朝のうちには小雨が降っていたけれどすぐにやんでくれた。 気温も高めで暖かくなんだか春の陽気を思い起こす。
午前中は買い物に行ったりして時間をつぶしていたけれど 午後は何もすることがなくなってしまってごろごろとするばかり。 まったりのんびりも良いけれど、ダイエット中なのをはっと思い出す。
ちょっと歩いてみようかな。いつもは自転車で行くお大師堂まで 久しぶりに歩いてみることにした。のどかな風景を堪能しながら ああここにいるんだなって思った。ここが私の居場所なんだなって。
帰りは河川敷の小道を歩く。さらさらと水の音が耳に心地よい。 昔のようにぼんやりと川面を眺めながら物思いに耽ることはなくなったけれど その頃の自分がふっと懐かしくなる。きっとそれは哀しみを知っていたせい。
あのせつなさと哀しみはいったい何だったのだろうと思う。 私は変わった。「ずっとずっと変わらないよね」と言ったその人はもう遠い。
ある意味、「老いること」とは「ひとつの成長」ではないのかとよく思う。 10年ひと昔と言うけれど、ほんとうにそれは昔話のようだった。 よき思い出としてずっと忘れずにいるのもよし。忘れたいと思うのもよし。
ただ決して後悔はしないこと。それが私の生き方なのだと思う。
私はそんなささやかな成長をとても心地よく受け止めている。
土手のススキが老いるように私も老いていく。
ある日突然刈り取られてしまってもどうして嘆くことができようか。
息をすることは生きること。いっぱいいっぱいしんこきゅうをした午後のことだった。
くもり空ではあったが、朝の肌寒さもすぐに和らぎ日中は暖かくなる。 今日は綾菜の保育参観があり娘の代わりに出席することが出来た。
保育園のすぐ近くの畑でお芋掘りをするとのこと。 まだ小さい綾菜には無理ではないかと思っていたけれど 可愛いスコップを持って土まみれになって頑張った。 さすがにまだお芋を掘り起こすことは出来なかったけれど 土の中からお芋が見えると「あった、あった」と大喜びする。
大きなお芋を三つ、赤ちゃんみたいに小さなお芋を二つ。 「お家に持って帰って下さいね」と遠慮なくいただくことになった。
お芋掘りが終わると今度は近くの公園までお散歩に行く。 みんなでわいわいと先生が歌をうたってくれたりして楽しかった。 芝生の上で思いっきり遊ぶ。綾菜もずいぶんと歩けるようになった。 会うたびに成長している姿がほんとうに嬉しくてならない。
保育園に戻って10時のおやつ。今日はスィートポテトだった。 先生の話しによると、綾菜はいつも隣のクラスに出張しているのだそうだ。 食いしん坊なので両方のクラスでおやつを二人分食べているのではないか。 「それはないですよ」と先生が可笑しそうに笑って応えてくれた。
ひよこ組いちばんの社交家だそうで、そんな話しを聞くのも嬉しく思う。 成長とともに個性が出てくる。もう赤ちゃんではないのだなとつくづく思った。
ジージにお迎えに来てもらって我が家に帰って来る。 今度はお昼ごはんでオムレツをぺろりと平らげた。 お腹がいっぱいになるとエプロンを自分で外そうとしたりする。 「ぽんぽいっぱいになった?」と訊くとお腹をさすって見せてくれる。
その後二時間ほどお昼寝をして目覚めるなり玩具で遊び始めた。 バーバよりもジージとよく遊ぶ。玩具を「はい」とジージに差し出す。
そろそろ三時のおやつかな。チーズとりんごのジュース。 チースは大好きでほんとうによく食べる。食べ過ぎではないかとはらはらするくらい。
夕方になり仕事を終えた娘が迎えに来ると、一気に甘えん坊の綾菜になる。 とびっきりの笑顔。やっぱりお母さんがいちばん好きなのがよくわかる。
「ばいばい」可愛い声でジージにもバーバにも手を振って帰って行く。
晩御飯もいっぱい食べておりこうさんでねんねしてね。
どうか風邪をひいたりしませんように。ずっと元気でいてくれますように。
夜道を歩けば三日月が寄り添うようについて来てくれる。 そうしてほのかな月明かり、なんだかそれがとても嬉しかった。
昨日はもう立冬、秋の名残がせつなげに後姿を垣間見せる。 冬将軍はまだ戦の準備をしているのだろうか。 いざ出陣と突撃してくるのも間もないことだろう。
