自慢げに思ったりした。
幼い頃のたくさんの思い出を私は一生忘れることはないだろうと思う。 「今度は真夏に来てみるか」夫の言葉がとても嬉しくてならなかった。
まだ今年が始まったばかりだと言うのに、夢のような日々が目に浮かぶ。 夢ばかり見ているわけにはいかなくて現実はとても厳しいのかもしれないけれど
あたえられた日々を全うしながら忘れずにいたい夢もふくらませていきたいものだ。
| 2014年01月02日(木) |
あたらしい年とおひさまにありがとう |
新年も明けてふつか、穏やかさをかみしめるように過ごしていた。 この穏やかさがいつまでも続きますようにとただただ祈るばかり。
ふっと襲ってくるふあん。何かが壊れてしまいそうな心細さ。 気がつけば悪いことばかり考えている自分の頬を打ちたくもなる。
行ってみなければわからない。だからこそ歩んで行くのではないか。 どんなことがあっても与えられたことだと思うことにしよう。 そうしてどんな時も感謝の気持ちを忘れずにいたいものだ。
寒さも和らぎ優しいおひさまにつつまれて新しい年を一歩踏み出す。
元旦には家族がみな揃ってにぎやかで楽しい時間を過ごすことが出来た。 娘夫婦と綾菜も一緒に散歩がてらお大師堂に初詣に行っていた。 お参りを済ますと綾菜がお大師さんに向かって「ばいばい」と手を振る。 その光景のなんと微笑ましいこと。お大師さんもきっと喜んでくれたことだろう。
どうかどうか皆を守って下さい。今年も手を合わせ続けたいと思う。
夕陽に染まる土手の道を天使のようによちよち歩いて帰る綾菜。 なんだか胸に熱いものが込み上げてくる。幸せすぎて涙が出そうだった。
夕焼け小焼けで日が暮れて。お手てつないでみな帰ろ。
みんなで歌いながら帰った。あたらしい年とおひさまにありがとう!
※おかげさまで穏やかな新年を迎えることが出来ました。 今年も相変わらずのささやかな日々になりそうですが ぼちぼちと書き綴っていきたいと思っています。 今年もどうかよろしくお願いします。
小雪が舞う寒い一日だったけれど
ほっこりほっこりと年の暮がせまってきた。
ほんの少しの慌ただしさも胸にしまってしまえば
ぬくぬく毛布にくるまってすやすやとうたた寝を始める。
いかなくてはいけないのではなくて
いってみようと一歩踏み出すきもちがたいせつ
失くしたものを数えるよりもさずかったものを数える。
するとどれほど自分が恵まれているか知ることができる。
決してあたりまえのことではないこと
生きていることさえも恵みそのものであるのだと気づく。
胸をはってまた一歩を踏み出してみよう
寒くて冷たい冬を乗り越えてこそ優しい春がやってくるのだから
※今年最後の日記になりそうです。 この一年も私のささやかな日々におつきあいして頂いてありがとうございました。 みなさまどうかどうか良いお年をお迎えくださいね。 いただいたたくさんのご縁を胸に私も一歩踏み出していきます。
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