ぽかぽかと暖かいひだまり。それは幸せのかたちをしている。 ずっとずっとこんな日が続けばいいなと欲のように思ってしまうのだった。
仕事を終えて帰宅する。自転車でお大師堂に行って帰ると 犬小屋で寝ているあんずを起こすのが毎日の日課になった。 声をかけたくらいでは起きない。何度か犬小屋を叩いたりして起こす。
やっと起きだして来たあんずはもうすでにふらふらとしていのるのだけれど 「行こうかね」と声をかけると「うん、行く」という顔をして見せる。
もう土手の石段を上がれなくなってしまってずいぶんと経った。 家の前の路地をほんの少し往復するだけで精一杯のようだ。 途中で何度も転んでしまう。尻餅をついてはまた歩き始める。 時には家まで帰れない日もあって、私に抱っこされて帰る。
せつない目をして私を見上げるあんずが憐れでならず胸が熱くなる。 歩きたいの、でも歩けないの。その現実を彼女はどんなふうに受け止めているのか。
今年の冬がもう最後の冬かもしれないな。夫が呟けば頷くしかなかった。 覚悟はしているけれど「その日」を思うと胸が痛く苦しくてならない。
「あんちゃんご飯よ」幸い食欲はあって今夜もぺろりと平らげる。
がつがつと食べている姿を見るとほんとうにほっとする。
明日も明後日もずっとだよって思う。
美味しい顔は幸せな顔。生きているってほんとうに嬉しいことだね。
明日はもう立冬だというこ。深まる秋を楽しむのもつかの間のことだった。 木々の紅葉は少し遅れているようで、それも初冬の風景になってしまいそう。
山里に向かう朝の道で嬉しい再会があった。 先日お大師堂に案内したドイツ人のお遍路さんを見つけたのだった。 クルマを停めて駆け寄って行くとびっくりしたような顔。 どこかで会ったけど誰だったけ?そう言っているような顔だった。
相変わらず言葉が通じないのがもどかしい。 先日と同じようにつたない英単語を並べてみたりしているうちに やっと思い出してくれたようだ。「おぅー」と声をあげて満面の笑顔になる。
「ファイト、ファイト」それしか言えなかったけれど 笑顔と笑顔で手を振って別れる。とても清々しくて嬉しい朝の出来事だった。
後から思ったことだけれどほんとうはドイツ語? 私のつたない英語が通じたのがとても不思議な気持ちだった。
無事に延光寺に着いただろうか。明日からは伊予路、よき旅を続けてほしいものだ。
今日は帰宅途中にも外国人のお遍路さんを見かけた。 みんなに声をかけられたらどんなに良いだろうかと思った。 英会話の勉強をしてみようかななんてふっと思ったりもして。
思うだけで何も出来ないのだけれど、「どうかご無事で」
それくらいはおぼえておきたいものだ。うん、頑張ろう!
少し風が強かったけれど青空がひろがり爽やかな晩秋のいちにち。 土手の除草作業が始まってしまってススキや野菊までも刈られていく。 もう見納めかと思うと傍らの野菊が憐れでならず愛しさが込み上げてくる。
今日は娘もお休みだったけれど、綾菜のお守りをさせてくれると言うこと。 朝からそわそわと落ち着かずジジババそろってお迎えに行く。
三人でお買い物に行って、真っ先にアンパンマンのスティックパンを買う。 牛乳も買ってこれで綾菜のおやつは大丈夫だった。 帰宅してすぐに海の見える公園に遊びに行く。 「くっく、くっく」と熊さんの靴を履いて大喜びの綾菜であった。
でも今日はあまり歩きたがらない。三歩ほど歩いては地べたに座り込む。 公園のベンチが気に入ったようでしまいにはそこに座って動かなくなった。 歩く姿を見たいジジババの気持ちとはうらはらに彼女はのんびりしたかったらしい。
お昼ご飯のあとお昼寝。そしておやつと一日があっという間のことだった。 食欲は旺盛でとにかくよく食べる。美味しい顔がほんわかと幸せである。
最近の綾菜のマイブームはお口とお口のキッスだった。 くちびるをひよこみたいにとがらせて「チュウ、チュウ」とせまってくる。 やわらかくてあったかなくちびる。それはまさに天使のくちづけであった。
夕方になり娘が迎えに来ると、やっとお母さんを思い出した様子。 やはり母親がいちばん好きなのがよくわかる。抱っこされて甘えたり。
「バイバイ」可愛い声ともみじのような手のひらが目に胸に沁みわたる。
見送る時はやっぱりさびしい。けれどもすごくすごく幸せな気分のままで。
くもり日、時おり霧のような雨がかすかに降る。 家事もそこそこにひたすらのんびりと過ごす休日であった。
午後いつもより早めにお大師堂にお参りに行く。 すると若いお遍路さんがお堂の前を掃除してくれていた。 「ありがとうございます。すいませんね。」と声をかけると 「カンコクカラキマシタ、ニホンゴワカリマセン」と応える。
昨日はドイツ人のお遍路さん、今日は韓国人のお遍路さん。 二日続けてこんな出会いもあるのだなと嬉しく思った。
言葉は通じなくても笑顔で通じることがきっとある。 身振り手振りで「ゆっくり休んで下さいね」と伝えることが出来た。 「アリガトゴザイマス」なんて嬉しい一言だろうと胸が熱くなった。
これまでたくさんの出会いに恵まれたけれど みんなみんなお大師さんの下さった「ご縁」なのだと思う。
これからもそんなささやかな縁を大切に過ごしていきたいものだ。
笑顔には笑顔がかえってくる。それはとてもとてもありがたいこと。
| 2013年11月02日(土) |
お大師堂に明かりが灯るころ |
秋晴れのお天気が続いていたけれど今日は曇り日。 かすかに雨が匂う空。明日は雨になりそうだった。
三連休の予定だったけれど、母のこともあり山里の職場に向かう。 昨日無事に退院できたけれど、無理をさせてはいけないと気遣う。 ほんとうは母に三連休をさせてあげたっかのだけれど よほど職場のことが気になっていたのだろう。10時頃出勤して来た。 久しぶりに会った母は思ったよりもずっと元気でとてもほっとした。 例のごとくおしゃべりの花が咲く。うんうん、と相槌を打つのも楽しい。
帰宅してすぐにお大師堂にお参りに行った。 顔なじみのお遍路さんが来ていて再会を喜び合う。 物静かな穏やかな人でもうご高齢なのだけれど元気そうでほっとした。
その後、大橋のたもとの東屋で野宿をしようとしているお遍路さんに会った。 なんと外国の方、ほとんど日本語がしゃべれなくてうまく会話が出来ない。 それでも身振り手振りと私のつたない英単語でやっとお大師堂のことを教えられた。 最後は「レッツゴー」ここはもう連れていくしかない。一緒にお大師堂に向かう。
先客のお遍路さんも歓迎してくれて、言葉は通じなくても笑顔で応対してくれる。 これも縁と言うもの、一夜の宿をともにすることもまたよしと思っていた。
それから少し経って家の窓からもう一人のお遍路さんが土手を歩いて行くのが見えた。 三人になるのか、大丈夫かなって一瞬心配になってちょっと様子を見に行く。 そうしたら最初のお遍路さんが荷物をまとめているところだった。 三人でも寝れないことはないはずなのだけれど、出て行くと言ってきかない。 隣の地区まで行けば泊まれるお堂があるのだそうだ。そこへ行くからと。
三人目のお遍路さんに事情を訊くと、どうやら喫煙が原因のようだった。 ちょっと注意をしたら気を悪くされたようだと嘆いておられたけれど それは仕方のないことだと思う。最低限のマナーは守らなくてはいけない。
外国人のお遍路さんは何があったのかわからなくてきょとんとしていたけれど 最初のお遍路さんと最後のお遍路さんの二人をなだめてなんとか一件落着となる。
他のお堂へ行くと言うお遍路さんを見送った。 「大丈夫、暗くなるまでに着くから」そう言ってくれてほっとした。 最後に来たお遍路さんは追い出してしまったことをとても気にしていたけれど 「気にしなくても良いですよ、こんなご縁もあるのだから」と笑顔でそう伝えた。
みんなみんなここで出会ったのが「縁」たとえどんなことがあったとしても お大師さんはみんなをゆるしてくれる。まあるくまあるくおさめてくれる。
お大師堂に明かりが灯るころ、私は夜道を歩きながらそっと手を合わせていた。
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